アルベルの元に部下が報告にやって来た。
「団長。遺跡調査に遣った兵士6名が、未だ戻っておりません。」
「何?」
兵士を送った時間を考えると、何か不測の事態があったに違いない。普通何かあった場合、1人を報告に戻らせるものだが、それも戻ってきてないとなると、事態は深刻なものだと考えたほうがよい。
「様子を見にやらせますか?」
「…いや、いい。俺が行く。」
「だ、団長自らですか?」
「今回送った6人は、俺から言わせりゃまだ全然だめだが、そう簡単にやられる事はないだろうと思っていた奴らだ。そいつ等が戻ってこねえなら、後は俺が行くしかねえだろう。他の者は待機してろ。」
「では、護衛のものを…」
「いや、一人で行く。」
「お1人で!?そんな、危険です!」
「もし、俺まで戻ってこない時は、決して後を追ってくるな。一旦戻って、ウォルターのジジイに言え。そしたら後はジジイが何とかするだろ。…愚痴を言いながらな。」
アルベルは珍しく、微かにだがフッと兵士に笑いかけ、遺跡へ続く階段を降りていった。
その報告はアランの所にも届いた。
「お一人で行かれたのですか!?」
「は、はい。決して後を追うな、そしてもしものときは、ウォルター様にお任せするようにと。…もともと単独行動がお好きな方ではありますが、それでも何かあったときの為にと、いつもは少なくとも一人は連れて行かれるのですが、今回は何故か御自分だけで行くとおっしゃられて…。」
嫌な予感がした。
「至急、護衛3名、回復担当1名を用意して下さい。私も行きます。」
アランは席を立ち、ドアへ向かった。
「なんと!?」
疾風団長自ら漆黒団長の救出に向かうなど、最悪の場合、一度に2人の団長を失うことになる。
「ですが…!」
と反論しようと振りかえった時には、アランはもう部屋を出ていってしまっていた。
薄暗く、高い天井に自分の足音が響く。
(寒ぃ。)
吐く息が白く凍る。何か羽織って来ればよかったと少し後悔しながら、今朝のことを思い出していた。
「今日は冷えますよ。これを着て行かれた方が…。」
「いい。」
アランの申し出を鬱陶しいと思いながら、今朝は家を出てきたのだった。
アランがアルベルの生活に無理やり入りこんできて、早一ヶ月。
まるで家政婦のようにアルベルの身の回りを仕切り、母親のようにこまごまと自分の面倒を見てくる。黙って座っていれば、食事も掃除も全部してくれるので、一人で住んでいたときよりは確かに便利にはなった。たまに鬱陶しいと思うこともあるが、アルベルがそういう態度をとると、アランはさっと身を引き、決して押しつけてこようとはしないので、それは許せる範囲であった。
一緒に住み出した当初は、2,3日もすれば、アランの熱も冷めて、正気に戻るのではないかと思っていたが、どうやらそう簡単にはいきそうにないと、夜になる度、思い知らされる。夜、ベッドに入ると、アランは何気なく装いながら、必ずアルベルの様子を探ってくるのだ。
初めはそんなことには全く気づかなかったが、何度かその手に引っかかって、ようやくはたと思い当たった。様子見の段階で、アルベルが拒絶する素振りを見せないとわかると、アランはアルベルの体に腕をまわしてくる。アルベルは、なんだかんだと口では拒絶するのだが、もともとそういう気分ではあるので、体は正直に反応し、そうなったらアランはアルベルの抗議など全く耳をかさなくなり、アルベルはあっという間にその波に呑みこまれてしまう。
「愛しい人。好きだ。愛してる。」
熱に浮かされたような囁きを、自分の名とともに繰り返し耳に吹き込まれる。そしてアルベルを見つめる瞳は熱く燃え上がり、その熱さにアルベルは溶けてしまうのではないかと思うほどだった。
アランの吐息が耳にかかる感触を思い出し、そこから自分の体が覚えてしまっているアランの感触がまざまざと蘇ってきた。アルベルはカアッと赤面し、慌てて思考を止めた。
(ったく!こんな時に何考えてんだ、俺は!!)
