オレストは団長室の前に立ち、大き目の音でノックした。返事がない。ドアを開けて、本当に誰もいないのか確認する。
(いた。)
団長席は空だったが、その傍に置かれている机には、案の定カレルが座っていた。一心不乱に何かを書いている。
近寄って覗き込むと、文字を線で繋いだり囲ったりして出来た図が紙の上に広がっていた。カレル特有の細かい文字でびっしりと何枚も。暗号だから内容はわからないが、考え事をしているというのはわかる。思いついた事を片っ端から紙に書いていき、それを図にする事で思考を視覚化しているのだ。これをやっているときはいくら声を掛けても無駄だ。オレストは手の平でカレルの視界を遮った。
カレルは長い時間一つの姿勢でいたせいで凝り固まってしまっていた体を、うーんと伸ばしながらオレストの話を聞いた。
「絵画展?ああ、いいぜ。」
漆黒の出し物としてオレストが持ってきた企画をカレルはすぐに許可した。
「しっかし、お前がそんな高尚な趣味を持ってたとはな。」
カレルが感心すると、オレストは照れくさそうに笑った。実はオレストは子どもの頃から絵が好きだった。自分で描いたりもするが、それよりも人の絵を見る方が好きだった。そこに描いた人の個性が現れているからだ。だが、趣味が絵画鑑賞などというと、漆黒の気風に合わない気がして、これまで何となくそのことを黙っていたのだ。カレルはざっとオレストの企画書に目を通すと、許可の印としてサインをし、それを返しながら言った。
「そんかわり、お前が仕切れよ?」
「はい。それじゃ、早速描いてもらいたいんですけど。」
オレストは画用紙の束をカレルに差し出した。
再び思考の世界に埋没しかけていたカレルは、ぱちぱちと目をしばたいて画用紙を見つめた。事態をつかみかねているようだ。
「………何を?」
「絵ですよ、絵。」
「は?…俺が?」
「それと、団長も。」
オレストはニカッと笑った。
オレストは漆黒内で早速絵の募集をかけた。テーマは『祭』と『平和』、そして漆黒が何より大切にしている『遊び心』。この三つの内から選んで自由に描いてもらい、それをテーマに分けて展示しようと考えた。
そして、漆黒の代表であるアルベルとカレルの二人には、それに加えて別の題材を出した。動物、風景、自画像だ。絵を4枚もというのは少々厳しいかとは思ったが、二人がどういう絵を描くのかずっと興味があったので、これを機会にいろんな絵を描いてもらいたかった。
(減らせって言われたらどう対抗しようか…)
そう心配していたのだが、事態は思わぬ方向へ進んだ。
動物のテーマで、不気味な魔物などを描かれては困る(この予測不能な二人には有り得る事だし、もしそうなってしまっても描き直せとは言えない;;)ので、犬、猫、鳥、サル、魚、ルム、飛竜と、無難なものの中から一つ選んでもらおうと、オレストはあらかじめリストを書いていた。それを、何を思ったかアルベルは全部描くものだと勘違いしてくれたのである。それは願ってもない事だったので、オレストは素知らぬ顔で成り行きに任せた。
「俺らだけ多過ぎねぇか?しかも動物ばっかり。」
カレルの当然の突っ込みに、
「お二人の絵は特別展示コーナーに飾る予定ですから、枚数がいるんですよ。」
と誤魔化した。
「特別展示コーナーね…。」
カレルの納得いかない様子に、オレストは内心ドキドキしていたが、
「雪だるまの次はお絵かきかよ…。」
とアルベルがぶつくさと言いながらも絵に取り掛かったので、カレルもそれに倣わないわけには行かず、しぶしぶ席についた。オレストはホウッと胸を撫で下ろした。
「油絵の場合はキャンバスも用意してますからね。」
