小説☆アルベル編---少年時代(2)

  「アルベル。」

グラオは物置の扉を開けて、中に呼びかけた。アルベルは物置の隅に向かって、膝を抱えて座り込み、そのままじっとしている。

  「おい、返事をしろ。」

だが、アルベルは振り向こうともしない。

  「全く…。」

グラオはため息をついて近寄り、強情な息子の頭を撫でたが、すぐにその手は跳ね除けられてしまった。

  「なんだ?悪いことをして叱られたのに、お前はそんな態度をとるのか?」

グラオは口調を厳しくしたが、アルベルが腕でグイと目をぬぐったのを見て、力を抜いた。

  「…なんだ、泣いているのか。」

  「誰が泣くか!」

  「じゃあ、こっちを向いて俺を見ろ。」

アルベルは首を横に振り、俯いた。そして、ぽつりとつぶやいた。

  「…どうせ俺のことなんか嫌いなんだろう?」

アルベルの声は涙でかすれ、最後はすすり泣きに変わってしまった。

*******

アルベルにとって叱られるのは日常茶飯事のことだ。屋根に穴を開けた、ルムを街に解き放った、ウォルターのマントをボロ布にした…等々、叱られるネタは数限りない。ただアルベルはそれを悪戯目的でしているわけではなく、家の中から空を見てみたかったとか、ルムに散歩させようとしただけだとか、マントで空を飛ぼうと思って木から飛び降りたら、枝にマントが引っかかったとか、いつもそれなりの理由がある。そして、悪気があってしたわけではない事が殆どで、同じ過ちを繰り返すことはないため、口で言い聞かせ、反省室――物置だったり、木の根元だったり――でしばらく反省を促すだけでよかった。

だが、今回は訳が違った。アルベルが人を傷つけてしまったのだ。アルベルは近所のガキ大将を棒で殴りつけた。

相手の親が血相を変えて飛び込んで来、一方的にアルベルが悪いと捲くし立てた。だが、その子どもがアルベルよりも一回りも大きく、意地の悪さがにじみ出た目つきをしているのを見て、グラオは親の贔屓目でなく、アルベルにはそうするだけの理由があった事が推察できた。

実際に近隣住民の話を聞いてみると、相手は日ごろから、グラオの息子なら剣技を見せてみろと、しつこくアルベルにたかっていたらしい。アルベルは華奢で顔立ちも美しく、女の子とよく間違えられる。そのせいもあって、「オカマ」などとからかわれていたようだ。美少女のような容姿ながらも、アルベルには相手を圧倒させる気迫があり、実際に喧嘩をすればアルベルが勝つのだろうが、弱い者いじめをしてはいけないという父の教えを守って、相手を威圧するところまでで我慢し、決して手を出そうとしなかった。だが、それで相手の子どもは図に乗ったようだ。アルベルが攻撃してこないことを確信してから、からかいは日増しにエスカレートしていった。

そしてある日、とうとうアルベルの我慢が切れ、相手を殴りつけた。グラオに言わせれば、よくぞたった一発で堪えたと誉めてやりたいところだ。いや寧ろ、二度と歯向かう気が起きぬように、タコ殴りにしてやればよかったのだ、何なら俺が!とグラオは大人げも無く腹を立てた。

ところが、相手は殴られたことに激昂し、その報復として仲間を引き連れてアルベルを取り囲み、各々が手にした棒切れで襲い掛かったらしい。

多勢に無勢で、仕方が無かったといえなくも無い。プライドの高いアルベルがどんな思いで堪えていたのかを考えたら、可哀想で可哀想で身が引き裂かれそうだ。だが、教えた剣技を喧嘩に使ったことは決して許されることではなかった。ダメなことはダメだと、グラオは心を鬼にした。

  「アルベル、お前、剣技を使ったのか。」

  「…使った。」

それを聞くや否や、グラオはアルベルの頬をぶった。父に初めてぶたれたアルベルは驚き、目に涙を浮かべた。その目は強く何かを訴えていたが、グラオはそれを聞くことはせず、そのままアルベルを物置に放り込んだのだ。

