小説☆アラアル編---副団長(3)

アランはお茶会もそこそこに、まっすぐ家に帰ると、早速紅茶をいれてみた。だが、

  (全然違う…。)

あの紅茶に比べたら、味も香りもまったく出ていない。色々変えて何度も試してみたが、どうしてもあの味が出ない。

  (何が違うのか…)

顔を上げた拍子に、ふと時計を見た。

  「いけない!もうこんな時間!」

もうすぐアルベルが帰宅する時間になっている事に気付き、慌ててアルベルを迎える準備に取り掛かった。まずはざっと部屋の掃除をし終えると、風呂の用意と料理の下ごしらえ。程なくしてドアの開く音がした。料理の手を止め、アルベルを迎えに玄関へ。

  「お帰りなさい。」

  「ああ。」

どこにでもある何気ないやりとりだが、アランにとっては何ものにも替え難い、大切な儀式だった。アルベルが自分の元へと帰ってきてくれるのを実感することができる瞬間だからだ。アルベルがガントレットと刀を外してる間に、アランはアルベルの後ろに回ってマントを脱がし、ガントレットと刀を受け取る。アルベルはそのまま風呂に直行するので、アランはそれらをアルベルの部屋に運んで片付け、着替えを用意して風呂場に向かう。

  「湯加減はいかがですか?」

湯船にゆっくりと使っているアルベルに声を掛ける。

  「丁度いい。」

それを聞き届けると着替えとタオルを棚に置き、台所へと戻る。アルベルが風呂から出る頃合を見計らってテーブルに食事を並べ、風呂上りのアルベルと一緒に食事をし、アルベルが食後のお茶を飲んでる間に食器を洗って片付け、他の細々とした家事を終えると、再び台所に篭った。



やり方を少しずつ変えながら何度も紅茶を入れては味を確かめてしていると、アルベルが様子を見に来た。

  「何をやってるんだ?」

アルベルの声に、アランははっと顔を上げた。アルベルの顔を見ると、張り詰めていた心がふわりと和らぐ。

  「紅茶の入れ方を研究しているのです。」

  「へえ?」

  「しかし、どうしても出来なくて…」

アルベルは注いであった紅茶を飲んでみた。いつもながら美味しい。

  「充分美味いがこれじゃダメなのか?」

  「はい…。」

アランは深刻な表情で紅茶に目を落とした。決定的に違う。アルベルはそんなアランの横顔をじっと見、これは放っておくに限ると判断し、

  「あまり根詰めるなよ。」

とアランの頭を軽く撫でて寝室に引き上げていった。

アランはアルベルが触れた部分にそっと触れ、口元をほころばせた。アルベルの手の感触がまだ残っている。たったこれだけで元気になれる。

  (アルベル様に極上の紅茶をお出ししたい。)

その思いを胸に、アランは気合を入れて再び紅茶に向き合った。





そうして日付も変わろうかという頃、アランは疲れ果てて椅子に座り込んだ。そしてとうとう観念した。あの味を出すのは、自分では無理だと。

自信を持っていた事で人に負けるのはこれで2度目だ。

1度目はカレル・シューイン、2度目はこのクロード・セルヴェストール。

アランはふと、拳をきつく握り締めていた事に気付き、力を抜いた。手のひらには食い込んだ爪の跡がくっきりと付いていた。その跡を見て、アランはふっと自嘲した。

自分がこれほど負けず嫌いだとは思わなかった。今まで勝負に執着しなかったのは、勝つことが当たり前になっていたからだ。たまに負けることがあってもそれは単に運の問題で、一時的に勝ちを譲ったとしても、それはいつでも簡単に取り返せるものであった。

しかし、どう足掻いても勝てないという、そんな経験は今までになかった。たかが紅茶くらいで、と人は言うだろう。だが、こだわりぬいた分野において負けることなど、アランにとって許されない事なのだ。





