■3日目■
武闘大会はアーリグリフで行われることとなった。闘技場としてはカルサア修練場が適していたのだが、市民感情への配慮からそこは避けるのが無難だということで、仮設の闘技場が作られた。武闘大会が終わったら、そこがそのまま舞踏会の会場になる。
それにしてもすごい賑わいだ。
一試合目はハロルド・ベッカーとシーハーツ抗魔師団『炎』団長、ルージュ・ルイーズの模範試合だった。二人は型通りに剣を打ち合わせている。
(ジジイの好みそうな演目だな…。)
アルベルは大きくあくびをした。
「アルベル、あの男の剣をしっかり見ておけ。」
隣に座っていたウォルターがアルベルをたしなめた。基本を守る事こそ上達の早道である。ウォルターの持論だ。確かに、まるでお手本のようではある。だが、
(面白味がねぇ。)
それを口に出すと話が長くなるので、ぐっと飲み込んだ。ここは客席の一番中央に設けられた貴賓席だ。上段に王とその妻ロザリアが、そして、ウォルターの隣にはクレアが座っている。アルベルの隣に座っていたアランは、ネルと共に次の試合に備えて、ついさっき席を立っていった。本来ならカレルもこの場にいるべきなのだが、アルベルをこの席に送り込んだ後、そのまま姿を消してしまった。
「きゃーーーッ!!」
ようやく退屈な演目が終わり、アランとネルが姿を現すと、客席から黄色い声が沸き起こった。ビリビリと空気を震わすその高周波に、アルベルは思わず耳に手をやった。
「アラン様ーー!!」
「ネル様ーー!!」
双方、女性陣にすごい人気だ。
「これは羨ましいな。」
王が感心してそう言うと、
「まあ!」
とロザリアが可愛く拗ねてみせた。
「はっはっは。冗談だ。」
王が笑ってロザリアの手を握った。愛情を持って微笑みあう。アーリグリフとシーハーツの象徴である二人のそんな仲睦まじい様子に、民は皆、憧れの眼差しを送った。
アランとネルの華麗な打ち合いが始まった。アランはそのすらりとした体躯に似合わず、大ぶりの大剣の使い手だ。しかし、大剣といっても、その剣には刃はなく、軽くする為に刀身にも空洞が設けられている。普通に使うとあっという間に折れてしまうが、そこに魔力を込めることで、鋼鉄をも貫く魔力の刃を作り出す。アランにしか使えぬ特有の剣だ。
アランがその剣を振るうたび、ダイヤモンドダストが空中に舞い、その美しさは見る者の目を奪う。だが、アルベルは眉間に皺を寄せ、苛立たしげに親指の爪をガリリと噛んだ。
「あいつ…。」
アランが本気ではないのを見てとってたのだ。あの女も中々の腕だが、アランが負ける相手ではない。しかし、やがて女に背後を取られ、負けてしまった。何か理由があるのかもしれないが、アランが負けるのは無性に腹が立った。
「アルベル団長、出番です。」
部下に呼ばれ、アルベルは荒々しく席を立った。
闘技場の入り口にはアランの部下が待機していた。アルベルはそれを自分の部下共々下がらせた。そうして、アランが戻って来るのを待つ。アランはアルベルを見つけるとすぐさま駆け寄ってきた。
「なんで本気を出さなかった?」
すると、途端にアランは申し訳なさそうな顔をした。
「そういう決まりだったものですから。」
「負けるのが、か?」
「はい。」
「けっ。面白くねぇな。」
「申し訳ありません。」
アランにこの顔をされたら、アルベルの負け。
「…まあ、いい。」
アルベルはもう怒ってない事を伝える為に、アランの肩をぽんと叩いてから会場に向かった。アランは自分の胸に手を当て、アルベルを見送った。
「あなたは勝って下さい。」
アルベルはちらと振り返り、ふっと笑った。
「当たり前だ。」
アルベルが登場すると、会場が一気に沸いた。先程とは打って変わって、男の野太い歓声が会場に響く。そこへ、
「漆ッ黒の舞ッ!!」
その号令と共に、漆黒の兵士達が一斉に応援歌を歌いながら踊り始めた。一糸乱れぬ動きは壮観だ。が、恥ずかしすぎる。
「それはやめろっつったろうが!!」
アルベルは手を振ってやめさせた。すると、応援はぴたっと止まった……かと思いきや、
「そんな照れ屋なところもーーッ!!」
前列の一人が声を張り上げた。それに、
「最高ッ!!最高ッ!!最高ッ!!」
と全員が続いた。会場がどっと爆笑した。これが誰の差し金か、考えるまでもない。
「ぶっ殺すぞ、このクソ虫共!」
アルベルの怒声が響く。だが、漆黒団はそんな事ではくじけない。
「団長ーにッ!殺されるならーーッ!!」
「本望ッ!!本望ッ!!本望ッ!!」
そうして再び漆黒の舞が始まった。王は手を叩いて歓んでいる。アルベルは顔を真っ赤にしながらそれに背中を向けた。
(カレルの野郎〜〜〜ッ!!マジでぶっ殺してやるッ!!)
