小説☆アラアル編---二つの国(12)

  「隊長が謎かけした男、それが俺の親友だったもんで。」

親友と聞いて、ライマー・シューゲルの顔が思い浮かび、それがその時の男の顔と重なった。

  「私が何を伝えたかったか、ちゃんとわかったのですか?」

たったあれだけの会話で。カレルは頭を下げて礼を言った。

  「お陰さまで。」

本当だろうかと、アランはカレルを疑わしげに見た。

  「あの…?」

さっきから二人だけの会話をするカレルとアランに、クレアはおずおずと話しかけた。すると、アランとカレルが交互に説明し始めた。それはクレアにとって驚きの内容だった。

  「あの要塞にはヴォックス前団長が目を付けていたのです。手に入れられれば、非常に有利。しかし、陥落するのは至難の業。飛行部隊である疾風ならばそれが不可能ではありませんが、相当の被害を受ける事は予想されました。それを見越した上で、漆黒に攻撃命令を出したのです。漆黒が攻撃をしかけて、あなた方の注意を引きつけているところに、背後から飛行部隊を投入する作戦でした。」

  「一見、最良の作戦だが、俺らにしてみればちゃんと疾風が来てくれるのかっていう不安があった。ヴォックスはガスラが欲しいはずだから、いくらなんでもそこまではしないかもしれない、けどしそうな気もする。どうしようかと悩んでいたところに、アラン隊長から『空路との時間差に気をつけなさい。』っていうメッセージが入ってきて。」

アランはちらりとカレルを見た。アランがわざわざ教えてやるまでも無く、疾風が作戦通りに現れない可能性を、既に視野に入れていたのだ。カレルの事を知っている今なら、それは当然の事だと言える。そして、あんなにもアルベルの事を心配したりはしなかった。そう思ったとき、アランの脳裏に一瞬、『信頼』という言葉が過ぎり、即座にそれを打ち消しながら説明を続けた。

  「理由をつけて疾風の到着を遅らせ、シーハーツ軍が漆黒との戦いに疲弊しきったところに乗り込み、空から総攻撃をかける予定でした。楽して手柄を横取りし、要塞も手に入ると思っていたところが、漆黒があっという間に、そして利用価値がなくなる程にまで破壊してしまった。その知らせを受けた前団長は、怒りのあまりに椅子の背をへし折っていました。」

そこにはいい気味だという響きがあった。クレアは、アランがヴォックスの事が嫌いだったと知って、少しほっとした。カレルも既にヴォックスを呼び捨てどころか、『奴』呼ばわりしている。ヴォックスとアルベルの不仲は知っていたが、味方同士でまさか命を狙われる程にまで決裂していたとは、思いもよらなかった。

  「利用価値がなくなった事で、あなた方は命拾いしたのです。ヴォックス前団長はアルベル様とは違い、情けなど少しも持ち合わせてはいない。女子供の区別も無く、抹殺されていたでしょう。」

カレルがそれに頷き、言葉を継いだ。

  「シーハーツだけでなく、漆黒にとっても危険な状況だった。ヴォックスの示した作戦は確かに理に適っている。理に適っているだけに、それを拒否したら元々危うかった旦那の立場が益々ヤバくなる。敵も味方も相当の被害が出るからやめましょうっていうのは通用しない。嫌でも命令に従うしかない。…それから、隊長からのもう一つのメッセージ『陸路』ってのが大問題だった。」

カレルが『陸路』と発音した時、アランは思わずカレルを振り返った。あの時、アランがライマー・シューゲルに対してわざと間違えた通りの発音だったからだ。目が合うと、カレルがにっと笑い、アランはバツが悪そうに目を逸らした。

それは哲学書に出てくる古語、『陸路』の語源である『切り開く』という意味の言葉だった。これを知っている者など、そうはいまい。アランはそれに『切り込み部隊』の意味も込めて使った。だがそれは、発音も語尾が少し違うだけで、単なる聞き間違いで済まされてもおかしくない程のものだ。現に、クレアもハロルドも気づいた様子はない。

  (優秀な人材とはこういうことか…。)

これまでアランはそれに重きを置いてこなかった。自分がブレーンとなり、部下はその手足でありさえすれば良いと考えていたからだ。だが、その考えの浅さを、今はっきりと痛感した。もし、信頼するに足る優秀な人間が傍にいたなら、もっと楽に、そしてもっと多くのことが出来たかもしれない。だが、自分の周囲を見渡して、目にとまる者などいやしない。それに対して、アルベルの周りにはどうだ。カレル・シューインといい、ライマー・シューゲルといい、これ程の人材を従えられるのは、アルベルだからこそ。格の違いを改めて見せ付けられた気分だった。

