ネルはアリアス復興に来ていた疾風の兵士と飲んでいた。よくネル達と世間話をしていた中年の兵士だった。話好きで、軍の内情なども冗談を交えてしゃべっていたのを思い出し、声を掛けたのだった。
「うちの部下達が、みんなおたくの団長にのぼせあがっててね。また来ないのかやら、アーリグリフに行きたいやら言い出して大変さ。」
「まあ、いつものこったね。」
「こっちでも相当もててるんだろう?」
「そりゃあ、もう。女達の視線を独占さね。女をとっかえひっかえ、よりどりみどり!」
「とっかえひっかえ?…誠実そうな感じだけどねぇ。」
「うんにゃ、か〜なり遊んでたようだぜ。それも一夜限りってやつで。それでも、女達からはいい思い出って事で恨まれもしねえなんて、くぅーっ!うらやましいねえ!ま、その分、男共から相当やっかまれてたみてえだからな。」
なんだか、アランに対するイメージが壊れた。
(男ってのはそういうもんなのかねぇ。…このことはクレアには黙っておいた方がいいね。)
と内心首をふり、無理やり納得した。
「それがある日突然、ぱったりとそれがなくなっちまって、それからあっという間に疾風団長にまで駆け上がっていったってわけよ。それまで、色話以外で目立つことなかったから、その豹変振りに、みぃ〜んな驚いたもんさ。」
「なんで豹変したんだい?」
「さあな。あの人と親しい人間ってのはあまりいねえからな。詳しい事情まではわかんねえよ。」
「へえ?」
またイメージが食い違う。あの人当たりの良さなら、友人なんかもたくさんいそうだと思っていたのだが。
「あの人、貴族出なんで、なんか皆と一線をひいてたっていうか。表面上は仲良くやってんだが、ふたをあけたら、誰もあの人のことを詳しく知る奴がいねえってな具合だな。…やっかみもあるしな。」
「全然親しい人はいないのかい?」
「うーん。一番親しいのはアルベルの旦那じゃねえかな。」
「アルベル?」
ネルは一瞬、意外な名前だなと思ったが、
「…ああ、そう言えば、アランが倒れた時、アルベルが来ていたね。」
と、この間のことを思い出した。
すると、男が声をひそめてきた。
「ここだけの話し、アランの旦那とアルベルの旦那はできてるんじゃねえかって噂がたってんだよ。」
「はあッ!?」
思わず声が大きくなった。
「しーっ!!!声がでけえよ!まあ、なかなか信じにくい話しだがな。でも、実際一緒に住んでるらしいぜ。」
アルベルってのは刀を振り回してりゃそれで幸せなんだろ、とそう思っていたのだが。
(あのアルベルと!?できてるって!?冗談だろう!?)
絶対に有り得ないと思いつつ、ネルは声をひそめて訊いてみた。
「まさか、アルベルってその気があるのかい?」
「いやー、そりゃわかんねえな。あの人はアランの旦那と違って、浮いた話は一度もきいたことねえんだ。だから、恐らくありゃあ、童貞だろうってみんな言ってんだがよ。で、みんな本当のところを知りたがってんだが、それを確認しようとする命知らずはいやしねえ。」
「ま、あいつにはその手の話はなさそうだよね。」
闘う以外に興味なさそうだ。女にやさしくしてるところなど、とても想像できない。
「いやいや。旦那のお臍、太ももに、もう夢中!っていう連中はかなり多いんだよ。もっとも誰も手出しは出来ねえがな。恐ろしくってよ。」
(まあ、確かにあいつは黙ってりゃ容姿はいい方…いや、かなりいいとは思うよ。黙ってりゃね。だけど―――。)
ネルは何だか眩暈がしてきた。
自分の分のお金を置いて兵士に別れを告げると、ふらふらと酒場を後にした。
