小説☆アラアル編---初恋(9)

  「我々は断固抗議する!」

未だ補修されないままの広間で、旧幹部達がレンガを積んだだけの壇上に立ち、その内の一人マルック・ベイエルが群集を前にして声を上げて演説していた。

  「副団長でありながら任務時間を限定するとは何事か!今は亡きシェルビー閣下はいつ何時でも戦いに臨めるよう、常に甲冑を付けておられた!それに引き換え、現副団長を名乗る男の、何たる腑抜け様か!そのような者が副団長など、我々は決して認めん!」

そこへライマーが姿を現すと、それに気付いた者が次々と道を開け、壇上への道が出来た。それに気付いたマルック・ベイエルは言葉を止めた。皆、固唾を飲み、事の成り行きを見守っている。ライマーはその中を歩きながら、壇上の旧幹部らの面々を見渡した。バツが悪そうに目を伏せる者、まったく目を合わそうとしない者。そんな中、マルックは胸を張ってライマーを見返した。何か文句あるか、と全身でそう言っていた。

ライマーは言った。

  「主旨はわかった。今から一人ずつ話を聞こう。」

ライマーはそれだけ言うときびすを返した。その背中に向かってマルックが言った。

  「話ならここでしようじゃありませんか!皆も副団長殿の言い分を聞きたいだろう?」

ライマーはぴたりと立ち止まった。その場の誰もが一触即発の空気になる事を予想したが、ライマーは振り返ると静かにこう言った。

  「こちらに言い分などない。話があるのは貴公らの方ではないのか?」

確かにライマーは『話を聞こう』と言っただけだ。マルックは言葉を詰まらせた。ライマーは再びきびすを返しかけ、

  「ああ、いや、一つだけ言うべきことがあった。」

と、周囲の者達に目線を向けた。この若き副団長が一体何を言いだすのか。大半が警戒や敵意、そしてかすかな期待の視線が入り混じる中、ライマーの落ち着いた声がすっと通った。

  「私の方針に反する意見を持ったからといって処罰することはない。聞くべき意見には耳を傾け、改めるべきは改める。今後、何か言いたいことがあるなら、直接私のところに来るように。身分は問わない。」

その瞬間、その場にいた多くの者たちがライマーに傾倒したのを、後ろに控えていたシキは肌で感じ取った。そして執務室に引き上げるライマーに付き従いながら、(流石だ…。)と笑みを浮かべた。



執務室に一人呼ばれたマルックは、ライマーの前で憤然と椅子に座ったまま黙り込んでいる。ライマーはしばらく待ったが、自分から口を開くつもりはないのだとわかり、ライマーの方から問いかけた。

  「話したいことがあるのではないか?」

  「…。」

  「話しにくいならこちらから質問をしようか。」

マルックは返事をしなかったが、ライマーは構わず質問を投げかけた。

  「何がそんなに不満なのか。」

  「…。」

  「何を言っても咎めたりはしない。安心して思いの丈を言うといい。」

その、こちらを理解するといった言い方が、マルックには上から目線の態度に見え、それが癪に障った。

  「ふん、落ちこぼれ風情の若造が…!」

マルックはかつて、落ちこぼれ組を散々馬鹿にし、こき使った者の一人だった。ライマーも当然それは覚えていたが、不問に付していたのだった。

  「要するに、自分よりも格下の者に従うのが気に入らないのか。」

  「それだけではない!副団長としてもっと相応しい方がいるにも関わらず!団長の子飼いが突然やってきて、事情もわからん癖に偉そうに命令するわけだ!腹が立たぬわけがなかろう!」

マルックは最早ライマーに対する敬語を放棄したようだ。

  「その相応しい者とは?」

  「その方に迷惑が掛かるのに、言えるわけがなかろう!」

  「迷惑?どんな?」

  「はっ!とぼけおって!裏から手を回して消すつもりだろう!」

  「そんな事をして何になる?私の第一目的はこの組織の建て直しだ。それを遂行する為に必要な事は何でも取り入れるつもりだ。有能な者は当然重用する。」

話を理解できているのかいないのか、頑ななままのマルックの表情を見て、ライマーはもう一歩踏み込んで説明した。

  「実際のところ、団長派から人を引っ張ってきた方が簡単だった。その方針について来れない者は切り捨て、ついてくる者だけで改革を進めるというやり方だってあった。だが、そうやって切り捨てられた者はどうなる?方針は違えど、同じ旗を掲げる漆黒団員に変わりはない。改革が必要なのは貴公らもわかっているだろう?これから時代はどんどん変わっていく。その節目である今こそ、過去の事は水に流し、未来を見据えて共に改革していこう。私が単身でここに来たのはそういう意図からだ。」

その筋の通った話の内容に、マルックはひるんだ様子を見せた。

  「もし、その者が副団長につく事で建て直しがスムーズに進むなら、潔く席を譲ろう。」

  「ふん!副団長になるには団長の推薦が必要だというのにどうやって譲るつもりだ!?シェルビー閣下を目の敵にしていたあの若造が、こちらの推薦した人物をそう簡単に受け入れるはずがない!」

あの若造とはアルベルの事だ。そして、アルベルはシェルビーを目の敵になどしていない。全く相手にしていなかった。だがそう訂正すると話がこじれるのでやめ、一言だけ言った。

