アーリグリフ城の二階の謁見の間にて、疾風・風雷・漆黒の各団長・副団長、そして王族、王直属の部下らが参列し見守る中、ライマーは王の前に膝を折り、勅語を賜った。
「ライマー・シューゲルをアーリグリフ国漆黒騎士団副団長とする。」
王の力が漲った声によって宣言され、これをもってライマーは正式に漆黒の副団長就任となった。大抵の者はその場の雰囲気に気後れし、緊張の面持ちとなったり肩に力が入りすぎたりするのだが、ライマーはそれを全く感じさせなかった。この点からしてもシェルビーとは格が違うと、アルベルは微かに満足げな笑みを浮かべた。
顔見知りからの祝福の言葉を受けながら、ライマーはカレルの姿がないことを気にしていた。こういう公の場を嫌うのは知ってる。だが、立場柄、出席すべき場をサボることは流石にない。どこかに隠れているのかもしれない。
周囲を見渡して、柱の影に人影を見つけた。そこからひっそりと立ち去ろうとしている短髪の青年。背格好は間違いなくカレルだが…。ライマーは迷いながらも急いで近寄り、彼が遠ざかってしまう前に声を掛けた。
「カレル?」
青年が立ち止まった。振り返ったのはやはりカレルだった。見違えた。髪がすっきりと短くなり、爽やかな好青年といった出で立ちだ。カレルは行儀良く笑みを浮かべ頭を下げた。
「おめでとうございます、ライマー・シューゲル副団長。」
服装も態度も姿勢も申し分ない。まるで疾風の人間のようだ。
「…敬語はやめてくれないか?」
声を掛けなければそのまま立ち去っていたのかと思うと、そのよそよそしさが、今は特に寂しく感じる。
「公においては、上下関係を周囲にハッキリ示すべきだと仰ったのは…」
ライマーだ。カレルは散々嫌がっていたのに。カレルはアルベルの直属の部下とはいえ、副団長の方が立場は上だ。
「わかった、すまん。」
久しぶりにカレルとゆっくり話をしたい。顔色が優れないようだが、体調はどうなのか。アーリグリフでの生活はどうか、アランの下で嫌な思いをしていないか、聞きたいことは山ほどある。だが、今のカレルはそういう雰囲気ではない。さっきから一向に目を合わせようとしないのだ。
「だが、頼む。…色々噂されているんだ。」
「噂?」
「俺が副団長になったことで、漆黒の…今度は団長派の中で内部分裂が起こってるんじゃないか、とな。本来ならお前がなるべきだからな。」
カレルは小さくため息をつき、肩の力を抜いた。
「事実は違うんだ。ほっときゃいいだろ?」
口調だけでも元に戻ってくれたことにライマーはほっとした。
「そういうわけにもいかなくなってきているんだ。」
カレルは黙って俯いた。どうしたのだろうか?心配になって声を掛けようとしたとき、カレルが言った。
「…いい方法がある。」
「?」
「ちょっと耳貸せ。」
ライマーは言われるまま身を屈めた。カレルの顔が近寄ってきた。
「!?」
カレルの唇が自分の唇に触れている。それがキスだとわかるまで何秒かかっただろう?事態が判るや、ライマーは一気に赤面し、急いで顔を離した。
「何をするんだ、お前はッ!!」
周囲から痛いほど視線が集まっている。カレルはライマーの顔をじっと見つめてきた。ライマーは激しく動揺しながら、やっと目が合ったと感じた。その食い入るような目つきに違和感を覚え、理性が戻ろうとしたところへダメ押しの一撃。
「こないだはお前からキスしてくれたくせに。」
カレルが周囲に聞かせるようにわざと大きな声で言い放った。最初の一幕を見逃した者も、これでばっちり事情がつかめたにちがいない。ライマーは更に耳まで赤くした。
「あ、あれはッ!」
「あーあー!言い訳なんか聞きたくねぇ!」
カレルは耳を塞ぎながら走り出した。
「待てッ!」
それを追いかけようと一歩踏み出したところへ、声を掛けられた。
「ライマー君。」
ハロルドだ。どうやら一部始終を見られていたようだ。
「いや、これは…ッ!」
ライマーはこれ以上ないほど真っ赤になった顔を手のひらでさすった。『キス』だの『ホモ』だの『できてる』だのという囁きがひそひそと聞こえてくる。ハロルドは慰めるようにライマーの肩を叩いた。
「同情するよ。まったく、苦破廉恥な男だ。」
「いえ、そういうわけではなく、ただ、その…」
動揺しすぎて上手く言葉が出ないようだ。ハロルドは、ライマーが徹底的にカレルを庇うのを感じていた。そのことに、ハロルドは少々腹を立てた。
「何故怒らないんだ?この公衆の面前で、しかもこの晴れの舞台に恥をかかされたのだぞ!?」
「!」
そうだ。カレルがそんな事をわからぬはずがない。
「こんな下劣な手で彼を辱めようとは。彼が副団長になったのが、余程気に入らんのだろうよ。」
ハロルドが野次馬の中に見つけた知り合いに向かって、声を張り上げそう語った。勿論、ライマーを弁護するためだ。すると今度は、『不和』や『分裂』の言葉が囁かれはじめた。
「いや、それは違」
ライマーの為にせっかく弁解したのに、それを訂正しようとするライマー。
「いいから、来い!」
ハロルドはそれを途中で遮って、ライマーを外へ連れ出した。
「…。」
ライマーは深刻な表情で考え込んだ。
カレルがわかっていて、あんな事をするはずがない。何か理由が?それとも、ひょっとして何かあったのか?
考えれば考えるほど、さっきのカレルの目が、常軌を逸していたように思えてくる。
そんなライマーの表情に気付いたハロルドは、ライマーが落ち込んでいると勘違いし、気にするなと慰めた。
「まあ、さっきのはそれほど気に病む必要はない。あの男がそういう性癖だと周囲に知れれば、君も単なる被害者で済むだろう。犬に噛まれたと思って忘れたまえよ。」
『性癖』という言葉にドキリとする。カレルに性癖など、今まで一度も感じたことはなかったからだ。だが、それよりも見過ごせない言葉があった。
「『君も』とは…」
「誰にでもああいうことをしてまわってるんだ。すぐにそっちの噂でかき消されるに決まっている。」
カレルは以前ハロルドに対し、女装姿で男を誘うしぐさをしてきた。そして今、ライマーに対して人前で堂々と接吻。男色の気があるのは間違いない。そして、親しいわけでもない自分に対してまで、あんな真似を恥ずかしげもなくできるわけだから、どうせ誰にでもしているのだろうと、とハロルドは思っていた。
「誰にでも?そんなはずは…あいつに限って、そんな…」
いつもの落ち着いたライマーはどこへやら。キスされた時とは別の動揺を隠し切れていない。
「理由もなくそんな事をするはずがありません。とにかく話を聞かなければ…」
それでもなおカレルを庇う。そんなライマーに、ハロルドは「君はとことんお人よしだな。」と呆れた。