小説☆カレル編---カレル・シューイン

カレルの父は代々学者の家系で、父も優秀な数学者だった。母は身寄りの無い街の踊り子。そんな二人の間の子としてカレルは生まれた。

子供の頃から勉強ばかりして育った世間知らずの父が、悪友に誘われ初めて知った外の世界で、酒場で踊っていた母と出会った。そして、母の明るく自由奔放な性格に強く心惹かれ、これは運命の出会いだと強引に母を口説き、周囲の猛反対を押し切って結婚したのだ。

若い二人は結婚生活に夢を膨らませ、最初の内は上手く行っていたものの、それは次第に綻び始めた。父は当然のように母の仕事を辞めさせ、母を無理やり家庭に閉じ込めようとした。だが、カレルの母はそれで大人しく捕まっているような、か弱い小鳥などではなかったのだ。

夫婦喧嘩も、これまで育った環境がまったく違うために、お互いの言い分がまったくかみ合わず、ただただ平行線を辿った。

母が父の強引さを男らしさと勘違いしていたことに気付き、その束縛を嫌って、籠を鋭いくちばしでこじ開けて自由に羽ばたこうとした時に、カレルが出来てしまったのである。

流石の母もしばらくは大人しく家庭におさまり、このまま二人は上手く行くかに思えた。だが、カレルが成長してくるに従い、再び二人の価値観の違いが、以前よりも激しくぶつかり合い始めた。父は自分の後を継がせようと、遊びたい盛りのカレルに勉強を強制しようとしたが、母はそれを良しとはしなかった。これまで歩んできた自分の人生がそうであったように、カレルの人生はカレルのものであると、真っ向から父の価値観を否定した。それが痛く父のプライドを傷つけ、ある日とうとう母に暴力を振るってしまった。

そして、母はカレルを連れて家を飛び出した。カレルが6歳の時だった。




親戚などなかった母は、友人やかつて自分の贔屓の客だった男を頼って点々とし、その間に、カレルには父親違いの妹ができ、そして、まったく血の繋がらない弟が1人出来た。虐待されていた子供を、母が見かねて強引に引き取ってしまったのだ。

そんな流浪生活の中で、母のいない時を狙って暴力を振るわれた事もあったし、まだたった6歳だった妹に手を出されそうになって、カレルは妹の手を引いて必死で逃げた事もあった。そういう男に限って、母の前ではいい顔をしていたのだ。だが、母は子供達が相手の男を嫌っていることを敏感に察知すると、すぐにそこを飛び出した。

辛い生活だったにもかかわらず、母はいつも明るい笑顔で、そして子供を何より大切にしてくれた事が、何よりの救いだった。そして母は自分の子供達を訳隔てなく受け入れてくれた男と再び結婚した。

そのころ既に13歳の思春期を迎えていたカレルには、今更他人を父と呼ぶことは出来なかったが、母の選んだ、この無口で穏やかな男が好きだった。何の躊躇いもなく「お父さん」と呼べる弟妹達が羨ましかった。

自分達を我が身よりも大切にしてくれる義父。どんな逆境でも明るく決してめげない母。程なくして二人の間に男の子が生まれ、血は繋がらなくとも心の繋がった6人家族で、毎日賑やかに暮らした。家計はかなり苦しく、母と義父は独楽鼠のように働き、カレルも学校にも行かずに配達などの働きに出、6つ下の妹は家事を手伝いながら二人の幼い弟の面倒を見るという状態だったが、それでも皆幸せだった。




そして3年が過ぎた頃、16歳になったカレルは、突然軍隊に入ると言い出した。それを聞いた母は血相を変えた。

  「金のためにそれを選んだってんなら承知しないよッ!?」

  「違う。俺はグラオ様みたいに強くなりてぇんだ。」

それは半分本当で半分嘘だった。グラオ・ノックスと言えば、子供達が皆憧れる英雄だった。カレルも憧れた。グラオのように強くなって、家族を守りたいとずっと思っていたのだ。そして、それ以上に金が必要だったのである。軍隊に入れば、給付金が貰える。母はいつもどんぶり勘定で、どんな苦労も何とかなるさと笑い飛ばしていたが、父の頭の良さを受け継いでいたカレルにはそんな楽観視は出来なかった。弟達が大きくなりだしたことで食費がかさみ、一家6人で生活するにはもう限界だったのである。

カレルのそんな心の内を、義父だけは察したらしく、カレルと二人きりになった時、「すまん。」とカレルに頭を下げた。自分の稼ぎの乏しさのせいで、子供達にまで苦労させているのを申し訳なく思っていたのだろう。カレルはこの義父にだけは本心を明かした。