そして、ふと、
(俺が死んだら、あいつは悲しむだろうか…。)
とアランの寂しそうな笑みを思い出し、胸がちくりと痛んだ。
そこへ、
「くくくくく…。」
不気味な笑い声が周囲に響き渡り、アルベルは瞬時に刀に手をやった。
すると、目の前の空間が揺らぎ、人影が浮かび上がった。その真っ白な髪、血の通っていない顔。そして頭から生えた角から、悪魔族であることが見て取れた。
「何だ、てめえは!」
「私の名はロメロ。死の神フォスターによってうみだされた神々の眷属。今日は客人が多い。6ぴきの次は1ぴきか…。蛮勇か、それとも無謀か。多少は腕には覚えがあるようだが、所詮はこの世界の住人。我の敵ではない。大人しく帰るがよい。それとも…、前に来た者共と同様、物言わぬ我の僕となるのを望むか…。」
「ほう?てことは、てめえが全ての現況か。」
「だとしたら、どうする?」
(成る程。部下が戻ってこねえわけだ。)
普通の魔物とは違い、その黄金の瞳には闇の力がみなぎっている。その力は派遣した部下達では、到底太刀打ちできるものではなかった。恐らく既に殺されてしまっているのだろう。
アルベルはすらりと刀を抜いた。
「楽に死ねるとは思うなよ?殺して下さいって懇願するまで、てめえの面にこの刀を叩き込んでやる!」
「くッ、はははははッ!勇ましいものだな。だが…、貴様のような下等生物を、この私自ら相手にするわけがなかろう。」
ふっとその姿が遠ざかり、ロメロは不思議な言葉を詠唱し始めた。
「出でよ!我が下僕どもよ。」
その呼び掛けに、六匹の魔物が姿を現した。アルベルがその魔物に向かって刀を身構えたとき、アルベルの耳に悲痛な叫びが聞えてきた。
「タ、タ、タ…タ、隊長ォッ…」
魔物の目に、人間だった頃の光が揺らいでは消える。
「こいつらは!チッ!このクソ野郎がッ!」
死してなお苦しめられている部下たちの姿に、アルベルは激怒した。ギリギリと顎の骨が浮き上がるほど奥歯を噛み締めて睨みつけた。
「使えていた神々にみすてられ、この地に残された者よ。なんなら、寛大なるこの私が特別な慈悲を持って、貴様らをひろってやってもよいのだぞ。」
「てめえごときがその器かッ!!身の程をしれッ!!」
「そうか…。実に残念だ。では、永遠の絶望にその身を焼かれるがいい!」
一斉に、魔物と化した部下達が襲い掛かってきた。アルベルは攻撃を避けるが、その間にも部下達の叫びが響いた。
「ク、ク、クルシイ…。」
「タス、タスケ…。」
せめて一息に楽にしてやろうと、胴体から首を切り離したが、すぐにまた元に戻ってしまう。
「イ、イ、イ、タイ、イタ…イ…」
「カカカカ…カ…カア…サン」
「くっそぉッ!!」
「はははは!苦痛の叫びというのは、いつ聞いても心が震える!クククッ…実に、甘美だ…。」
「てめえッ!!!」
命を玩ぶ行為に、アルベルは吐き気がした。
「まとめて焼き尽くしてやる!」
アルベルは目の前の魔物をなぎ払って距離をとると、全身の気を集中し始めた。風が起こり、周りに紅い気が渦巻き始めた。
「な、何だ?」
その気のエネルギーは魔の力に近かった。そして、その凄まじさにロメロは怯んだ。
アルベルの気が中心に集まり、中から真紅の竜がゆったりと首をもたげ、獲物を見据えた。そして、アルベルの周りを、身をくねらせて飛び回り始めた。アルベルの集中が高まるごとに、更にその竜の数が増えていく。
「何ッ!!」
自分の魔力をはるかに凌ぐその力に圧倒された。
「吼竜破!!」
アルベルはその竜に凄まじい気を込めると、手を突き出し、一気に放った。6体の竜が先を争うように襲い掛かり、全てを焼き尽くしていった。その業火によって、部下達が一瞬で昇華されていった。
「ぐあぁぁーーーーッ!!に、人間ごときがッ…これ程の力を持っているなどッ!!」
腕を吹き飛ばされたロメロが、地面にガクリと膝を付いたところに、アルベルが近寄った。そして、とどめを刺そうと刀を振り上げたとき、ロメロの姿が揺らぎ始めた。そして、
「親父―――!」
ロメロの姿が炎に包まれたグラオの姿に変わり、ギクリとアルベルの動きが止まった。
―――お前はまた父親を殺すのか?
