小説☆アラアル編---「謀」番外編

  「え?漆黒に転部したい?」

漆黒人事部長のオレストは書きかけていた書類から目を上げ、机の前に立っている青年に思わず聞き返した。

  「はい。」

と、真剣な表情で答えたのは、疾風で評判の美青年、アラン・ウォールレイド。彼の噂は聞いていたし、武闘大会でも遠くからではあるが見たことがある。しかし、こんなに間近で見たのは初めてだったオレストは、思わずその美貌に見惚れてしまった。軍にいるより、社交界にでもいた方がぴったりくるのではないか。オレストはそんなことを思いながら、アランが手渡した履歴書・成績証明等の、転部に必要な書類に目を通した。

  (そう言えば貴族出だったっけ。)

嘘か本当かしらないが、ある貴族の家系は、血筋だけでなく容姿までも庶民とは一線を画したものにするために、代々美男美女で子供を作らせているという話を聞いたことがある。恐らく、この青年はその中で生まれた最高傑作だろう。アランの顔を見ているうちに、なんだか落ち着かない気分になってきたのを、オレストは咳払いで誤魔化した。

疾風に所属して一年以上もたっているのに、急に転部したいというのは余程の理由があるのかもしれない。元々情に厚いオレストは一層親身になってアランに尋ねた。

  「転部希望の理由は?」

  「アルベル団長に憧れまして、どうしても漆黒に入りたいのです。」

  「…それなら最初から漆黒に入ればよかったのに。」

  「はい、私もそう後悔しています。アルベル様のような方がいらっしゃると知っていたら、迷わず漆黒を希望していました。しかし、入団当時、私はあまりにも世間知らずだったものですから。」

アランが口にするのは、アルベルのいる漆黒に入りたいという一点のみ。疾風が嫌だとか、そういったマイナスの要素を一言でも言えば、オレストは警戒しただろう。歳の若いオレストが人事を任されているのは、単に情に厚いからだけではないのだ。

  「疾風に入ったのも何かの縁と、この一年勤めて参りましたが、やはりどうしても諦め切れなくて。」

  「ははぁ、成る程。」

アランの切実な表情を見て、オレストは困り果てた。出来る事なら、この青年の希望を聞いてやりたい。だが、疾風と漆黒の関係は今、最悪的な状況だ。漆黒のことを考えれば、余計な波風を立てるのはできるだけ避けるべきだ。それに、この青年にとっても、両兵士双方からの風当たりが厳しいものになるだろう。どちらからも裏切り者扱いされるに決まっている。漆黒の為、彼の為を考えると、この話はなかったことにすべきだ。しかし、発行してもらうには届出が必要な成績証明の写しをここにこうして持ってきたということは、アランが転部を希望しているということは、既に他の者にも知れているということだ。それならいっそ漆黒に入れてやり、漆黒に馴染めるよう努力させた方が、このまま疾風に戻るよりも辛くはないだろう。何より憧れていたというアルベルの下で働けるのだ、きっと頑張ってくれるだろうと、オレスト自身はそう考えた。だが、これは漆黒全体に関わることであるため、これは自分の判断だけでは決められない、幹部で話し合わなければならない。

と、そこへ、カレルが鼻歌を歌いながらノホホンと部屋に入ってきた。グッドタイミング!オレストは椅子から立ち上がってアランをカレルに示した。

  「あ、カレルさん。彼は疾風からの編入希望者なんですが…」

と早速カレルに相談しようとしたが、カレルはろくに相手を見もせずに、

  「駄目。」

の一言だけであっさり切り捨ててしまった。あまりにあっけない展開ではあったが、オレストもやはりその方がいいと考え、

  「…残念だけど。」

と、気の毒そうに断ると、アランはがっかりした様子でため息をついた。

  「君が持ってきたこの書類は僕が処理しておくから。」

オレストは疾風の庶務に掛け合って、彼が転入しようとした事実を表ざたにならぬよう処理してもらうつもりだった。アランは敬礼し、静かに部屋を出て行った。すると、カレルは少々驚いた表情で、アランが出て行ったドアを振り返った。