*******

アルベルは理不尽な思いで物置に篭っていたに違いない。そして同時に、父との約束を破ってしまった自分を責めていたのだ。約束を破るやつはクズだと教えられていたのに、そのクズになり下がってしまった自分を。

グラオは、父から嫌われてしまったと悲しむ我が息子が愛しくて堪らなくなった。そして、後ろからアルベルをぎゅっと抱きしめた。

  「愛してるに決まってるだろう、阿呆。」

  「嘘つけ!」

  「俺が嘘付いたことあったか?」

グラオはアルベルを抱き上げて、涙と鼻水でくちゃくちゃになった顔を大きな手の平で拭いた。

  「折角の美貌が台無しだ。」

そして、その頬にキスをして、身体を揺すり赤ちゃんを寝かしつけるようにあやした。するとアルベルは父の首に抱きつき、声を殺して泣き出した。

そうして涙がおさまった頃、グラオはアルベルの横顔を優しく見つめた。だがまだアルベルは目を合わせようとしない。

  「俺やウォルターがお前をキツク叱るのは、お前の悪い所を直して、立派な人間になって欲しいと思ってるからだ。お前は確かに悪い事をしただろう?」

  「…。」

アルベルは口を真一文字に引き結んだまま、最早一切を語ろうとしない。どうやら、言わぬと決めたらしい。そして相手が悪い、とそういう顔をしている。この強情で負けん気の強いところは自分にそっくりだ。

  「お前にはまだ剣技を使ったらダメだといったはずだ。理由は何だったか覚えているか?」

すると、アルベルがしゅんと萎れた。どんなに相手が悪くても、ダメだと言われた事をしてしまった事とは関係ないのだと分かったからだ。賢い子だ…グラオは心の中で褒め称えた。

  「…本当の意味で会得してない技は危険だから。」

  「そうだ。生かすも殺すも自在に操れるようになるまで、決して使うなといった。どんな理由があったにせよ、お前はその約束を破った。ましてやそれを子ども相手に使うなど言語道断。そうだろう?」

するとアルベルはしぶしぶだが小さく頷いた。

  「よし。自分が悪いと思ったら素直に認める。それは出来ているな?」

むっつりしながらも、今度はさっきよりも大きく頷く。

  「よし!さすがアルベルだ!お前は俺の自慢の息子だ。」

グラオが手放しでアルベルを褒めると、アルベルは口元をちょっとほころばせた。可愛い我が子の笑顔は何にも変えがたい。

  「強くなれ、アルベル。相手に手を出そうという気が起こらないくらい強くなればいい。アルベル・ノックスという名を聞いただけで相手が白旗を揚げるくらいにな。そうしたら剣を抜く必要などなくなる。」

真実を知った上でのこの言葉に、アルベルはじっとグラオを見つめた。この件の真相を知っているのだろうかと探っている目だ。グラオは微笑んで話を変えた。

  「アルベル、知ってたか?…実は俺はお前を叱りながら、『こんなに叱って、もし嫌われたらどうしようか』と、いつも心配しているんだ。」

すると、アルベルは驚いたようにグラオを見つめた。グラオも真剣な表情でアルベルの涙に濡れた大きな瞳を見つめ返す。

  「…俺を嫌いになったか?」

アルベルはううんと即座に首を横に振った。グラオは嬉しそうにアルベルに盛大に頬すりし、アルベルはくすぐったそうに目を細めた。

  「いいか。お前の悪い所をちゃんと叱ってくれる人間は、お前の事を本当に大切に思ってくれてる人間だ。だから絶対に大切にしろよ。…わかったか?」

  「…わかった。」

  「勿論、俺を一番大切にするんだぞ。ウォルターは二番でいいからな。」

やっとアルベルの顔に笑顔が戻った。ウォルターには内緒だと、親子でくすくすと笑う。

  「さて、お仕置きはもうこのくらいにして、おやつにするか。何が食べたい?」

  「アイスクリーム。大盛りがいい。」

  「ははは、大盛りか!今日だけだぞ?」

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