アランがアリアスへ行って数週間が過ぎた頃、アランが倒れたという知らせが届いた。
ウォルターはそれを真っ先にアルベルに伝えた。アランが居なくなって、アルベルがぼんやりしていることが多くなっていることに気付いていたのだ。
「何ッ、倒れただと!?」
「恐らく、過労だということじゃ。」
アルベルは、
(まさか、シーハーツの女共に囲まれて、張り切り過ぎたとかいうんじゃねえだろうな。)
とイライラとしながら部屋を2、3度往復すると、すいと扉へ向かった。それをウォルターの声が追う。
「アリアスへ行くつもりか?」
「けッ、あいつの事など知るか!」
と出ていった。でも行かないとは言わなかったことに、ウォルターはやれやれという顔をした。
別に2人のことを認めている訳ではない。本当なら真っ当な人生を送ってもらいたいのだが、言ったってきかないことはわかっていた。
それに、アランと一緒にいるようになって、アルベルは見違えるほど穏やかになった。相変わらずの部分はあるものの、以前のように誰彼構わず威嚇するようなことはなくなった。父親を失ってから、心の何処かで己の死を望んでいる節があったが、最近では徐々に自分の価値を認めつつあるようだった。
そして、アルベルが他人にあれほど気を許すのは、父の死以来、初めての事だったのだ。
その様子を見てウォルターは、2人がこのまま良い方向にいくのであれば、もう何も言うまいと決めたのだった。
クレアはアランが眠るベッドの傍の椅子にそっと腰掛けた。
その端正な横顔にクレアの胸がときめく。
どんな時も礼儀を忘れず、穏やかに笑みを浮かべ、涼やかな声で部下に命令をする姿に、皆がのぼせ、騒いだ。それを立場上留めながらも、自分もついその姿を目で追っていた。会議の時などに目が合うと、どうしても鼓動が早くなってしまう。
しかし、自分はクリムゾンブレイドであり、色恋沙汰に耽っている暇はないのだと心に念じ、溢れる思いに蓋をし、必死で押し隠してきた。
でも、こうして寝顔を見つめていると、どうしようもなくこの人に惹かれているのだと感じる。
(ずっと、このまま時が止ってしまえば良いのに…。)
ぼんやりとそう思っていると、ドアの外がバタバタと騒々しくなった。
「歪みのアルベルだ!」「何故ここに!?」
アルベルは自分の突然の訪問に驚いているシーハーツの者達を無視して、ずかずかと家に上がりこんだ。ウォルターの家を出てその足でアリアスにやってきたのだ。そして、アランの居る部屋に真っ直ぐに行こうとすると、女がそれを止めに入った。
「いけません!今、やっとお休みになられたところなのです!どうかそっとしてあげてください!」
「うるせぇ。退け!」
アルベルは、ドアの前に立ち塞がっている女を乱暴に押しのけてドアを開けた。
そして、そこで目にした光景にアルベルは悪寒を感じた。
アランが寝ているベッドの傍に、寄り添うようにクレアが座っていたのだ。
アルベルはクレアの存在を意識しつつ、わざと無視し、ずかずかとベッドまで近寄っていった。
「アルベル・ノックス!!」
クレアが驚いてその名を呼ぶと、アランがはっと目を覚ました。
そして、うつろな目で周囲を確認している視野に、会いたくてたまらなかった姿が入った。
アランはガバッと身を起こそうとしたが、アルベルはガシッとアランの頭を掴み、そのままボスッと乱暴に枕に押し付けた。
その行動に驚いたクレアが、
「何をするのです!?」
と抗議すると、アルベルは眉間に皺を寄せ、ギロリとクレアを睨みつけた。
「邪魔だ。どこかへ行け。」
「なっ!!」
殺気を帯びた眼光に怯みそうになった。
クレアはそれに負けまいと胸を張って、言い返そうとしたが、
「どうか2人だけにして下さい。」
というアランの言葉に、
「えっ!」
と二度驚き、アランの有無を言わさぬ目の色に、その反論を飲みこんで、部屋から出ていった。
クレアがドアを閉めてしまうと、アルベルはベッドの枕元近くにドカッと腰掛けた。
さっきの光景が目に焼き付いて離れない。
それにイライラとし、厭味を言おうとしたところに、腰を抱きしめられた。見下ろすと、アランはアルベルの腰に手を回し、顔をうずめていた。
それは、親に必死にしがみついている子供のようだった。