  「兵隊になったら当然危険な目にも合うし、死ぬことだってある。」

  「カレル…。」

深刻な顔つきになった義父がその先を言う前に、カレルは慌てて心配するなと笑った。

  「心配はいらねーよ。俺は簡単に死ぬようなタマじゃねぇ。何せ、あのかーさんの血を引いてっからな。」

あの肝っ玉ぶりは、息子であるカレルでさえも驚かされる。

  「…けど、もし万が一の時は、皆を頼む…って俺に言われるまでもねぇよな?」

だが、義父は若干16歳の少年の言葉を真摯に受け止めた。

  「オヤッサンのこと、今まで一度も『とーさん』って呼べなかったし、これからも言えねぇだろうけど、心ん中では父親だと思ってっから。」

義父の目に涙が浮かび、カレルをしっかりと抱きしめた。

  「無理するんじゃねーぞ。嫌になったらすぐ帰って来い。いつでも待ってるからな。」

  「ああ。」






こうしてカレルは16歳で一般兵として軍に入った。士官学校とは違って、学科試験も入学金も必要はない。士官学校はいわゆる将来の将校クラスを養成する学校で、要するにエリートコースであるのに対し、カレルが入った一般兵からでは、どんなに叩き上げて頑張ったとしても、せいぜい下仕官どまりだ。

一般兵に入ってくるのは、カレルのように家が貧しい者、士官学校を落ちた者、どこも雇って貰えない札付きの悪などが殆どで、士官学校生を目の敵にしている連中が多い。

カレルも、自分よりも頭の悪い人間が、金があるという理由だけで自分の上につくというのが面白くなかったのだが、何事も家族の為だと割り切り、兵舎での辛い生活にも歯を食いしばって耐えた。

朝から晩まで厳しい訓練、そしてその合間を縫って、一応学科もある。計算どころか、読み書きさえ出来ない者が多かったためだった。カレルには父のお蔭で学があったため、学科の点ではまったく苦労せずにすんだ。

そんな、とてもお利巧とは言えない連中との共同生活では、いじめなど日常茶飯事だったのだが、カレルは落第ギリギリの者に絶対ばれないカンニングの仕方を教えてやったり、出来の悪い者を嫌みったらしくいびる下仕官に一泡食わせてやったり、そんな面倒見のよさと悪知恵のキレのよさから友人も多く、周囲からは一目置かれた存在となっていた。

兵舎で2年間の訓練を終えると、身分は一等兵となり、正式に軍に配属される。疾風、漆黒、風雷のどの軍に属するかは、兵士の希望した通りになる。これはアーリグリフ13世が考え出した制度で、兵士達は皆誇りを持って希望した軍下に入るため、各団ごとの士気が上がり、一致団結させることができるという、実に合理的なやり方だった。

しかし、ここ最近、英雄グラオの人気の影響で、疾風の希望者が多過ぎて定員オーバーとなり、疾風を希望した者に関しては、能力、資質で振り分けられることになっていた。カレルも当然グラオのいる疾風を希望したのだが、カレルにコケにされたことを根に持っていた教官らによって、あろう事か第三志望だった漆黒に配属されてしまった。カレルは明らかに参謀タイプであり、肉弾戦主体の漆黒よりも疾風に入るべきだったのにもかかわらずである。教官に敵を作り過ぎたのが災いしたのだ。

その卑劣なやり口に憤慨する友人らをなだめながら、カレルは内心さすがに少々落ち込んだが、母譲りのプラス思考で、かけがえの無いの友情を手に入れられたのだからそれで良しとすることにした。

後に、この時自分を漆黒に入れてくれた事を心底感謝することになる。






漆黒に入って、カレルはその内情に暗澹とした気分になった。

ここの団長は脳ミソが筋肉で出来ているらしかった。お気に入りの言葉は気合と根性。

兵士達に理論を無視しためちゃくちゃな訓練をさせ、それが出来ないと気合が足りないと殴られた。その結果、体を壊したり、精神を病んだりする者が続出した。

完全に年功序列体制がしかれ、目上の者には何があっても絶対服従しなければならない。これを笠に着た無能な連中は、自分が常に上に立つために自分よりも頭が良い部下や能力のある部下に目を付け、通称『落ちこぼれ組』に入れて徹底的に叩いた。カレルも勿論、初期の段階で『落ちこぼれ』のレッテルが貼られ、そこに追いやられた。兵士の人格を頭から否定し、ただの手駒としか見ていないやり方に、カレルはどうしても我慢ならなかったのだ。

『落ちこぼれ組』は他の者のように訓練は受けられず、与えられる仕事は洗濯や便所掃除、草むしりなど、雑用係としてこき使われていた。そして、扱いも奴隷並みだった。カレルはその誰もが嫌がる仕事をやるのは仕方がないと諦めていたが、それをやっていく内に自尊心を失ってしまうことが何よりも恐ろしかった。

その恐れていた通り、その仕打ちに耐え切れなくなった同輩達が、命よりも大切だと言っていたプライドを放り出して、上官に尻尾を振ってみせたり、それが出来ずに志半ばにして団を去っていったりするのを何度も見送った。そして最初はいいヤツだった仲間の性格がどんどん歪んでいくのを目の当たりにして、その度に、カレルはこの理不尽さに怒りで身を震わせた。






