「俺にはこの色が似合うみたいだな。やっぱりこっちにします。」
ユークが忙しそうに口紅をあれこれ試している。カレルは、オレストの女装姿をひとしきり笑った後、しばらくその様子をじーっと観察していたが、
「…あいつ、嫌がってた割りにエライ乗り気だよな?こっちの素質があるとか?」
オレストにひそひそと囁き、口元に手をひっくり返してちょいと当てた。ユークに密かに憧れていた女達はこれで一気に幻滅した事だろう。オレストはカレルに事情を話してやった。
「それが…意外にもあのエルさんが、結構美女に変身してしまったんですよ。」
「はーん…成る程。」
カレルは納得して頷いた。エルヴィン・トーレス。技術開発の局長。タバコを日に何本も吸いながら、一日中研究室か自室にこもっている男だ。山のような本と紙が散乱した彼の部屋は、まさにゴミ溜め状態。それが自室の範囲に留まれば(それ程)問題はないのだが、会議室など共有の場においても、彼が座った場所にはタバコの吸殻と紙クズが残される。潔癖症気味のユークには、エルヴィンのそのルーズさが許せない。その上、エルヴィンは士官学校の中でも、ずば抜けて成績が優秀な者が集まる特別クラスを首席で卒業したエリート中のエリート。普通科で、首席を取れなかった事が痛恨の極みとなっているユークにとって、その存在が普通以上に気になるようで、こうして何かにつけて張り合おうとするのだ。
片やエルヴィンの方は、研究費を中々下ろそうとしないユークの神経を逆撫でして遊ぶ事で鬱憤を晴らそうとし、ユークがそれにムキになる…という悪循環を、この二人は日常的に繰り返しているのだ。
「しっかし、こんな事まで勝ちたいもんか?」
元々競争心の乏しいカレルは呆れ気味だ。
「なんせ、負けず嫌いですからね。」
オレストはイーッと口を横に広げて渋面を作った。オレストとユークは士官学校からの同期だ。自覚なしに何かと角を立ててしまうユークと仲良くできるのは、このオレストくらいなものだ。そのオレストを、ユークがキッとにらみつけた。
「あんな事言われて、黙って引き下がってるわけにはいかないだろ!?」
「…あんな事?」
カレルが尋ねる。その問いに答えたくないユークの代わりにオレストが答えた。
「『自分の方が美形だと思ってたんだろ?』…って。」
「あいたたた…。エルの奴、そういう触れられたくねぇとこをえぐるの上手いよな。」
「しかも、タイミングも絶妙で…。」
髭のそり方は適当、ただ伸びただけの髪の束ね方もいい加減、鬱陶しく垂れ下がった前髪の奥から、銀縁の眼鏡がキラリと光る。そんな普段のエルヴィンの姿を見たら、誰だって自分の方がマシだと思うだろう。しかも、アルベルの体制下、服装は自由になっているのに、未だ旧体制のダサい制服を着続けているのは、副団長派と彼だけだ。
ところが。エルヴィンが眼鏡を取り、髭をそって髪を整えると、意外に綺麗な顔だちをしていた事が判明。そして、髪に緩やかなカールをかけて、真っ赤なルージュをひくと、気だるげな大人の女の色香が漂ったのだ。その劇的な変身ぶりを見て呆気に取られていたユークの顔を見つけるや、エルヴィンは小馬鹿にしたようにクスッと笑い、
「いつにも増して馬鹿面だな。大方、自分の方が美形だと思ってたんだろ?」
そう言い放ったのだという。内心、女装したら自分が一番可愛いだろうと思っていたユークとしては絶対に負けるわけにはいかなかった。
カレルはアルベルが大人しく女装するのを確かに見届けてからこちらに来たので、まだ準備が終わっていないのはカレルと、未だ口紅を付けては拭いしながら悩んでいるユークだけだ。他の者は既に着替えを終え、舞踏会の開催を待つばかりとなっている。
「ところで、団長は?どうでした?」
黄色のドレスに身を包んだオレストが目をキラキラさせて尋ねた。
