「何でだ!?なんでお前が第三志望にまわされるんだ!?」
配属先の発表に、ライマーは思わずカレルを怒鳴りつけた。カレルは、史上最優秀成績のライマーに次ぐ文句なしの優秀な成績でありながら、第三志望の漆黒に配属されてしまったのだ。
運動神経はいい方だが、平均男子に比べて小柄で非力なカレルが漆黒の重装備をまとって大剣を振るうのは相当に大変なことだ。その上、争いを何より嫌う性格。血の気の多い連中が集まる漆黒に、向いていないにも程がある。適性から言っても間違いなく第一志望の疾風にまわされるはずであった。
「こんなことをするのは奴らしかいない!」
カレルにプライドをへし折られた数学と訓練の教官が裏で手を回したに違いない、と級友らがいきり立った。だが、カレルは一人平静で「まぁ、落ち着けよ。」と皆をなだめている。
「何でお前が冷静なんだ!?」
「俺は角を立て過ぎたんだ。『どんなに嫌いな奴でも、仲良くしといて損はないよ。』ってことだ。やっぱ、かーさんは正しかった。」
カレルは笑ってそういった。だが、それは自分の為にそうしたのではない。カレルは仲間を庇っただけだ。ライマーは決然と立ち上がった。
「俺が掛け合ってきてやる。」
だが、カレルは慌ててライマーをとめた。
「ライマー!待て!」
「何で止めるんだ!?」
ライマーはずるずるとカレルを引きずりながらそれでも前進しようとする。
「いーから!俺は別にどこだろうが、金が貰えんならそれで構わねぇんだ。」
その言葉にライマーはかっとなり、カレルの胸倉を掴んで壁に押し付けた。
「金、金って!金よりも大切な事があるだろう!?もっと自分の事を考えろ!」
「金がなけりゃ、俺の家族は飢え死にすんだよッ!」
カレルはライマーの怒声に被せるように怒鳴り返してきた。ライマーは黙った。
「お前の気持ちはすげぇ嬉しいけど、下手に騒いで、今辞めさせられたら困るんだ。…わかってくれ。」
カレルは必死でライマーを説得した。その必死さが、ライマーには痛々しくてならなかった。
「お前がこんなに家族の為を思っているのに、お前の親は何してるんだ?」
そう言わずにはおれなかった。もっと親がちゃんとした稼ぎをしていたら、カレルはこんな思いをせずに済んだのに、と。だが、それを聞いた瞬間、カレルは怒りをあらわにライマーを睨んだ。
「必死で働いてるに決まってるだろ!」
「働いていて、どうして…!」
「金持ちのお坊ちゃんには想像もつかねーだろうが、世の中には、働いても働いても金の堪らねぇ人間もいるんだ。第一、俺がこうするのを俺の家族は誰一人として望んでなんかねぇ。これは俺が勝手に決めて勝手にやってることなんだから、家族は全然関係ねぇんだ!」
カレルはライマーの腕を乱暴に解くと、
「俺はこれでいい!お前らも余計な口出しすんじゃねーよ!」
と荒い口調で友人らにしっかりと釘を刺し、荷物をまとめてさっさと兵舎を出て行った。
川辺でぽつんと座っているカレルの背中を見つけたライマーは、緩やかな土手を下りて行き、近寄って声を掛けた。
「随分探したぞ。こんな所でなにやってんだ?」
「ライマー?何でここにいるんだ?」
今頃は風雷の拠点にいなければならないのだが。だが、ライマーはそれには答えず、まず謝った。
「さっきはすまん。親を悪く言うような真似をして…」
「わかってくれたんなら、もういいさ。」
カレルはライマーを笑って許し、まあ座れよと、地面をぽんぽんと叩いた。ライマーは促されるまま、黙ってカレルの隣に座った。
澄んだ水がゆっくりと流れる中を、小さな魚が数匹ちろちろと泳いでいる。それをじーっと見つめていたカレルは、やがてぽつりと口を開いた。
「お前…人を殺せるか?」
それについては、ライマーは幾度もの自問自答の末、既に答えを出していた。
「必要に迫られたら、嫌でもせざるを得なくなるだろう。」
実際にそういう局面になった時、恐れおののき、逃げ出してしまうかもしれない。しかし、いつかはやらざるを得ない時がくる。きっとひどい罪悪感に苛まれるだろう。その内感覚が麻痺して何でもないことになるというが、自分は決してそうはなるまい、自分の手で絶ってしまった命の尊さを胸に刻み、一生拭えぬ罪として心に背負おう。そう覚悟を決めていた。
そんなライマーの答えを聞いたカレルは、「そうだよな。」とつぶやいた。
「敵だって人間だ。家族がいる。恋人がいる。そいつが死んだら皆が悲しむに決まってる。だからといって俺が殺されれば、今度は俺の家族が悲しむ。俺がそいつを殺さなかったら、そいつが別の誰かを悲しませることになるかもしれない。俺が手を汚そうとしなけりゃ、別の誰かにその役割を負わせることになるのかもしれない。…で、結局、嫌でもせざるを得なくなんだろうな。」
人を殺したくないという思い、そしてその心の根底にあるものは同じでも、カレルは人を中心において考え、ライマーは自分を中心において考える。二人は互いの考え方の違いを感じつつ、互いの答えに共感していた。
カレルは小石を拾い、川にぽちゃんと投げた。泳いでいた魚たちは素早い動きでさっと逃げたが、また再びゆったりと泳ぎ始めた。
「毎日がカツカツの状態なのに、お袋は裕福になりたいなんて、これっぽっちも思っちゃいねーんだ。その日が過ごせれば十分って言ってな。…けど俺は、皆に腹いっぱい食わせてやりてーし、弟を学校に行かせてやりてーし、妹に綺麗なドレスを着させてやりてーし、食うために売ってしまった大切な本を親父に返してやりてぇ。」
