「どうぞ。」
風雷の兵士に案内され、やや緊張しながら、ウォルターの部屋に入った。
「疾風に所属しております、アラン・ウォールレイドと申します。ウォルター伯爵に相談がございまして、こちらに伺いました。」
と、そこへ、
「フン、ヴォックスの腰巾着か。裏でこそこそご苦労なことだな。」
その声に、心臓がドクンッと跳ね上がった。
見ると、アルベルが椅子にふんぞり返って座っていた。
どう考えても好意的な言葉ではなかったが、恋焦がれるアルベルに声をかけられたこと、そして自分を覚えてくれていたことに感激し、ぱぁっとその白い頬を高潮させながら答えた。
「はい、頑張ります!」
そんな能天気な返事にアルベルは呆れ、
「けっ、厭味もわからんのか。阿呆。」
と畳み掛けたが、アランはそれにもニッコリと微笑んで、更に頭に花が咲いてそうな返事を返した。
「はい、分かりました。」
アルベルは怪訝な顔をしていたが、フンと鼻で嘲りながら椅子から立つと、ふいと部屋から出ていった。
アランはその姿が見えなくなるまで、ドキドキとそれを見送った。
扉が閉まって、はっと我に返った。ウォルターの方に向き直って、取り繕い、頬の火照りを沈めようとするが、もう手遅れだった。
ウォルターはそんなアランの様子をじっと見ている。
「…まるで、恋する乙女のようじゃの。」
のんびりとした口調で、ずばりと核心をつかれた。
こんなに動揺したのは初めてだ。必死で言い訳を探していたが、観念して正直に答えた。
「はい。憧れています。」
全く予測してなかった事態に、少々あせったが、これならアルベルのことを聞いても不自然ではない。結果的に良い方へと転がった。
(アルベル様の御蔭かな?)
などと思いつつ、冷静さを取り戻して、人好きのする笑みを浮かべ、いつものアランに戻った。
先程とは打って変わって、隙のないアランの様子にウォルターは一瞬目を細めたが、大げさに驚いて見せた。
「ほっ!あやつにな。これは驚いた。」
からかうような口調。だが、既に気持ちを切り替えたアランは、もう動じなかった。
「私だけではありません。アルベル様に憧れる者は多いですよ。軍に入ったその日に、当時の漆黒団長を倒し、自ら団長になられたことは、兵士たちの間で伝説となっております。」
「ほう。」
また大げさに相槌を打って見せる。
「…ただ、ずっと不思議だったのですが、どうしてアルベル様は普通の兵士として入団されたのでしょうか。グラオ様のご子息であれば、それなりの地位があってもおかしくなかったと思うのですが。」
ウォルターはチラリとアランの興味津々な顔を見やった。
「グラオの息子だから団長に、とういうのでは旧体制の頃と全く変わらん。アルベルは自分で自分の力を示す必要があった。ま、あそこまでやるとは思わんかったがの。…あやつは親父に甘やかされとったからの。ちぃと世間の波にもまれさせ、世の中の厳しさというものを叩きこませようと思っておったのじゃが。」
そのやれやれと言った調子に、アランは親心のようなものを感じ取った。
「まあ、それはよい。それで、相談というのは?」
アルベルのことに関しては、ウォルターはきっと信頼できると感じた。それに、この老人に嘘や誤魔化しは通用しないだろう。アランが知恵を振り絞って立てた計画には、どうしてもウォルターの協力が必要だった。まず自分を信用してもらわなければならない。そのためには、包み隠さず全てを話すしかない。そこで、アランは単刀直入に話を切り出した。
「先日、私はアルベル様暗殺の命を受けました。」
「!」
誰の命かは言わずとも明白だ。
(ヴォックスの奴め、いよいよアルベルが邪魔ならしいの。)
アランは淡々と続けた。
「私はアルベル様をどうしてもお守りしたいのです。その為には、誰の手も届かぬところに行って頂く必要があります。色々考えたのですが、他に方法はありません。」
ウォルターは、その本心を探るようにアランを鋭く見据え、ゆっくりと訊ねる。
「どこにそんな場所があるというのじゃ?」
「牢です。」
「牢?」
