「はあっ…。」
アルベルがまた溜息を付いた。その傍の自分の机で、アルベルと同じように力なく頬杖を付いていたカレルは、力なくそれを横目で見やった。
「…いい加減機嫌を直してくださいよ。」
「うるせぇ…。」
今度はカレルが溜息を付いた。
「あーあ、旦那には直前まで言わないでくれって、アラン隊長にはやくやく頼んでたんですがねぇ…。知られたら、きっととんでもない手を打ってくるからってね。で、恐れてた通り、俺らまで女装するはめに…。はあぁ…何で俺まで…。」
「フン!貴様の場合は自業自得だろうが!」
「言っときますが、これでおあいこですよ。」
「何だと!?」
「倍返しにしなかったのは、俺の優しさv」
「貴様はいつか殺してやるッ!」
「いつでもどーぞ。」
どいつもこいつも、どうして本気にしようとしないのか。自分が殺すといったら、本当に殺すつもりだというのを、いつかきっちりと分からせてやる必要がある。アルベルは忌々しげにカレルを睨むと、舌打ちして視線を外した。
「それにしても、アランの奴までグルだったとは…!」
アランはあれからどうにか女装の件をもみ消そうとしてくれたようだったが、敢え無くカレルに敗北したらしく、ひたすらに許しを求めてきた。いきさつを詳しくは語らなかったが、どうせカレルがあくどい手を使ったに決まっている。悪いのはこいつだ。再びカレルをじろりと睨むと、カレルはにやにやとこっちを見ていた。
「…何だ?」
「そんなにショックでした?」
「何がだ!?」
「肝心な事を話してもらえなくて。」
「〜〜ッ!!」
それは勿論、団長引退という肝心な事を話さなかったアルベルの過ちを指している。アルベルは怒りのあまり、そばにあったペンたてを引っつかむと、力の限りにカレルに投げつけた。立っていたペンはアルベルの手を放れる段階で既に周囲に散らばったので、カレルのところにまで届いたのはペンたてだけだったが、それでも幾分か気持ちがスカッとした。だが、こんなことくらいでカレルが懲りる事などないのだ。
「うわッ、あぶねッ!暴力反対〜!」
カレルは笑いながら軽々とそれを避けると、第二投目が来る前に急いで逃げていった。
「いつか、ぐの音もでねぇ程に打ち負かしてやるッ!!」
アルベルはギリリと奥歯を噛み締めた。
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この数刻前―――
「ほらね?一筆とっといて良かったでしょ?」
そう言ってカレルがピラリと広げた証文を前に、アルベルは握り締めた拳を、怒りに振るわせた。
「きッッさまァァ〜〜〜〜ッ!」
『
一時的にカレル・シューインを漆黒団長代理とし、その要請には必ず応じる。
××××年××月××日
漆黒団長 アルベル・ノックス 』
まさかこれがここに来てこれ程の威力を発揮しようとは。
アルベルは両拳をテーブルに叩きつけ、その姿勢のままグッと目を瞑った。約束は約束だ。しかも証文ともなれば命を掛けて守らねばならない。拳の痛みが更に怒りを煽る。
「フ…フフ…」
どうやら怒りが過ぎて笑いがこみ上げてきたらしい。息を飲んでアルベルとカレルのやり取りを見守っていた他の幹部たちは、不気味そうにアルベルの様子を窺っている。長い前髪に隠れて表情は見えないが、今どういう顔をしているのか、想像するまでもない。やがて、アルベルはかすれた声で静かに言った。
「…いいだろう。約束は守ってやる。だが…」
そう言って顔を上げたその目には危険な光が。アルベルは体を起こすと、ビッとカレルを指差した。そして、張りのある声で命令を下した。
「貴様もやれッ!」
「はぁッ!?」
ここで予想外の一手に、カレルは完全に虚をつかれた。
「貴様は俺と命運を共にすると言った!よもや、その言葉に偽りはねぇだろうな!?」
確かに言った。偽りなどない。しかし、それを今持ってこられては困る。カレルは焦った。アルベルが自爆覚悟で巻き添えを食らわしてくる可能性を、完全に見落としていた。造形美しいアルベルならまだしも、何の変哲もない自分がまさか女装を要求されようとは思いもしなかったからだ。つまり、完全に盲点を突かれてしまったのである。
「いやいや、旦那…ちょっと想像してみて下さい。美しい一羽の白鳥がいる。それに美しいリボンつけてみたら、それはそれは美しいでしょう。けどそれをアヒルにやったら滑稽でしょう?しかも白鳥と比べられるわけです。俺はアヒルがあまりにも可哀想で…。」
必死で情に訴えようとするも、アルベルは全く聞く耳持たず。アルベルは言い出したら聞かない。特に確信を持っての事だったら決して曲げない。だからこそアルベルの言葉は絶対なのである。
(カレル・シューイン最大のピ〜ンチ!…なんて言ってる場合じゃねぇや。こりゃ本当にマズイ…。)
どうやってこの苦境を乗り越えようかとしているところへ、
「そうですか?カレルさんは結構イケると思いますよ?」
と、人事だと思ってのんきにそんな事を言ったオレストを、カレルが許すはずもなかった。
「言ったな、オレスト。お前も道連れだッ!」
オレストが椅子からコケ落ちそうになった。
「ええッ!?何でそうなるんですか!?団長のご指名はカレルさんなんですから、カレルさんが…!」
「お前、俺にどこまでもついて来るつったろ?」
「それとこれとは別です!大体、カレルさんがアヒルなら、僕はドングリですよ!?」
「いやいや、お前は…まぁ白鳥は無理にしても、ガチョウにはなれる男だ。」
「ガチョウでも可哀想なのは一緒でしょう!?その点アヒルは、実は白鳥だったりするわけですよ。」
「ところがどっこい、ガチョウは金の卵を産むんだな。」
アヒルだガチョウだと、全く意味の無いなすり合いをする二人。そこへ、アルベルの、鶴の…いや白鳥の一声。
「ごちゃごちゃうるせぇッ!面倒だ、お前ら全員女装しろ!この『アルベル』の名を背負ったからには、そのくらいの覚悟はできてるはずだ!」
その白鳥は今や完全に怒りの火の鳥と化し、反論を許さぬ勢いで幹部たちを睥睨すると、話は終わりだと会議室を荒々しく出て行った。
「しょーがない…。こうなったら一蓮托生だ。」
カレルががっくりと肩を落としてそう言うと、ライマーが大きく溜息をついた。その溜息はずーんと沈んだ会議場に大きく響いた。