小説☆アラアル番外編---祭〜番外編2(2)

 「お願いします!」

アランが調理台の前に立つと、部下達が一斉に頭を下げ挨拶をした。上着を脱いであらわになったアランの体の線は実に優美だ。腰に巻き付けられた真新しい前掛けがしなやかな腰の線を強調させる。袖は手首まで、襟は首までと、いつもキチンと覆われているのが今は晒され、その着崩した感じがとてもセクシーだ。折り曲げられたシャツから伸びる、すらりとした腕。太くはないが、でも男らしさを感じさせる骨ばった肉質に、クレアの胸がときめいた。頭で理性的にどうこう考えていても、感情はまた別なのだとつくづく思う。

アランは並べられた材料をさっと見渡すと、バターに目を止めた。そのバターは分量どおりに量り取られて、既に使いやすいように柔らかくしてあった。だが、アランは、

  「これでは駄目です。」

と、新しいバターを保冷庫から持ってくるように言った。部下が急いで取ってくると、アランはそれを包丁でサイコロ状に刻み、小麦粉の入ったボールの中にコロコロと入れた。それを見た部下達は驚き、さわさわと耳打ちし合った後、代表者が恐る恐る口を開いた。

  「バターは硬い状態のまま入れるのですか?」

するとアランは部下の方を見もせず、手を動かしながら冷ややかに言った。

  「レシピには『固形バター』と書いてあるはずですが?」

  「は…!失礼致しました!」

部下達は恐縮し、レシピの『固形バター』の『固形』の文字に丸印を付けた。アランは刻んだバターを粉に揉みこむようにして馴染ませながら説明した。

  「体温でバターが溶けないように。パイ生地と同じです。」

部下達が一斉にメモる。それを見てカレルは思わず吹き出した。

  「何か?」

アランに冷たい視線で見られ、カレルは笑いを急いで引っ込めて「いえ、何でも。」と首を横に振りながら、疾風の抱える問題が思った以上に大きかった事に驚いていた。

メモを取るのは一人でいい。そもそもそれくらいメモしなくても覚えられる事だ。しかし、部下達は真剣そのもの。アランにその真剣さをアピールしているのが見え見えで、カレルにはそれが可笑しかったのだ。

  (しかし、笑い事じゃねぇな、こりゃ。)

部下達のこの極度の緊張といい、異様なまでの気の遣いようといい、実にいびつだ。 明らかに部下達はアランを恐れている。役に立たなければ容赦なく切り捨てられてしまう恐怖に縛られているのだろう。必死でアランの顔色を窺っているのが痛々しくてならない。こんなに萎縮していたら、本来の能力を発揮する事などできまい。この状況はよくない。カレルは一人考え込んだ。

小麦粉がバターを含んで黄色くぽろぽろとなったところに砂糖と刻みチョコレートを入れて五本の指先でさっと合わせると、そこに片手で卵を割り入れ、牛乳を加えながらフォークでざっくりと混ぜ合わせた。そして、それをフォークですくい、熱した鉄板に等間隔に置いていく。その流れるような手さばきに、一同惚れ惚れと見入っている。

  「後は約15分焼けばいいだけです。くれぐれも焼き過ぎないように。とがった部分が茶色に色づく程度が目安です。」

あっという間だった。散った粉は速やかに拭き取られ、使い終わったボールや器具はすぐさま流しへ。無駄な動きは一切なく、アランが調理を終えたときには、調理台は使う前の綺麗な状態に戻っているという完璧さ。とにかく、何もかもがスマート。アランは洗った手をタオルで拭きながら言った。

  「粉をふるう必要も、生地をねかせる必要もない、ごく初歩的なクッキーなのですが。」

それすらもできないのかという言外の意を感じ取り、ただ黙り込んでしまった部下達の表情の覇気のなさに、カレルは微かに眉を顰めた。今の疾風を歪めているのはアランのせいだけではない。それに立ち向かおうとしない部下達の方にも原因はある。

団長を誰よりも理解し、例えどんな状況でも最後まで味方となって支え、時には間違いを正して団長を団長として育てていくのも部下の仕事だ。なのに、誰もそれをしようとしない。

  (いや。もし、そういう奴がいたとしても、隊長がこの調子じゃ、のれんに腕押しか…。)

例え、誰かが真剣にアランのことを思って向き合おうとしても、アランは無関心にかわしてしまうだけだろう。聞く耳を持ってないわけではない。相手の言う事に理があればそれを取り入れる。ただ、そこに心の通い合いがないのだ。これでは仕え甲斐がない。利用価値がある間は利用され、それがなくなれば見向きもされなければ誰だって離れていく。結果、現在アランの周りに残っているのは、自分が単なる操り人形となっていることに気付いていない連中。利口な奴は、アランから取り立てられはしないが、切られることのない適度な距離をとっている事だろう。そいつらを中央に持ってくるには、やはりまずアランが変わらなければ。

アランを動かせる人間がいるとしたら、それはアルベルなのだが、それでは駄目だとカレルは思った。アランは、アルベルに対して完全降伏してしまうからだ。アルベルの言う事をただ忠実に守るだけでは、根本は何も変わらない。勿論、アルベルと心が通じるようになって、確かにアランは変わった。かつての様な、何をするかわからない危うさが最近はみられなくなった。もし時間を掛けられるなら、このままアルベルとの関係の中で一つずつ変わっていくのがベストだろう。

しかし、これは国が関わる事であり、今の疾風の状況からしても、そんなのんびりした事は言っていられない。 では、今現在、他にアランを動かせる人間は…とざっと見渡した結果、

  (…俺、か…。)

という結論しかなかった。アランが何故か自分を意識しているのをカレルは知っていた。妙に突っかかったり、殊更に無視したり、あの冷静なアランがカレルに対しては感情の揺らぎを見せた。生まれも育ちも容姿も頭脳も最上級と、全てのものに恵まれている人間が何をムキになる必要があるのか、カレルは不思議でならなかったが、とにかくそれは確かだった。

その、アランが自分に対して持つ対抗心を刺激してやれば、上手い方向に持っていけるのではないかと、カレルは考えた。

  (けど、それを俺がしなきゃなんねぇのか?そもそも、俺が首を突っ込んでいいもんかどうか…。)

カレルは漆黒の人間だ。他所の軍のことに口を出すなど持っての外である。

  (ん?いや、まてよ…?)