情報によると、アランはよくここに買い物にくるらしい。ネルがそれとなくあちこち見て回っていると、運良く買い物袋を抱えているアランに出くわした。
「アラン!」
「ああ、こんにちは。お仕事ですか?」
「いいや。今は休暇中。」
現在のアリアスの状況などを少し話し、そう言えばという風に話しを持っていった。
「あのさ、そう言えば、あんたに聞きたい事があったんだ。」
「なんですか?」
「あんた、恋人はいるのかい?」
「はい。」
アランはつい先日アルベルとベッドで交わした言葉を思い出し、アルベルとの関係を恋人と言ってみたくて、そう答えた。その嬉しそうな返事に、ネルは、クレアに望みはないと確信した。
「相手はどんな人?」
アランがチラリとネルを見た。
「どうして…そんなことを訊くんですか?」
「うちの部下達があんたの事で騒いでてね。それを言えば諦めるんじゃないかって思ってさ。あんたがまたこっちに来ないのかってうるさいんだよ。」
「そうですね…。純粋で真っ直ぐな人です。」
『純粋でまっすぐ』という言葉をきいて、ネルは真っ先にアルベルを除外し、内心ほっとした。
「美人かい?」
「はい、とっても!」
「…幸せそうだねぇ。」
「そうですね。」
「ところでそれ。料理とか、自分でするのかい?」
目的を果たした以上、もう他に用はなかったので、ネルは話を切り上げるつもりで、アランが抱えている袋を示した。
「はい。」
ふーんと思いながら、ふとあの兵士が言っていたことを口にしてみた。
「そういえば、あんたアルベルと一緒に住んでるんだって?」
その途端、アランの目がすっと冷たい光を帯びた。
「一体何を探っているのです?」
笑顔を浮かべてはいるが、目は笑っていなかった。その氷のような微笑にネルはぞっとした。
「私の身辺を調査することに、何か意義でもあるのですか?」
「別に、そう言うわけじゃないよ。ただちょっと聞いた話を口にしてみただけで…。」
「誰に、どんな事を聞いたのですか?」
その声は、さあ言って御覧なさいといったような、あくまでおだやかな調子だったのだが、ネルは脅迫されているような気分だった。
―――恐い。
「酒場で飲んでて、人が話しているのを盗み聞きしたんだよ。それが誰かまでは知らないよ。」
「それで?」
アランに促され、絶対言わなければならないような気がした。アランの冷たい目が拒否や誤魔化しを許していなかった。
―――この目が恐い。
「別に?それだけさ。」
ネルが何でも無いようにそういうと、アランは、
「そうですか。では、酒場にいた方達に直接聞くことにしましょう。」
すっとネルに背中を向け、歩き出した。
(だめだ!こいつは何をするかわからない!!)
ネルは、そう直感した。
「待った!わかった。言えばいいんだろう!?」
(ふっ、思った通り、この手の女は人が傷つくのを見逃せない。)
アランは内心ほくそえみながら、にっこりと振りかえった。ネルはその笑顔に舌打ちしたくなったが、敢えて事実を包み隠さず話すことで仕返しすることにした。
「あんたとアルベルができてるってさ。」
その瞬間アランが息を吸いこむ音が聞こえた。
ネルは予想以上の反応に驚いたが、それでも尚、何かの冗談だろうという思いだった。
「…まさか…本当なのかい!?」
「目的は何です?」
もうアランは笑みを浮かべてなかった。ネルを冷ややかに見下ろしてくる。
(これが本当の顔ってわけか…。)
「別に目的なんてないよ。ただ本当にあんたのことを好きな奴が居て、その為にあんたの気持ちを知りたかっただけなんだ。大体そんな噂信じてなかったしね。ま、誰も信じてないんじゃないの?私は今だって信じられないしねぇ?」
(この女!!)
