小説☆アラアル編---二つの国(11)

  「ガスラを漆黒に攻めさせる。」

ヴォックスはアランを部屋に呼ぶと開口一番そう言った。アランは我が耳を疑った。

  「ガスラは難攻不落の要塞。空からの攻撃が可能な疾風ですら相当な被害が予想されます。漆黒では無駄死にさせるようなもの…。」

だが、ヴォックスは不敵に笑った。

  「ククク、それが狙いよ。この機に乗じて、漆黒の勢力を削いでおけば、後々楽になる。」

  「しかし、漆黒がそう素直に動くでしょうか?何故疾風を出さないのかと言い出すはずです。」

  「勿論出してやる。漆黒との戦闘でシーハーツを疲弊させたところで疾風の飛行部隊を投入するのだ。ガスラは必要だ。あれを手に入れられれば、そこからの進軍が容易となる。」

ヴォックスは机の上に地図を広げた。

  「漆黒にまず北から攻めさせる。漆黒の攻撃により敵の注意を北に引き付けておいて、疾風飛行部隊は密かに南にまわり、山越えして一気に街に雪崩れ込んで挟み撃ちにする。どうだ、この作戦なら文句は言うまい。」

ヴォックスは自分の策に満足げに頷いた。確かにこれ以上の作戦はない。アランでもそうするだろう。だが、ここからが違った。

  「ところが、漆黒が攻撃を開始した頃、疾風は進軍途中に不測事態が発生し、到着が遅れるのだ。『疾風が到着するまで、現状維持。敵に勘付かせるな。』これで漆黒は攻撃を続けるしかなくなる。くっくっく。」

この案が余程気に入ったのか、ヴォックスはひとしきり笑ったが、アランは笑うどころではなかった。ヴォックスはドサクサにまぎれてアルベルを死に追いやるつもりなのだ。アランは無表情の仮面の下で、必死に代替作を考えた。

  「疾風が中々現れない事を不審に思い、軍を退いてしまうかもしれません。ここはシェルビー殿にさせては?彼なら何の説明もなくとも、単純に猛進してくれる事でしょう。」

だが、ヴォックスはそれには乗ってこなかった。

  「シェルビーはいつでもどうとでもなる。それにアルベルが死んだ折には、利用する必要がある。」

ヴォックスの頭の中では、この戦闘におけるアルベルの死が、既に決定事項となっているのだ。

  (このままではアルベル様が危ない。何とか漆黒の進軍を阻止しなければ。しかし、どうやって?)

この陰謀は自分しか知らない以上、他に洩らすわけにいかない。形に残る手紙は当然使えない。アルベルと直接話が出来ればいいが、アルベルと接触したとなると不審に思われる。ヴォックスは、自分の手足として忠実に動くアランの行動にすら目を光らせているのだ。

と、一つの手を思いついた。

  「シェルビー殿は本作戦から外された方が良いのでは?下手にしゃしゃり出てこられては、邪魔になる気がするのですが?」

  「放って置けばよい。どうせ大したことはできん。」

  「しかし、シェルビー殿は常々、アルベル団長を出し抜こうと躍起になっています。単独で飛び出し、先に攻撃を仕掛けるような真似をしないとも限りません。すでに戦闘が始まっているのに疾風が未だ現れていなければ、後から来たアルベル団長は警戒するでしょう。一応、団長を先に行かせるよう、話を通しておいた方が面倒が少ないと思われます。」

ヴォックスは成る程と頷いた。

  「だが、奴に策は洩らすな。あからさまに不審な行動を取られては困る。確かに、アルベルとその取り巻き共は少々厄介…。この事を気取られるわけにはいかん。全て極秘の上で、上手く事を運べ。」

  「は。」



アランはすぐさまシェルビーに書簡を送った。未発表の作戦を先に知らせた上で、何の説明もなくアルベルを補佐しろという、シェルビーにとって全く納得がいかない内容の手紙だ。返って来た返事は、

  「アルベルの奴を補佐だと?冗談じゃない!この俺が必ずや陥落させてみせると、ヴォックス団長に伝えろ!」

という期待通りのもの。アランは更にシェルビーを怒らせる手紙を書いた。

  『ヴォックス様はガスラを非常に重要な拠点とお考えです。本作戦では失敗は許されません。まずはガスラ陥落を第一と考えて頂きますよう。』

先の手紙の流れからすると、「ガスラ侵攻はアルベルに任せ、お前はその邪魔をするな。」という内容になっているが、取り様によっては「ガスラ陥落すればよい。ガスラを落す事が出来ればヴォックスは喜ぶ。」という内容にもとれる。

この手紙に対する返事は無かったが、手紙を渡してきた部下の報告では、シェルビーは怒り狂い、「小姓風情がヴォックスの名を盾に偉そうにしやがって!この俺を馬鹿にするな!目に物見せてくれる!」と息巻いていたとのことだった。これでシェルビーは「我こそがガスラを陥落してやる!」と鼻息を荒くしながら、作戦開始と同時に、ガスラに向かって猛進してくれるだろう。

