小説☆カレル編---灰色の鳥

  「さっきとは別人ですね。」

  「そうだな。」

真剣に『遊び心』の絵に取り組んでいるカレルをみて、オレストがライマーに言った。

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風景画までスルスルと進んだアルベルだったが、『祭』『平和』『遊び心』の三つのテーマの内から一つ選ぶという最後の一枚に初めて筆が止まった。

  「この言葉から感じた事でもいいんですよ?」

だが、アルベルは何もないときっぱりと言った。それを見ていたカレルは、画用紙いっぱいに描いていた飛竜(のつもり?)を途中で放り出して、そっちを先に描くと言い出した。ライマーは、

  「これを仕上げてからにしろ。」

と一応言ってはみたが、

  「こっちがいい。」

と、気持ちが完全にそっちに行ってしまっているのを見て、こういうときは好きにさせるに限ると、新しい紙を渡した。画用紙を受け取ると、カレルはまず定規を要求した。

  「オレスト、さっきの定規は?」

  「何するんですか?」

  「いいから、貸せ。」

オレストが定規を渡すと、カレルは目盛りを打ちながらさーっと等間隔に縦横の線を引いていった。

  「なんですか、それ?」

  「んー…。」

最早、明確な返事は返って来なかった。

++++

アルベルも何とか最後の絵を描き始め、ほっと一息ついたオレストは、部屋の隅に置かれたテーブルに完成したカレルの絵を机に広げ、ライマーを呼んだ。今の状態のカレルには怒鳴り声で話しても聞こえはしないだろうが、声を潜めて言った。

  「ねぇ、ライマーさん。この絵見て何か気付きません?」

するとライマーは、この画用紙サイズに描かれたものとして、恐らく絵画史上最小記録を樹立したであろう絵を指差した。

  「気になってたんだが、これは一体何のつもりなんだ?」

  「それ、鳥なんですよ。」

  「鳥?」

ライマーは長身を屈めて絵を覗き込み、言われてみれば確かに鳥のようだと納得した。

  「実はこの動物達、同じスケールになってるんです。」

オレストの説明にライマーは成る程と頷いた。だが、気付いて欲しいのはそこではない。オレストはうずうずといった感じで更に聞いた。

  「他にはありません?気付いた事。」

  「さあ?」

オレストは最初の三枚と、サル以降の絵の間に隙間を開けてみせた。ライマーはそれを見比べて答えを出した。

  「描く対象が増えてる?」

  「そう!正解です!」

サル(似の中年男)の絵にはバナナのような物。魚(かもしれない)は口から気泡と思われるものを吐き、そしてルム(なのか?)は草らしきものを口に咥えている。いずれにしても最初の三枚とは明らかに違う。

  「何でだと思います?」

  「さあ?」

  「ふっふっふ♪」

  「なんだ?」

オレストは一人で楽しげに笑ってから、更に声を落として正解を教えた。

  「原因はライマーさんですよ。」

ライマーは首をかしげた。

  「…俺は別に何も言ってないが。」

  「だけど、ライマーさんがここに来たのは、サルの絵からでしょう?」

それは確かにそうだが、ライマーがそう描けと言ったわけではない。ただ黙って監視していただけのつもりだったが。

  「まずかったか?」

  「とんでもない!」

オレストは嬉しそうに言った。そしてひそひそと解説し始めた。

  「普通、あんな風に厳しく見張られたら萎縮しそうなものでしょう?でも見てください。逆に線はのびやかになってます。その上、絵を描くのをあんなに嫌がっているのにも関わらず、余計なものを描き加えようという気持ちにまでなってる。これは明らかにカレルさんの精神状態が…」

ライマーはオレストに小さく『私語禁止』のサインを出した。そして、カレルを振り返って

  「カレル。」

と、今までよりは大きな、だがここから呼びかけるには小さい声で呼びかけた。しかし、カレルはピクリとも反応しなかった。一心不乱に何かを描いている。

それを確認したライマーは、オレストを部屋の外に連れ出した。ただならぬ気配を察してやや緊張気味のオレストに、ライマーは言った。

  「さっきの事……アイツには言わない方がいい。」

  「言いませんよ。誰にも。でも…どうしてですか?」

ライマーは言おうか言うまいか悩んだ。だが、オレストがカレルを慕っているだけに、やはり言っておくべきだと、慎重に言葉を選びながら言った。

  「知らない間に心の中を探られてたと知ったら…アイツはお前に気を許さなくなるかもしれない。」

だが、オレストは驚かなかった。そして、サラッと言った。

  「元々カレルさんは僕に気を許してくれてなんかいませんよ。」

これにはライマーの方が驚かされた。

  「どうして…そう思う?」

  「カレルさんが気を許すのは、僕の知る限りでは、ライマーさんに対してだけです。あの絵にもそれがはっきり表れてるでしょう?」

ライマーはしばしの沈黙の後、言った。

  「…バナナ一本程度だ。」

だが、オレストは即座に言った。

  「大きな差です。」

オレストはいつになく真面目な顔になった。

  「カレルさんってすごく矛盾してますよね。人に積極的に関わってくるくせに、反面、人を寄せ付けようとしないっていうか。なんていうか…なんとなくなんですが、脅えているように感じる時があるんです。」

