小説☆アラアル編---祭(7)

朝。ライマーはいつものように自分の決めた通りの時間に仕事部屋に入り、いつものようにまずは空気を入れ替える為に窓を開けた。

凛とした朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。体中の細胞が目を覚まし、きりりと心が引き締まる。それが何とも心地よい。一日の中で一番好きな時間だ。だが、カレルは一番嫌いな時間だと言う。夜が明けるにつれて、『明日まで』という締め切り期日が迫るのをひしひしと感じて焦るから、というのが理由だ。

カレルはここのところ、休む暇なく働いている。昨夜は遅くまで団長室に篭り、今朝も早々と出かけていった。団長職も兼任しているが為に、超多忙を極めている。戦争の頃と違って、活き活きとして楽しそうだったから、つい気に掛けるのを忘れていたが、そろそろ体力的に限界だろう。

  (今夜あたり、ベッドに縛り付けるか…。)

だが、ノリに乗っている状態のカレルを捕まえて留めておくのは、かなり骨が折れる。ちょっと目を放した隙に、あっという間にどこかへ消えてしまうのだ。ヒラヒラと浮かれて飛んでいるカレルをどうやって捕捉しようかと、網を構える気分で考えていたところに、

  バーンッッ!

と、いきなりドアが吹っ飛ぶ勢いで開いた。何事かと、素早く振り返ると、そこには…

  「団長…?」

アルベルが仁王像のごとく、怒りのオーラを背負って立っていた。そして、全てを焼き尽くすような視線で部屋の中を睨み渡したが、そこに目当ての人物がいなかったのか、ギッとライマーに視線を戻した。

  「あの野郎はどこだッ!!」

あの野郎とは、もしかしなくてもカレルの事だ。

  「アーリグリフですが…。」

帰ってくるのは昼頃になるだろうと伝えた。

  「奴を呼び戻せッ!すぐにだッ!!」

この怒り様。カレルは余程の事をやからしたに違いない。

  「…了解。」

  「今度という今度は絶対に許さねぇッ!!」

アルベルはそう言い残すや、

  バッッターンッ!!

と力の限りドアを閉めて出て行った。

  (ドアが壊れる…。)

これはしばらくカレルを休ませるのは無理かもしれない。

ライマーは部下を呼ぶと、『団長激昂。至急出頭せよ。』との伝令を持たせ、アーリグリフへ飛ばした。





その頃。アルベルの舞踏会用の衣装をアランに頼みにいったカレルは、アランの態度豹変振りに面食らっていた。

  「女装はなしって、なんで今更?」

  「アルベル様の意思を尊重したまでです。」

アランは冷たい無表情で、部下の報告書に目を通しながら答えた。カレルの方を見ようともしない。

  「旦那の意思?じゃ、引退も受け入れるってことですか?」

  「団長であろうがなかろうが、アルベル様はアルベル様です。」

  「旦那が団長であってもらわなきゃ困るんですよ。」

  「あなたがどう思おうと関係ありません。」

アルベルとの誤解が上手く解けたのだろう事は十分に推察できた。

  (それで恐らく、旦那が傍に居さえすりゃいいとか何とか考えてやがんな。そーは問屋がおろさねぇ!)

アランは最早話は終わったと、カレルの存在を完全に無視して自分の作業をしている。 カレルはしばし迷った末、アランの協力を得られなかった場合に備えて考えておいた奥の手を使うことにした。

  (勝負は五分五分。もし失敗したら、長年の研究が灰と化す、か…。)

どうしても諦めきれない思いから、もう一度他に方法はないか考えてみたが、アランは小細工が通用するような相手ではない、アランほどの相手から勝利をもぎ取るにはそれくらいのリスクは必要だという結論に達し、カレルは溜息を付いて腹をくくり、口を開いた。

  「俺は、あんたがきっと欲しがるだろう、あるブツを持っています。」

アランは冷笑した。

  「私が取引などに応じると思いますか?」

そこでカレルは一冊の手帳を取り出した。

  「ちょっとこれを見て下さい。」

細かな字でびっしりと数式が書いてある。これが何だというのか。アランはチラリと一瞥しただけで、すぐに自分の手元に視線を戻してしまった。カレルはそれに構わず、ペラペラとページを捲ってみせ、その中の一文を指した。

  「例えばこの行、『旦那は桜が好き。母君が好きだった花だから。』と書いてあります。」

  「!」

その瞬間、報告書にサインを書きかけていたアランの手が止まった。そして、カレルの指した数式を食い入るように見はじめた。ペン先からインクが紙に染みて広がっているのにも気付いていない。カレルはその様子を見ながら、またページを捲った。

