小説☆アラアル編短編集---変身(3)

疾風団長就任式の時、ウォルターは王からの任命を受けているアランを見ながら、アルベルにこう言った。

  「おぬしがしっかりと手綱を握っておれよ。」

その時は、何で俺が、と思うよりも、どうしてウォルターがそんな事を言い出すのか、理由がわからなかったのを覚えている。アランは顔も良いし、頭もいい。嫌味なほど何をやらせても人並み以上にやってのける。実年齢はアルベルよりも二つ下だが、精神的にはムカつくくらいずっと大人だ。だから、ウォルターの推薦によって、若いアランが実質的にアーリグリフ三軍の総隊長となったのは、アルベルも全く異存はなかったのだ。

そんな男に何故手綱などが必要なのか。あの時のウォルターの言葉の意味する所が、今やっとわかった。確かに誰かが歯止めをかけなければ、アランは危険だ。人として踏み越えてはならない線を、躊躇いも無く乗り越えてしまう。

元々アルベルも、アランが良い奴だと単純に信じきっていたわけではない。つい最近までヴォックスの下で働いていたし、その頃、かなり汚い仕事をしてきたことも知っている。感情面においても、多少欠落している部分があるのは気付いていた。だが、少なくともアルベルの前ではそういう面を見せたことは無かった。アルベルに対して示す最大限の誠心誠意と深い愛情に絆される内に、アランのそういう負の部分は全てヴォックスのせいであるように錯覚していた。

そして、いつの間にか、アランの一面しか見なくなっていたのだ。

  (ああ、それでか…。)

カレルが事ある毎にそれをにおわせていたのに思い当たった。

  『一見完璧で、全く非の打ち所の無い人間ってのが、実は一番恐いのかもしれませんよ。よくあるでしょ?評判の良い医者が、実は殺人鬼だったとか、誠実な恋人が変質者だったとか…サンタクロースだったとか。』

  『小説の中でか?』

  『事実は小説より奇なりってね。実際の方がもっと恐ろしかったりするんですよ。』

それを、単なるアランに対するやっかみかと思っていたアルベルは、別段気にとめることもなかった。だが、今思えばそれは、普段のアルベルに対する態度からすると意外な程にきっちりと分をわきまえ、決して上官の私生活に踏み入ろうとしないカレルなりの、精一杯の警告だったのかもしれない。先ほど、カレルが殺されかけながらも更にアランを煽ったのは、あれは確実にわざとだった。アランはこういう男だというのを、アルベルに見せたかったのだろう。

つまり、カレルはアルベルとアランの関係に気付いていたのだ。

  (ん?ということは、まさか、ジジイも…?いや、まさか!ジジイにそう言われたのはアランと暮らす前のことだ。それに、もし知ってたとしたら、あのジジイが何も言わねぇはずが…)

アランはアルベルをしっかりと抱きしめて声を殺して泣いている。

たった一晩、姿を消しただけでこの有様。もし、アルベルが本当にアランの前からいなくなってしまったら、アランは一体どうなるのだろうか。そのとき、『狂気』という言葉がアルベルの脳裏に浮かび、急にアランが哀れになった。

アランがアルベルに気付けなかったのは、『アルベル』以外に何も見ていないからだ。猫になってみて、それが良くわかった。

  (仕方がねぇか。俺が何とかしてやらなければ。)

アルベルはそれを面倒だとは思わなかった。寧ろ、ある種の情愛が沸き起こってくる。アランは自分が居なければ駄目なのだ。それが何となく嬉しかった。





アランはアルベルを胸に抱きしめ、激しく自分を責めた。

  (どうして気付がなかったのだ!)