そんなアランの様子に、すーっと怒りが消えていく。
「お会いしたかった!!」
ぎゅっと抱きしめている腕に力がこもる。アルベルはアランの頭に右手を乗せ、さらさらとした黒髪を撫でた。
「ったく。自己管理を怠るとは、らしくねえな。」
アランは、アルベルがやさしく頭を撫でてくれた事に感激し、なんだか涙が出そうになり、そして甘えたくなった。
「すみません。早く帰ってあなたに会いたいと思う余り、少し無理をしてしまいました。…それに、最近ほとんど眠れなかったものですから。…嫌な夢ばかりみるのです。」
「夢?」
「あなたが結婚し、子供を抱いて幸せそうにしている夢です。…私は身動きできず、離れたところからじっとそれを見ているのです。…それから、あなたが悲しんでいて、私はあなたの所に飛んでいって抱きしめたいのに、私が近づけば近づくほどあなたが苦しんで―――」
アルベルはアランを遮り、静かに言った。
「俺は結婚するつもりはねえと言っただろうが。それにお前が近づいてきて苦しんだりもしてねえ。」
「ですが、離れていると不安で不安で仕方ないのです。私がいなくなってせいせいしているのかもしれない。私が帰っても、もう私の居場所はなくなってしまっているのかもしれない。そんなことばかり考えてしまって…。」
こんなに弱りきったアランを見たのは初めてだった。
そんなアランの様子に急に心配になって、アルベルはアランの腕を解くと、アランを枕に押し付け、その顔を覗き込んだ。
その憔悴しきって、すがるように自分を見つめるアランの様子に、このまま放っておいたら本当に死んでしまうのではないかと思えた。
アルベルはアランの頭をぽんぽんと叩いて落ち着かせた。
「くだらねえこと考えてねえで、とにかく寝ろ!お前は疲れてるんだ。…お前が眠ってる間、傍にいてやるから…安心して寝てろ。」
その言葉にアランは一瞬目を潤ませ、それを隠すように目を閉じた。
「…はい。」
『傍にいてやる』という言葉がアランの心に染み渡り、魔法のように不安や苦しみを消し去っていった。
アランは自分の頭に置かれたアルベルの手にそっと触れ、
「私が眠るまで、手を繋いでいて下さいますか?」
と頼んでみた。すると、驚いた事に、
「フン、しょうがねえな。ほら。」
と言いながら、しっかりと手を握ってくれたのだ。
アランは安心したように微笑むと再び目を閉じた。
しばらくすると、アランの呼吸が寝息に変わっていった。
それを見届けると、アルベルはアランの手をそっと外して、ベッドからずり落ちるようにして床へ座り、ベッドを背に寄りかかった。頭をベッドに預け、目を閉じる。
眠れていなかったのはアルベルも同じだった。
アランが傍にいるようになってから、アルベルは長年自分を苦しめてきた、あの父の夢にうなされることはなくなっていた。
しかしその代わりに、アランがアリアスに行ってからというもの、今度は別の悪夢をみるようになっていた。それはまさにアランがみていたものと同じような夢だったのだ。たかが夢だと思いながらも、言い知れぬ不安に怯えてしまう。自分はこんなに弱い人間だったのかと思い知らされたのだが、まさかアランも自分と同じ苦悩を抱えているとは思わなかった。
苦しんでいたのは自分だけではなかった。
そのことになんだか少し安心し、アルベルも眠りに落ちた。
「アルベルは一体何しに来たのかしら。」
クレアは落ち着かない様子で天井を見上げた。この部屋の真上がアランの部屋なのだ。アルベルといえば、破壊・殺戮・恐怖などの暗い負のイメージが付きまとう。
アランとは全く正反対だ。
そのアルベルが部屋に入ってからもう1時間が過ぎている。部屋からは話し声も物音も聞こえない。2人にしてくれと言われていたので、ずっと待っていたのだが、それにしても長すぎる。
(何かあったのかもしれない。)
クレアは、アルベルがアランに刀で襲いかかっているところを想像し、まさかと不安になった。
何度かためらった挙句、飲み物を用意したというのを口実に、部屋にノックして入っていった。そして、ぐっすりと眠っているアルベルとアランを見たのだ。
クレアはしばらくその様子を見つめ、二人を起こさないようにそっと引き返した。