応援歌が終わるまで、時間にしては短かったのだが、アルベルにとっては随分長いように感じられた。それがやっと終わったかと思ったが、
「アドレー・ラーズバード閣下のーッ!健ッ闘ーを祝してーッ!!」
と今度はアドレーへの応援が始まった。敵方に対する漆黒のこの心遣いに、シーハーツの方が驚いた。アドレー本人も、ほほうと感心している。
そうして、会場に不思議な和やかさが生まれたところで試合開始となった。
「中々粋なことをしてくれるのぅ。」
アドレーは満足げにアルベルに向き直った。アルベルは相手を観察した。50歳くらいだろうが、肉体の衰えは見えない。武器は刀か。しかし、その鞘と柄には、紐が幾重にも巻かれている。まだ刀を抜くつもりはないらしい。体に施紋が刻んであるところからして、施術使いであることは間違いない。そしてなにより、このみなぎる気迫と眼力は只者ではない。
「ぬしがグラオ・ノックスの息子か。」
「…父を知っているのか。」
まさか、かつての敵国の将の口から父の名が出るとは。
「若かりし頃、何度か対峙したことがある。」
「ほう?」
父が生きていればこのくらいの年になるだろうか。しかし、父の歳取った姿など想像できない。永遠に記憶の中の若い姿のままだ。
「息子の自慢話ばかりするイケ好かん奴じゃった。」
父が見知らぬ敵にまで息子自慢をしていたという事実を知らされ、アルベルは呆れつつもなんとも言えない温かい感情に包まれた。
「あの馬鹿親父め…。」
「しかし、細いのう!グラオも細かったが、ぬしはさながらモヤシのようではないか。そんな細腕で何が出来る?」
無遠慮に上から下までじろじろと見られながらこう言われてカチンと来た。アルベルは刀を振りぬきざま、先制の一撃を放った。アドレーのすぐ脇を斬撃が通り過ぎ、壁を破壊した。そこから客席は十分に離れていたが、その威力と迫力に観衆は悲鳴を上げた。アドレーはニヤリと笑った。
「ほう…?見た目とは違うというわけか。面白い!」
アドレーは大地に足を踏ん張り、ヌーンと気合を込めた。荒々しい施力が満ちてくる。
「まずは小手調べじゃ…。ファイアーボルト!」
巨大な炎の塊が5方向からアルベルに襲い掛かった。その数と火の玉の巨大さから、相当な施力の持ち主である事が分かる。アルベルは走り、その軌道から逃れた。だが火の玉は意思をもったかのようにその後を追いかけてきた。
「ちッ!」
アドレーがファイアーボルトを操っているのを目の端で捕らえる。アルベルは壁を背にして振り返った。
「危ない!」
アランの声が何故か良く聞こえる。どこにいるかということまで、見ても無いのにはっきりわかる。
ゴオオオッ!
5つの炎が目の前に迫っていた。アルベルはそれをぎりぎりまでひきつけ、ぶつかる寸前でひらりと避けた。
バババーン!!
炎は壁にぶつかって弾け、どうっと煙と土ぼこりを巻き上げた。しかし、その煙の中から、地面にぶつからなかった1発のファイアーボルトがアルベルに向かって飛んできた。
アルベルはすぐさまそれに向かって衝撃波をぶつけた。
ドーン!!
炎と衝撃波が空でぶつかり合い、ビリビリと空を震わせながら消滅した。
「安心するのはまだ早いわい。アースグレイブ!」
ぐらぐらと足元が揺るぎ出す。アルベルは急いでその場を離れた。すると、避けた先の地面に紋章が浮かび始めた。空気が営力を帯びてピリピリと肌を刺し始める。息をつく間もないほどの連続魔法。
「調子に乗るなよ!」
アルベルが振り上げた剣から衝撃波が地面を這っていった。アドレーはバッと横に飛び、それを避けた。それと同時にアルベルの足元の紋章が消えた。アルベルの反撃。次々と衝撃波が地面を走ってくる。アドレーは地面を転がりながらそれを避けた。
「ぬっ!殺気!?」
アドレーが急いで身を起こしたときには、アルベルが目の前に迫っていた。振り下ろされる刃を、鞘に納まったままの刀で受ける。
ガキーンッ!!