二人の為に色んな画材を準備しておいたのだが、アルベルは一番近くに置いてあった水彩画を選んだ。しかも下書きなしで、いきなり絵の具で描き始めるという大胆さ。とにかく何か描きゃあいんだろというのがありありと分かるが、アルベルはそれなりに真面目に取り組んでくれている。やはり漆黒団長、やるときはやってくれる、とオレストはホッとした。アルベルが意外に律儀な性格であるのは知っていたが、いつもカレルに仕事を押し付けて自分はサボっている姿を見ているだけに、ちゃんとやってくれるか実は不安だったのだ。いざというときにはカレルに何とかしてもらおうと思っていたのだが、それが全くの的外れな考えだった事をすぐに思い知らされることとなった。
問題はアルベルではなく、カレルだったのである。
オレストがアルベルとカレルの為にコーヒーを入れて部屋に戻ってくると、カレルは何やら真剣にペンの先で定規の目盛りをいじくっていた。定規なんて置いてたっけ?と思いながら声を掛けた。
「何してんですか?」
画用紙は白紙のままだ。
「目盛りが薄くなってる。」
「あー、目盛りを打ち直してるんですか。じゃ、それは僕がしますから、カレルさんは絵を描いてて下さい。」
オレストが定規を取り上げると、カレルはようやく鉛筆を手にとった。アルベルとは違って、まずは下書きから取り掛かった。
椅子の上に胡坐をかき、机に突っ伏す感じのいつものスタイルで最初の内は真面目に描いていたが、数分経った頃、アルベルの方を気にしだした。
「なんでそんな色に塗ったんですか?」
カレルはアルベルが描き上げた鮮やかなオレンジ色の犬を見て、不思議そうに聞いた。
「別に。薄めて肌色にしようと思ったら上手くいかなかっただけだ。」
「へぇ。で、周りは赤紫…ひょっとしてお花畑とか?」
「うるせえな!人のを言う前に、てめぇはどうなん」
カッとカレルの絵を睨んだアルベルは、次の瞬間、盛大に吹き出した。何とも奇妙な人面犬?が画用紙の隅っこで不気味に笑っていたからだ。
同じ部屋では、絵に覚えのある者達が集まって一心不乱に絵を描いていたが、突然起こったアルベルの笑い声に、一斉に振り返り、わらわらと集まってきた。そして、
「どうしたんですか?」
とカレルの絵を覗き込んだ順に、次々と撃沈していった。カレルの絵は妙に緻密で、細かい髭や爪先まで几帳面に描き込まれていて、“気持ち悪い”と“可愛い”が絶妙にブレンドされた、何ともいえない“キモカワ”テイストを醸し出していた。だが、オレストはカレルの絵を見ても笑わなかった。
「カレルさん、なんでこんなちっちゃく隅っこに描くんですか?団長みたいに、中央にどーんと描いてくださいよ。」
アルベルの絵は豪胆で大雑把。色や形状は適当なのにそれと分かり、活き活きとしたエネルギーに満ち溢れている。オレンジ色の犬の、何やらものを言いたげな目に、思わず微笑みかけたくなる。集まった者たちも世辞抜きで口々に誉めた。すると、途端にアルベルは不機嫌になった。
「うっとうしい!散れッ!」
アルベル特有の照れ隠し。皆、笑いながら自分の作業に戻って行った。
「…団長。画用紙、大きいのに代えましょうか?」
オレストがそういったのは、アルベルが次に描き始めた絵が、途中でちょん切れてしまっていたからだ。
「これでいい。でかいと色塗りが面倒だ。」
アルベルはぐちゃぐちゃと筆を動かしながら言った。筆の動きには一切の迷いがないため、絵はあっという間に出来上がる。そうして出来上がってみると、赤く大きな目が印象的な青灰色の猫が、ぎょろりと目を光らせて絵の世界からこちらを覗き込んでいるような絵になった。この迫力。絵を見ている者を狙っているのだろうか。その絵を見ている内に、自分が箪笥の隙間に息を潜めて隠れているような錯覚に陥る。すごい、と思った。こんな絵は初めて見ると、オレストがアルベルの絵から目が離せなくなっていると、