「…。」
「軍に入ったら金が貰える、そしたらそれが叶えられる、疾風だったら戦場とは無縁の部署に行ける可能性が高い…なんて、そんな甘い事考えてたら罰が当たったな。よりにもよって殺戮部隊だとよ。『お前は人を殺してでもそれを叶えたいのか?』って突きつけられた気がする。」
カレルはまた石を川に投げた。ライマーも投げた。水面に広がる二つの波紋が交じり合ってゆく。
「やっぱり落ち込んでるんじゃないか。」
ライマーがそういうと、カレルは素直にそれを認めた。
「…そうだな。」
「さっき、平気な振りして俺らに釘を刺したのは、俺らの為だろう?下手に騒げば俺らまで造反と見なされるから。」
「ははっ、そう取ってくれんのか。お前、ホントいい奴だなー。」
「おちゃらかすな。俺は怒ってるんだ。」
「何で?」
「どうしていつも平気な振りして本当は辛いのを隠そうとする?そんなに俺が信用できないか?」
弱い自分を見せようとしないのは、結局は人を信用していないからではないかとライマーは言った。するとカレルは弱々しく微笑んだ。
「してるさ。」
「どこが?」
「…だから、今お前には本音を言ったろ?」
「…。」
ライマーは強い。決して自身を見失わない。揺るがない。そんなライマーにだけは安心して弱音を吐けた。慰めようなどとはせず、一緒になって落ち込んだりする事もなく、ただ黙って話を聞いてくれ、しっかりと受け止めてくれる。いつも人から頼りにされる側のカレルが、何の心配もせず、何の遠慮もなく頼れたのは、生まれて初めて、このライマーだけだった。
しかし、ライマーは風雷へ配属される。そうなったら滅多に会えなくなる。しかも、厳しかった兵舎生活よりも遥かに辛い生活が待っている。これからは一人ですべてを背負わなければならない。今までずっとそうしてきたはずなのに、気が付けばこんなにも依存していた事を、こうなって始めて気がついた。だが、
「ダメとか出来ないとかを口にすると、本当にそうなっちまうんだ。だから、ダメな時ほど大丈夫!平気!なんとかなる!って声に出して自分に言い聞かせるのさ。すると、不思議な事に本当に大丈夫な気がしてくる。」
カレルは自分に言い聞かせるようにそう言った。そして、
「ま、うだうだ考えてたって仕方ねぇ。兎に角、前向いて歩いてくしかねぇってこった。なるようになるだろ!」
カレルは気弱になりそうな自分に心の中で喝を入れながら立ち上がった。そしてライマーに手を差し出す。
「そろそろ行かねぇと遅刻だ。シバキ上げられるぞ。」
「…そうだな。」
差し出された手を握り、ライマーも立ち上がった。
カレルは漆黒の拠点へ、そしてライマーは風雷の拠点へ…行くはずなのだが。
「なんでついて来るんだ?」
カレルはいつまでも自分の隣を歩くライマーを見上げた。ライマーはチラリとカレルを見下ろし、すぐに前に向けた。
「ウォルター隊長に直接掛け合って、配属先を漆黒に変えてもらった。」
「はあッ!!?」
カレルは思わず立ち止まった。だが、ライマーは立ち止まらず、さっさと先を歩いた。カレルはそれを小走りで追いかけた。
「お前……なんで…?」
「何でって、お前だけを漆黒にやるわけにはいかないからな。」
カレルがこんなに理不尽な目にあっているというのに、それを見ながら自分だけ希望通りの部所に行きたくなどない。カレルにあんなに世話になったくせに、それを見捨てて自分の希望部署に行ってしまった連中を責める気もない。自分がこうしたいからするだけだ。
カレルはライマーの腕を掴んで立ち止まらせた。振り返ったライマーを見上げ、激しく言い募る。
「だからって、お前!風雷にいくって、ガキの頃から決めてたんだろ!それを、何で」
「そうしたいと思ったからだ。」
ライマーはきっぱりとそう言い、だがすぐに首を横に振った。
「いや…本当はお前を疾風に入れてやりたかった。けど、結局俺にはこんなことくらいしか出来なかった。」
カレルは絶句した。そして、急にしゃがみ込み、自分の腕に顔を伏せた。
「お前、馬鹿じゃねーの?」
そう言った声は震えていた。
「俺なんかの為に、みすみす人生棒に振りやがって…」
ライマーは優しく笑って、カレルの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「人のために、こんなところで落ち込んでるお前が言うか?」
必ずや風雷の将校になってみせると夢を語り、毎日あんなに勉強していたのに。本当にライマーの為を思うなら、このまま風雷へ戻るよう説得するべきだと分かっていた。だが、ライマーが自分についてきてくれたことが、カレルは嬉しくて堪らなかった。このまま傍にいて欲しかった。そんな自分の我侭でライマーの人生をこのまま変えてしまうことを、
「ごめん。」
と、消え入りそうな声で謝った。すると、ライマーはこつんとカレルの頭を殴った。
「俺が勝手にしたことだ。お前が謝ることじゃない。」
だが、カレルは心の中で、何度も「ごめん。」と謝り続けた。
やがて、カレルは腕で涙を拭きながら、急に立ち上がると、さっさと歩き出し、
「俺が落ち込んでたっての…誰にも言うなよ。」
ライマーに背中を向けたままそう言った。
「ああ。わかった。」
ライマーは苦笑して、カレルにあわせて歩調を緩め、ゆっくりと後に付いていった。泣き顔を見ないでいてやれるように。
「あー、何か元気出てきた!」
カレルは手で顔を拭きながら、明るい声でそう言った。ライマーにはその言葉が何より嬉しかった。