小説☆アラアル編---祭(4)

あれからもダンスのレッスンは毎日続き、会話もいつも通り。いつもの日常に戻ったかのように見えたが、それは表面上だけで、アランはどこか元気がなく、夜の誘いもふっつりと途絶えていた。勝手に引退を決めた事が、それ程にアランを傷つけるとは思わなかったアルベルは、アランの消沈した様子に酷く戸惑った。折を見つけて謝ろうかとも思ったが、それきりアランはその話を口にする事はなく、こちらからは何も言い出せぬままに結局そのタイミングを逃してしまい、アルベルはどうすればいいのか、一人悩んだ。

しかし、真剣に悩んでみたところで、これまで人付き合いを極力避けてきた自分には、解決の糸口どころか、何故あんなにもアランが傷ついたのかすら見えてこない。

  (何の相談もなく勝手に事を運ぶのはいつもの事だ。何で今回に限って…。)

人に相談などしたくない。だが、いい加減そうもいってられない。アルベルは、アランの悲しげな表情が苦手で仕方がなかった。だが、そうさせているのは自分。何とかしなくてはならない。

アルベルは修練場に着くと、いつものように真っ先に団長室に入った。団長を辞する身としては、ここへの出入りは控えようと思ったのだが、その件についてはまだ保留であり、祭りのイベントにおいてもアルベルとの連絡が必要であるという理由から、カレルがそれを許さず、仕方なく一日に最低でも一度は顔を見せることにしているのだ。

  「お早うございます。」

忙しそうに書類書きの仕事をしながら、カレルがちらと目を上げて挨拶した。団長席を明渡していおいたにも関わらず、カレルはそこには座ろうとしない。そのため、アルベルもこれまでと同じように団長席を使っている。要するに、結局何も変わっていないのだ。

  (まあ、変わったのは城へ顔を出さなくなったくらいか…。)

あと、印鑑を押すのだけはアルベルの仕事だった。漆黒の紋章が入った印鑑は、それ一つで軍が動かせるほどに重要なものであるから、おいそれとは渡せない…というのは表向きで、それすらカレルに丸投げすることもしばしばだったことを考えれば、自分が団長である必要は益々ないと思われる。それなのに、カレルもアラン同様、アルベルが団長であることに固執する。全く意味がわからない。

カレルはアルベルを気にすることなく、仕事に没頭している。アルベルは机の上に足を投げ出し、横目でその様子を窺った。

椅子の上に胡坐をかいて座り、机に肘をついてだらっと寄りかかりながら…というだらしのない姿勢でありながら、そのくせペンの持ち方はお手本のように美しく、それでもってチマチマと細かく几帳面な字を書くカレル。そのアンバランスさがカレルらしいと思う。

アルベルは小さく咳払いをしてみた。だが、カレルは気付かなかった。

カレルは集中しだすと一切を構わなくなる。アルベルがいるということも最早頭の中から消えているだろう。普段はそれが気楽で良いのだが、話をしたい時には少し困る。いつものようにカレルがアルベルの気配を察して話しを持ちかけてくれるのを待っていたら、この状態では何時間掛かるか分からない。

ペンの音、書類を捲る音、印を押す音。アルベルはしばらく黙ってそれを聞いていたが、やがて思い切って口を開いた。

  「俺が…」

だが、それでもカレルは反応しない。やっぱり言うのをやめようかと思ったが、一旦言い出した以上は、一応最後まで言ってみようと、少し声量を上げた。

  「何の相談もなしに団長を辞めると決めた事を、お前はどう思った?」

しばらく間があった。聞こえてないのかと思った頃、カレルが顔も上げずに答えた。

  「正直腹が立ちましたね。裏切られた気分です。」

ハッキリと自分のやった行為が裏切りだと言われ、アルベルは内心動揺した。

  「別にそんなつもりは…」

ここでやっとカレルが顔を上げた。意識を呼び覚ますように目をしばたく。

  「そう。旦那にはそういうつもりはまったくない。全然悪意はなくて、旦那なりの考えがあってのことだったんでしょ?国の事、そして俺らのことまで考えてくれてる。俺はそれを知ってたから、その行為自体は許せた。けど、その内容は到底認められるようなもんじゃない。だから、こうしてそれを阻止すべく、近年稀にみるほど真面目に働いてんですよ。」