「ぐぬぅッ!!」
相手は右腕一本だけだというのに、アドレーはそれを受ける刀を両手で支え、尚かつ両足を踏ん張らなければならなかった。なんという重み。アルベルはぎりぎりと刀を押し付けながら、ニヤリと笑うと、左腕に装着した鉄の爪を振り上げた。
闘気をまとった鉄の爪が、アドレーの顔めがけて襲い掛かる。アドレーは咄嗟に、アルベルに向かって突進した。
「ぐッ!!」
アルベルは急いで後ろに飛んだが、それでもアドレーの巨体を避けきれず、そのまま後方に吹っ飛ばされた。受身を取り、着地した低い姿勢でアドレーを睨む。
その戦いの激しさと息をつく間もない展開に、観客は度肝を抜かれ、シーンと静まり返っている。そんな中、アドレーはゴキゴキと首を鳴らしながら言った。
「お主、気に入ったわ。ワシに勝てたら娘をやろう。」
あっけらかんと放たれた、そのとんでもない発言に会場がざわめき始めた。
(何を勝手な事を!)
試合を見ていたクレアはそう叫びそうになった。アルベルは低い攻撃姿勢を解いて立ち上がった。
「フン。俺が勝つのは当然だ。貴様の娘なんぞいらん。」
「ほッ!いらんときたか!娘はワシに似て美人じゃというのに。後悔するぞ?」
「けッ!貴様に似た女など、女に見えるかすら怪しいもんだ。」
「何を言う!クレア!クレアはおらぬかッ!ここに来て、顔を見せてやれぃ!」
アーリグリフの人間のどよめきで会場が揺れた。アランがこちらを見たのが分かった。クレアは恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆った。
(あれは父が勝手に言っている事です。どうか誤解しないで…。)
隣でネルが気の毒そうにクレアを見守る。そんな中、一番驚いていたのはアルベルだった。
「貴様!あの女の父親か!?」
「どうじゃ?欲しくなったじゃろう?」
だが、アルベルは聞いていなかった。
「どうりで。あの女の猫被りっぷりにはどうも寒気がすると思っていたら、ようやく納得できた。元は貴様か。」
アルベルは得心いったという風に頷いた。
「ネコとブリがどうした。ごちゃごちゃ言うてる暇はないぞ?ここからが本番じゃ。」
気付けば足元に施紋が浮かび上がっていた。
「サザンクロスッ!!」
「ちッ!厄介な…。」
アルベルはアドレーに向かって走り始めた。対施術師には接近戦に限る。だが、アドレーは不敵に笑った。
「…と見せかけて、ウォーター・ゲート!!」
さっき逃れてきた背後の陣から、いきなり10mはあろうかというほどの巨大な鮫が飛び出してきた。
「何ッ!!?」
鋭い歯がざっくりと並んだ口をあけて、アルベルに襲い掛かってきた。アルベルは急いで横に飛んだ。目標を失った鮫は、地面に幻の水しぶきを上げてもぐりこんだ。足元を見ると地面がまるで水面のように透けて見え、鮫が悠々と旋回しているのが見える。
「召喚魔法か…!」
「見るのは初めてか?」
その信じられない光景に、観客は皆、言葉を失っていた。アドレーが空に向かって指先で紋章を刻むと、鮫が真下から大口を開けて、再び迫ってきた。
ザバァッ!!
