気もそぞろで王の世間話に付き合い、挨拶もそこそこにアルベルが王の部屋から出てくると、帰り支度を終えたアランがそこに立って待っていた。一点の穢れも許さぬかのような白い軍服のそのストイックな姿が、アルベルの頭に浮かんでいたベッドでの一糸纏わぬしどけない姿と重なり、アルベルは慌てて目を逸らした。気恥ずかしさから、そのまま目を合わせることなく、
「帰るぞ。」
とぶっきらぼうに言い、アランの前を素通りした。アランは「はい。」と短く返事し、黙ってその後についた。
アランの操る飛竜に一緒に乗ったアルベルは、アランの背中を見ながら、頭の中はもうあのことで一杯になっていた。雪の混じる風の冷たさなど感じない程に体は熱く、飛竜の速度が遅いのではないかと焦れる程に気ははやっていた。
ところが家に帰り着くと、アランはついさっきのことをまるですっかり忘れてしまっているかのように振舞った。いつものように風呂を用意し、アルベルが風呂に入っている間に食事を作って…と全く普段どおり。ただ一つ、いつもと違うのは、アランに元気がなく、必要以上に話そうとしないところだ。どうやら落ち込んでいるらしいのだが。
アルベルはそんなアランの様子が気になりながらも、食事を終えた後は歯を磨いてまっすぐにベッドに向かい、そしていつものように寝たふりをしながらアランが来るのを待った。
アランは食事の後片付けをし、風呂に入ってから寝室に入って来た。アランがベッドにするりと入り込んでくる。ベッドの軋む音。衣擦れの音。もうそれだけでどくんどくんと心臓が高鳴る。アルベルは身を固くしてアランが抱きしめてくるのを待ち構えた。ところが。アランは「おやすみなさい。」とそっと声を掛けると、明かりを消し、そのまま自分の位置に収まってしまった。
そのアランの遠慮がちな態度で、アルベルはようやく自分の犯した過ちに気付いた。アランが落ち込んでいたのは自分のせいなのだ。誘いをあんな風に振りほどかれたら、誰だって拒否されたと思うだろう。そんなつもりは毛頭なかったのだが、アランはそう受け取ってしまった。
しかし最早、諦めてこのまま寝ることは出来ない。神経が昂ぶり過ぎていて、もう眠るどころではなく、傍にいるアランの気配がますます気になりだした。もっと傍で感じたい。アランの肌の匂いを胸いっぱいに吸い込みたい。
「…。」
今まで常にアランが誘いをかけ、自分はそれにのるだけでよかったから気付きもしなかったが、自分からそういう気分であることを伝えるのは恐ろしく勇気がいる。この気分を拒否されたら、さすがのアルベルもしばらくは立ち直れないだろう。…つまり、アルベルに拒否されたと勘違いしているアランは、今まさにその気持ちであるということだ。
(落ち込むはずだ…。)
家に帰ってからのアランの元気のない姿を思い出し、アルベルは可哀想なことをしてしまったと反省した。
(これは俺が悪い。まずは謝って、それから…それから何と言えばいい?『やりたい。』…いや『やるぞ。』の方がいいか。しかし、『何を?』と聞かれたらどうする?セ…セックス…とは言えん…。……………あーくそッ!ごちゃごちゃ考えるのはやめだッ!)