その間もカレルのペンが机の上をトントントンッと軽快に動く。

  「奴の命令どおりボロボロになりながらやっと要塞を落としたと思ったら、今度はそこを中継地点として軍を集め、漆黒に一気にシーハーツに『切り込め』と言い出す。しかし、そのルートは、飛行部隊ならいざ知らず、漆黒にとっては最悪。道が悪い上に、左右から攻撃を受けやすく、先にはいくつもの街がある。奴はそれを承知の上で、シーハーツ攻撃軍として漆黒にそこへ進軍せよと命令する。行ける所まで行かせておいて、途中で漆黒の兵力が弱まれば、疾風に吸収すればいい。王都まで進軍できれば儲けもの。旦那が死んでくれれば大助かり。…そんなこと考えてそうだなーと。」

最後の『死んでくれれば』のところで、カレルはペンをゆっくりと倒した。

  (そこまで正確に掴んでいたとは…。まあ…アルベル様の腹心というからには、そのくらいあってもらわなければ困る。)

アランは思わず驚嘆しかけて、同時にそれを認めたくない気持ちが強く働いた。『やっかみ』とはこういうものなのかと悔しさを味わいながら、気を取り直してカレルの予想が正解であると認めた。

  「その通りです。ただ、王都まで辿り着くとは全く期待していなかったようです。そして、アルベル様を亡き者にする計画は私の手で握りつぶす予定でしたが。」

アランが何故そこまでしてアルベルを救おうとするのか、その理由をクレア達に考える間を与えないように、カレルはさり気なく、そして素早く話を戻した。

  「あの要塞がなければ、補給ラインの確保が難しくなり、そこからの攻撃は断念せざるをえなくなる。つまり、そこから先の被害をガスラで食い止められるってわけだ。」

ペンをいじくりまわしながらしゃべっていたカレルは、そこで目を上げ、クレアを見た。

  「街は作り直せる。何もかも元通りっていうわけにはいかねぇけどな。…命を失くすよりもマシだ。」

  (あ…。)

クレアは戦争が終わって返還された捕虜の事を思い出した。漆黒から返還されてきた捕虜の数の多さは、アーリグリフ三軍の中でも群を抜いてた。カルサア修練場で処刑されたという情報により、生存は絶望的と思われていた者たちが、強制労働をさせられながらも生きていたのだ。

  「たまたま死者が出なかったからいいようなものの…。」

誉められたものじゃないとハロルドが首を横に振ると、カレルはむっとした。

  「たまたまなんかじゃねぇんですけど。」

  「あの状況でどうやって?」

『あの状況』という言い方から、アランがあの日あの場にいた事にカレルは気付いた。シェルビーをけしかけ、メッセージまで送ってヴォックスの策略を何とか伝えようとしたアラン。ヴォックスに『造反』の嫌疑を掛けられ、処刑された者が数多くいる中で、それこそ命がけだったはずだ。それなのに漆黒がヴォックスの思惑通りに進軍してしまった。どんなにアルベルの事が心配だっただろう。そのときのアランの心情を考えると、微笑まずにいられなかった。

  (ホッントに旦那の事が好きなんだな…。)

何故そこで笑うのかと、アランが怪訝そうな顔をしたので、カレルは顔を引き締めて説明を始めた。

  「まず、大量の煙幕で視界を遮りました。周りが見えない状況では耳が頼り。そこに派手な爆発音が起これば、見えない不安から人はパニックに陥ります。そんな時に『こっちが安全だ。』と言われりゃ、そっちに行きたくなるもんです。ところが行ってみたらば目の前に漆黒軍。相手は情け容赦ない殺戮部隊というイメージから、大抵はもうダメだと抵抗する気力を失う。例えそうならなくても、下手に攻撃すれば一緒に集まってしまった街人まで巻き込んでしまうことになると思えば、手も足もでなくなる。」

人の心理と行動を巧みに利用した作戦。カレルはそこでちょいと肩をすくめた。

「…もっとも、旦那の姿を見た途端、みんな大人しくなりましたけどね。」

あの戦闘で、多少の怪我人は出たが、奇跡的に死者は出なかった。あの時捕らえられてしまった部下も、戦後釈放され、皆無事に帰って来た。それだけは救いだと思っていたが、それは奇跡的でもなんでもなかったのだ。最初から、殺さないようにという意図があったのだ。