  「それは私が何とかする。」

マルックは今度こそシンと黙り込んだ。この男なら本当にそうするかもしれない、と思ったからだ。それはライマーが嘘やごまかしをいうような人間ではないという、それはある種の信頼であるのだが、マルック自身は気付いていない。

  「その者の名は?」

ライマーが尋ねると、マルックの表情が再び頑なになった。

  「…私の口からは言えん!」

口の堅い男という役に酔っている、そんな雰囲気だ。

  「そうか。では他に言いたいことは?」

無理に聞き出そうとするかと思ったらあっさり引き下がった事に、マルックは気勢をそがれたようだった。急いで考えを巡らすもそこには何もなく、

  「……ない。」

と答えるしかなかった。ライマーは控えていたシキに言った。

  「次の者を呼んでくれ。」



マルックが口を割らなかった人物の名は、別の者の口からあっさり聞き出せた。

  「次期副団長として相応しいのは、それは勿論、ヘンリー・ボスマン殿でしょう。彼は常に皆に気を配っておられ、我が団の行く末を真に案じておられる。彼こそ副団長となるべき人物だと私は思うのですが、彼にはいかんせん欲がないというか。皆も彼を推薦するというのに、自分はそのような器ではないと言われましてな。ま、そこが謙虚な彼らしいのですがね。そんな奥ゆかしいお方だからこそ、我等の方が積極的に働きかけてやらねばならんというわけですな。シェルビー閣下が亡くなって…あれは本当に突然でしたからね。信じられない思いでしたよ。皆が絶望し、こうなったらシェルビー閣下の後を追おうとそれぞれが手にナイフを持ったとき、彼が立ち上がってこういったのですよ!『こうして座っていて何なりますか?死んで何になりますか?我等が死んだらシェルビー閣下の遺志はどうなります?閣下の遺志を継ぐなら、今こそ立ち上がるべきでしょう!』と。いやあ、感動しました!それと同時に思いました。閣下の意志を継ぐのは彼しかいない、と!そもそも私が最初に彼と知り合ったのは…」

放っておいたら一人で何時間でもしゃべり続けそうな勢いに、ライマーは時計を見、10分経ったところで打ち切った。



  「副団長に就任された途端、何やら大変な事になっていますね。」

当のヘンリー・ボスマンがまるで他人事のようにそう言ったことに、ライマーは違和感を感じた。

  「皆、貴公の為にああして声を上げているようだったが。」

  「ええっ!?私の為に!?何故!?」

その心底驚いた風な態度。芝居であるようには見えないが、どこか薄っぺらい。

  「貴公を副団長にしたいのだそうだ。」

  「そんな、私など!そんな器ではありませんよ。」

ヘンリーはいやいや参ったと恐縮した。

  「皆さんが私を買ってくださるお気持ちはありがたいのですが、このような事態になるのは…。今は新だの旧だのと派閥争いをしている場合ではないでしょう? 皆が一致団結していくべきではありませんか?」

全くもってその通り。だが、その言葉にはまるで重みを感じない。ライマーは頭の中のメモに、要注意と書いた。



ライマーは最後にヴァレリオ・オリバスを呼んだ。幹部の中で、こちらに協力すると頭を下げた者だ。

  「ヘンリー・ボスマンについて教えてくれ。」

ヴァレリオは一瞬警戒心を覗かせたが、ライマーが口外しないと約束すると、しばし躊躇った後に口を開いた。

  「彼は一見謙虚そうですが、実際は全部自分の思い通りにする人なんです。」

ライマーはそれを聞いて、やはりそうだったか、と納得した。

  『本当のトラブルメーカーってのはな、台風の目の中にいるもんだ。周りはしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回されてるのに、本人は平和そのもの。一見、平和だから案外みんなから慕われてたりしてな。上手い言い回しで相手を動かして、全部自分の思い通りにしていくのさ。』

いつだったか、カレルがそう教えてくれた。

  (台風の目、か…。)

カレルは一体どうやってそういう事を学んだのだろう。今まで読んだどんな本の中にもそんな事など一行たりとも書いてなかった。カレルは元々人に興味があるとは言っていたが、その知識は一体どうしたら身につけられるのだろう。一度、じっくりと講義してもらおう、そんな事を思いながらライマーは続きを促した。

  「今回の事も発端はヘンリー氏です。でもその事に誰も気付かないし、調査してもヘンリー氏に非はないという事になるでしょう。だって、彼は『今の副団長について君たちはどう思う?』って言っただけなんですよ。それだけで事態はあそこまで発展してしまった。信じられます?」

ヴァレリオは暗い表情で首を横に振った。

  「毎度の事ながら見事としか言いようがない。それ故に恐ろしい。彼の一言で事態がどう転ぶかわからないのですから。…私の言う事、信じてもらえますか?…まあ、信じられないでしょうけど。」

ヴァレリオはどうせわかってもらえないという諦めの表情だ。ライマーはそんなヴァレリオの様子をじっと観察した。ヴァレリオは、人の気付かない事に気付く事ができる人間のようだった。だが人の気付かない事ゆえ、誰にも理解されず、これまで孤独だったに違いない。

シキがこの男をここに連れてきて最初に話したときは、こちらに頭を下げて家族の事を案じるばかりで、少々気が弱いのかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。色んなことに気が付きすぎて身動きがとれなくなってしまっていたのだろう。人を見る目はありそうだ、とライマーは判断した。

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