春はどうしてこんなに眠いのだろう。アルベルは家の玄関を開けながら大きなあくびをした。
午前中、カルサア修練場の方に顔を出して部下達の稽古に付き合ってきた。午後からの会議も終わったら他には大した仕事もなかったので、後のことはカレルに押し付け、いつもより随分早目に家に帰って来たのだ。
今日はアランが休みで家にいるはずだったが、リビングにもキッチンにも姿は見えなかった。
(買い物か…?)
再びあくび。夕食にはまだ時間がある。先に風呂に入ろうかと思ったが、余りの眠気に、それよりもまず、少し昼寝することにした。装備を外し、寝室に向かう。
「何だこれは?」
アルベルは寝室のドアを開けて驚いた。今朝はなかったはずの大量のカーテンがテーブルやソファやベッドの上に所狭しと広げられていた。そして、そこにアランがいた。まさかこんな早い時間にアルベルが帰ってくるとは思わなかったようで、いきなりドアが開いたことに驚き、慌てた。
「アルベル様…!申し訳ありません、お帰りに気付きませんで…。」
アルベルが帰ってきたら、何をおいても必ず出迎えるのに。
「いや…。それより何やってんだ?」
「この部屋に合う春用のカーテンを選んでいるのです。アルベル様はこの中でどれがお好きですか?」
アランは丸テーブルに乗せた三枚のカーテンをアルベルに示した。どうでもいい。正直違いがわからない。アルベルはいつものように「お前の好きにしろ。」と言おうとして、ふとイタズラ心が湧いた。そして、アランが選択肢から外してソファーにはねていたであろう物の中からぱっと目に付いたものを「これがいい。」とわざと指差してみた。普段決して逆らわないアランが、それでどういう反応を見せるか気になったのだ。すると、アランは、
「これ…ですか…。」
と言ったきり黙りこんだ。アルベルが靴を脱ぎ捨ててベッドに乗ると、アランはそこに広げていたカーテンを急いでどけたが、頭の中はカーテンの事でしめられているようで、目線はすぐにカーテンの方に戻った。自分の選んだカーテンの中にアルベルが選んだ物を置いて眺め、実際に取り付けてみては眺め、かなりしばらく悩んでいた。いつもだったら、即、アルベルの言う通りにするのに、流石にその選択は受け入れられなかったらしく、かといってアルベルの意見を却下することもできずに苦悩しているのがわかる。アルベルはそんなアランの反応が面白くて、腹の中で密かに笑いながらアランがどうするかを寝転がって窺っていたが、その時間が余りに長く、その内マブタの重さに耐えかねてそのまま眠ってしまった。そして、それきりそのことはすっかり忘れていた。
それから数日たって。夕食後の紅茶を自室に持って部屋にこもり、カレルの報告書に嫌々目を通していると、アランがノックしてドアを開けた。部屋には入って来ず、ドアのところで遠慮がちにアルベルを呼んだ。
「アルベル様…。ちょっとこちらを見ていただきたいのですが…。」
アルベルはカレルの報告書を放り捨てて立ち上がった。
アランに連れられて寝室に入った途端、思いつめたような表情で、
「どうでしょう?」
と尋ねられた。
「何がだ?」
何のことだかさっぱり分からずにそう聞くと、アランは部屋全体を示した。
「部屋の雰囲気です。」
以前とは何かが違うらしいのだが、前がどうだったかなど覚えていない。
「別に何も感じねぇが。」
すると、アランはカーテンのところに行き、左半分だけ引いてあったカーテンを開け、今度は右半分を閉めた。
「これはどうです?」
アルベルはここで初めて、カーテンの柄が左右で違っていた事に気付いた。この程度の認識レベルであるのだから、部屋の雰囲気がどうかなどがわかるはずもない。
「いいんじゃねぇのか?」
適当に答えると、アランは、
「そうですか…。」
とがっかりした表情になった。残念そうに、左のカーテンを引き寄せ、それをじっと眺めた。明るく優しい色調の、いわば春色のカーテン。一方、右のカーテンは、やけに派手な黄色と黄緑色。その色具合は、とうもろこしを思い出させる。アランは改めて双方を見比べてから、決然と振り返った。だが、アルベルと目が合うとその勢いはしぼんだ。何か言い難い事を言いたいらしい。それを察して、
「どうした?」
と促してやると、アランは恐る恐る左のカーテンを指した。
「その…私はこちらの方が…良いのではないか…と思うのですが…。」
酷く思いつめた様子から、余程の事を言い出すのかと思っていたら、それ。なんだそんなことか、と、
「そうか。ならそれでいいだろ。」
あっさり言うと、アランは「えっ。」と目を見開いた。そして、右のカーテンを指して言った。
「ですが、あなたはこちらが良いと…。」
それでようやくアルベルは先日のイタズラを思い出した。あれからアランはずーっと悩んでいたらしい。
「くっくくっく!」
アルベルは堪えきれず、声を上げて笑い出した。軍の最高司令官として瞬時に的確な判断を下す男が、カーテン一つに、しかもアルベルが適当に言った事を真に受けてこれ程までに悩んでいようとは。
「はーっはっはっは!」
「アルベル様…?」
アランの戸惑った表情がまた可笑しい。アルベルはひとしきり笑って、右のカーテンを指して言った。
「ああ、そうだった。こっちだ。」
するとアランの表情は再び沈んだ。
「あの…何故、こちらの方を?」
「ああ、そうだな。何となくだ。くっくっくっ!」
「何となく…ですか…。」
右のカーテンに目を落とし、やがて言った。その目には確固たる決意があった。
「このカーテンをつけるのなら、部屋の壁紙も変えた方がいいと思うのですが。」
成る程そうきたか。
「壁紙?いいだろ、これで。」
「しかし、これはどうしてもこの壁紙と合わないのです。カーテンをこちらにするなら、壁紙を別の物に張り替えたいのです。」
「その必要はない。」
「しかし…!」
アランは必死で、部屋とカーテンの色を調和させたいと訴えてきた。これ以上いじめるのはかわいそうだ。最後まで無理を受け入れなかったのは良かった。アルベルは笑いながらアランの選んだカーテンを指した。
「カーテンをこっちにすればいい。」
「そんな、私に合わせて下さらなくても…。」
そこで、アルベルはネタを明かしてやった。
「ちょっとお前をからかって遊んだだけだ。」
それに対して、アランは怒りもせず、
「そうなのですか?」
と、小首をかしげただけだった。単なるイタズラでこれだけ悩まされたわけなのだから、普通は怒りそうなものなのに。何を感じ、何を考えているのか、どうもはっきりしない。だが、
「本当は俺もこれがいい。これにしろ。」
とアルベルが言ってやると、
「本当ですか?」
アランは目を輝かせて喜んだ。そして、早速カーテンを自分の選んだものに付けると、
「やはり、この部屋の色調にはこのカーテンがしっくりきます。それに、この軽い生地。明るい光の中で風になびくと、まるで春風のようなのです。明日の朝、是非見てください。」
と、満足げに微笑んだ。春に相応しく部屋を明るくし、且つ、壁紙とも見事に調和している。アルベルもそれを眺め、まあそうかもしれないと思いつつ、やはりどうでもいいと思った。
アランが笑顔ならそれで。