次の日、アランは城での一日の仕事が終わると、自宅から持って来ていたティーセットをクロードに見せた。

  「これで紅茶を入れてみてください。」

クロードはそれを見るや目を輝かせ、感嘆の溜息をついた。一目見ただけでそれらの価値がわかったらしい。

  「素晴らしいティーセットですね!これでお茶をいれたらきっと美味しいでしょうね♪」

そうしてクロードが入れた紅茶は、最後の一滴まで味わいたくなるほどに素晴らしいものだった。アランは溜息をつき、出来れば言いたくなかった言葉をしぶしぶ口にした。

  「私に…紅茶の入れ方を教えてください。」

それは、勝つための最短距離であった。が、同時にアランにとっては屈辱的な事であった。それは幼少期の教育の影響からだった。教える者と習う者の間には絶対の上下の関係があり、一度でも教えを請えばその上下関係が確定し、死ぬまで頭を下げ続けなければならない。そして、『習う』とは、本人の意思に関係なく一方的に知識を詰め込まれるもので、違う意見を述べる事など以ての外。いくら答えが正解でも、教えられた通りのやり方でなければ不正解となり体罰が加えられた。

そんな理不尽な扱いをも甘んじて受けなければならないという捻じ曲がった観念から、アランは初め、すでにクロードの講義が始まっている事に気付かなかった。

  「私も色々と試してみたのですが、この紅茶の場合、温度はやや低めが良いようなのです。普通は高くしますけれどね。」

クロードはアランのやり方を少しも否定せず、その方法もいいけれどこういう方法もあると、いくつもの選択肢を提示した。こうしたいならこの方法がお勧め、でも他にもっと良い方法がないか一緒に探しましょう、というように、知識を共有するというスタンスから、惜しみなく情報を分け与えてくれる。

知らない事は臆面もなく知らないといい、偉ぶろうとする気配がない。そのためか、気付けばアランは素直に質問をし、更には自分の持っている情報もクロードに教えていた。クロードと会話をするうち、『勝つため』という目的はいつの間にか消え去り、ただ純粋に高みを目指すという気持ちになっていたのだった。

茶器の温め方、お湯の温度、茶葉の量。大半は知っている事であったが、やはり所々知らぬ事があり、それがクロードとの差になっていたようだ。



一通りのやり方を教わると、アランはその通りに紅茶を入れてみた。これでどれだけ味が変わったか。

  「いかがですか?」

  「!」

あの理想的な紅茶に一気に近づいていた。ただ、

  「…柔らかさが足りません。」

クロードの紅茶の方が口当たりが柔らかい。クロードも味見をし、一口飲んだだけでその原因がわかったようだ。

  「ああ、これはおまじないの差が出ていますね。」

  「おまじない?」

  「普段、声には出さず、心の中で言うのですが…」

クロードは紅茶をカップに注ぎながら、

  「美味しくなあれ♪」

と呪文を唱えた。

  「………何ですか、それは。」

  「美味しくなるおまじないですv」

アランは呆れ、「馬鹿ばかしい。」と鼻で笑った。するとクロードが振り返り、

  「想いの力はとても大きいのですよ?」

と真面目な顔で言った。クロードと目が合った。アランはその時、初めてクロードの目をちゃんと見た気がした。その目には人を素直にさせる何か不思議な力があった。アランは無意識に、アルベルに叱られたときと同じように目を伏せた。

  「さあ、おまじないの効果はどうでしょうか?」

  「!!」

確かにまろやかになった気がする。

  「ね?私は水の段階から、各工程ごとにおまじないをかけているんです。飲んだ後にも『ありがとう』って。」

クロードがにっこりと微笑んだ。

  (想いの力…?)

それが一体何なのかはわからない。ただ、何故かその言葉の意味を考えてみようと思った。



  「それはそうと、昨日のお茶会の成果はいかがでしたか?」

クロードがそう尋ねると、アランはカップを持ったままシンと固まった。

  「…忘れていました。」

するとクロードは軽やかに笑った。全てを許し包み込むような、そんなあたたかい笑顔だった。

次の話へ目次へ戻る