「親父、そ、そんな!!」
ロメロの術中にはまってしまったアルベルは刀を力無くおろした。
―――いい子だ。
グラオの姿をしたロメロが、ゆっくりと刀を振り上げた。
「親父…。俺も、一緒に…。」
「アルベル様ッ!!!」
突然、アルベルの目の前にアランが現れた。アルベルをかばってその攻撃を避けようとしたが、完全には避けきれず、アランの肩に炎の刃が食い込んだ。
「!!!」
目の前でくずおれるアランを見て、アルベルの脳裏に当時の記憶のフラッシュバックが起こった。
(親父―――!!!)
「うああああぁ―――!!!」
アルベルはロメロを滅多切りにした。最早、ロメロが動かなくなっても、それはやむことはなかった。
そして最後に、アルベルは刀を逆手に持つと、倒れているロメロの心臓に刀を突き立てた。中枢を破壊されたロメロの体は、さらさらと灰となって散っていった。
「はあッ、はあッ、はあッ!!」
アルベルは地面に突き立った刀に寄りかかり、肩で息をしながら呆然としていた。
「アルベル様!」
兵士に呼ばれ、ゆっくりと顔を上げた。
「大丈夫ですか?」
アルベルは兵士の顔をぼんやりと見上げるだけで、何も言葉を発することができなかった。強張って動かない首を無理やり動かして、アランの方を見やった。
「応急処置はしましたが、早く医者に見せないと!」
アルベルはゆっくりと立ちあがった。
アランは地面に倒れ、兵士にヒーリングをかけられている。
その光景をぼんやりと眺めていた。
真っ青な顔で担いでいかれるアランを、ただ見ているだけの自分。魔の属性しか持たないアルベルは、自身の回復しか出来ない。
人を癒すことの出来ない自分本意な力。
他の命を吸収し自分のものにするというおぞましい力。
父を亡くしたあの時から、血反吐を吐く思いまでして、必死になって得た力が何の価値の無い物に思えた。
(結局、俺は何も出来ない。あの時と全く変わってねえじゃねえか。)
城に戻り、アランは治療室に運び込まれた。
アルベルはその間、ずっと自分を責め続けた。
―――もし、アランが死ぬようなことがあれば、俺は絶対に俺を許さねえッ!
そして数時間後、アランが気がついたという知らせを受けたアルベルは、すぐに治療室へ向かった。
部屋に入ってきたアルベルの姿を見て、アランが体を起こそうとしたのを、周囲が押しとどめた。
アルベルはアランの無事な様子に、ほっと安堵すると同時に、激しい怒りが込み上げてきた。
「誰が助けろと言ったッ!!余計なことをしやがって、この阿呆がッ!!」
アルベルの突然の叱責に、周囲は驚いて固まっている。アランはそんなアルベルをじっとみつめ、人払いをし、部屋にいた者達は、アルベル非難の目を浴びせながら出ていった。
アランは痛みを隠して起きあがり、静かに聞いた。
「あなたは、死ぬおつもりだったのですか?」
アルベルは言葉に詰まった。アランはそれを肯定ととらえた。
「あなたが死ぬなど、私は絶対に嫌です。」
「はッ!!だから助けたってのか!こっちは頼んでもねえのに、勝手に助けて、勝手に死んで!!お前らはそれで満足だろうが、それを押しつけられた方の身にもなってみろ!!どれだけ…。」
アランはアルベルの話に、途中から自分以外の人物が混じっている事に気がついた。アルベルもそれに気付き黙り込んだ。
二人の間に沈黙が流れた。
(御父上の事か…。)
アランがそう思っていると、アルベルが話を切り上げるように、
「いいか。金輪際ッ、俺を助けようなどするんじゃねえ!わかったか!?」
と睨みつけてきた。だが、アランは、
「嫌です。」
とキッパリ断った。
「何だと!?」
「私はあなたがいなければ、生きる意味を失います。もしあなたが命を落とすようなことがあれば、私はすぐに後を追うつもりですから。」
「そんなのは俺の知った事か!お前の命だ、好きにするがいい!」