地面から鮫が巨体を唸らせて飛び上がる。アルベルはそれを避けるとそのわき腹に刀を突き立てようとした。だが、その瞬間、鮫の実体が薄れ、半透明になって刀をすり抜けた。アドレーが何かしたに違いない。
アルベルは考えた。このままでは体力を消耗してしまう。だが、これほどの大魔法、相手も相当の魔力を消費しているはずだ。アドレーの足元に施紋が広がっている。召喚している間は、あそこから動けないようだ。ならば…。
アルベルは逃げるのをやめ、気を集中し始めた。
「む!?」
アドレーがそれに気付く。相手が動く前に、ここで一気にとどめをさしてやる。アドレーはすっと手を上げた。すると、鮫が地面付近にまで浮上し、その背びれがすっと地面から突き出た。アドレーの腕の動きに合わせて、静かにアルベルの背後にまわり、十分な距離をとった。そして次の瞬間、アドレーの腕が素早く動いた。鮫がスピードを上げてアルベルに迫る。鮫が近づくにつれ、透けていた姿がみるみる濃くなっていく。そして、今や完全に実体に戻った鮫は、アルベルを飲み込もうと、大きな口をあけて鮫が地面から顔を出した。だが、アルベルは動かなかった。
「アルベル様!!」
静まり返った会場にアランの悲鳴に近い叫びが響いた。
それに遅れて、観客からも悲鳴が上がった。予想される惨劇に、誰もが目を瞑った。その瞬間。
「魔光閃!」
アルベルの艶のある声が響き渡った。すると、周囲に立ち込めていた闇がアルベルを中心にして渦を巻き、鮫を一瞬にして飲み込んだ。闇はアドレーをも引きずり込み、急速に魔力を奪っていく。
「こりゃいかんッ!!」
アドレーは意識を失いそうになりながら、必死でまとわり付く闇から逃れた。やがて渦を巻いていた闇はアルベルに吸収されていった。
「はあはあ…。なかなかやりおる…。」
アドレーは奪われた魔力が相手の力となってしまったのを悟った。自分が歳をとったせいなのか、かつての宿敵グラオ・ノックスよりも強敵であるように感じる。しかも相手はまだ殆ど手の内を見せていない。
「なるほど…。アーリグリフ最強というのはダテではないな。ますます気に入ったわ。」
これが最後のチャンス。そう感じたアドレーは残りの全ての施力を集中させ始めた。
「ぬおおおおおお…!!」
アドレーの気が高密度に練り上げられている。アルベルは相手がどう来てもすぐに対応できるように、体を密かに緊張させた。こちらから仕掛けてもいいのだが、相手がどう出てくるのか、まずはそれを楽しみたい。期が熟したのか、アドレーがバッと手を広げた。
「アドレー・ラーズバード、最大の奥義を食らうがいい!」
そう叫ぶや、アドレーは天高く舞い上がった。
「なッ!!?」
その場にいた誰もが驚いて天を仰いだ。人間が空を飛ぶなど、常識では考えられない。かと思ったら、
「スピキューールッ!!」
と、一気に急降下してきた。アドレーの顔が急接近して来たことに、アルベルは闘いとは違う意味で動揺し、慌てて避けた。
ドッカーン!!
激しい衝突の音と共に、土煙がもうもうと沸き起こった。
シーン
会場は水を打ったように静まり返っている。アルベルも試合を忘れて固まっている。
おさまり始めた土煙の中で、アドレーの首がまるで矢のように地面に突き刺さっていた。あの高さから頭から地面に激突したのだ。無事でいられるわけがない。死んだと誰もが思った。ところが、
「むんッ!」
アドレーは地面に足を付くと、ズボッと顔を地面から抜き取った。そして何事もなかったかのように、頭の砂埃をぽんぽんと払った。アルベルは目を見張った。
「き、貴様、人間か!?」
「当たり前じゃ。人を何だと思っておる?」
「あの高さから突っ込んで、平気でいるヤツが人間だと!?ふざけんな!」
「鍛え方が違うんじゃ。」
「そういう問題じゃ…」
人間、気を高めれば痛みを感じないというが、それにしたって人間業ではない。
「おしゃべりしている暇はないぞ?そりゃそりゃそりゃ!!」
全ての施力を使い果たしたアドレーは、今度は体力勝負とばかりに、鞘に収めたままの刀を振り回してきた。
「そりゃそりゃそりゃそりゃッ!!」
もうすぐ60になろうかという人間の動きではない。しかし、剣においてアーリグリフ最強のアルベルに敵うわけがない。アルベルはそれを適当にやり過ごし、隙の出た瞬間に刀を弾き飛ばした。
キィイン!
その首筋に冷やりと刃を当てられたアドレーはニヤリと笑った。
「娘はお前のものじゃ…婿殿。」
そう言って、豪快に笑い始めた。勝負が決し、息を飲む展開に凍り付いていた会場がどおっと湧いた。
「いらんと言った筈だ。」
アルベルは刀を納めながら言った。だが、アドレーはにやにやと笑った。
「照れるでない。このワシを倒す気迫から、お主の本気がビンビンと伝わってきたわ。」
アルベルはむっとした。
「勝手に解釈するんじゃねぇ!いらんッ!!」
「…見かけによらず“うぶ”な婿殿じゃのう?まあ、万事ワシに任せておけばよい。」
アドレーは笑いながら、アルベルの背中をバンと叩いた。その思わぬ力によろめき、それを踏みとどまって振り返った時には、相手は既にスタスタとその場を後にしていた。
「人の話を聞けッ!」
だが、アルベルの声はアドレーには最早届かなかった。
この歓声の中、アドレーとアルベルがどういう会話をしているのかは聞こえない。だがクレアには手に取るように分かった。
「お父様の馬鹿…。」
クレアはうんざりといった風に手のひらで顔を隠した。
その少し離れた席で、アランが固い表情でアルベルとアドレーの様子を見下していた。