「何故、お主は踊らなんだ?」
祭りの概要報告書に目を通し終えたウォルターは、風雷が舞踏会に不参加になっている理由をハロルドにおもむろに問うた。
「は。アルベル団長に女装させるというふざけた趣旨に疑問がございまして。」
ウォルターの眉がピクリと動く。
「女装?」
「この事はそこには書かれておりません。王や閣下に反対されるのを恐れて、直前まで伏せておくつもりのようです。私は随分反対したのですが、強引に…」
ハロルドがそこで口を閉じたのは、ウォルターが手を軽く上げたからだ。ウォルターはゆっくりと手を戻しながら聞いた。
「それは誰の発想じゃ?」
感情を抑えた口調。どうやらウォルターの逆鱗に触れたらしいと、ハロルドの表情に緊張が走った。普段なら、ここで個人名を出すような真似は絶対にしないのだが、あの男の憎たらしさを思い出した途端、あっさりとその名を口にしていた。
「は。漆黒のカレル・シューインでございます。」
すると、ウォルターは顔を伏せ、幾度か体を振るわせた。ウォルターが笑っている事に気付いたハロルドは、ひどくうろたえた。
『王もウォルター隊長も乗ってくれるかもしれねぇって、何故考えない?』
カレル・シューインの吐いたセリフがまざまざとよみがえる。
(隊長が賛成なさるなど、まさか、そんなはずは…!)
だが、ウォルターは笑いをかみ殺しながら顔を上げると、成る程と何度か頷いた。
「まさか、あのアルベルに女装させようとは。面白い事を考えるものよ。」
「し、しかし、女装など、国の品位を損ないかねません!」
ハロルドは必死でウォルターを説得しようとしたが、ウォルターは、
「良いではないか。」
と一言の元にハロルドの言い分を却下してしまった。
「はっ!?い、いえ…しかし…」
「他愛ない遊び心じゃ。おぬしにはそれが足りん。」
そして、
「ワシに報告する程の事でもあるまい。」
と報告書をハロルドにつき返し、
「祭が楽しみになってきたわい。」
と、また笑った。
次の日の会議で。
「昨日は一時的な感情でものを言ってしまったが、やはり風雷だけ参加しないわけにはいかないと考え直しました。お手数をお掛けして申し訳ないが、検討をお願いできないだろうか。」
ハロルドがそう切り出した。クレアは、そんなハロルドのまっすぐに自分の非を認める潔さを快く思っていると、
「はー、成る程。結局ウォルター隊長にご報告したんですか。で、『参加しなさい。』と言われた訳だ。」
と、カレルがグッサリと横槍を入れた。ハロルドがギッとカレルを睨む。また決裂したら大変だと、クレアは思わずメッという顔で、カレルをたしなめた。
「そんな事を仰らないで下さい。折角協力すると仰って下さっているのですから。」
「けど、図星でしょ?…ねぇ、ハロルド次期団長候補?」
カレルはにやにやとしながら体を左右に揺らしはじめた。わざわざ人をおちょくるような態度をとるカレル、それにいちいちムキになるハロルド。まるで子どもだ。
(全く。男の人って、どうしてこんなに子どもっぽいのかしら。)
クレアは溜息を付いて、それと対照的なアランを見た。そう。アランにはそういう子どもっぽさを感じた事は一度もない。クレアはずっと、アランの方が年上だと思っていたが、実際は自分よりも一つ年下だと知って、ひどく驚いたものだ。
「しかし、そうなるとパートナーが足りません。シーハーツ側からもう一人出ていただかなければ。」
アランがそう指摘すると、それまでゆらゆらと体を揺らしていたカレルがぴたりと止まり、急に顔を輝かせた。
「アドレー閣下!」
「えっ!?」
カレルが挙げた名を、クレアは思わず聞き直した。
「ほら、武闘大会にも出てもらう訳だし。その流れで舞踏会にも出てもらえばいい。」
でも、そうなると男女の比が4対2になってしまう…と思っていると、カレルがへらへらと笑い始めた。
「あのオッサンが女装したら最高!」
「えええっ!?」
クレアは思わず大声を張り上げた。そして、自分を見るアランと目が合ってしまった。クレアはぱっと頬を染め、慌てて姿勢を正した。
「ほ…本気ですか?」
冗談は辞めて欲しい。だが、カレルはへらへらと笑いながら、「断然、本気。」と、全く本気には見えない態度でそう答えた。
「だって、そうしないと3対3にならねぇだろ?」
「で、ですが…。」
そこへ、アランが、
「その話、受けてもらえる当てはあるのですか?」
と、カレルに聞いてきた。
「さあ、わかりません。」
「わからないでは困ります。話が進まないではありませんか。」
軽く苛立ちを含んだアラン横顔を見たクレアは、ずっと認めたくなかった事をここにきて認めざるを得なくなってしまった。
この人は、話が進みさえすれば、他の事などどうでもいいのかもしれない、と。しかし、それでもやはりそんなはずはないという気持ちの方が強かった。
(…だって、アリアス復興の時には…。)
かつてアランは、過労で倒れるまでアリアス復興につとめてくれた。あの姿を忘れる事などできない。あれは絶対に嘘ではないはずだ。しかし、どうしても、カレルやハロルドに感じるようなあたたかさを、アランからは感じとることはできない。
『あいつはやめといた方がいい。』
そう、ネルが言った。ネルの言葉は確かだ。ひょっとしたら、アランの優しい笑顔を勝手に解釈していただけで、そこには最初から『あたたかさ』などというものは、なかったのかもしれない。
(でも……いいえ、今はそんな余計な事を考えるときじゃないわ。)
クレアはここが公の場であることを思い出し、気持ちを切り替えた。一方、カレルは、ここが公だというのをすっかり忘れ、楽しげに話をすすめた。
「じゃ、決定事項にしておいて下さい。俺が何とかしますから。まあ、あの人なら十中八九乗ってくれると思いますけどね。でも、もしアドレー閣下がだめだったとしたら…。」
カレルはくるっとハロルドに向き直り、指差した。
「そん時はあんたが女装して下さいね?」
いきなり自分を指名されて、ハロルドはぎょっとした。
「じょ、冗談じゃない!」
「公衆の面前で女装なんて、中々出来ることじゃない。ウォルター隊長も見直してくれるかもしれませんよ?『うむ、アイツは中々の男じゃ。』なんてな、はははは!」
「黙れッ!」
「は!ひょっとしたら、勢いで団長を譲ってくれるかもしれませんね。」
「黙れと言ってるんだ!」
ハロルドをからかって遊ぶカレル。本気で怒るハロルド。我関せずと、決定事項の中にさらさらとアドレーの名前を書き込むアラン。
(本当に成功するのかしら…。)
この三者三様たる男達を眺めながら、クレアはこの祭りの行く末を、そして二国の未来を本気で案じた。