「さすがさすがのあの美貌!最早、人間の枠を超越してる。」
「へぇ!僕も見てこようかな!」
ウキウキと見に行こうとしかけたオレストを、カレルは止めた。
「今はやめといた方がいい。まさに一触即発って感じだ。下手に近寄ったら間違いなく爆死すんぞ。」
二人が身をすくませて「くわばらくわばら」と唱えていると、カレルを担当するミリィが剃刀を持ってやってきた。
「カレルさん、お待たせしました〜。まず無駄毛処理からですね〜。」
剃刀の刃越しにニッコリと微笑まれて、カレルはたじろいだ。
「え!?毛まで剃んのか!?」
「あそこの毛も全部っすよ。」
そんなオレストの冗談に、「マジで!?」とカレルが乗っかる。
「違いますよ!も〜、オレストさん!変な事言わないで下さい!」
ミリィが怒ってみせると、それにもすかさずカレルが乗る。
「そうだ、オレスト。レディに失礼だろ?」
カレルはもっともらしくそう言いながら、自分の分のドレスを受け取ると、さっさと服を脱ぎ始めた。そして、ベルトを外し、気前良くズボンまで脱ごうとしたところを、
「ストップストップ!」
と慌ててオレストが止めた。ミリィは急いでカレルに背を向けている。
「レディの目の前で、何ズボンまで脱ごうとしてんですか!」
「こりゃ失礼。」
男の中でばっかり過ごしている二人は、ついレディに対する配慮を忘れてしまうようだ。
「それにしても、すごい刺青ですね。」
ミリィがマジマジとカレルの体を見た。そこには文字のような模様の刺青が彫られている。カレルがその事に触れられたくないのを知っているオレストは、さり気なく話に割り込んだ。
「カレルさんの腕、ほんっとつるつるすべすべですよねぇ〜!めっちゃ白いし!」
「うわっ、いきなり触んな!くすぐってぇな!」
「ひょっとして、感じるとか?」
「モ・ロ・感v」
「カレルさんってば、すけべぇなんだからも〜vv」
この二人のアホなやり取りはスルーするに限る。早々にそう悟ったミリィは、カレルの腕をチェックした。
「うん、腕は剃らなくて良いみたい。足は?」
カレルがズボンの裾をまくって見せる。
「わあ〜!綺麗な足〜!」
自分より遥かに薄毛ですらりとした足を、ミリィは羨ましそうに眺めた。
「うっわー…マジっすかぁ〜……」
「完全に女の子じゃないですか!」
仕上がったカレルの女装姿を見て、オレストとユークは驚きの声を上げた。カレルの華奢さが、ふわりとしたドレスによって一層引き立っている。すっきりと線の細い顔立ちには化粧がよく栄えて、まるで薄幸の美少女のようになっていた。
「“化”粧とは良く言ったもんだな。我ながらびっくり、だ。」
カレル自身も自分の化けっぷりに驚き、呆れた風に鏡にうつる自分の姿を見ている。
「女の子より断ッ然カワイイし…。」
「負けた…。」
ひたすら感心するオレストの隣で、ユークが悔しそうにつぶやいた。
「おいこら、ユーク!なに、カレルさんとまで競り合おうとしてんだよ!」
「だから、『負けた』って言ってるじゃないか。でも、俺もいい線行ってるだろ?」
自意識過剰に聞こえるセリフ。だが、ユークはあくまで客観的に言っているのだ。そして、それは確かだった。顎が多少男を感じさせるが、ちゃんと可愛い女の子に見える。
「ま…まあ…。けど、カレルさんと比べたら…!あー、マジでカワイイ〜…vv」
「俺、部隊長の顔をちゃんと見たのは初めてな気がします。」
いつもは表情を隠している長い前髪が、今は後れ毛を残して綺麗に上げられている為に、そう感じるのだろう。長い付け睫毛が実際よりも目を大きく見せ、ピンクのグロスが本当は薄い唇をふっくらぷるんと見せている。いつもしている無骨なピアスは全て外され、代わりに小さな花のピアスがおしゃれに耳朶を飾っている。
「あんまじろじろ見んなよ。」
カレルは嫌そうに顔を顰めた。しかしその表情も、可憐な少女が可愛らしく拗ねているかのようにみえた。
