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アランが女を知ったのは14の時。貴族の嗜み、と女を与えられ、様々な事をしこまれた。その後は、女に言い寄られるまま、臥所を共にした。
別に、拒む理由が無かったから。
ただ、女の嫉妬や独占欲には辟易していたので、後腐れの無い、その場限りで終われる女を選んだ。相手に好意を持つことも無く、手早く自分の性欲を満足させると、さっさと女の部屋を後にした。女の顔など、殆ど覚えていない。
それが、アルベルと会って全てが変わった。
アルベルをそういう対象として見はじめた時、最初は自分の気持ちが信じられなかった。しかし次第に、自分が最近選ぶ女がどこかアルベルに似た部分を持っていることに気付き、そして自分の腕の中でのたうつ女にアルベルの姿を重ねだして、ようやく自分の本心を受け止めた。
そしてそれ以降、ぱったりと女遊びを止めた。女に全く反応しなくなったのである。
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アルベルとは所属する隊が違う上、疾風団長のヴォックスと折り合いが悪いときたら、会える機会は滅多になかった。漆黒に入りたかったのだが、編入は出来ないと言われた。会えるのは年に一度行われる武闘大会や、正規の祝賀行事くらい。他の団長が揃っていても、アルベルだけが姿を現さず、がっかりしたこともしばしば。武闘大会には必ず現れるが、興味を無くせばさっさと何処かへ消えてしまう。自分はただの一兵士に過ぎず、自分から声を掛けるなど、以ての外だった。
出来るのは遠くから見つめることだけ。
常にアルベルの姿を目で追いかけ、その優美な動作に胸をときめかせる。ちらりと見える太ももの白さに目がくぎ付けになり、夜はそれを思い浮かべながら、夜鳴きする自分自身に手を伸ばす日々が続いた。
夢の中で何度もアルベルを犯した。
まさか自分が男に心を奪われるなど思っても見なかった。思いを遂げるどころか、告げることさえかなわぬ恋。いっそ死んでしまえばこの苦しみから開放されるのだろうかと、ぼんやり考えたりもした。
アランは、このやり場のない思いを鍛錬にぶつけ、剣の腕を磨いた。強くなればきっとアルベルが興味を示してくれる。
―――あの人の瞳に映りたい
ただそれだけしか考えてなかった。
それまで、軟弱な色男とやっかみを込めて囁かれていたアランが、突然その頭角を現したことに周囲は驚いた。最初は、「貴族の坊ちゃんが何頑張ってるんだか。」と高を括っていた連中も、次第に顔色が変わっていった。
それがヴォックスの目にもとまり、アランは20歳という異例の若さで、ヴォックス直属の部下の一人に加えられた。ただ、これは単純にアランの能力を買って、というわけだけではなかった。猜疑心の強いヴォックスは、アランのその急成長ぶりに、警戒心を抱き、手元においてアランを監視することにしたのだ。アランが疾風を脱退し、他の隊に編入しようとしていたことも耳に届いていた。
アランは、決して逆らうことはないが、その冷たい無表情の下に何を隠しているのかわからないところがあった。しかし、アランの仕事のこなしぶりは実に優秀で、文句のつけようが無かった。ただ、利用するには少々頭が良すぎる。そこで、他の部下がしたがらない、地味で大した手柄も立てられないような任務を押し付け、便利使いとして使うことにした。そしてアランは不満を表すことなく、黙々とそれを完璧にこなしていった。
ヴォックスの直属になったことで、アルベルに会える機会が一段と増えた。しかし、アルベルはヴォックスを嫌っており、その部下ともなれば、当然印象が悪いに違いなかった。話をするなど出来るはずもなく、アランのことなど全くアルベルの眼中になかったが、それでも幸せだった。
何度か、ちらりとだがアルベルと目が合うことがあった。そのほんのわずかな一瞬に全身がしびれた。アルベルの姿に胸をときめかせ、その声にうっとりと聞き入り、熱い思いを募らせていった。
そうしておよそ2年が過ぎた。
ちょうどアリアスでシーハーツとの戦闘が激化しはじめたころだった。アランはヴォックスの命令で、今回の戦況が有利になるよう策略し、様々な裏工作を張り巡らせていた。
その最中、ヴォックスに呼び出された。
「アルベルを暗殺しろ。」
開口一番、ヴォックスはそう言った。
「――えっ?」
一瞬アランは我が耳を疑った。驚きのあまり黙って立っていると、
「聞こえなかったのか?アルベルを殺せ。」
ヴォックスがアルベルを嫌っているのは知っていた。
「しかし――」
「ほう。お前がイエス以外のことを口にするとはな。」
これまで、命令されたことはどんなに汚い仕事でも全てイエスの一言で受け、ヴォックスの望んだ通りにしてきた。だが、この命令を受けることは出来なかった。
(出来るわけがない!!)
