『何をするんだ、お前はッ!!』
だが、ライマーは嫌な顔をしてなかった。真っ赤になって動揺してた。この間のあの時みたいに。
カレルはふっと笑い、だがそれはすぐに翳った。
追って襲ってきたのは猛烈な自己嫌悪。
(何てことをしちまったんだ、俺は…)
ライマーが勅語を賜る様子を柱の影から見守りながら、我がことのように嬉しかった。漆黒副団長としてのライマーの姿は堂々と男らしく、眩しかった。親友として誇らしかった。
…デモ、アレハ 自分ジャナイ。
(何で俺はライマーみたいになれなかったんだろうな…。もし俺があいつみたいに力強く逞しい男だったら…。)
柱の影にこそこそと隠れている自分。皆から祝福を受け、堂々と輝いているライマー。
その時、どす黒い感情が心の奥底からドロリと溢れてきた。
…汚シタイ。自分ト同ジヨウニ。
(とにかく謝らねぇと…!)
自分の部屋に向かっていた足をくるりと反転させ、再び歩きかけて立ち止まった。
今は顔を合わせたくない…。
と、カレルは物見の塔の入り口の前に誰もいないのに気付いた。いつもは警備兵がいて、「シューイン隊長を通すなと命令を受けています。」と、頑として通してくれなかったのだが、今日は要人達の護衛に出払っているのか、誰もいなかった。常に張り付いて、カレルが妙な気を起こさないよう目を光らせている部下は、さっきのドサクサでまいてきた。あそこからならカルサアに去っていくライマーをこっそり見送れる。それを見送りながら、せめて心の中で謝ろう。
階段を上り切るやいなや、冷たい風が音を立てて吹き抜けた。この格好では相当寒いはずなのだが、感覚が鈍っているのかそれを感じない。カレルは塔のてっぺんから飛竜舎を見下ろした。そこからライマーを乗せた飛竜が飛び立つはず。と、その時。
「そんなにねたましいか?」
自分の心を見透かした言葉にぎくりとした。頭の中のあの男の声ではない。これは現実?振り返ると、そこにハロルドが立っていた。塔に上ろうとしているカレルの姿を見つけ、カレルを庇い決して責めようとしないライマーに代わって一言言うために、わざわざ追いかけてきたのだ。
「ライマー君が副団長になったのが、悔しいのだろう?」
「いいえ。」
カレルは無表情で返した。まるで人形のようだ。だが、
「人前であんな大恥をかかせておいて、何が親友だ。」
そう言った瞬間、カレルの顔色が変わった。
「うるさい!」
「なんだと!?」
「うるさいうるさいうるさいッ!!」
ハロルドの声に被るように、あの男の喘ぎが頭に響き始めたのだ。
…はあはあ…お前のせいだ…お前のせいでライマーがまた…お前さえいなければ…お前さえ…死ね…死ね…お前なんか死んでしまえ!
カレルは耳を塞いで上半身を屈めた。みるみる呼吸が荒くなっていく。
「お、おい…?」
カレルの異様な雰囲気にハロルドはたじろいだ。と、カレルが塀に駆け寄り、そこから身を乗り出した。
落ちる!
