小説☆カレル編---ライマー・シューゲル(8)

兵舎での生活も終わりに近づき、最後の試験が目の前に迫ってきた。成績のいい者から希望する軍に配属されるとあって、Bクラスの連中らがカレルに群がってきた。だが、カレルはあれほど人の世話を焼きまくっていたのに、それまでの態度を豹変させ、

  「自分でやれ。」

の一点張り。今後の命運が掛かっている最も重要な試験において、この心変わり。カンペ作りを断られた友人らは、最早後がなく、情に訴え必死で縋ったが、それでもダメだった。

  「なんでだよ!?」

  「俺だって自分の勉強してぇんだよ。」

本当はそうではない事を、向かいに座って勉強していたライマーは気付いていた。現にカレルはライマーから借りた本を眺めているだけだ。友人らは尚も食い下がった。

  「お前はどうせ第一希望に行けるだろ!?だったら俺らをなんとかしてくれてもいいじゃねぇか!」

しかし、カレルは素っ気無い。

  「甘えんじゃねーよ。自分らでなんとかしろ。」

  「お前は自分さえよけりゃいいのか!?」

  「そーだ!お前らだって自分さえ受かれば、俺が勉強できなくて落ちたって構わねぇんだろ?」



「けっ!厭味な野郎だぜ!お前が落ちるわけねぇだろ!」と友人らが憤慨して去った後、ライマーはカレルに理由を聞いてみた。

  「面倒見たがり病のお前が、あいつらを突き放すなんて、一体どういった心境の変化だ?」

すると、カレルはつまらなさそうにぺらぺらと本をめくりながら答えた。

  「あいつらは、軍に行ったらまず間違いなく、真っ先に戦場で弾除けにされる。」

  「!」

使えない人間からそういう位置に据えられるのは当然のことであった。

  「そう考えたら、手を貸せなくなった。…いっそこのまま辞めた方がいいんじゃねぇかってな。」

  「…カレル。」

  「退学になったって、ここに2年いたことで頭も身体も多少は鍛えられてるから、働き口も見つかりやすくなってるだろうしな。…まぁ、誰かが先頭に立たなきゃなんねーんだから、あいつらがそれを免れても他の誰かが立つことになって、結局は一緒なんだけどな。」

カレルの優しさはうわべだけの物ではない。いつだって真に相手のことを考えるのだ。他人のことをここまで考えてやれる人間が他にいるだろうか。ライマーはそんなカレルを心から好ましく感じつつ、同時に、それくらいもっと自分自身の事も大切に考えた方がいいと思った。だがそれを言う前にカレルが口を開いた。

  「ところで、これ、マジでつまんねー本だな。もっと面白いの、ねーの?」

しかもそんな小憎らしい事をしれっとほざく。その本は将来の為にも絶対読んでおいた方がいい、お勧めの本だというのに。

  「『軍律』ならある。」

ライマーは冷たくそう返した。これは軍が制定した規則がずらずらと書かれてある本。面白いはずがないのは百も承知だ。

  「…お前が持ってんのって、そんなんばっかしだな。」

カレルは溜息をついて本を閉じ、腕を枕にしてぼーっと机の表面を眺めた。

  「少しは勉強したらどうだ?」

  「うーん…。」

  「あいつらと一緒に退学になるつもりか?」

ライマーはさり気なくそう聞いてみた。カレルは『本当は軍に行きたくない』という事を一言も口にしていない。だからライマーもカレルの本心には気付かないフリをしている。カレルから語られない限りは、自分から踏み込むつもりはなかった。

それには理由があった。

カレルが本気で辞めたいと言えば、止めはしないし、辞めた後の事も含めて自分に出来る限りの事をしてやりたいと思う。だが、本音を言えば、辞めて欲しくなかったのだ。カレルにこそ人の上に立って欲しい、いや立つべきであり、将来必ずそうなるだろうと考えていた。そうなったら、きっと多くの人間が救われると確信していたのだ。

しかし、当の本人はやる気なさそうに、机の木目を意味もなく指で辿っている。返事をしないということは、迷っているのかもしれない。ライマーはカレルをそっとしておく事にした。



カレルの頭には、母・義父・弟妹達だけでなく、父のこともあった。アーリグリフ13世が王となり、国家再生と軍事力増強に乗り出してから、減りだしていた学生の数が、近年益々減っている。士官学校の教官となるよう、国から要請書が送られてきたのに、父はそれで鼻をかんで暖炉に放り込んでしまったという。人付き合いが苦手で、歳ももう若くない上に、身体もあまり丈夫ではないとなると、もう他に働き口はない。 国家、政治、軍隊、戦争…そういったものが大嫌いで、自分にはただペンと紙さえあればいい、それがなければ地面に書けばいいという、まさに数学者になるために生まれてきたような父。本人は本望かも知れないが、冗談抜きに数式が無数に並んだ路上でのたれ死んでしまいそうな父を、カレルは母達以上に心配していた。

この国の先行きも不安であった。国の貴重な財源であった鉱物が取れなくなってきている。このまま行けば、やがて国は国民の食料を賄えなくなる。隣国には実り豊かな大地を持つ国。手にあるのは軍事力。飢えに脅かされた時、この国は他国侵略という安易で愚かな道を選ばずにいられるだろうか。

この不安な情勢の中で、もっとも安定している職業と言えばやはり軍しかない。軍の給付金は他の職業に比べて格段に良く、例え自分が死んでも特別給付金がもらえる。家族の事を考えれば、このまま軍隊に入るのが最善の道だった。

それに、必ずしも戦争が起こるとは限らない。賢王アルゼイならば、忠臣グラオ・ウォルターと共に、この不吉な流れをきっと何とかしてくれるに違いない。

カレルは、黒い大きな節目をするりと避けて走る木目を何度もなぞりながら、ポツリと、

  「…まぁ、なるようになるだろうさ。」

とつぶやいた。ライマーは本から目を上げた。ぼんやりとしたカレルの表情からは何も読み取れない。だがその返答に、少なくとも積極的に辞めるつもりはないのだと感じ、ライマーは密かに安堵した。

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