カレルが落ちこぼれ組に入れられて一年が過ぎた頃、アーリグリフ国全土が震える衝撃的な事件が起こり、それがカレルの人生を大きく変えた。

グラオの死である。

これはカレルにとっても大きなショックだった。

カレルは一度だけ、グラオに直接会った事があったのだ。

話は数ヶ月前に遡る。

カルサア修練場の入り口の所で、カレルは一人黙々と草をむしっていた。高熱を出して倒れた落ちこぼれ仲間を休ませてくれと申し出たら、その代わりにここを一人でやれと命令されたのだ。他の落ちこぼれ仲間達は自分達の仕事で手一杯だった。

落ちこぼれ組に入れられた人間は、大抵数ヶ月もすれば『素直』になっていく。だが、カレルは一向にそうなろうとはしない。取り立てて反抗したりするわけではないのだが、他の者のように媚をうらないところが、上からしてみれば面白くないことだったらしい。生意気なヤツだと常に目を付けられ、特に苛められていた。

  『えいッ!やあッ!』

  『いッち、にぃ、さん、しぃ!ごう、ろく、しっち、はち!』

ここからだと漆黒の隊員達が訓練している声が聞こえる。普通の者なら、自分は一体何をやっているのかと屈辱を感じる所であろう。だがカレルは、あんなメチャクチャな訓練をさせられるより、こちらの方が遥かにマシだと考えていた。元々漆黒に憧れて入ったわけでもなかったし、家族のために働いているのだと思えば、それは我慢できた。

ただ、自分より無能な者たちに何故これ程までに蔑まされなければならないのか、何故こんな奴らに従わなければならないのか、理不尽な思いをずっと抱え込んでいた。漆黒で自分がこんな扱いを受けていることを家族には絶対に話せなかった。弟妹達は漆黒で立派に勤めていると思い込んでいる。そんな弟妹達にとって、カレルは自慢の兄だったのだ。そんな家族に嘘をつくのが辛かった為、カレルは家には時々手紙を送るだけで、殆ど帰っていなかった。

  「くそッ!!」

カレルは引き抜いた草を遠くに投げた。この広大な範囲の草をむしりを一人で終わらせるなど、無理な相談だった。

  (あーあ。雲はいいよなぁ。)

青い空にぽっかりと浮かんだ雲を眺めながら、もう意地を張り続けるのもどうでもよくなってきた。その時、背後から声を掛けられた。

  「何やってんだ?」

その声にしゃがんだまま振り向いて、カレルは硬直した。何と、かのグラオ・ノックスがそこに立っていたのである。

  「!!」

カレルの心臓が跳ね上がった。憧れの英雄が今目の前にいるのだ。カレルは頬を高潮させながら急いで立ち上がった。その偉大な存在感、そして眩しいほどのオーラに圧倒される。カレルは生まれて初めて、心から最敬礼をした。

  「草むしりであります!」

  「ほう。草をむしってたら強くなるのか?」

グラオは、この若者が何らかの罰を受けていることは見てわかっていたのだが、新米が一体何をやらかしたのやらと、軽い気持ちでからかってやろうと思ったのだ。ところが、カレルはキッと顔を上げた。

  「なりません!」

そのきっぱりとした返答とその力強い瞳にの奥に、静かな怒りが潜んでいるのを感じた。それは、理不尽な思いを募らせている者の目だった。何か察するものがあったのだろう。グラオはしばらくカレルを見つめ、静かに諭した。

  「…要は考え方の問題だ。不屈の精神を鍛えてると思えばいい。心を鍛えるのは体を鍛えるより遥かに難しいことだ。それをするチャンスを貰ったと思え。」

  「!」

その瞬間、ずっと腹の中でどろどろと煮えたぎっていたどす黒い感情が、自分を高め得る、遥かに高尚なものに変わった。

  「お前、名は何だ?」

  「カレル・シューインです!」

  「カレル。信念は最後まで貫けよ。己の弱さに負けるんじゃねーぞ。」

  「はいッ!!」

そのたった一言で、カレルは心が浄化された気がした。たった一言で救われたのだ。カレルの目から大粒の涙がこぼれた。グラオはそんなカレルの肩をポンと叩いて去っていった。




この時のグラオの言葉がこれまでカレルを支えてきたのだった。そして、いつかグラオのように強くなって、この恩返しをしたい、そう思っていただけに、グラオが死んだと聞かされて、今度こそ絶望のどん底に突き落とされた。

その日の夜、カレルは数少ない荷物をまとめ、夜の闇に紛れて修練場を抜け出した。どこかで仕事を探し、そこから家に仕送りをするつもりだった。だが、かつてグラオと出会った場所に来た時、カレルの足がぴたりと止まった。あの時の事がまるで昨日の事のように思い出される。

カレルは夜空のに光る満天の星を見上げ、声を殺して泣いた。

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