そう言って机の上の書類の山を示してみせた。いつにも増して物凄い量だ。

  「…もし、知らなかったらどうした?」

それを後から、しかも人の口から知らされたアランはどう思っただろう。するとカレルは、

  「そうですね。もし旦那のすっぽかし計画が上手くいってて、旦那の手紙を読んだ王からその事実を知らされたとしたら…」

と言いながら、書類に印鑑を押し、出来上がった書類の山の一番上に置いた。そして、にやっと笑って、

  「そのままカルサアに引き返して、旦那をぶん殴ってたでしょうね。」

と、次の書類を取り上げた。冗談めかしつつも、目は本気だった。アルベルとしては、自分ひとりが消えても、大した事ないと思っていたのだが…。その横顔に何を見たのか、カレルは次の書類に取り掛かるのをやめ、こう切り出した。

  「例えば、俺が明日突然いなくなって、人づてに辞めたってのを聞いたらどう思います?」

カレルと目が合った。カレルがニッと笑う。

  「ふざけるなって思うでしょう?」

  「…。」

  「後のことはどうするつもりだ。大体、何で急に辞めたんだ?なんでこんなやり方で消えるんだ?何か事情があるのかもしれないと思いつつも、一方で、今まで一緒にやってきた仲なんだから、何か一言あってしかるべきなのに、そんな程度で済まされるような存在だったのかと、相手が自分ほどには思ってくれてなかったことに落胆し、今までの信頼関係が、全て嘘ごとのように思えてくる。」

  「じゃあどうすりゃ…」

ボソリとアルベルがそう言うと、

  「ちゃんと話すべきでしたね。」

と、カレルはキッパリと言った。

  「…。」

  「話してもどうせわからないと思ったんですか?」

アルベルははっとした。カレルもアランも話の分からぬ人間ではない。話せばきっと分かってくれたはずだ。…と、そう思っていたところに、

  「ま、事前に話してくれたとしても、俺は絶対に認めませんでしたけどね。」

と、こう言われて、むっと来た。

  「要するに、俺が大人しく団長してりゃよかったってのか?」

  「そういう事です。」

アルベルの気持ちを全く無視したこの答えに、アルベルは心底腹が立った。自分がどんな思いでこの選択をしたか。決して軽い気持ちで考えたわけではない。

  「じゃあ、俺の立場はどうなる!俺が『歪みのアルベル』であることは事実だ!」

  「そんなもん、いくらでもどうにでもなります。『歪みのアルベル』と言ってた同じ口から、『アルベル・ノックスこそ、新時代に相応しい』と言わせてみせますよ。」

カレルがこういう確信的な物言いをするときは、120%以上の自信があるときだ。つまり近い未来そうなるということ。ということは…。

  「旦那が団長を辞す理由がなくなりましたけど?」

カレルが覗き込むようにアルベルを凝視してきた。アルベルは頬杖をつきながら、ぷいとそっぽを向いた。

  「ひょっとして困ります?」

  「…何を困る必要がある。」

  「ぶっちゃけ自信がないんでしょ?」

内心ぎくりとしながら、平静を装う。

  「…勝手に決め付けるな。」

  「そんなら最初からそう言ってくれりゃいいのに。」

  「貴様は俺の話を聞いてんのかッ!?」

くわッと顔を上げて睨みつけた瞬間、あの目に捕らえられてしまった。

  「違うんですか?」

アルベルは目を逸らした。どうしてこの男は隠しておきたい事まで見抜いてしまうのだろう。

先の戦争の記憶とともに、部下達の罪も全て自分が背負って退けば、国は新しい時代をより明確に感じることが出来るし、何より部下達が救われる。それがアルベルが隠退を決意した一番の理由だった。だが、心の奥深いところで別の思いもあった。戦いの場では自分の役目はハッキリしていた。ところが戦争が終わり、戦いのない時代になって、果たして自分は必要なのだろうかとふと思った。一体自分に何ができる?この血塗られた手で何が…。そこに逃げの気持ちが全くなかったとはいえなかった。

  「旦那はいかんせん言葉が足りな過ぎる。余計なことは言うくせに、肝心なことを言わない。それが相手を不安にさせるんだってのを、ちゃんと自覚しといた方がいい。」

アルベルは苛立たしげに立ち上がってカレルに背を向けた。腹は立つが、カレルの言う事は逐一もっともだというのは分かっていた。窓からの景色を眺めて気持ちを落ち着かせながら、今言われた事をじっくりと考えてみる。

恐らくアランも裏切られたと感じているのだろう。裏切り…それは謝って済むようなことではない。してしまった事をどうつくろえば良いのかを悩んでいると、

  「まずは謝って、自分の気持ちを正直に伝えたらどうですか?」

思わぬ言葉に振り返ったが、最早カレルはこちらを見ていなかった。既に仕事に取り掛かり、すぐに没頭していった。

誰に謝って気持ちを伝えるのか。少なくともカレルは自分自身に対してそうしろと言っているのではない。それが誰かを追及すると果てしなく墓穴を掘るのはわかっていたので、アルベルは無言でまた窓の外に視線を戻した。

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