アルベルはずっと自分に助けを求めていたのだ。

  (それに気付かぬどころか、完全に猫扱いし、かごに閉じ込め…机から払い落として…そして…)

途端に、アランは目の前が真っ暗になった。

寄りにもよって、その目の前で腹心の部下を殺そうとした事になるのだ。

アルベルに何と思われたか。怒らないはずがない。いや、『怒る』などそんな生易しいものではない。嫌悪するはずだ。 アルベルは他者の命をとても大切にする。それを平気で潰してしまう人間を傍に置きたがるわけがない。

自分の仕出かした恐ろしい事実の前に、アルベルを抱きしめていたアランの腕が無意識の内緩んだ。すると、そこからアルベルがするりと逃げ出した。

  (ふぅっ、抱き潰されるかと思った…。)

アルベルは開放感を体で表現するかのように伸びをすると、しなやかな足取りで扉に向かった。

  (とにかく腹が減って死にそうだ。元の姿に戻るよりも何よりも、腹ごしらえがまず先だ。おい、アラン…)

  「待ってください!どうか…どうか、お許しを!」

アルベルに捨てられると勘違いしたアランは叫ぶようにそう言うと、跪いて頭を下げた。アルベルは目を丸くした。

  「もう二度とあのような馬鹿な事はいたしません。どうか、愚かな私をお許し下さい…!」

アランのしたことは、アルベルにとっては絶対に許せない事のはずだった。だが、アルベルはアランのこんな悲しい瞳を見ると、いつもどうしようもなく胸が締め付けられた。無意識の内に笑って欲しいと願い、そして、全てを許してしまうのだ。

  (それを『甘さ』というなら言うがいい。そのかわり、こいつは俺が責任持って教育してやる。)

アルベルはまるで父親にでもなったような気分だった。

  「にゃー。」(もういい。アラン、それより何か食わせろ。)

アルベルは跪いているアランのところに戻ると、服の裾を咥えて軽く引っ張り、また扉の所へ戻った。

  「え?…外へ…?」

  「にゃーん。」(メシだ。)

許して下さるのだろうか?それとも?アランは戸惑いつつ、指で涙を拭うとドアを開け、音もなく歩いていくアルベルの後について行った。





アルベルが足を止めたのは城の厨房の前だった。

  「お腹が空いていらっしゃるのですね?」

  「にゃー。」

  「すぐに準備いたします!」

アルベルが未だ頼ってくれるという事は、自分を許してくれたという事だと気付き、少し元気が出てきたらしい。アランの顔に微かに笑顔が戻った。

食事の時間を外れていたので、厨房には誰も居らず、鍋も全て空だった。だが、食材はある。アランは腕まくりをすると、包丁を手に取った。

アルベルはテーブルの隅にちまっと座り、その作業を眺めていた。アランは流れるような動きで料理していく。数種類の穀類を小鍋に掛けている間、野菜と肉を小さく刻んで鍋に入れ、そこへ、

  「スープがあればよかったのですが…。」

と言いながらミルクを注いで、塩、コショウで味付け、あっという間に美味そうなミルク粥を作り上げた。

  「さぁ、部屋に戻りましょうか。」

  「にゃ〜♪」



猫の口は人間より涎が垂れやすいようだ。アルベルはしきりに口の周りを舐めながら、アランがミルク粥を皿に注ぐのをわくわくと見守った。美味そうな香りが漂い、空っぽの胃がきゅうっと鳴った。そして、アランが皿を目の前に置くと同時にがっつこうとした時、

  「あッ!」

とアランが叫び、素早く皿を引いた。アルベルは虚しく空を舐めた。

  「にゃー!」

アルベルは何をする!とアランを睨んだ。すると、アランは、

  「熱いですから。」

と、スプーンに粥をすくい、ふーっと冷まして差し出し、優しく微笑んだ。

  「どうぞ。」

自分だって何も食べていないのに、いつもこんな風にアルベルを最優先にする。どうしてこの愛情を他の人間に向けられないのだろうか。

だが、実際に、アランが他の人間に優しくしているのを見るのは、正直面白くない。

かといって、あのアランの冷酷さは問題だ。

アルベルは美味い粥を頬張りながら複雑な思いを抱いた。

と、アルベルが粥を食べるのを見守っていたアランが密かに欠伸を噛殺した。安心したら急速に睡魔が襲ってきたのだろう。目を開けているのが辛そうだ。

  「にゃー(休んだらどうだ?)。」

すると、アランは逆にぱちりと目を開けた。

  「はい?」

そして、アルベルが何を言いたいのか、表情から少しでも読み取ろうと、アルベルの顔をじっと見つめた。

  「…。」

余りに真っ直ぐに自分を見つめる紫瞳。自分を『アルベル』と認識する前とは大違いだ。

自分が傍にいる限り、アランは姿勢を崩さない。かといって出て行こうとすれば、猫になってしまった自分の身を案じ、無理をしてでもついてくるに違いない。何とか休ませる方法はないだろうか。