  「…えらくあっさり諦めちまったな。」

今度はオレストが驚く番だった。

  「え?本当は良かったんですか?」

カレルはちょっと肩をすくめた。

  「ああ、どうしてもっていうんなら、別に。」

  「なんだ!疾風との関係とかを考えて駄目だと言ったのかと思いましたよ!」

  「こんだけこじまくってりゃ、今更、一人こっちに来たくらいで、大した差はねーだろ。」

  「ならどうして!?」

オレストはアランの残念そうな表情を思い返し、口調を強くした。するとカレルは叱られた子供のように頭をぽりぽりとかきながら、その理由を答えた。

  「いや…当然食い下がるなりなんなりしてくるだろうと思ってたからさ。それでどんぐらい本気かを量ってやろうって思たんだけどな〜。」

  「カレルさんの事をよく知ってたら、迷わずそうするでしょうけど。知らない人間からすれば、アルベル団長の懐刀の発言はアルベル団長の意思だと思うもんなんです。ご自分の立場、ちゃんとわかってます?」

オレストはちらりと横目でカレルを見た。オレストはただ優しいだけでなく、相手の為を思うが故のしっかりとした厳しさも持ち合わせている。そんな自分よりも年下のオレストに叱られて、カレルは小さくなった。

  「えー…?俺ってそんなに偉かったの?」

  「そういう風に見られるのは、カレルさんとしては甚だ不本意でしょうが、実際はそうなんです!」

  「はい…。」

  「彼はずっとアルベル団長に憧れてたそうで。どうしても諦め切れなくて、思い切って申し出て来たみたいです。…すごくがっかりしてましたよ?」

カレルは完全に降参し、オレストに対して敬礼した。

  「自分の立場もわきまえず、いい加減にてきとーな事を言ってしまって、すいませんでした。今後、もうちょっと考えてから発言します。」

幹部の間では年齢を含め、上下関係は一切ない。お互いの良いところは見習い、悪いところは指摘し合い、共に成長していく。そこに一片の遠慮もあってはならない。アルベル精鋭部隊の掟だ。これまで上官・部下、先輩・後輩の序列関係が厳しい中で生きてきた人間にとって、それを実践するのはなかなか難しかったのだが、リーダーであるカレル自身が、こうして率先してそれを示してくれる内、皆も自然とできるようになった。

カレルの反省に対し、オレストは満足げな笑顔を見せた。この人懐っこい笑顔を嫌う人間はいないだろう。

  「けど、お前も考えがあって俺の意見…じゃなかった、『不用意な一言』をすんなり聞き入れたんだろ?」

  「ええ、それが…。この運動能力じゃ、漆黒では厳しいだろうと思って。」

オレストは表情を曇らせ、手元の書類をカレルに渡した。アランの士官学校時代の成績だ。

  「もっとも、学科の成績までコレじゃ、エリート思考の疾風ではとても辛かったでしょうけど。」

オレストはアランのことを心配しているのだ。

  「アラン・ウォールレイド?ウォールレイド家っつったら、名門中の名門じゃねえか…。」

  「ヴォックス団長の遠い血縁に当たるらしいですよ。だから疾風に入ったんでしょうけど。」

だが、カレルが注目したのはそんなことではなかった。これは公然の秘密ではあるが、家庭において十分な教育がなされていると認められる者は、士官学校に通う必要はない。18歳になって試験をパスしさえすれば希望する軍に入ることができる。貴族出なら当然その対象となったはずだが、アランは16歳でわざわざ士官学校に入っているのだ。そして、そこでの成績は学力も運動能力も全てにおいて中の下の下。一般教養科目においては、幼少の頃から英才教育を受けてきているだろうに、どの教科も例外なく落第スレスレ。