「はい。アルベル様にスパイ容疑をかけ、投獄させて頂きます。そしてそれを行う間、ウォルター様には目をつぶっていて頂きたいのです。」
「!」
「漆黒団長にスパイ容疑がかかったともなれば、事は重大。その真偽を問うということで正式に軍規を踏んだ審議が必要になります。が、今は戦争でそれどころではありません。実際にそれが行われるのは、戦争が終わってからのことになるでしょう。その間、誰も近づけさせないようにすれば、アルベル様の身の安全は保障されます。牢には一人問題の者がおりますが、それは私が何とか致します。」
(あの尋問官のことか…。)
「しかし、それからどうするのじゃ。期間が延びたからといって結果は変わりはせん。」
ヴォックスは手段を選ばぬ男だ。どんな手をつかってでもアルベルを殺すだろう。それをこの若者はどうやって阻止するというのか。
「今度の戦いでは多くの犠牲者が出るでしょう。敵も、…味方も。」
アランは最後の言葉に重みをのせた。
「おぬし、まさか―――!!」
(ヴォックスを殺すつもりか…。)
続きの言葉は飲み込んだ。
ウォルターは、鋭い視線で目の前の若者を見た。ヴォックス直属の部下の一人。常に他の側近達より一歩引き、決して前に出てくることはない。最初はヴォックスの血縁者ということで取り立てられていると思っていた。しかし、ヴォックスが他の部下に対しては、自分が逐一命令をくだしているのに対し、この若者にはある程度のことを任せているらしいこと。また、そのお蔭でここ最近のヴォックスの功績は目を見張るものがあったことから、この若者に侮れぬものを感じていた。ヴォックスの影として裏に徹し、これまで忠実に任務をこなしてきたのが、なぜ裏切るのか。
(一体この若造は何を企んでおるのか。)
「何故じゃ。何故、おぬしはそこまでするのじゃ?」
「それは最初に申し上げました。」
ウォルターはうーむ、と唸った。そして、やや語気を強め、アランを試すように、
「たった一人の人間を救うために、他の多くの者を犠牲にするつもりか?」
とその甘さを指摘する。アーリグリフ三軍の要であるヴォックスが死ねば、アーリグリフにとって大きな打撃となる。兵士の士気も下がる。アーリグリフの敗北につながることは間違いない。しかし、アランはそれに怯みもせず、あくまでも穏やかに答えた。
「今回の戦争は、起こす必要のなかったものだと私は思っています。」
「なんと!?」
「しかし、始まってしまった以上は勝たなくてはならない。そして、もう二度とこんな戦争は起こしてはならない。その為に必要なことは、微力ながらさせて頂いているつもりです。」
確かに。裏の暗躍のおかげで、現在、シーハーツの状況はこちらに筒抜けの状態になっている。それにより、これまでことごとく先手を打ち、勝利を収めることが出来た。今度の戦闘でも、施術兵器が完成する前に一気に叩く事で、わが国に有利な戦況にもちこむことができるだろう。それらは全てヴォックスの手柄となっているが、実際にはこの若者によるものであると薄々感づいていた。
―――起こす必要のなかった戦争
この若者の言う通りかもしれない。アーリグリフは記録的な大凶作により、冬がくれば多くのものが飢え死にするという切迫した状況があった。ヴォックスはそこにつけ込み、領土拡張計画を進言した。戦争の他に選択肢がなかったわけではない。だが王はそれを承諾してしまった。国民を思うが故の苦渋の決断だった。ヴォックスが危険なことはわかっていたが、国力を上げるためには、それを承知の上で利用する必要があった。しかしこの戦争が終われば…。
この若者はアルベルを守りたいという。アルベルに対する様子から、それは本当のことだろうと感じられる。戦争を起こしたくないというのも頷ける。だが…。
窓の外から、風雷の兵士たちの号令と掛け声が聞こえる。
しばらくの沈黙の後、ようやくウォルターが口を開いた。
「おぬしを信用する理由がない。」
「…。」