ハロルドは必死でカレルの身体を引きずり戻した。
「なッ、何をするんだ、君はッ!?」
ここから落ちたら即死だ。ハロルドはカレルを羽交い絞めにし、塀から遠ざけた。だが、手を離した途端、塀に駆け戻ろうとする。慌てて腕を掴んでそれを引きずり戻し、壁に押さえつけた。すると今度は、死に物狂いで抵抗し始めた。
「いっ、嫌だッ!やめろっ!やめてくれッ!!」
「ちょッ、誰かッ!」
暴れるカレルをもてあまし、ハロルドが助けを求めたとき、
「カレル!!」
ライマーの声がした。その途端、カレルは急におとなしくなった。もう手を離しても大丈夫だろうか?ハロルドが迷っていると、ライマーが引きちぎる様にしてカレルの手を取り返した。ライマーは、カレルの見張りにつけていた部下から『姿を見失った』と報告を受けた次の瞬間にはこの塔に向かっていたのだ。単なる勘。だが、いつもそれは当たる。そしてそこで、ハロルドがカレルを無理やり押さえつけているのを見つけた。背中にカレルを庇い、厳しい目でハロルドを咎める。
「何をしているんですか!?」
「いや、彼が急にそこから」
ハロルドが事情を説明しようとしたのを、
「すいません!」
と、カレルが遮った。だが、ハロルドが指差した方向を見て、ライマーが全てを悟ってしまったのを知ると、
「ちょっとふざけただけだ。」
といつもの軽い口調で言った。だが、震えながらの蒼白な顔でそう言われて、誰が信じるだろうか。
「カレル、お前…!」
ライマーは血相を変えてカレルの両肩を掴んだ。何故、ここから飛び降りようなどとしたのか。何故、死にたいなどと思うのか。問い詰めたい衝動に駆られたが、寸でのところで思いとどまった。問い詰めれば余計に、追い詰めてしまうことに気付いて。何も言えず、ただカレルの肩が一段と細くなっているのを感じていると、カレルが目を逸らしたままぽつりと言った。
「ごめん……大恥かかせちまって…。」
「そんなことはどうでもいい。」
「…。」
カレルは俯いた。心の中でひたすら謝り続けているのだろう。ライマーはカレルの顔を上げさせた。そして、ハロルドや部下達が見ているのも構わず、その唇に優しく口付けた。驚いて見上げてきたカレルの目をしっかりと捕まえて言った。
「本当だ。少しは俺を信じろ。」
そう言った瞬間、カレルの目に涙が浮かんだ。ライマーはそれを隠すようにカレルの頭を自分の胸に押し付け、呆気に取られている部下に言った。
「医者を呼んで来てくれ。」
「は…はい、わ、わかりました。」
部下はドギマギしながら出て行った。同様に呆気に取られていたハロルドは、
「ライマー君…。君は…」
と言いかけたが、カレルの頭からマントを掛けているライマーの手つきの、そのあまりに優しさに、それ以上何も言えず話を変えた。
「具合が悪いというのは本当だったのか…。」
見た感じどこも悪くなさそうだったから、単なる口実だと思っていた。
「カレルは今、普通の状態ではありません。こんなことは初めてで…なぜこうなっ……」
ライマーは話の途中ではっとして、腕の中のカレルを見下ろした。突然カレルの身体から力が抜けたのだ。
「カレル!?」
ライマーは急いでカレルの脈を取った。
「どうした、大丈夫か!?」
「良かった。眠っているだけのようです。」
ライマーはほっとすると、マントで包んだ身体をそのまま横抱きに抱え、
「部屋に寝かせてきます。」
と、物見の塔の階段を下りていった。
「…まさかそういう関係だったとは。」
ライマーの背中を見送ったハロルドは一人つぶやいた。ハロルドは男色には否定的だ。強い抵抗感がある。将来を期待するライマーにはそんな間違った関係に陥って欲しくない。即刻、二人を引き離すべきだ。
(だが…)
ハロルドは腕を組み、塔からの景色に目を向けた。
(あんな姿を見せ付けられてしまっては、何も言えないじゃないか…。)
『ちょっとふざけただけだ。』
あれはライマーを心配させまいとした台詞だった。直前まであれほどの錯乱状態にありながら、必死で大丈夫なフリをするカレル。そして、そんなカレルの全てを包み込んだライマー。
『そんなことはどうでもいい。』
どうでもいいはずなどない。さっきまであんなに動揺していたのだから。でも、そんなことは微塵も見せず、自分からキスしてみせた。少しでもカレルの心を軽くするために。
二人の互いを思いやる気持ちが痛いほどに伝わってきた。
そんな二人の想いを誰が『間違っている』と否定できるだろうか。
(もっとも、受け入れるには時間がかかりそうだが…。)
ハロルドはそんな事を考えながら、塔を後にした。