「そうだ、ここをこう切れば…」
というカレルの声と共にびりっという音がした。その不穏な音に振り返ると、カレルがとんでもない事をしていた。人面犬を画用紙からちぎり取ろうとしていたのだ。
「ああーっ!やめてください!」
オレストは慌てて取り上げたが、
「あぁ…遅かった……。」
画用紙には既に大きな裂け目が出来ていた。
「こうすりゃ余白が気にならなくなるだろ?」
「なら、せめてハサミで切るとか…!あーもう、これどうすんですか!」
オレストは裂け目をくっ付けようとしながら、いっそカレルの提案通り切ってしまおうかと悩んだが、やはりそのまま飾る事にした。この裂け目も、空間も絵の一部だ。
「もういいです…これで。」
「おっし!一枚完成!」
「完成じゃないですよ!色もちゃんと塗ってください!」
「ああ、後でな。」
そう言うや、カレルはフラフラと自分の席を離れて他の者達の絵を覗きに行った。
「うわっすげぇ!お前ら、上手いなー!」
カレルは感嘆の声をあげた。
「いやいや、カレル隊長には適いませんよ。」
「厭味か、この野郎!」
「いや、ホントですって!」
『遊び心』をテーマとして、写実的な騙し絵を描いていた青年も頷いて言った。
「ああいう味のある絵、描こうとしても描けないんですよ。」
「特に、団長の絵は凄い。」
「構図といい、配色といい…枠にとらわれないというか。」
「へぇ。素人の俺からすると、何で犬がオレンジなんだって思うだけだけどな。わかる奴が見るとわかるんだな。」
カレルが感心していると、
「カレルさん、自分の所に戻ってちゃんと絵を描いて下さいよ。」
と、いつまでたっても席に戻ってこないカレルに、痺れを切らしてオレストが呼びかけた。すると、カレルは、
「もう飽きた。」
とケロリとのたまった。
「飽きたって…まだ一枚しか描いてないじゃないですか。仕事はちゃんとして下さいよ!」
「へーい…。」
オレストに怒られて、カレルはすごすごと自分の席に戻った。人面犬を横に置き、新しい画用紙を出す。
「色塗りは?」
「後でする。」
とりあえず下書きだけして、後でまとめて色塗りをしようという魂胆らしい。作業としては確かにその方が効率がいいが、芸術としては…。だが、線を一本引いただけでもう気を散らし始めたカレルの様子を見て、オレストはそれ以上の要求は諦めた。
カレルはアルベルの絵を覗き込んで言った。
「旦那、何でニワトリが4本足になってんですか?」
猫を描き上げ、次の課題『鳥』を描いていたアルベルは、カレルの指摘に一瞬しまったという顔をしたが、
「いいんだよ、これで!」
と、そのまま強引に描き続けた。
「最早、違う生命体じゃないですか。」
「うるせぇな!」
「カレルさん、人の事はいいですから、自分のを描いて下さい。」
「はいはい。」
オレストが注意すると、一応は言う事を聞いてくれる。だが、それも数分と持たず、すぐに指の逆剥けを気にし始めた。
「時間がないんですから集中して下さいよ。早く自分の仕事に戻らないといけないんでしょ?」
「そう。本当はこんなことしてる暇はねぇんだ。」
「だったら早く仕上げて下さい。」
「わかってますよ〜。」
その数分後。カレルは窓の外をぼんやりと眺めながら言った。
「猫ってどんなだったっけな?ちょっと見に」
「行かなくていいです。」
「お手本見ねぇとわかんねーだろ?」
「いいんです、カレルさんの場合は。」
「なんで?」
「そう言って逃げるつもりでしょう?」
「そんな、決め付けてもらっちゃ困るなあ。」
「犬はお手本なしで描いたじゃないですか。」