「「可愛い…vv」」
二人がうっとりと口を揃える。
「あー、もう…」
カレルは、いつものように頭をガシガシと掻こうとしたが、セットした髪が崩れてしまう事に気付いて手を下ろした。そして、ふっと思い出したように言った。
「そういや…ライマーはどうなった?」
「自室に引きこもってます。…ぴちぴちのドレス着て。」
それを聞いた途端、カレルは目を輝かせた。
「ぴちぴち!?ちょっと笑ってくる!」
と走り出そうとしたところで、ガクッとよろめいた。
「うわっっと!」
女の格好に一瞬騙されて、思わずオレストがさっと支えの腕を出そうとしたが、そこはやはり漆黒の男。カレルはそこに倒れこむ前に軽やかな動作で体勢を立て直した。よろめいたのは、履きなれないヒールのせいだった。
「この靴、あぶねーな!」
カレルは女の子らしからぬ格好で手早くヒールを脱いで手に持つと、既に込上げてきた笑いを止められず、わはははと笑いながらドレスをはためかせて、風のように走っていった。
相変わらず身軽な人だと見送ったオレストは、鏡に映った自分の変わり果てた姿に溜息をついた。
「いいよなぁ…。お前ら可愛くて。」
栗色の髪にフワフワパーマをかけられ、その所々をリボンで止めてある。ドレスのふんわりと膨らんだ袖からはパッチリとした二の腕。腰周りも胸周りもパッチパチ。その隣でユークが自分のリボンの位置を慎重に直しながら言った。
「お前は完全にオカマだな。」
気にしている事をズケッと言われて、オレストは腹を立てた。
「うるさいな!男なんだから、こうなるのが普通だろ!?女の子になってしまうお前らの方がおかしいんだよ!」
「笑いを取る意味ではお前の方が断然『可笑しい』。」
そこでユークはふっと笑った。冗談のつもりなのだ。だが、オレストはますますむっつりとした。笑うと一段と可愛く見える…なんて、ユークに対して今は素直に教えてやる気にはなれない。対してユークは、結構うまいこと言ったと思ったのに、オレストの反応がイマイチだったことにちょっとガッカリしながらこう続けた。
「まあ、ジノ隊長やライマー隊長よりはマシだけどな。」
「確かに…。」
気のいい田舎のオカマちゃんvは今度は機嫌を直して、ブフッと破顔した。
最終的に化粧を直してもらいながら、カレルはしみじみと言った。
「いやぁ、マジで笑い死ぬかと思った…。」
「あ、ライマーさん?似合ってるでしょう?」
「確かに!あんなに似合うとは思わなかった!それがかえっておっかしいのなんの!」
女装で一番酷い有様だったのは、予想通り『ガチンコ系・森のクマさん♀!?』(題・オレスト)と化した監査長のジノ・バジェドールであったが、一番笑いを取ったのはライマーだった。何故なら、その姿が妙に似合っていたからだ。ライマーは仲間達から少し離れたところで腕組みし、むっつりと黙り込んでいる。濃いラメ入りのアイシャドウを長めに入れられ、ノースリーブのぴっちりしたドレスによって、その肉体美が強調されている。スリットからのぞく長い足(無駄毛処理済)と、首筋にシャラシャラと揺れる長いイヤリングが、何ともいえない色気を出している。その気のある男達にとっては堪らないだろうし、その気のないもの達にとっては、堅物なライマーのその惨状が可笑しくて堪らない。オレストはライマーを『肉体美系・誇り高き女戦士』と題した。
幹部らの中で、本当の意味で一番女装が似合っていたのはカレルの『美少女系・薄羽の妖精』。次いでユークとエルヴィンだったが、どちらの女装が勝っているかについては、ユークは『小悪魔系・高ビーなアイドル』、エルヴィンは『セクシー系・憂いの泣きボクロ』と、二人の系統が違う為に幹部の間で意見がわかれ、勝負は後日に持ち越されることとなった。軍務長のカーティス・ヒルは、『純朴系・街のおぼこ娘』という姿で、ジノの陰に恥ずかしそうに立っている。因みに、オレストにはユークとカレルの合作で『ドングリ系・田舎のパチパチおかま』(そのあまりのセンスのなさにオレストは不服を申し立て、『オーガニック系・健康的な少女』への差し替えを要求したが却下された)と付けられた。