アルベルはガバッと起き上がり、隣に寝ているアランを見下ろした。するとアランは驚いた表情で、じっとこちらを見た。
「アルベル様、どうし―――」
だが、アルベルに鋭い目つきで胸倉を掴まれ、アランは口をつぐんだ。また怒らせてしまった…。そう悲しく思ったのも束の間、次の瞬間、アルベルが乱暴にアランの胸を肌蹴させはじめた。アランは驚きのあまり何が起こっているのかわからなかった。
「え?」
すると、アルベルは不機嫌マックスでアランを睨んだ。
「今夜、やるんじゃなかったのか!?」
「あ…」
アランは、城でのあの一件から、ぴんと張り詰めた空気がぴりぴりとアルベルを覆い、アルベルに触れるどころか、話しかけることさえできずにいたのだ。だが、それは違った。全くの逆だった。アルベルはこの激情を必死に押さえ込んでいたのだ。そういえば、アルベルは「嫌だ。」とは言わなかった。
「!」
アルベルがアランにキスしてきた。こんな風にアルベルから求めてきてくれるのは初めてのことだった。アランは胸が熱くなった。ぶっきらぼうだけど、どこか優しいそのキスは、まさにアルベルの性格そのまま。
(私は、本当にこの人が好きだ…。)
アルベルの動きに合わせてさらさらと顔にかかってくる長い髪を優しく撫でながら、アランはなされるがままにアルベルのキスを味わった。と、アルベルが急に口を離した。息を荒げながらアランを見下ろしてくる。
(しないのか?)
アルベルの目が、少し不安そうにそう問いかけてきた気がした。アランはすぐさま起き上がってアルベルを抱きしめた。
「愛してます…。」
万感の思いを込めてそうアルベルの耳に囁き、そのままアルベルの耳にキスした。耳朶を咥え、唇で愛撫する。アルベルは逃げようとしたが、アランは腕でそれを捕まえ、片手でするりとアルベルの寝巻きを解いた。背中から腰にかけて、その滑らかな肌にゆっくりと手のひらを滑らせる。それに反応して、アルベルが腰をしならせて仰け反ったのを期に、体を支えながらそのままベッドへ押し倒した。
乳首に軽く触れながら、顎にキスし、のどのラインを唇でなぞっていく。アルベルの喉仏がごくりと上下し、胸に置いた右手の下では、アルベルの心臓がどくどくと早鳴りしている。アランはそこに耳を当てた。これは自分の動悸と同じものだろうか。狂おしいほどに恋焦がれるこの胸のときめきと。それともただ単に体が興奮しているだけ?
「今…何を考えていますか?」
「は?」
アルベルは夢から覚めたようにはっと目を開けた。アランが顔を上げ、真剣な表情でアルベルを見つめてきた。アルベルは火照った頬を更に赤らめた。
「し…知らん!」
乳首を吸われながら舌で転がされたいと思っていたなど、口が裂けても言えない。
「あなたの本心を…知りたい…。」
アランはそう言うと、アルベルの唇を舐め、そのままキスしてきた。唇を吸われ、舌を絡めとられる。蕩けるようなキスで、脳みそまでもが溶け出してしまったかのように頭はぼーっとし、息は上がり、動悸も更に激しくなり、体に力が入らない。もうどうにでもしてくれという状態だった。アランはそっとアルベルの髪を撫でながら瞳を覗き込んできた。
「あなたの心の中を覗けたらいいのに…。」
覗かれなくて良かった。アルベルは心底そう思った。今、頭の中にぐるぐると渦巻いているこの浅ましい欲求を知られるくらいなら、舌を噛んで死ぬ。
アランがアルベルの胸に熱くキスし、舌先で乳首に触れた。望んでいた刺激をやっともらえてアルベルは思わず声を洩らした。アランは目を閉じてその声に聞き入った。
「ご存知ですか?」
胸に当たるアランのさらさらとした前髪が、そして熱い吐息がぞくぞくするほど感じる。
「私は…あなたの喘ぎを聞くだけで達してしまうのです。何度も…何度も…」
アランの手がアルベルの下半身に伸びた。アルベルは歓びの声をあげそうになったのをぐっと堪えた。
「声を聞かせてください。もっと。あなたの声で私を狂わせて…。」
それから、程なくしてアルベルの声を出すのは恥ずかしいなどという羞恥心は吹っ飛び、アランの愛撫に感じまくって乱れまくった挙句、そのまま意識を失った。
