朝だ。アランはベッドの上で小さく溜息を付いた。目を開けて見ると、アルベルは既に起きたのか、隣は空になっていた。それにしても、何故こんなに部屋が明るいのだろう。カーテン越しの光がいつもよりも強い。寝返りを打ち、今は何時かと時計を見た。
「?」
横になっているからだろうか。針の位置がおかしい。そう思った次の瞬間、アランは飛び起きた。
なんと時計は10時をさしていたのだ。
とんでもなく寝過ごしてしまった。いつも決まった時間に目が覚めるのに。
慌ててベッドから出、ドアノブに手をかけたところではたと立ち止まった。そこには張り紙がしてあった。
『今日一日寝てろ』
アルベルの字だ。
(何故…?)
アルベルは出掛けているのだろうか?アランはその紙を取って、そっと寝室を出た。取りあえず、さっきから乾いて仕方がない喉を潤す為に、水を求めてキッチンへ向かった。すると、そこにも張り紙が。
『仕事及び家事一切禁止』
これは一体どう言う事なのか。兎に角、アルベルに事情を聞こうと、素早く身支度をして、玄関に向かった。だがそこにも張り紙がはってあった。
『外出禁止。ベッドに戻れ』
アランは三枚の紙を見比べ、しばし途方にくれたが、アルベルの命令には従うしかない。アランは寝室に戻ってベッドに腰掛けた。
『ベッドに戻れ』そして…『今日一日寝てろ』。
アランは寝巻きに着替えなおしてベッドに横たわった。一体何が起こったのか。アルベルがどういうつもりでこの書置きを書いたのか、その理由をじっくりと考えよう思っていたのだが、いつの間にか眠りに落ちていった。
パタンとドアが閉まる音で目が覚め、それで自分が寝てしまっていた事に気付いた。目を上げると、アルベルの姿。
そして、その後ろには初老の男。アランはちらと眉をしかめて起き上がった。他人に寝室に踏み込まれたくない。
「ちゃんと大人しくしてたようだな。」
アルベルが満足げに言った。だが、アランはあの張り紙のことよりもまず、その男の方が気になった。
「そちらは?」
「ガキの頃から世話になってる医者だ。」
「医者?」
その男は軽く頭を下げた。
「風邪ですな。」
アランを診察し終えた医者は聴診器を外しながら言った。
「風邪?私が?」
すると、アルベルが呆れた。
「自分で気づかねぇのか、てめぇは!?」
「は、はぁ…体が重いとは思っていましたが。しかし、いつも動いている内に治まってしまうので…」
「そういうのを溜めておると、弱った時に一気に噴出して、大事になってしまうのです。ゆっくり養生なされ。」
医者から渡された薬を飲んだアランは、再びベッドに寝かしつけられた。しかし、アルベルが起きているのに眠ってなどいられない。それにキッチンからだろうか、さっきからガタゴトと音がして、それが気になって仕方がない。アランは天井を見ながらじっと聞き耳を立てていた。そこに、
ガッチャーン!!
一際派手な音が鳴り響いた。ベッドから出るなと固く言われていたが、アランはとうとう堪えきれずに起き上がった。
寝巻きの上からショールを羽織って、階段を下りていくと、なにやら異臭がしてきた。キッチンに近づくにつれ、その臭いは強烈になり、そこでアルベルが慣れぬ手付きで割れた食器を片付けていた。アランは急いで近寄った。
「お怪我はありませんか?」
「起きるなと言ったはずだ!」
「ですが…。」
「いいから、寝てろ!」
厳しくそう言われ、アランはしぶしぶ寝室に戻った。そっとベッドに座る。アルベルが作業をしているというのに、自分は何もせず横になるなんてできない。しかし、薬が効いてきたのか、急に眠気がさしてきた。アランはベッドの背に寄りかかった。少しの間だけ―――
「!?」
体がぐらりと揺らいだ拍子に目が覚めた。目の前にアルベルがいた。アランの足を抱えてベッドに入れようとしていたのだ。また眠ってしまっていたらしい。
「なんでこんな格好で寝てんだ。」
「すみません…。」
「丁度いい、目が覚めたならこれを食え。」
そう言って、異臭を放つ緑色の物体が入った皿を突きつけられた。それは、いつだったか、アルベルが風邪で寝込んだとき作れと言われた、あの薬草粥だった。父親によく作ってもらったというアルベルの大切な思い出の粥。それを、
「私のために作ってくださったのですか?」
これほどの感激があるだろうか。アルベルは不機嫌な表情でスプーンを突きつけてきた。
「おら、スプーン。」
アルベルが不機嫌な表情で照れくささを隠すことを、今は知っている。
「嬉しい…!有難うございます!」
「礼を言うのは、それを食ってからにしろ。」
「はい、頂きます。」
アランはニッコリ微笑んで粥を口に運んだ。嬉しそうに二口目も。アルベルはそれをじーっと見守っていたが、三口目を口に入れたところで怪訝な表情になり、アランに尋ねた。
「…美味いか?」
「はい、とてもv」
ところが、アルベルは眉間に皺を寄せた。
「そんなはずはねぇ。」
「え…?」
「ちょっと寄越せ!」
アルベルはアランの手からスプーンを奪うと、自分も一口食べてみた。そして、そのあまりの不味さに思わずむせた。父が作ってくれたもの以上にすさまじい出来栄えだった。
「大丈夫ですか…?」
アランが優しく背中をさすってくれる。
「なんで、これを平然と食えるんだ!?」
アルベルは口に入れた粥を、なんとか水で流し込みながら尋ねた。自分で作って、更にはそれを人に食わせておいて、その言い様はない。だが、アランは幸せそうに言った。
「あなたが作って下さったものですから。これ以上のご馳走はありません。」
アランはアルベルからスプーンを受け取りながら、ふっと微笑んだ。一つのスプーンでこんな風に食べ合えるということは、それだけ親しい間柄である事を示すような気がして。アランはそのスプーンで粥をまた一口食べた。
(幸せの味だ…。)
その味を、ゆっくりと噛み締めた。
次の朝、
「お早うございます。」
アランはいつものように朝日の中で微笑んだ。具合はすっかりよくなったようだ。食卓にはいつものように、美味そうな朝食が並んでいる。おしゃれなフルーツサラダに、淡いグリーンの上品なリゾット…どこかで見たような…。
「まさか…!」
「昨日のお粥がたくさん余っていましたので、私なりにアレンジしてみました。」
確かに見た目も匂いも全然違う。しかし、元はアレ。昨日の衝撃的な味が思い出され、アルベルは恐る恐る口に運んだ。果たして、そのお味は…?
「美味い…!」
アルベルは驚いた。一体、どんな魔法をかけたのだろうか?
「これならいくらでもいける。」
そう言ってやると、アランは嬉しそうに微笑んだ。
「良かった。お代わりはたくさんありますから。」
確かに、何杯でもお代わり出来ることだろう。そんなつもりはなかったのだが、昨日、試行錯誤する内に出来上がった粥は大量になっていたから。しかし、アレンジでこれだけ味を変えてきたということは、
「昨日の粥、少しは不味いと思ったんだろう?」
正直に言ってみろとアルベルがからかうと、アランは少し困った顔をしてから、こう微笑んだ。
「それは秘密です。」