「―――私には出来ません。」
その気持ちが、つい言葉に出てしまった。しまったと思ったが、ヴォックスはその言葉を別の意味としてとらえた。
「何?何故だ。お前の実力なら、無傷とはいかんだろうが、そう難しいことではないはずだ。ちょっと小細工すれば、単純なアルベルのことだ。簡単に引っかかるだろう。」
実際、アルベルを殺すのは容易なことではない。他の部下たちでは、返り討ちに合うのが関の山だろう。ヴォックスは、アランの剣の実力と参謀的な素質に目をつけた。アランなら、これまでのように黙って確実に任務をこなすだろう。失敗したらしたで、少々惜しいが切り捨てれば良い。そう考えていたのだが、アランは初めて命令を拒否してきた。
アランは目を伏せ、珍しく何やら考えこんでいる。
「…。」
アランは必死に頭を巡らせた。
(この命令は内容が内容なだけに、断れば自分は消されるだろう。それにもし自分が断っても、変わりの人間が同じ命令を受けるだけで、何も変わりはしないだろうし、もしくはヴォックスが別の手を打つことになるかもしれない。そうなるより、いっそ自分がこの命令を受けた方が、いろいろな理由をつけて引き伸ばすことが出来る。その間に何か手を打てば…。)
しばらくの沈黙の後、
「わかりました。ただ、正面から攻めたのでは、私では到底、あのアルベル様には適いません。ヴォックス様のおっしゃる通り、この任務を遂行するには小細工が必要かと思われます。そのための時間を頂きたいのですが。」
と冷静に返事を返した。ヴォックスはアランのその聡明さに満足し、
「よい。お前以外にこの任務をこなせる者はおらん。頼りにしているぞ。」
と目を光らせた。
「御意。」
アランは無表情に一礼して退室した。
晩秋の夜、その風の冷たさはもう冬のものだった。誰もいない薄暗い廊下を、アランは息を白くさせながら歩いていく。自分の足音だけがカツリカツリと響く。
(どうする?)
アルベルに好意的な人物を思い浮かべてみる。
アーリグリフ国王、そして風雷団長ウォルター。
国王はアルベルが不遜な態度をとっても一切咎めず、アルベルのやりたいようにやらせているらしい。視野が広く、実にさばけた人物で、信頼に足る人物ではあったが、国王に秘密裏に接触するのは難しいし、それが表沙汰になれば、当然ヴォックスは怪しむだろう。
ならば、やはりウォルターしかいない。裏工作に関しては、ヴォックスから全てを任されている。今回の戦争の件でという名目をたてれば、直接会っても怪しまれることはないだろう。だが…。
ウォルターはアルベルの父グラオの親友であり、またグラオの死後、アルベルの後見人となっているらしい。直に話したことはないが、儀と礼節を重んじ、部下や民衆からの人望も厚い人物だ。だが、その老獪さは侮れない。ヴォックスでさえあの老人には手を焼き、いつも苦々しげにそれを口にしている。
そういえば、こんな噂を聞いた。
焔の継承事件後、アルベルは疾風団長の息子として、当然それなりの地位は保証されるはずだった。そして、それを推薦する声が高かったのだが、ウォルターはそれらを蹴ってアルベルをただの一兵士として漆黒に放りこんだのだとか。
『親殺し』と囁かれていたアルベルがそんな所に入れられれば、どんな目に合わされるかなどわかりきったことだった。もっとも、アルベルは入団した途端、当時の団長を倒し、自分で団長の座についたのだが。
だがそれはあくまで噂なので、実際はどうだったかはわからない。ただ、その腹に何を抱えているかわからないということだけは確かなようだ。
(ウォルター老に直接会って、確かめてみるか。この人が信用できないというのなら、その時は…。)
アランはいつの間にか立ち止まって、自分の足元をじっと見据えていたが、意を決したようにさっと顔を上げ、颯爽と歩き去っていった。