「本当にアルベルは何しに来たの!?」
わざわざアーリグリフからアリアスまで仮眠を取りに来たのだろうか?事情がつかめないクレアは、アルベルに心底呆れた。
それから数時間して、アルベルが部屋から出てきた。そして何の挨拶も無しに、さっさと帰っていった。
入れ替わりに部屋に入ってみると、アランは起きて身支度をしていた。
クレアは驚いて声を掛けた。
「まだ寝ていないくては!!」
「いえ、もう大丈夫です。ご迷惑をおかけ致しました。」
「いいえ。…でも、無理はなさらないでくださいね。」
「はい。」
見違えるように生気を取り戻したアランに、クレアはホッとした。
「…あの、彼は一体何をしに来たのですか?」
と気になっていたことを訊くと、
「私の様子を見に来てくださったのです。」
とアランは煌くような笑顔で答えた。
その笑顔に胸がきゅんとなる。
「あの…アルベル・ノックスが?」
アランの手前、『歪みの』という言葉は飲みこんだ。アランは、
「ええ。」
と短く返事を返し、それ以上の質問は拒むかのように、
「現場に行ってきます。」
とクレアを残して部屋を出ていった。
クレアの心になんだか釈然としないものが残った。
*******
アランがふと目を覚ますと、アルベルがベッドわきで眠りこけていた。
(本当にずっと傍にいて下さったんだ!)
アルベルの寝顔を見ながら、じーんと胸が熱くなった。
そっとシーツをかけようとしたらアルベルが目を覚まし、うーんと伸びをして立ちあがった。
「すみません。寝苦しかったでしょう?一緒に、ベッドに入ってくだされば良かったのに。」
「阿呆。んなとこ見られたらヤバイだろうが。」
ふふっと笑いながら、アランもベッドから出た。
外の雲ひとつない天気と同じように、晴れやかな気分だった。
アランはアルベルに近づき、
「おい。もういいのか?」
と訊いてきたアルベルに、
「抱きしめてもいいですか?」
とお伺いを立てたが、アルベルは、
「ッ!だから見られたらヤバイと言ってるだろうが!」
と慌ててアランから離れてしまった。
「ちょっとだけでも?」
「そう言って、いつもちょっとじゃすまねえじゃねえか!」
アランはそうですねと笑いながら、ちょっとさびしそうな目をした。
アルベルはこの目が苦手だった。ふいっとアランに背を向け、
「とにかく、帰ってくるまでお預けだ!!それまで…待っててやるから、ちゃんと任務を片付けて来い!」
と肩越しに言うと、バタンと部屋から出ていった。
―――待っててやる。
その言葉がずっとアランの頭の中で繰り返し流れる。なんとアルベルが自分にそう言ってくれたのだ!!信じられない思いだった。
つい、ぽーっとして、顔がにやけてしまいそうになる。任務中だと心に喝を入れ、表に出さないようにはしているが、心は完全にスキップしていた。
(ひょっとしてアルベル様も私のことを―――!)
と浮かれかけ、いやいやと思考の暴走をとめる。
(でも、心にとめて下さっていることだけは確かだ!!)
アランはずっと、アルベルを無理やり手に入れたことに罪悪感を抱いていた。
アルベルは別に自分を激しく拒否することはなかったが、自分を受け入れてくれているわけではないことはひしひしと感じていた。
そこでアランは、アルベルの中に自分の居場所を作ることから始めていった。
まず、炊事、掃除や髪を結う等の雑事を全て引き受けた。それから、机や戸棚の中身を全て入れ替え、アランがいないと何処に何があるかわからないようにした。人に甘えるのが特に苦手なアルベルだが、こうしてアランに頼らざるを得ない状況をいくつもつくっていくことで、それが当たり前であるような感覚になるように仕向けていったのだ。
その成果もあって、アルベルは大分自分を頼ってくるようになったが、でもまだそれ以上のことはなかった。
アランにとって、アルベルの本当の気持ちを直接確かめるということは恐怖だった。
どうせ答えはわかっている、それでも傍にいたいのだと必死の思いだった。
だが、『待っててやる』というアルベルの言葉に、ひょっとしたら希望を抱いてもいいのかもしれないと思った。
(早く帰って、アルベル様のお気持ちを確かめたい。)
初めてそう思うことができた。