オレストは、カレルの心の奥に潜む、硬く閉ざされた世界の存在に気付いていたのだ。一番近かったはずのライマーですら長い間気付けなかった領域。 しかも、オレストはそれに気付いた素振りを一度も見せた事がなかった。

精鋭部隊を立ち上げる頃、カレルがオレストに人事を任せると言ったとき、実はライマーは難色を示した。オレストは人懐っこく誰からも可愛がられる好青年だ。ドングリというあだ名は、そんな彼をぴったりと言い表しているとライマーも思った。才能はあるし、芯の強い男である。だが、少々お調子者で、情に流されやすいところがあり、その点が人事には向いていないような気がした。人事という仕事は、人がいいというだけではやっていけない。すると、カレルはライマーにこういった。

  『ドングリはやがて大木になる。こいつが一番の大物かもしれねぇぞ。』





  「そうだな。」

ライマーは過去の記憶とダブらせながら頷いた。

  「何でなんでしょうか?」

興味本位で聞いているのではない。オレストは、本当にカレルの事を心配しているのだ。

  「さあ。俺も知りたい。」

そこに触れようとすると、カレルはいつもぴったりと殻を閉じてしまう。ライマーはじっと考えて言った。

  「あの鳥の絵。俺はあれが一番、アイツの内面を表している気がした。」





オレストは鳥の絵を見ていた。くすんだ灰色の鳥が飛びもせず、じっとうつむいている。広い画用紙の中、たった一羽でぽつりと。カレルの中では自分という存在はこんなにちっぽけで寂しいものなのだろうか。

灰色の持つ意味、いい意味では知性、洗練、冷静。悪い意味では陰うつ、曖昧、不安。そして、

―――本当の自分を知られるのを恐れている色

幾重もの見せ掛けのベールによって巧妙に隠された扉。ただ、ライマーに対してだけは、その扉が少しだけ開かれる。オレストはカレルが描いた自画像を見た。そこにあるのは(カレルの証言によると)ライマーの顔。カレルは冗談めかして「もう一人の自分。」と言っていた。それは間違いなく本音だろうが、その更に深い心の中では自分の顔なんて描きたくなかったのかもしれない。それを表すかのように、風景画も閑散としたものだった。

そこに描き出された自尊感情のあまりの低さに、オレストはぞっとした。 刺青、ピアス、小食、過労死してしまうのではなかと心配になる程の無茶な仕事ぶり。カレルがあまりにも自らを顧みないのは、自傷行為に等しいのではないだろうか。『自傷行為』から真っ先に思い浮かぶのが幼児期における虐待だが、

  (でも、カレルさんの家族、めっちゃ仲いいし…。)

カレルは心の弱さに対してとても厳しい。その厳しい目が常に自分に向けられているからだろうか。或いは、戦争によるストレスもあるかもしれない。

  (そういえば、前から気になってたことが―――)

その時、後ろからぽんと肩を叩かれた。

  「よっ!何たそがれてんだ?」

  「あ、カレルさん…。」

  「どうした?」

オレストの元気のない様子が気になったのだろう。カレルの瞳に宿る温かさに、オレストはジーンと胸が熱くなった。優しい人だよな…しみじみとそう思いながら、鳥の絵を指した。

  「この絵、寂しすぎません?」

  「そうか?」

  「見てたらなんか悲しくなっちゃって。」

オレストはそれを『たそがれていた理由』にした。

  「やっぱりこれ、もうちょっと何か描き加えてくださいよ。」

  「うわっ、やぶへび…」

やっとお絵かきから開放されたというのに。そそくさと逃げようとしたカレルを、オレストは後ろから羽交い絞めにして捕まえた。

  「逃がしませんよ!」

  「勘弁してくれよ…。」

超軽量級のカレルは、中量級のオレストに易々と引きずられて椅子に座らされた。

  「簡単でいいですから。だって、この鳥、なんか可哀想ですよ?」

オレストの熱心な催促に、しぶしぶペンを取って描き加えたのはもう一羽の鳥。灰色の鳥に向き合うように描かれている。偶然の産物だろうが、灰色の鳥に心配そうに顔を寄せ、優しく語りかけているように見えた。

  「なんかこれ、ライマーさんとカレルさんみたいですね。」

その言葉の真意を掴もうと、カレルの薄い色の瞳がすっとオレストを捕らえた。その瞳の奥にチラリと隠れた微かな揺れ。 オレストはいつものようにニカッと笑った。

  「だって、仲良さそうv」

すると、カレルは瞬時にそれに合わせてきた。

  「じゃ、ハートマークでも付けとくか。」

そうやっていつも本心をはぐらかす。でも、それを無理に聞き出そうとは思わない。

  「いいですねぇ♪」

オレストはカレルにピンクの色鉛筆を渡した。

それは愛情、幸福、安らぎ。

そして解放の色。

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■あとがき■
超軽量級:60kg以下  中軽量級:70〜80kg