と、ここで『団長代理』という現在の自分の立場を思い出した。もしこれが代理となる前だったらなら、気になりつつも成り行きに任せて決して立ち入ろうとはしなかったろう。だが、気付けば今、仮にとは言え、アランに対して対等に意見できる立場にいるのだ。

  『これも何かの縁さね。』

母の言葉を思い出す。

  『やっときゃ良かったって思った時には遅いんだからね。』

今を逃せば、自分は関われなくなる。やるなら今しかない。



人にはそれぞれ、生まれ持った役割があるとカレルは思う。例えばアルベルの役割は、その絶対的な強さでもってこの国を守る事だ。アルベル・ノックスの名を聞くだけで敵は退き、それが平和に繋がる。

そして、カレルの役割は、これまでの人生を振り返ってみても間違いなく、人を育てる事にあると感じていた。子どもの頃は働きづめだった両親に代わって弟妹たちの面倒を見、兵舎では友人らの世話を焼き、落ちこぼれ組みの面々を精鋭部隊に仕立て上げ、アルベルを補佐しながら団長として育ててきた。

  (いや、「育てる」ってのは適当じゃねぇな。)

「未熟」イコール「劣っている」という事ではない。未熟なのは自分も同じ。ただ、自らが砥石となってぶつかることで、その未熟な部分を削りとる位はできるかもしれないと、必死の思いでやってきた結果、アルベルはカレルを遥かに追い越して成長していった。

そして、後はアルベルが自分の存在意義を自ら掴んでくれるのを待つだけとなった今。こうして疾風の現状を目の当たりにし、変革の必要性に気付いてしまった。そして、それをやれるかもしれない人間が自分しかなく、しかもやるとしたら今しかないのだとしたら。

  (やるっきゃねぇってことか…。…けど、気付きたくなかったなぁ、マジで。…つーか、誰か他にいねーの?)

他の適任者を必死で思い浮かべようとするも、ルーレットの針はまるで磁石のように自分の名前を指し示す。正直、アランとぶつかるのは気が重かった。

相手がアルベルだったなら、こんな気持ちにならない。大抵はこちらが筋を通せば耳に痛い事でも不機嫌になりつつ受け入れるアルベルも、流石に我慢の限界を超えた時には激怒する。だが、怖いと感じた事は一度もなかった。どんなに感情が昂ぶっていても、人としての道を決して踏み外さない安心感があり、何よりどんな時でも必ずどこかで優しさを感じるからだ。

だが、アランの場合はそうはいかない。まず、どんな反応が返ってくるのか全く予測できない。そして、踏み越えてはならない線を躊躇いもなく越えてくる。もしアランを暴走させ、取り返しのつかないことになってしまったらと思うと、正直恐ろしい。細心の注意が必要な上に、相当に胃の縮む思いをさせられる事だろう。アランのことをもっとよく知っていたら、もっと上手いやり方を知っていたら、せめてもう少し接点があったなら、などと嘆いている暇はどうやらないようだ。

  『ほら、ぐずぐずしてると、チャンスが逃げちまうよ!』

母の言葉に押されて、カレルはようやく重い気持ちにケリを付けた。結局は自分のやり方でやるしかない。

  「どいつもこいつも隊長の顔色ばっか窺って、自分で判断しようともしねぇ。こいつら一体なにやってんですか?」

カレルはいきなりそうぶちかまし、余裕たっぷりに笑ってアランを真正面から見据えた。

  「隊長の責任ですよ、これは。」

その場にいる全員が息を飲んだ。こんな風に部下の前で面子を潰されたら、普通顔色を変えるものだ。だが、アランは冷たくカレルを見据えるだけ。何を考えているのかわかりにくい。カレルはもう一歩切り込んだ。

  「全然部下を育てきれてないじゃないですか。…俺の部下を貸してあげましょうか?」

最後に付け足したセリフで、やっとアランの血相が変わった。さて、どうくるか。カレルが内心身構えていたが、アランは、

  「…結構です。」

と言っただけで、上着を取ってさっと出て行ってしまった。

とにかく、一石は投じた。これが何かの切欠になってくれればいい。カレルはそんな思いでアランを見送った。





カルサアに戻ったカレルは、早速部屋に閉じこもった。靴を脱ぎ捨てて椅子の上に胡坐をかき、引き出しからずっしりと分厚い紙束を取り出した。表には暗号で『人物辞典』と書かれている。その綴じていた紐を解くと、『アラン・ウォールレイド』のページだけを抜いて、後は元に戻した。

  (まだ、たったの1枚か…。)

アランについて知り得た情報は少ない。カレルはそれに今日のやり取りを書き加え、これから書き込んでいくための新しい紙を重ねて、それに表紙をつけて綴じた。そして、表紙の中央に、やや大きめの字でこの冊子の題名を書き込んだ。

  『アラン・ウォールレイド解体新書』

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