そもそも、お手本があろうがなかろうが、出来上がる絵は一緒だろう。
「犬は見慣れてたからな。大体、絵ってのはお手本見ながら描くもんだろ?そうだ、風景画!風景画を描こう。」
何とか逃げようとするカレルに、オレストは切り札を出した。
「いい加減にしないとライマーさんを呼びますよ。」
これは効果絶大だった。
「ちっ。」
カレルは大人しく鉛筆を動かし始めた。だがそれも、もって数分。また気を散らす。その繰り返し。
オレストはカレルの見張り役に徹しながら、いつだったかライマーがちらっと言っていた言葉を思い出していた。
『アイツに興味のないことをさせるのは難しい。』
今、それがよーく分かった。まさかこんなにひどいとは思わなかった。いつものあのすさまじい集中力はどこへやら。今のカレルは子どもよりも落ち着きがない。没頭するあまり寝食を忘れてしまうカレルをどうやって休ませるかでいつも頭を悩ませていたのに、それがまさか、同じ人物に対していかに集中させるかで苦労しなければならない日がやってこようとは。
それからオレストがぴったり張り付き、せっついてせっついて、やっとカレルは猫の下書きを終えた。出来上がったのは人面猫。カレルはそれも下書きのまま、人面犬の絵の上に重ねて横に置いた。
(大きく描いてくれって言ったのに…。)
ちゃんと紙の中央には描いてくれてはいたが、サイズは人面犬よりも一回り小さくなっていた。背景も装飾も一切何も無く、ただポツリと人面猫が笑っている。要するに、カレルにとって、余白は無意味なものなのだ。だから、迷わず画用紙の隅に描き、オレストがそれに文句を付けたらそれを破りと取ろうとした。「中央に描け」と注文をつければその通りに中央に描いてくれたが、どこの位置に描こうが、カレルにとっては同じなのだ。こんなことなら、カレルにはもっと小さな画用紙を渡すべきだった。だが、今それを取りに行っていたら、その隙に逃げられかねない。
とにかく集中を途切れさせないように、オレストはさっと次の画用紙を用意した。カレルは溜息を付いて、その中央にポツンと豆粒のようなものを描いた。そして、それを人面猫の絵の上に重ねて置くと、疲れたと言いながら鉛筆を捨てて伸びをしだした。
(え?これで終わり?)
オレストは唖然とした。これはもしかしなくても鳥だろう。いくらやる気が無いからって、これはあんまりだ。
「……なんでこんなに小さいんですか?」
理由如何によっては本気で怒ろうと思っていると、カレルは人面猫を指して言った。
「猫がこのサイズなら、鳥はこんくらいだろ?」
オレストは三枚の絵を並べて見比べた。人面犬より一回り小さい人面猫。そしてそれらよりも更に小さい鳥。ということは、次のサルの絵はこのくらいの大きさ描くつもりか。そして魚・ルム・飛竜は…と思ったとき、
「あっ!」
とオレストは思わず声を上げた。カレルが定規を手にしていた理由。そして、人面犬が画用紙の左上隅に描かれていた理由。改めて最初の人面犬の絵を見ると、画用紙の端にはいくつかの小さな点が書かれていた。
(大きさの比を割り出してたんだ…!)
絵の小ささは自信のなさの表れだと思っていたが、見当違いもはなはだしかった。カレルは最初の犬の絵を描く段階で、既に飛竜を描くことを念頭に置いていたのである。飛竜をこの画用紙サイズに描こうとすると、犬や猫は確かにこのサイズになり、鳥はこの豆粒サイズになってしまうのだ。
(そうか、そういう人だった…。)
人よりも遥かに先を見通して、人よりも常に先の事を考えるカレル。改めて、すごい人だ、と思った。それが芸術的にどうかは別として。
(ん?ということは…自画像はどういうことになるんだろう?)
