小説☆アラアル編---祭(12)

部屋の中央に置かれた椅子にアルベルが憮然とした様子で座っている。テーブルの上には色とりどりの布。どれも最高級のものだ。貴族御用達の商人が自慢の品を次々と取り出し、アランに手渡す。それをアランが厳しくチェックしながらアルベルの体に当てている。

  「これは色が暗すぎる。そちらの生地を…。」

これがもう何度目だろう。アルベルはうんざりして言った。

  「さっきのでいいだろう?」

  「いいえ。あの色合いでは、お顔がくすんだ感じになってしまいます。」

  「どうでもいい。そもそも、一回しか着ねぇもんに、これほどの時間と金をかける必要はねぇだろう?」

  「いいえ、女装ということで引けを取るようなことがあってはなりません。すべてにおいて完璧でなければ。」

出た。『完璧』という言葉。こうなったらアランの気の済むまでひたすら耐えるしかない。それはダンスのレッスンで身に染みてよく分かったことだった。普段、決してアルベルに逆らわないアランが、アルベルの機嫌を損ねるのを承知の上で、「まだ完璧ではありません。もう一度。」と食い下がったのだ。アランは自分が納得するまで、一切の妥協を許さない。鋭い感性でとことん突き詰めていき、その類稀なる美的感覚をもって『完璧』とした時、それは至高のものとなるのだ。それはアルベルの剣に対する姿勢とよく似ていた。だから、できるだけその領域は守ってやろうと思っ…てはいるのだが、実際それに付き合うのは中々骨が折れる。アルベルは溜息を付いた。

  「…で?後どれくらいここに座ってればいいんだ?」

  「ドレスのデザインは出来ておりますので、生地が決まりましたら、後はそれに合う靴と宝石を」

アランの活き活きとした表情。部屋の模様替えをするときもこんな調子だ。家具の配置が大方満足のいくところに落ち着いた今は、カーテンや敷物をあれこれ付け替えては遊んでいる。

  「…お前、楽しんでんだろう?」

すると、アランはニッコリ笑って言った。

  「はい、とても。」

  「何が『はい、とても』だ、この阿呆!」

  「は、申し訳ありません…。」

アランは急いで謝ったが、アルベルが何に怒っているのか、何故不機嫌なのか、ちっとも分かっていないようだ。

  「女装だぞ、女装!わかってんのか!?」

  「はい。」

やはりわかってない。

  「俺が、女装などこれっぽっちもしたくねぇんだってのはちゃんとわかっているのか?」

  「はい。」

アランは神妙に頷いたが、やはりどこか噛みあってない。アランには時々こういう事がある。

  「大体、お前がこの企画を潰せば、女装の必要もなくなったはずだ。それを、カレルの野郎に上手くあしらわれた挙句、あろうことか」

  「そんな、あしらわれてなど…!」

思わぬアランの勢いにアルベルは驚いた。『あろうことか』に続くはずだった、『俺にとって最悪のこの状況を楽しむとは』というのがアルベルの言いたいことだったのだが、それを言うのも忘れてしまった。そして気付いた。アランがカレルに強い対抗心を持っている事に。

  「じゃあ、なんだ?実はお前も共謀してるのか?」

言葉のあやで深い考えもなしにそう言うと、アランが途端に動揺した。アルベルは、まさかという思いでアランを見た。

  「そ…そんなことは……」

  「…ないと言い切れるか?」

アルベルはアランを見据えながら低い声で聞いた。

  「そ…その…」

  「答えろ!」

鋭い命令に、アランは目を瞑って白状した。

  「言い切れません…申し訳ありません…。」

緊迫した空気の中、息を詰めて立っていた商人に、アルベルは、

  「下がれ。」

と命じた。商人は低頭し、すっと退出して行った。

カレルの企画を潰せる立場にあるアランが、それが出来なかったと謝ってきた時に気付くべきだった。考えてみれば、相手があのカレルとはいえ、アランほどの男がそう易々とやり込められるわけがない。カレルが余程のあくどい手を使ったのか。もしそうなら、到底許されることではない。カレルに対して今までに感じたことのない類の怒りがこみ上げてきた。