  「あと…そうですね…ここには『旦那、ネコと戯れる。イヌよりもネコ派。』」

アランは瞬時にその暗号文も目に焼き付けた。そして頭の中で先ほどの文と比較しながら解読しようと試みる。だが、驚くべき事に、その意味を知らされても、この数式文にどう言葉を当てはめているのか、全くパターンが掴めない。『旦那』という共通の文字すらどこにも見当たらない。こんな暗号は初めてみる。

デタラメを言っているのではないかと疑うのが順当だろう。だが、カレルが本当の事を言っているという確信があった。ここで嘘やまやかしを通しても無意味。そして、カレルがそんな無意味なことをするはずがないという確信だ。そして、恐らくはまだ切り札を隠し持っているに違いないと、アランはそこまで見通した。

  「興味深い出来事から日常のちょっとした事まで、知ったこと、気付いたことをこうしてメモっておいて、後でそれをまとめ、更にそれを分析して、そこから旦那の性格や思考パターンを推測したりするわけです。そうやって研究してきた極秘資料があるんですよ。」

カレルは、にやっと笑った。

  (欲しいでしょ?)

アランはカレルを睨みつけた。欲しい。喉から手が出るほどに。それを隠すつもりはない。相手はそれを知った上で、これを提示してきたのだから。

  「それを取り上げる方法はいくらでもあります。」

  「取り上げたって無駄ですよ。それもこれとはまた別の暗号で書いてあるから。」

  「暗号など、解読すればいいだけのこと。」

  「不可能です。他人には解読できないように作りましたから。」

カレルが一部にせよ文の意味を教えたのは、それだけの自信があるという事を示すためだろう。ヴォックス時代、アランは敵の情報を知るために様々な暗号を解読してきた。その過程において、新しく作り出されたものから、古代に使われていたものまで調べ上げて研究し、あらゆるパターンを知り尽くしているアランだからこそ、この暗号の難解さが分かった。

  「だとしたら、内容を教えて頂けばいいだけの事ではありませんか。」

言葉の柔らかさとは裏腹に、どんな手を使ってでも吐かせるつもりであるという脅迫的な意味が込められている。カレルはちょいと肩をすくめ、ここで切り札を出した。

  「残念ながら。帰ったら燃やしてしまうつもりです。この手帳も全部。」

  「何故?」

  「これは表に出るべきもんじゃないからです。団長の情報と言えば、最重要機密事項ですからね。だから、俺はこういうのを書いてるってこと自体、誰にも話してなかった。けど俺はうっかり隊長にその存在を知らせてしまった。この時点で全てをなかった事にしなきゃならないんですよ。本当は、ね。」

  (うっかり…?全く、この男はどこまで忌々しいのか!)

アランはきりりと奥歯を噛み締めた。カレルはこれを灰にしたくなければ、秘密を共有しろと言っているのだ。その為には協力が必須条件。しかし、カレルに協力すればアルベルの意思に反する事になる。そんな事はできない。何も迷う必要はないはずなのに、アルベルなら女装しても美しいのだから…などと、カレルの要求をのむ方向に思考が行ってしまい、どうしても突っぱねる事ができない。アルベルの意思を尊重しつつ、その極秘資料を手に入れる方法はないかと考えていたところに、

ココンッ

ノックの音。アランはそれを無視したが、再び忙しげにノックされた。そして、アランの返事を待たずに「失礼します。」と漆黒の兵士がドアを開けた。ライマーの部下だとカレルにはわかった。

  「話中です。外で待っていなさい。」

アランは苛立たしげに叱り付けた。

  「しかし、アルベル団長より至急の連絡が…」

アルベルからの至急の連絡とあっては無視するわけにはいかない。

  「何です?」

  「カレル団長代理へ伝令。カルサアに大至急戻れとのことです。相当お怒りのようで。」

それを聞いた瞬間、天が味方した、とカレルは思った。これでアランの考慮時間はなくなった。カレルはいかにも残念そうな表情でアランを振り返った。

  「それじゃ、俺はこれで失礼します。…さっきの話はなかった事に。」

その一言に、アランは血相を変えて立ち上がった。

  「待ちなさい!まだ話は終わっていません!」

  「待てません。旦那の命令には背けないんで。」

カレルはスタスタと暖炉に近づいた。

  「どっちにしろ、旦那が団長でなくなったら、旦那の事を把握しておく必要もなくなりますからね。これももういらない。取り合えず、ここで燃やさせてもらいますね。」

次の瞬間、あっさりとカレルの手から手帳が離れた。

考える暇はなかった。アランは暖炉に向かって冷気を飛ばした。暖炉の火が一瞬で凍りつき、その上に手帳が落ちた。

  「これが隊長の答えって事ですよね?」

カレルは焦げ一つ付かなかった手帳を拾い上げると、アランを振り返ってにんまりと笑った。

次の話へ /→目次へ戻る

■あとがき■
カレルは口先だけの脅しは使いません。燃やすと言ったら、本当に燃やしてしまう。そういう態度を示す事で、自分の言葉に重みを持たせているのです。