画用紙の中央に小さくぽっかりと浮かぶ顔を想像して、オレストは困った。大きな画用紙を渡すべきだったのはカレルの方だったのだ。
(あ、でもそうか。画用紙のサイズが変わればこの比も狂う。自画像の時には別の画用紙を渡してみよう。)
でもとりあえず、飛竜まではこの画用紙で統一しないと、この鳥の小ささの理由が分からなくなってしまう。
「じゃ、次は…」
サルの絵を描いてもらおうと振り向いたが、既にそこにはカレルの姿は無かった。
オレストはがっくりと肩を落とした。
数分後、カレルは逃走中のところをライマーの優秀な部下らによって速やかに捕獲され、キッチリ絵の前に座らされていた。その向かいにはライマーが座っている。真打の登場に、カレルはようやく観念したようで、今は真面目にサルの絵を描いている。
「こんなに落ち着きの無いカレルさん、初めてみましたよ。仕事の時には声掛けても気づかないくらい集中力があるのに。」
オレストがそうライマーにこぼすと、
「要するに、こいつは仕事を選んでいるんだ。苦手な事は実に上手く人に押し付けてる。」
と、ライマーがタネを明かしてくれた。それにアルベルが反応した。
「ほう?人には『仕事を押し付けるな』と偉そうに言っといて、テメェも同じ事してんじゃねぇか。」
主に被害を被っていたのはライマーだろう。オレストは呆れた。いつもアルベルに仕事を押し付けられて大変だなあなどと、カレルに同情して損した。似たもの同士、五十歩百歩。だが、カレルは轟然と反論した。
「違いますよ!ライマーお前、人聞きの悪いことを言うんじゃねぇよ!」
「口を動かしたければ手を動かせ。」
ライマーが厳しく睨む。カレルは言われた通り、手を動かしながら言った。
「苦手な事に下手に手を出すより、得意な奴にさせた方が効率がいいに決まってるでしょ?俺は出来る仕事はちゃんとやってます。」
「カレルさんの苦手な仕事って何ですか?」
「人前に出て」
オレストの質問にライマーが答えようとしたのを、カレルは急いで止めた。
「あああ!ばらすなッ!」
「何でですか?僕も知りたいですよ。」
アルベルも興味深げにカレルをちらりと見た。
「うるせーな!この絵破り捨てるぞ?」
カレルの脅しは本物だ。破ると言ったら破る。オレストは思わず慌てそうになったが、
「描き直す事になるだけだぞ?」
というライマーの冷たい一言に一発撃沈。
「ぐ…ちくしょー、覚えてろよ!」
(さすがライマーさん。)
オレストは、ライマーがいてくれて助かったと心底思った。
しかし、それでも集中力はなかなか持続しない。ライマーの手前、一応は手を動かしながらも、気持ちはアルベルの絵の方に飛んだ。
「ねぇ、旦那…ルムって黒色でしょ?角の向きもなんか違いません?」
アルベルの、角がいい感じに歪んだルムは紫色の不思議なマーブル模様になっていた。しかも背景では赤と緑が混ざりあっている。何を思ってこんな模様にしたのか凡人には理解できない仕上がりだ。一刻も早く終わらそうと筆を動かしていたアルベルは、いちいち突っ込みを入れてくるカレルをうるさがって、
「ほっとけ!お前が人の絵をどうこう言…」
と言いかけたところで、それ以上まともに言葉を発する事が出来なくなった。カレルの画用紙の真ん中に、目がうつろな小さい中年男が、大きな耳が付いた気ぐるみ被って所在なさげに立っていたから。
「おまッ…何で……オヤ…オヤジッ…」
「失礼な!これはサルですよ。ちゃんとバナナも描いてるじゃないですか。因みにメスです。」
「バッ…バナナッ……!」
よく見たら、足元に細長い物体がポツンと落ちていた。なんでそんなところに、しかも一本だけ描こうと思ったのだろう。
「そんなに笑う事ないでしょう?旦那のサルだって、変じゃないですか。サルの親指は向きがこうなってんですよ?俺のはちゃんとそうなってるでしょ?」
カレルは隣の机に並べてあったアルベルのサルの絵を指して言った。カレルは実に細かいところを気にしているが、絵的にはアルベルの絵の方がよっぽどサルらしい。だがアルベルは笑いすぎて反論するどころではなかった。
「カレル!団長の邪魔をするな!」
「邪魔なんかしてねぇよ。旦那が人の絵見て、勝手に笑ってるだけだ。」
「いいから、こっちに集中しろ。」
「もう疲れた。」
「じゃあ色塗りでもしたらどうだ。気分が変わるぞ。」
「…休憩は?」
「無し、だ。」
カレルは溜息を付いて色鉛筆を手に取った。
「ねぇ、旦那。何で俺ら、こんなことさせられてんですかね?」
呆れた風に言うカレルを、アルベルは涙を拭きながらじろりと睨んだ。
「俺の気持ちが少しは分かったか!」
アルベルはカレルの陰謀によって、女装させられ、ダンスを踊らされるのだ。カレルは頷いた。
「そうですね、ちょっぴり反省…。」
「大いに、だろうが!」
「はい、大いに反省。」
カレルはだらーんと机に突っ伏して、バナナを黄色に塗りはじめた。
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