幾度もの絶頂の果てに深い眠りについたアルベルの髪を、アランは優しく撫でた。額に口付けし、アルベルの髪の匂いを吸い込む。胸いっぱいに広がるこの幸せ。アランはもう一度アルベルの唇にキスすると、そっと布団を掛けてやり、アルベルの隣に納まった。いつものように手をつないで。
それから天井に目を投じ、今日の事を考えた。アルベルの心中を推し量り損ねた事だ。もっとアルベルの気持ちが分かっていれば…。
そう言えば同じような事が以前にもあった。あれはいつだったか。確かまだアルベルに想いを告げる前の事だった。あの頃は、何とかアルベルの気をひきたくて、あれやこれやと理由をつけては、何かにつけて付きまとっていた。
「は?バレンタイン?」
城の廊下で、アルベルは驚いたように振り返った。その傍にはカレルも居たが、アランは完全にその存在を無視して話を続けた。
「はい。甘いものがお好きだと聞きましたので、チョコレートケーキを作ってきました。これからお部屋にお邪魔しても…」
だが、それを言い終わらないうちに、アルベルの頬が微かに上気し、眉間に皺が寄った。そして、
「ったく、お前まで一体何考えてんだ!?」
と不機嫌に言うと、足早に立ち去ってしまった。何故『お前まで』とアルベルが言ったのか、アランには訳がわからなかったが、アルベルの態度から拒否されたのは明白であると、悲しげに想い人の後姿を見送っていると、
「今のはOKってことですよ。」
アランは思わず、その声の方を振り向いた。そこに居たのは勿論カレルだ。カレルから自分に話しかけてくるのは珍しい。思わず、まじまじとその顔を見ると、カレルはすっと目を伏せた。出すぎた真似だと自覚しているのだ。
実は毎年バレンタインになると、漆黒の連中はこぞってアルベルに菓子を贈る。しかも熱烈なラブメッセージつきで。そういう悪ふざけを食らってるものだから、ああいう態度になったのだ。もっとも、アルベルは何だかんだと言いつつも、菓子はしっかり平らげてしまい、ちゃんとお返しもしてくれる。お返しは酒と決まっていて、そのお陰で毎年ホワイトデーは宴会と決まっているのだが、アランはその辺の事情を知らないため、何故アルベルがあんな風に言ったのかわかるはずがないのだ。
出来るだけアルベルのプライベートには関わらないようにしているカレルは、そのまま知らないふりをしようと思ったのだが、アランの落胆振りを見かねて助け舟を出したのだった。カレルはそれだけ言ってアルベルの後を追おうとしたが、アランの不審そうな、それでいて信じたいような複雑な表情を見て、ニッと笑うともう一言付け加えた。
「『駄目だ』って言わなかったでしょ?」
まさか。アルベルはあんなに不機嫌そうだったのに、どうしてそれを『OK』と受け取れるのだろうか。確かに『駄目』とは言わなかったが、とても信じられない。それに、カレルが一体どういうつもりでそう言ったのかもわからない。しかし、もし本当にいいのだとしたら?もし本当にそうだとしたら、ケーキを持って行かないわけにはいかない。アルベルが甘いもの好きだというのは確かな情報なのだ。
アランは散々迷った挙句、おずおずとアルベルの部屋を訪れた。すると、
「持ってきやがったか。」
不機嫌そうにそう言われ、カレルの言うことをチラとでも真に受けてしまった自分の愚かさを呪った。だが、結局アルベルはケーキを食べてくれた。その時は、優しいアルベルが、無理して自分に合わせてくれたのだと申し訳なく思っていたのだが。
今日の事を照らし合わせて考えてみると、今回も確かにアルベルは『嫌だ』とは言わなかった。そして、あれ程不機嫌だったのに、アルベルの答えはOKだった。
アルベルが見せる不機嫌な表情。ひょっとしたら、それをそのまま受け取るべきではないのかもしれない。アランは、自分がこれ程人の感情に疎いとは思わなかった。でも、相手の気持ちが分からなくてこんなにも悩んでしまうのは、それは多分、
(アルベル様だから…)
アランはアルベルの寝顔を見つめ、握ったアルベルの手を親指で優しく撫でた。