ぴんと張り詰めた空気の中、アランが酷く脅えているのが分かる。アルベルはアランをソファに座らせると自分もその横に座り、安心させるように優しい口調で尋ねた。

  「奴に何をされた?証文でも書かされたか?」

  「…いえ…。」

  「じゃあ、なんだ?」

  「元々、あなたと踊りたいという思いが強くあって、それで…」

  「それで奴に加担した?それだけの理由でか?他にあるだろう?」

  「…あ…の…」

  「言え!」

  「その…あなたの事を……詳しく教えてもらえるという…話で…」

  「…俺の事?」

  「あの男が知り得た、あなたに関する全ての情報です。私はどうしてもそれが欲しくて…。」

  「何だそれは?」



事の顛末を聞いたアルベルは呆れた。

  「あの野郎…こそこそとそんなものを書いてやがったのか。」

実は人の心が読めるのではないかと、内心カレルを不気味に思っていたのだが、タネを明かせばそんなことだったのか。しかもそれに『アルベル・ノックス解体新書』というふざけた名を付けているという。奴のしそうなことだ。そして、

  「お前もそんなもんに釣られてんじゃねぇよ…。」

馬鹿馬鹿しくて怒る気も失せる。だが、アランは深刻な表情で言った。

  「『そんなもの』などではありません。私にとっては国宝以上に価値があるものです。それを他人が持っているなど…私の知らないアルベル様を知っているなど……許せない。」

アランは唇を噛み締めた。悔しさを噛み締めるかのようにしばらくそうしていたが、やがて言った。

  「認めたくはありませんが、あなたの事を一番理解しているのはあの男です。…私ではなく。」

アランにそう言われて、確かにそうかもしれないとアルベルは思った。気付けば、カレルとは長い付き合いだ。アルベルが漆黒の団長となってからこれまで、誰よりもアルベルと真剣に向き合い、どんな時でも全力で支えてくれた。アルベルの事を良きも悪きも知り尽くした、言わば最大の理解者と言える。ゆるぎなく強い信頼関係がそこにはある。だが、それはアランが思い描いているような甘いものではない。

相手のことを思うがゆえに、カレルは人に対して非常に厳しい。その厳しさは相手の精神力に比例して増していく為、アルベルに対しては特に厳しかった。 悪いところを遠慮会釈なく指摘し、それに臍を曲げて突っぱねれば、ぐうの音も出ないほどに言い分を論破され、それを認めざるを得なくなるまで、こちらの欠点を執拗に突きつけ続け…

  (…思い出したら腹が立ってきた。)

それで何度衝突したか。激昂してカレルに掴みかかったアルベルを他の幹部が止めに入ったのも一度や二度ではない。それでもカレルは一歩も引かない。アルベルの首根っこを掴んで、情け容赦なく自分の姿を直視させる。結局、負い目があるアルベルの方が引かざるを得なくなり、そうやって受け入れたくない自分の欠点を強烈に自覚させられてきた。その結果、大きく成長できたと自分でも思う。アルベルに対してそこまで出来る人間は他にはいない。だからこそアルベルはカレルを常に傍に置いているのだ。もし道をあやまりそうになっても、カレルが命をはって軌道修正してくれる。そう信頼しているから、安心して前に進むことができるのだ。

アランにその役ができるかといえば、それは無理だと言わざるをえない。そもそもカレルとはスタンスが違う。アルベル自身、アランに対してそういう事は求めていない。自分をまっすぐに愛してくれる。それだけで良いのだ。だが、アランは悔しそうに言った。

  「私だって、もっとあなたの傍にいることができれば、あの男などよりもっとあなたを理解し、支えることができたはずです。たまたま疾風に入ってしまったが為に、それが出来ないなど、悔しくてなりません。それで…その…その情報を手に入れられれば、最早あの男の出る幕などなくなるのではないかと…思って…。」

  「そんなもんを欲しがる前に、直接俺に聞けばいいだろう!?何でそんな悪趣味なもんに………」

そこでアルベルはハタと気付いた。面倒臭がって話そうとしないのは、他ならぬ自分ではないか。

  「…成る程、俺のせいか。『余計な事は言うくせに肝心な事を話さない。』」

そして、『それが相手を不安にさせる』。アランは不安なのだ。だから、見当違いにもカレルと張り合おうとするのだ。

  「そんな!あなたが悪いわけでは…!」

一生懸命アルベルを擁護しようとするアランの頭を、アルベルはいきなりがっと掴むと、髪を思いっきりくしゃくしゃにした。

  「アルベル様…?」

あまりに突然のことにアランは戸惑った。普段一部のスキもないアランが、クシャクシャ髪で不安げに自分を見ている。それがなんだか可愛くて、思わずふっと笑うと、アランの目から不安の色が消えた。たったこれだけのことで。