死ぬなといっているのかと思ったが、後を追うのはいいらしい。アランは、アルベルが何をいいたいのか、何故こんなに激昂しているのかよくわからなかった。
「はい。ですから、この命はあなたの為に使うつもりです。」
「〜〜〜〜〜ッ!!!」
アルベルは頭にきた。
「それを止めろと言ってるのに、どうしてわからねえんだァッ!!」
と最大音量で怒鳴りつけた。が、そう言ってしまって、そんな事は一言も言ってなかった事に気付いた。
アランはじっとアルベルを見つめている。
アルベルはばつが悪くなって、視線をそらした。
そして、ぽつりと言った。
「俺のために死ぬのは止めろ。もう後に残されるのは真っ平だ。」
アランはその言葉に、アルベルの心の苦しみを感じ取った。
「…わかりました。」
アランはアルベルの為に、そう返事をした。
そして、やさしくあやすように微笑んで、
「どうか、お座り下さい。」
とアルベルを誘った。アルベルは黙ってそれに従い、ベッドの傍に置かれた椅子にドカッと腰を下ろした。
「…怪我はどうなんだ?」
アルベルは顔をそらしたまま、ぶっきらぼうに訊いて来た。アルベルは自分を心配してくれていたのだ。その不器用さをほほえましく思った。
「2、3日寝てれば治るそうです。すぐに回復術をかけてもらったお陰で、大した事なくて済みました。本当はもう起きあがれるのですが、周りが心配するので、大人しく従っておくことにします。」
「また、お前に借りが出来た…。」
アルベルは目を伏せながら、そう言った。
(また?)
何の事かと一瞬アランは思ったが、以前のカルサア修練場での事を思い出した。
(覚えていて下さったんだ。)
「この借りは、いつか必ず返す。」
そんなこと気にしないでと言おうとしたが、アルベルの気持ちを汲んでそれは止めた。そして、いい事を思いついた。
「今、一つ返してもらってもいいですか?」
「何だ?」
アルベルは真面目な眼差しをアランに向けてきた。それにニッコリと微笑んで、
「キスして下さい。」
と言ってみた。だが、案の定、アルベルは、
「却下だ!!」
と物凄い勢いで拒否してきた。期待はしていなかったが、あまりに予想通りだったので、ちょっとがっかりしつつ、本題に入った。
「では、どうか、少しずつでいいですから、私のことをあなたの心の中に受け入れてください。」
―――アランの悲しい目。
(こいつは、何故か母上を思い出させる。)
顔も仕草も、そして性別までも全く違うのに、どうしてだかこの悲しそうな表情が母と似ていた。そしていつも、そんな顔をさせてしまったことに罪悪感を感じ、なんとかその悲しみを取り除いてやりたいと思ってしまうのであった。
「…努力する。」
というとアランは嬉しそうに微笑み、アルベルはその笑顔になんだかほっとした。
「帰る。」
と立ちあがって歩きかけて、ぴたりと立ち止まった。そして急に戻ってきた。
「どうかしましたか?」
と訊いている所に、アルベルが身をかがめ、素早くアランの唇に口付けをした。そして、さっと赤面した顔を離すと、
「これで貸し借りは無しだ!!」
と言い放って、ものすごい勢いでドアまで歩いていき、バターンッとドアの向こうに消えていった。
唇に触れるだけのキスだったが、アランはしばらく雷にでもうたれたかのように硬直していた。
アルベルの触れた部分が熱い。
急にドキドキと嬉しさが込み上げ、この感激を大声で叫んで表現してみたくなった。でもそんな事をすれば、周囲が驚いてすっとんでくるだろうから、そのかわり、小さく、
「ふふふふふッ!」
と笑った。ボーっとなって、その感触を思い出し、アルベルの照れた可愛い表情を思い浮かべてはくすくすと笑って、自分の胸の内だけでその幸せな気分をかみ締めた。
その後、アランの様子を見に来た医者に、
「熱があるようですね。」
と心配された。