アランはアルベルが何を訴えているのかわかりかねて、困った表情でこちらを見つめている。

  (まったく、言葉が通じねぇのは面倒だな。)

アルベルはミルクで白く濡れた口の周りを綺麗に舐めてから、机を降りた。そして、アルベルの昼寝用にとアランが置いてくれているソファに飛び乗り、尻尾でアランを誘った。

  「ニャーン(ここで寝ろ)。」

  「お昼寝なさるのですか?」

  「ニャー(お前が、な)。」

だが、アランは微笑んでこちらを見るだけだ。実はアランがこのソファを使った事は一度もない。アランが職人に特注で作らせたこのソファは、あくまでアルベルのためのものなのだ。いや、そもそも、アランは仕事場で昼寝などしないし、一緒に住んでいるアルベルでさえ、ソファに寝そべるなど、そんなだらしない姿は見た事がなかった。

しかし、アルベルは何とかアランを休ませたかった。

  「ニャアア(あー、クソ!じれったい!兎に角、来い)!」

軽い苛立ちとともにアルベルが声高に鳴くと、アランが真剣な表情になり、立ち上がって傍へやってきた。

  「どうかなさいましたか?」

  「ニャー(ここで休め)。」

アルベルはアランの為に場所を開け、じっとアランを見つめた。

  「ここに座れと?」

  「ニャーン。」

そこでアランはやっとソファに座った。だが、そのままじっとアルベルを見つめている。アルベルは溜息をついた。人間だったら、「ここで休め。」の一言で済むのだ。まどろっこしくて仕方ない。

アルベルはちょっと考えて、アランの傍に寝そべって見せた。アランがそれに倣うように。 すると、アランはアルベルをそっと抱き上げ、自分の膝に乗せた。

  「あなたが眠っている間、ここに座っていればいいのですね?」

  「ニャア(違う!)」

アルベルはアランを見上げて訴えようとしたが、優しく撫でられて大人しくなった。まぁ、このソファは座ってるだけでも心地よい。その内、眠気に負けて横になるだろう。そう考えたアルベルは、しぶしぶアランの膝の上に納まった。

  「カレル殿はちゃんと方法を見つけてくるでしょうか?」

アルベルを優しく撫でながらの、のんびりしたその口調に、アルベルは軽い違和感を覚えたが、しかし今は喉がごろごろ鳴らないように抑えるので必死であった。

いつ誰が入ってくるかわからない仕事場で、こんな風に膝に抱かれて撫でられるなど、人間の姿だったら絶対に許していない。しかし、今は猫としての感情が強く作用している為か、アルベルの中で『人に見られるかもしれないことへの羞恥心』よりも『撫でられることの心地よさ』の方が圧倒的に強くなっていた。

実はアルベルは、アランのさらりと冷たい手で撫でられるのは嫌いではないのだ。

そんなアルベルの本心を知らないアランは、時折アルベルの様子を見ながらそっと触れようとしてくるが、アルベルの照れの裏返しを『拒否』と敏感に捉えてしまい、アルベルとしては『しぶしぶ許してやる』という形でならアランに甘える自分を許せるのに、いつもそれをする間もなく身を引いてしまう。

今もアルベルは人間の時と同じ態度を示したつもりだったのだが、猫の仕草をよく知らないアランにはわからなかったようだ。だが、アルベルが大人しく膝に納まり、心地良さそうに撫でられている事で、こうしても良いのだということはわかっている。

言葉は通じないのに、人間の時には素直に表に出せなかった肝心な部分はしっかり伝わってしまっている。完全な猫ではないアルベルには、自分の本心がばれた事がやはり恥ずかしくはあったが、同時に猫の部分ではそんなことはどうでもよいことになっていた。

早く元の姿に戻りたいのに、こんなにのんびりとしている場合ではないのに、人の温もりの心地よさにアルベルの方がついうとうととしてしまっていると、それから程なくして、自分を撫でていた手が止まった。アランが眠ったのだ。

アルベルはアランの眠りが深まるのを待ち、少々名残惜しさを感じながらも、アランを起こさないようにそーっと膝から降りて、窓の隙間から外へ出た。

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