  「妙だな…。」

  「妙?」

  「勉強できねぇ奴でも、それなりに得意科目とか苦手科目とかがあったりするもんだ。山と谷ってのが。」

カレルは指先で宙に波型を描いた。

  「そうですね。」

  「けど、この成績にはそれが無い。」

カレルの指は真一文字に横に伸びた。オレストはばっと成績表を覗き込んだ。

  「本当…だ。」

オレストは指摘されて始めて気付いた。そう。この青年の成績はまるで足並みそろえたように落第一歩手前で横一線なのだ。

  「どうする?人事部長殿?」

カレルは、俺なら取り合えず手元において監視してみるな、と思ったが、ここは人事に関して全責任を負うオレストの見解が最優先だ。すると、オレストは、

  「止めておきましょうか。」

と即決し、用意しかけていた転入手続きの書類を片付け始めた。

  「何で?」

  「仮に何か事情があったにせよ、こういう事が出来るのなら、まさに疾風向きです。何事にも真剣勝負な連中が集まった漆黒では馴染めない。」

  「単なる偶然かもしれねぇけど?」

  「あの成績がもし本当だったとしたら、軍を辞めて、社交界デビューでもした方が彼の為ですよ。」

  「ごもっとも。」

さっきまであれほどアランに同情的だったのに、手のひらを返したように冷静な中立の立場に戻ったオレストを、カレルは興味深く眺めた。

オレストは書類を厚いカバーに挟み、それを本棚に差し込んだ。そして、しばらくカバーの背に手をかけたまま、じっと自分の手を見つめながら何かを考えていたが、やがてカレルを振り返り、

  「カレルさん、気付かせてくれて有難うございます。」

と礼を言った。カレルはキョトンとした。

  「…別に礼を言われる程のことじゃねーだろ?」

  「いえ、おかげさまで、他にも色々と気付けたものですから。」

  「色々?何?」

カレルは身を乗り出すようにして興味津々で聞いてきたが、オレストは少々赤面しながら、

  「そ、それは…秘密です。えっと、僕、ちょっと書類を疾風の庶務の方に返しに行ってきます。」

と、慌ててその場を逃げ出した。



オレストはアランの美貌に目が眩んで、肝心なことを見逃してしまっていた。見かけで人を判断するなど、人を見る目には自信があると自負し、この人事という任務をやれるのは自分しかないと…今思えば自惚れていた自分に、まさかそんな愚かな面があろうとは。それを認めるのは、まさに自身の根幹を揺るがすほどのことだ。

認めたくない事実から目を背け、無かった事にするか。―――否。
自信を喪失して身を引くか?―――否。

有りのままの自分を見つめ、それを受け入れなければ、真の成長はありえない。カレルに教わったことだ。この一件で自分は見かけに騙されやすい事を知った。なら次はどうすべきか。実に簡単だ。自分のそういう傾向を常に念頭に置き、今まで以上に気をつければいいだけだ。多くの人間は、有りのままの自分を受け入れるという第一段階でつまづいていてしまい、その簡単なことが出来ないのがほとんどだ。

  (俺は違う。同じ過ちは二度と繰り返さない。絶対に!)

オレストは肝に銘じた。そして、今まで大した根拠のなかった自信を捨てることで、やがて自分を大きく育てる小さな種を拾ったのだった。



その頃カレルは、オレストが机の上に忘れていったアランの履歴書を取り上げ、隅々まで目を通しながら、その詳細を記憶に刻み付けていた。

  「…アラン・ウォールレイド、か。」

まず気になるのはヴォックスとウォールレイド家との関係。ウォールレイド家は莫大な財産を持っている。ヴォックスがそれに目を付けないはずがない。この青年をいずれ身辺に置こうとするだろう。

  (社会的地位をやる代わりに金を出せ、もしくは、地位をくれたら金を出す、ってとこか。)

そこへ持ってきて、この不自然な成績。例えヴォックスであろうと、今の国王の体制下で、こんな成績の者を側近にするのは難しい。

  (…よーするに、これは反抗ってことか?)

それなら16歳で全寮制の士官学校にわざわざ入ったのもうなずけるし、漆黒に転部しようとしてきたのも理に適う。親達の勝手な算段に対して、本人は不服なのだろう。

  (いやまてよ、そんならなんで軍に入ったりしたんだ?オレストが言ったとおり、士官学校なんかに入る以前に社交界デビューでもしてりゃいい話だ。親の命令には逆らえない?俺なら18歳で試験受けて見事不合格なってみせる……って、根っから庶民の俺が、貴族のお坊ちゃまの思考回路なんてわかるわけねぇか。)

ひょっとしたら漆黒に入り込んで、こちらの様子を探ろうとしに来たのかも…いやそれはない。スパイだというならあんなに容姿の目立つものをよこしたりしない。これはもう考えてもわからない。

  「まずは情報、だな。」

カレルは用済みになった紙切れをひらりと机に戻すと、すぐさまライマーの部屋へと向かった。

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■あとがき■
この時、アラン19歳。