それを知り、漆黒との数々の戦いを思い返してみると、今まで腑に落ちなかった事がようやく理解できた。全滅させられてもおかしくない局面で、漆黒がそれをしなかったり。非戦闘員を解放するという殺戮部隊らしからぬ行動も、捕虜を殺さず生かしておいたことも。タイネーブとファリンを助けに行ったネル達を見逃し、バール山脈においてもタイネーブとファリンを殺さず、しかも大した怪我も負わせなかったというアルベルの不可解な行動も、すべて不思議ではなくなる。

相手は自分よりも遥かに多くのことを考えていた。しかも何と敵である自分たちの事まで考えてくれていたのだ。

  (それに引き換え、私は…。)

その時、カレルの手からペンが滑り落ち、机の上をコロコロと転がってきた。随分使い込まれている。握り手には文字が彫りこまれてあった。

  息子 カレル へ

クレアがそれを拾い、その文字をじっと見つめていると、カレルが言った。

  「親父が買ってくれたんだ。大事にしてた本を売った金でな。」

父親は息子に精一杯の贈り物をしたのだろう。しかしお世辞にも上等な物であるとは言えない。普段自分が何気なく使っているペンの方が遥かに質が良い。この国の貧しさを象徴するようだ。じっと考え込むようにそれを眺めていると、

  「それ、壊してみるか?」

何を思ったか、カレルがとんでもない事を言い出した。

  「え!?大切な物なのでしょう?」

  「まあな。」

突然何を言い出すのか。クレアは急いでペンを返した。カレルはそれを受け取ると、ペンに掘り込まれた文字を大事そうに指でなぞった。

  「どんな理由があったにせよ、俺はこういう大切な想いまで一緒に壊してしまった。」

次の瞬間、カレルは手に力を込めた。

  「!」

クレアがとめるまもなく、バキッという音ともに、ペンが真っ二つに折れてしまった。クレアは勿論、ハロルドも、アランでさえも驚いていた。カレルは折れてしまったペンを机の上に置くと、

  「俺は二度とこういうことを繰り返したくない。」

と、クレアをまっすぐ見つめた。

  「二国が手を結べるのは今しかない。本当に平和になれるかどうかの瀬戸際なんだ。どうか協力して欲しい。」

大切な物を失う悲しみを承知の上で、しかし命には代えられぬと選んだ選択。その罪の意識にどんなに苦しんだ事だろう。カレルの心の痛みがクレアの心にダイレクトに伝わってくる。

もし自分がその立場にいたとしたら。そんな辛い選択をする事が出来ただろうか。いや、きっと自分が傷つくのを恐れ、ずるずると先延ばしにしていただろう。何か他に方法はないか。きっとあるはず。そうこうしている内に事態は悪化し、結果最悪の事態を招いていたかもしれない。そう、ガスラの時のように。

  「ごめんなさい…。あなたを追い詰めてしまって…。」

クレアはただただ目を伏せた。だがカレルは笑ってくれた。

  「別に追い詰められたりはしてねぇよ。ただこうしたら、ちょっとは気が済むかなー、なんてな。」

カレルは笑いながらペンをポケットにしまった。まるで1フォル硬貨をしまうような気軽な動作。飽くまでクレアに気を遣わせまいとしているのだ。

  「あなたはどうして軍人になったのですか?」

こんなにも人を傷つけまいとするような人間が、どうして軍なんかに入ったのだろうと思っての質問だった。だがその答えは簡潔であった。

  「金が欲しかったから。」

  「…軍人以外に選ぶ道はなかったのですか?」

  「たかだか10代の若造に、家族を養えるような金をくれる職業といったら軍人しかなかった。」

  (そんな理由で…。)

そう思ったのが顔に出ていたらしい。

  「国の為になんて、そんな立派な奴、ほんの一握りだ。」

とカレルが笑った。

  「下々のもんは大抵、親が病気とか、借金抱えてるとか、食うに困って仕方なくとか、そんな理由で軍に入るんだ。それでシーハーツに勝てば豊かになれると信じこまされ、戦争に駆出されていった。でも現実はそんなに甘くなかったんだ。」

こちらが多くの命を奪ってしまったのだって事実。だが、カレルはその事を一言も言わない。クレアは姿勢を正し、カレルをまっすぐに見つめた。

  「私たちの第一歩はあなた方を許す事…でしたね。そうできるように、そして本当の平穏が訪れるように、出来る限りの事をさせて頂きます。」

  「有難う。」

カレルがにこっと笑った。クレアも心からの微笑み返す。

この人は信じていい。例え何があっても信じられる。

今度こそ確信できた。

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