アルベルの名に過剰に反応し、深読みしすぎて墓穴を掘った。よりにもよって、どうして一番肝心な時に失敗するのか。アランは自分の愚かさをののしった。
(私達の関係を知られたことを、アルベル様はどう思われるだろう?やっと得たばかりの幸せをこんなことで失うわけにはいかない。…この女、どうしてくれようか。)
アランの目に冷酷さが増した。ネルは自分を警戒しているようだ。
(ならば…。)
と考えをめぐらせ、ネルの性格から情に訴えるのが得策と結論に達した。
「どうか、その事は内密に。」
「さあね。」
急に下手に出てきたアランをせせら笑った。
(私を脅した罰だよ。)
と余裕たっぷりにアランを見上げた。
「邪なのは私の方。アルベル様は関係ありません。」
「へえ?」
「私が一方的にアルベル様をお慕いしているだけなのです。」
「でもあんたさっき『恋人』って認めてたじゃないか。」
アランは内心舌打ちし、自分の迂闊さを呪いつつ、こうなったらネルを消してしまおうと考えた。
頭が物凄いスピードでその算段をし始めたが、その時、アルベルが自分にいった言葉が浮かんだ。
―――命ってもんがどれだけ重いか知っているか?
そして、そう言ったときのアルベルの瞳が浮かび、アランは溜息をついて、ほぼ出来上がりかけていた算段を放棄し、さっきの話を続けた。
「私がアルベル様にその思いを打ち明けた時、激怒されました。」
(…そりゃそうだろうね。)
アルベルの怒り狂う光景が容易にネルの頭に浮かんだ。
「そしてアルベル様は、自分に勝てば私の望み通りにしてくださるとおっしゃった。」
「あ、あんた、アルベルに勝ったのかい?!」
ネルは驚いた。この優男に、そんな実力があるとは思っていなかったのだ。
「あの人のやさしさにつけ込んだ、もっとも卑劣で卑怯なやり方で。でも、アルベル様は約束通り、私にご自身をくださいました。―――まるで物でも投げ与えるように。」
アランの最後の言葉にネルは黙り込んだ。
「それでも私はあの人が欲しかったのです。あの人が傷つくとわかっていながら、どうしても手放せず、必死ですがりつきました。でも最近ようやく少しずつ心を許してくださるようになって下さったのです。そんな矢先、あなたに知られたことを御知りになれば、きっとまた心を閉ざしてしまわれる。…どうか御願いです。」
アランは真剣な眼差しをネルに向けた。するとアランの思惑通り、ネルは折れた。
「わかった。…悪かったよ。」
アランはネルの表情をみて、うまくいったと安堵した。
(この女は口が堅そうだ。だが、こちらはもう大丈夫としても、噂の方を何とかしないと…。)
「だけど、あいつが純真で真っ直ぐって、私にはわからないね。」
痘痕も笑窪ってのにも程があるとは思ったが、アランの気持ちを思いやり、それは言わなかった。
「私だけがわかっていれば良いことですから。」
「…ご馳走様。」
ネルの情に訴えかけようという打算があったものの、アランは本心を語った。
やっと得た幸せを逃すわけにはいかなかった。
(アルベル様は私が守る!)
ネルと別れ、アルベルの待つ家に帰りながら、アランの頭は策を練り始めた。
ネルはアリアスに戻り、クレアを呼び出した。
周囲を見渡して二人だけなのを確認し、ネルは言い難そうに口を開いた。
「あのさ、残念だけど…。」
「いいの。わかってたから。」
ネルの顔を見ただけで、よい結果が得られなかった事はわかっていた。
「恋人…いるんだって。」
「ええ…。」
それは十分予測できていた事だった。
(でも、それでも!)
と溢れる思いをかみ締めていると、ネルが、
「あいつはやめといた方がいい。」
とキッパリと言い切った。
「え?」
「私も最初は、アランがいい奴なんじゃないかって思ってたんだけど、今回会って話してみて、それは間違いだったって思った。」
「どういうこと?」
「あいつは裏で何をやっているのかわからない人間だと感じたんだ。クレア、きっと傷つくよ。」
いくらネルの言葉に間違いはないと頭で考えても、アランの笑顔を思い浮かべてしまうと、どうしても感情がついていかなかったが、それでも理性でそれを強引に捻じ伏せた。
「そうね。あなたの人を見る目は確かだわ。いいのよ、もう諦めていたんだから。」
寂しそうに、でも笑顔をみせたクレアをネルはそっと抱きしめた。