ヴォックスは怒るだろうが、アランは既にヴォックスにはシェルビーを外せと進言をし、シェルビーには書簡にて勝手な行動を控えるように釘を刺すなど、すべき事はしている。責任は、進言を聞かなかったヴォックス本人、そして忠告を無視して勝手な行動に走ったシェルビーにある。

シェルビーがどうなろうが、ガスラを落とせようが落とせなかろうが知った事ではない。アルベルさえ無事でいてくれればそれでよかった。

ただ、この思惑が確実に上手く行くかどうかは不安が残った。少なくともアルベルに、先走るシェルビーを見送って貰わなければならない。そして、疾風の不審な動きに気付いてもらわなければならない。

  (こんな回りくどい事をせず、直接知らせる事が出来たらいいのに。アルベル様とお話ができたら…)

それが出来ない歯がゆさ。どうしたものかと頭を抱えていて、アルベルの腹心、カレル・シューインに考えが行き着いた。アランが漆黒に編入したいと申し出た時に、下手な鼻歌を歌いながら部屋に入ってきて、ろくにこちらを見もせずに「駄目。」の一言で編入を却下した男だ。噂では相当に頭の切れる人物らしいのだが、実際はどうなのかはわからない。見た目は全く軍人らしくなく、場違いな世界にフラフラと迷い込んできた遊び人のように見えた。そんな人間に、ヴォックスの計画を明かす事は出来ないが、何かがあることを匂わせる事くらいは出来る。一応はあのアルベルの参謀であるのだから、多少は頭を働かせるだろう。

  (そんな当てにならない相手を当てにしなければならないとは…。)

アランは自分の無力さに、深い溜息を付いた。





ガスラ侵攻の作戦会議当日。

アランはいつも以上にアルベルが城に来るのを心待ちにした。アルベルの後ろには、きっとカレルがついてくるはずだ。三軍の長の会議の間、カレルが外で待機しているのを、世間話を装って近づくつもりだった。

いつものように会議が始まるぎりぎりになって、ようやくアルベルがやってきた。アルベルの歩き方は悠々としながらもしなやかで、その上、全く隙が無い。まるで鋭く空を切るようなオーラを発し、他を圧倒していく。アランは道を開け、敬礼しながらアルベルの姿を目に焼き付けた。だが、アルベルはアランにちらとも視線を送ってはくれなかった。

  (アルベル様…。)

手の届かぬ遠い存在。そのアルベルの後ろに、カレルが当り前のように、しかも、欠伸をしながらつき従っているのが目障りで仕方が無い。

アランはカレルの背を睨みながら、すっとその後に続いた。



アルベルが最後に会議室に入り、扉が閉まった。廊下にはアランとカレルのみ。またとないチャンスだと近寄ろうとした時、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。アランはさり気なく柱の影に身を潜めた。やって来たのはヴォックスの取り巻き連中だ。そのまま通り過ぎるかと思いきや、最悪な事に、カレルに絡み出した。

  「何でこんなところに便所虫がとまっているんだ?」

普段からアランの足を引っ張ってくれる連中が、ここにきて、またも邪魔をしてくれるとは。

  (この世から消えてしまえばいいのに。)

ジリジリした思いで話が済むのを待っていると、やがてカレルは相手を上手くかわして、そそくさとその場を立ち去った。アランはすぐにその後を追おうとしたが、連中の一人がアランに気付いた。

  「おい、アラン。先輩に挨拶もなしか。」

そう呼び止められては振り返らないわけにはいかず、連中のやっかみを含んだ厭味攻撃から開放されたときには既にカレルの姿はなかった。焦って城中を探すも、どこを探し回っても見当たらない。結局、会議が終わるまでカレルは姿を現さず、接触するどころか、話がある素振りを見せる事すら出来なかった。

  (何故、肝心なときにこうも上手く行かないのだ…。)

カルサアに向かって飛び去っていく飛竜を見送りながら、アランは拳を握り締めた。



ヴォックスはアランの行動一つ一つに目を光らせている。手紙も全て調べられる。そんな中では、大した手を打つことも出来ず、ジリジリと出陣の日が近づいてきた。そんなある日。

アーリグリフの城下町で長身の男とすれ違った。アランは思わず振り返った。いつだったか、アルベルがカレル・シューインではなく、この男を連れていたことがあったのを思い出したのだ。