確かにそうだ。ヴォックスの下で裏をやっている自分が、こんなところにやってきて裏切りを持ちかけてきたのだ。信用しろという方が無理というものである。
そこで、アランは思いきって、その思いを告白した。
「私は…アルベル様を、その…お慕い申し上げているのです!」
赤面しながらの決死の様子。ウォルターはポカンと呆気にとられた。
「道ならぬ思いだというのはわかっています。自分でも信じられなかった。でも、この思いは止められないのです。どうしても!」
―――恋する乙女。
ウォルターはあきれ果てた末、アランに訊ねた。
「ひとつ聞いても良いかの。」
「はい。」
「おぬしは一体、アルベルの何処に惚れたのじゃ?」
アランは目を瞑って息を吸い、気持ちを落ち着けた。
「もう、この思いが溢れ過ぎてわからなくなってしまいました。きっかけは、あの方の本当の心を知りたいと思ったことです。本当は純粋で真っ直ぐな方なのではないかと。」
「おぬしは、あやつが『歪みのアルベル』と言われておるのを知らんのか?」
「最初は私もそう思っていました。でも、本当は違うのだということに気がつきました。あの方は、周りがなんと言おうと、自分に真っ直ぐに生きておられる。でもそれを理解できるものは少ない。ですから、少なくとも私だけはあの方の理解者となり、その純真さをお守りしたいと思ったのです。人間の薄汚い欲望が交錯する中で、自分を殺して生きてきた私には、その姿が眩しくてたまらない。そういう生き方に強い憧れを抱きつつ、私にはそれが出来ませんでしたから…。」
「…いやはや。恋は盲目というが、これ程とはの。ありゃ、ただの『我侭の自分勝手』というんじゃ。」
ウォルターは常識的なことを口にしようとしたが、首を振り、結局口をつぐんだ。この若者はどうやら本気らしい。アランの瞳の確固たる決意を読み取った。
そして、観念したように溜息をついて椅子に寄りかかり、
「わかった。おぬしの言う通りにしよう。」
と承諾した。アランは、ほっと安堵の表情を浮かべた。
「どうかこのことはアルベル様には御内密に…。」
アランが真剣な目つきになって言ってきた。
「当たり前じゃ。あやつが知れば、何をしでかすかわからんからの。」
ウォルターは暗殺の事だと思っていたのだが、アランは、
「いえ、あの、『恋する乙女』のことです。」
と、もじもじといったふうにそう言った。アルベルのことになると、途端に少年のようになる。
ウォルターはそんなアランに好感をもった。
アランはすぐさまヴォックスの元に戻り、ヴォックスにアルベル抹殺計画を説明した。
「成る程。スパイ容疑をかけるか…。」
「はい。そうすれば、安全で確実に、しかも公明正大に処刑することができます。」
「…しかし、ウォルターが黙ってそれを見過ごすとは思えんな。」
「それに関してはもう手を打ってあります。」
「ほう?」
ヴォックスは、アランがウォルターの屋敷を訪れていた事を知っていたが、敢えて黙っていた。
「ウォルター伯には、今回の計画を、軍に紛れ込んでいるスパイを粛清するものであると
説明し、その間、一切の手出しを控えて頂くよう、約束を取付けて参りました。そして、ウォルター伯に気付かれる前に、どうあがいても事態をひっくり返せない状況にまで持っていきます。」
ヴォックスは、アラン説明で、アランがウォルターを訪れていたというその行動の裏づけを得て納得し、アランを信用した。
「フフフフ。あの老狸が慌てふためく様がみえるようだ。」
「そのために、漆黒副団長のシェルビー殿に働いて貰いましょう。上手く行けばそれで良し。失敗すれば、口封じと辻褄あわせの為に一掃すればいいのですから、どちらに転んでも損はありません。」
アランにとってこの計画は、アルベルを守るものであるとともに、反アルベル派を一掃するチャンスでもあった。
(アルベル様が団長に復帰した時のために、邪魔者は全て消えてもらう。)
アランは冷たく目を光らせ、ヴォックスを見た。ヴォックスはそんなことには気付かず、アランの計画に満足げに頷くと、
「くくく。アランよ、頼んだぞ。」
と全面的にアランを信用した。