改めてガシャガシャと頭を撫でてやると、アランは幸せそうに微笑んだ。アランに望むのはこれだ。

  「その情報…俺によこせ。」

アルベルはくしゃくしゃになってしまった髪を手ぐしで戻してやりながら言った。

  「それが…。手に入るのはこの祭りが終わってからなのです。」

  「今すぐ取り上げて来い。」

  「それが、私に知られても良い別の暗号に書き直しているらしく…。」

  「暗号か…。くそっ、厄介だな…。」

カレルの暗号をよく知っているアルベルは、大人しく待つしかないのを悟った。

カレルは『大』が付くほどの暗号好きで、これまで解読不可能といわれた様々な暗号をパズル遊び感覚で解き明かし、自らも多くの暗号を作ってきた。一つの事に異常なまでにのめり込む人間が、それこそ好きなことに没頭した訳だから、そのやり込みたるやまさに尋常ではない。既存のありとあらゆる暗号を収集して解読し、それを分析して細かく分類分けしたものが、既に数冊の本が書けるほどの量になっている。それで大方の傾向を掴んでしまうと、更にそこからどの種類にも属さない、全く新しい暗号を次々と作り出しているのである。その中から、カレルは自分用と他人用とで暗号を使い分けている。他人用に作った暗号は、覚えやすく使いやすいのに、鍵がなければ解読不可能という、実に優れたものが多い。ただし、その鍵を手に入れれば誰もが読めてしまう為、カレルはそれを自分用には使わない。自分用として好んで使うのは、無駄に難解な為に使い勝手が悪く、しかも意味が二重にも三重にも取れてしまうような、暗号としては不完全な、いわゆる駄作の部類に入るものだ。カレルは完成されたものよりもそういった不完全なものを好み、その暗号の不完全な部分に自分しか知りえない情報を入れ込むことによってそれをもう一つの隠れた鍵とするなどして、巧みに使いこなしている。また、自ら『無駄に』と評するようにその難解さは半端ではなく、暗号解読のエキスパートが頭を寄せ合ったって解読の手がかりすら掴めないほど複雑で、例え解法を教えてもらったとしても、高度な知識を持っていなければそれを完全に理解することは困難。それをクリアしてようやく読めたとしても、いくつもの意味に取れてしまうときては、最早その内容を知る手立てはない。アランに見せたあの数式の暗号がそれで、驚くべき事にカレルはそれを普通の言語のように操る。いちいち解法を通さなくても結果はこうなると、もう覚えてしまったらしい。しかもそれが一つや二つではないのだ。手帳用の数式暗号は人目に晒される危険が高いので特に難しく作ったらしいが、他のがそれよりも簡単だからといって、それが簡単に解読できるような代物である訳がない。 アルベルは諦めてドサッとソファにもたれ掛かった。

  「じゃあ、それからでいい。奴から受け取ったらすぐにもってこい。」

  「…私もそれに目を通してよければ。」

アランは懇願するように真剣な目でじっとアルベルを見つめた。

  「仕方ねぇな。」

そんなに見たいなら仕方がない。それに自分で暗号を解読するのは面倒だということでそれを了承してやると、アランはホッとして微笑んだ。アルベルはそんなアランの頭を小突いた。

  「喜んでんじゃねえよ!俺は怒ってるんだ!お陰で俺は恥を晒さなきゃなんねぇわけだからな!」

  「いいえ。私の威信を掛けて、あなたに恥などかかせません。」

アランはもう脅えていなかった。アルベルの気持ちが十分に伝わったから。

  「女装の時点で既に赤っ恥だろうが!」

  「そんなことはありません。あなたは誰よりも美しいですから。」

  「そういう問題じゃねぇ!」

  「…そうですか?」

小首をかしげるアラン。要するに男のプライドというものがまるでわかってないのだ。考えてみれば、アルベルもアランについて知らない事の方が多い。だが、それで構わないと思う。そういうのは徐々に分かっていけばいいことだからだ。まあ、誰よりも知っていたいという気持ちもわからなくはないが。

  (それにしてもカレルの奴め…!)

チェシャ猫のようにニンマリと笑うカレルの顔が思い浮かぶ。今回の女装といい、本当にろくでもない事をしてくれる。

  『アルベル・ノックス解体新書』

果たしてそこに何が書かれているのか。

それを知るのが少し怖くもあった。

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