カレルは、そんな面々を見渡すと、
「じゃ、旦那を迎えに行くぞ。」
と、集まっていた幹部らと共に団長室へと向かった。
団長室のドアの前で、カレルは一同の一番後ろにいたライマーを振り返った。
「ライマー、お前が先に行け。」
「何で俺が…。」
ライマーは嫌がって抵抗しようとしたが、幹部らによって手際よく前に押しやられてきた。
「お前なら旦那も許すって。いや、お前じゃなきゃダメだ。」
カレルはそう言って素早くドアを開けると、団長室に無理やりライマーだけを押し込んだ。
急いでパタンと閉じた扉に耳を当て、中の様子を窺う。すると間もなく、アルベルの笑い声が聞こえてきた。その瞬間を狙って扉を開け、どやどやと入り込んだ。
部屋に入ると、アルベルは腹を抱えて笑っていた。そして、入ってきた面々を見るなり、アルベルは更に突っ伏した。その笑いがおさまるまで、相当な時間が必要だった。
「はー…はー…笑いすぎて腹が……いや…笑い事じゃねぇ…。」
こいつらを引き連れて人前にでなければならないのだと思い出した途端、ズーンと急降下で気持ちが沈んできた。と、こちらを凝視する幹部らの異様な目つきに気付いた。
「…なんだ?」
アルベルは上品なワインレッドのロングドレスに身を包んでいた。女性用のドレスにあるようなバストの膨らみはなく、完全にアルベルの体型に合うように作られていた。
黒いグローブによって、首筋から肩の白い肌が一層引き立つ。サイドに入れられたスリットからは、ドレスと同じ色のハイヒールを履いた白い足をすらりとのぞかせて、さり気なくセクシーさを出しつつも、気品を全く損なっていない。化粧は口紅とマスカラ、アイシャドウ以外、殆ど必要なかった。耳には漆黒に輝くピアス、髪は頭の高い位置で結ばれ、流れるような艶やかな毛束が背中に揺れている。性別を超越した美の姿がそこにあった。
「『美貌系・高貴な黒薔薇』…。」
オレストがウットリとそう言った。アルベルは居心地が悪くなって、むっと顔を顰めた。
「気持ち悪ぃ目で見るな!」
「そんなこと言われたって、こりゃあ見惚れたくなりますって!」
「ほんと、この美貌は…!」
幹部らによる賞賛に、アルベルはますます不機嫌になった。カレルはそんなアルベルをなだめるために、ライマーの肩に手を掛けて言った。
「こいつのこのザマを見てくださいよ。旦那の為に、命よりも大切な『男』というプライドを犠牲にしたんですよ。」
「お前のせいだろッ!」
ライマーはカレルの頭をどつこうとしたが、相手の愛らしい姿に一瞬ひるみ、また綺麗に結い上げられて花まで飾られた頭には殴ってもよさそうな場所はどこにもなく、仕方なくその手を下ろした。抑えてはいるがライマーの怒りは相当なものだと分かっているカレルは、可愛らしくぶりっ子してみせた。
「もうvそんなに怒っちゃ、い・やv」
「きゃvカレルネエさんってばvかーわーいーいー!」
ライマーの怒りを和ませようと、オレストも一緒にブリブリしながら言うと、ライマーは怒気を溜息に変えて吐き出した。あまりにもアホらしくて怒る気も失せたのだろう。そこへ、部下が時間を知らせに来た。
「失礼します。そろそろ時間です。」
振り向いた幹部らの面々を見て思わず噴出しかけた部下が、オレストらによって小突きまわされているのを背に、カレルはアルベルに向き直ってニッと笑った。
「そんじゃ、行きましょうか!」
アルベルはしばし目を瞑ってじっと佇んでいたが、やがて意を決したようにカッと目を開き、大股で歩き出した。