普通だったらそのまま通り過ぎていただろう。だがその時は珍しく、種をまくだけまいてみようと思ったのだ。アランはその男に話しかけた。

  「あなたはご出身が、確かガスラの方でしたね?」

男は振り返り、挨拶程度に軽く笑顔を浮かべつつ、少し戸惑った表情になった。それはそうだろう、初対面も同然で、しかも、ガスラはシーハーツの領地なのだから。

  「…何故ですか?」

控えめで誠実な態度ながら、そうだとも違うとも言わない。相手から出来るだけ情報を引き出す際の常套手段だが。この男は当たりか…それとも外れか…一か八か。

  「いえ、ガスラまで行くのに陸路だとどれくらい掛かるのか、気になったものですから。」

すると、そこで初めて男は首を横に振った。

  「失礼ですが、どなたかと人違いされているのではありませんか?」

アランは少し驚いて見せた。

  「私は疾風のアラン・ウォールレイドと申す者ですが…貴方はカレル・シューイン殿では?」

  「いいえ。」

  「これは失礼しました。」

アランは頭を下げてその場を立ち去りながら、結局あの男が、「自分はカレル・シューインではない。」という事以外、何一つ情報をこちらに与えなかったことに気付いていた。ひょっとしたら当たりかもしれない。だが、これだけの事では何の期待も出来ない。どうせ何もわかりやしないだろう。アランは馬鹿な事をしたと自嘲し、それきりその事を忘れていた。





そして、ガスラ侵攻当日。恐れていた通り、漆黒はあっさりと出撃してしまった。しかも寄りにもよってシェルビーを出し抜いて先発するという最悪の形だった。置き去りにされたシェルビーはアルベルを猛然と追いかけ始めた。これではヴォックスの企みに気付けまい。

団長室でその報告を聞き、ヴォックスが満足げに頷くのを尻目に、アランはすぐさま部屋を出た。

  (漆黒の頭脳などと、よくもまあ言えるものだ。)

アランはカレルの無能さに舌打ちしながら、まっすぐに飛竜舎に向かった。密かに立てていた最終計画、ドサクサにまぎれて飛竜でアルベルを掻っ攫うという強硬手段を実行に移す為だ。今から出発すれば間に合うだろう。

その時、ヴォックスの部屋に向かって漆黒の兵士が駆けてきた。その顔色から、何かよくない知らせであることが推察された。

  「何かあったのですか?」

もしや、アルベルの身に何か起きたのかと血の気がひいたが、違った。鎧をよく見ると相手はシェルビー軍の兵士だった。シェルビーは自分の部下たちに自分のイニシャル模様を鎧に刻ませているのだ。全く紛らわしい。

  「土砂崩れにより道が塞がり、現在、シェルビー軍が立ち往生しています。応援を要請します。」

  「アルベル団長は?」

  「予定通り進軍中です。」

このまま予定通りにガスラに攻撃を仕掛け、予定通り疾風に不測の事態が発生、そしてアルベルだけが孤立してしまう。ヴォックスの思惑通りだ。

  (急がなければ!)

アランはその兵士を置き去りにしたまま、後の事など何も考えず飛竜に飛び乗った。



漆黒の通ったルートを辿る。その途中、シェルビーたちの姿が見えた。兵士たちが必死になって道を塞いだ瓦礫を撤去している。アランは自分の姿を確認されぬよう、高度を上げた。

  (これは…。)

崖が不自然に大きくえぐれているのに気付いた。上空から見ないとわからないだろうが、これは明らかに人為的なものだ。かなりの量の発破を使ったに違いない。シェルビーを出し抜く為にここまでするのか?

アランは時計を見た。既に攻撃が開始されている時刻だ。そして疾風からの知らせも届いた事だろう。アランはさらに急いだ。



やがて、望遠鏡越しに異様な光景が目に入ってきた。ガスラがあるであろう場所に、色とりどりの煙が立ち込めている。そして、その外に弧状に展開する漆黒軍の姿。望遠鏡で素早くアルベルの姿を探す。すると、アルベルはその中心で簡易椅子に座って街の様子を眺めていた。取りあえずアルベルが無事だった事にホッとしつつ、気付かれぬように山陰に着陸し、身を潜めて様子を窺った。ここからでは全体の様子は分からない。だが爆発音がひっきりなしに轟いていることから、漆黒は街を破壊しているらしい。

煙幕といい発破といい、いずれも本作戦の予定には無いものだ。それらを予め、しかも大量に用意していたという事は…。アランは望遠鏡で周囲の様子を探った。退屈そうなアルベルの隣で、カレルがしきりに時計を気にしている。煙の中から続々と燻り出されてくる街人とシーハーツ兵士。それらを漆黒の兵士が次々と捕らえていく。

やがて、町の中から悲鳴のような音を発して一発の花火が打ちあがり、真っ黒な煙が物凄い勢いでもうもうと噴出してきた。それに答えるように、もう一発花火があがり、それを合図に漆黒は長々と続く捕虜の列を従えて退きはじめた。



アランは飛竜に乗ってガスラ上空を旋回した。風によって煙が吹き飛ばされ、次第に現れてきたガスラの光景に息を呑んだ。瓦礫の山の中に、街人がぽつりぽつりと取り残されている。これ程の短時間で、ここまで完全に破壊し尽くしてしまうとは。これは明らかに計画的だ。

アランはすぐさま飛行部隊のいる方角に進路を変えた。ガスラ陥落を知らせるために。

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