カレルに背中を押されて部屋の中へ入ると、テーブルについていた者達が立ち上がった。そして、アルベルが用意された席につくのを待ち、それから1人ずつ簡単に自己紹介をしながら座っていった。
皆、若い。
アルベルはその面々を見回した。向こうもこちらを見ている。
しーん。
その場にしばしの沈黙が舞い降りたところで、アルベルはやっと皆自分が口を開くのを待っているらしいことに気付いた。しかし、つい先ほど話を聞いたばかりで、いきなりここに連れてこられたのだ。何も言う事などない。今更自己紹介というのも変だ。表面は平静を装いながら、この、何かを喋らなくてはならないような、アルベルにとっては至極いや〜な雰囲気と闘っていると、カレルがそれを察したのか、親友で情報部長のライマーに話題を振った。
「副団長殿のご様子は?」
ライマーはアルベルをチラリと探り見ながら、早速仕入れてきた情報を報告した。
「シェルビー殿は新しいパトロン探しで忙しくて、団長の動きを気にする暇などないようで。」
要するに、シェルビーはアルベルの事など眼中にないということだ。アルベルは内心、それはこっちのセリフだと思いながらも、むっつり黙っていた。
「その上、落ちこぼれ部隊がついたとなったら益々そうでしょうね。」
「こっちを見くびって貰っている内にさっさと事を進めないと。」
「他にわかったことは?」
アルベルはその情報交換の様子を見ながら、この集団の本質を見極めようとしていた。こいつらが自分に近づいてきた理由は何なのか。何より引っ掛かるのは、この手回しの良さ。アルベルは、カレルに渡された『アルベル精鋭部隊隊員』リストと配置図に目を落とした。そして、目の前の面々と見比べてみた。互いに冗談を交えながら、シェルビーの動向を的確に伝え合っている。
(こいつらが幹部ってわけか。)
その信頼しあった様子は、このメンバーがかき集めで出来たものではない事を示している。
『落ちこぼれ部隊長、カレル・シューインです。』
気にも留めていなかったのですっかり忘れていたが、アルベルが団長に就任した日に、カレルがそう名乗ったのを思い出した。つい昨日のことだ。そうだ、コイツは誰よりも早く、真っ先に名乗りを上げてきた。そして、気付けばこうして『アルベル精鋭部隊』とやらの、人のご機嫌を取ろうとするかのようなふざけた名前の集団の前に座らされているのである。今、自分はまんまと相手のペースにはめられてしまっているのではないか。
「おい。」
アルベルがカレルに呼びかけた途端、ぴたっと話がやんだ。視線が一斉に自分に集中する。
「『落ちこぼれ部隊』…確か雑用係だと言ったな?」
「はッ!『前』団長殿のお役に立てない不甲斐ない奴らを集め、草むしりから便所掃除まで皆の嫌がる仕事を率先して引き受け、蔭ながら漆黒を支える立派な部隊であります!」
カレルがわざとらしく敬礼しながらそういうと、周囲からどっと笑い声が起こった。だがアルベルには何故皆が笑うのか、まったくわからない。
「何が可笑しい!?」
アルベルは語気を荒げ、手にしていた『アルベル精鋭部隊隊員』リストと配置図を机にポイと放った。しんと鎮まりかえった空気の中、二枚の紙はふわりと舞い、再び机上に落ちた。アルベルはそれを顎で指した。
「ただの雑用係が何故こんな部隊を組めるのだ!?」
「そういう奴らを集めたからですよ。」
アルベルの詰問に、カレルがけろりと答えた。その他の者は、じっと状況を見守っている。
「成る程、それで?クーデターでも起こすつもりだったか?」
アルベルはこの集団の不穏な臭いを嗅ぎ付け、ずばりと核心を突くことで相手に揺さぶりをかけようとした。アルベルとしては、してやったり!といった気分だったのだが、
「ご明察♪」
カレルはまるでプレゼントの中身を当ててもらえたとでもいうような雰囲気で、パチンと指を鳴らし、その通りだというジェスチャーをしてみせた。どうやらアルベルの察しの良さが嬉しいらしい。
「…。」
アルベルは呆気にとられた。悪びれもせず、こんなにあっさり認められては困るのだ。謀反の罪。それはその場で殺されても文句が言えないほど重い罪だ。それがわかってるのか、いないのか。
「許される事じゃねぇってのは、ちゃんとわかってんのか?」
アルベルはカレルのことを常識があるのかと、疑わしげに睨んだ。だが、それに対してカレルはちょっと肩をすくめ、
「前団長を再起不能にした御人のセリフとは思えませんね。」
とさらっと返した。そこへ、
「まさに
と、ライマーの一言。再びどっと笑いが起こった。これはちょっとアルベルも可笑しかったのだが、それを押し留めて渋面を作った。
「この怪しげな集団に俺を引き込んで、一体何を企んでる?」
すると、カレルが急に真面目な顔になり、アルベルの目を覗き込んできた。
「『企む』ってのは良からぬ事に対してそういうもんでしょ?俺らが望んでんのは、実力のある者が正当に認められる体制。ごく当たり前の事です。」
要するに旧体制では、その当たり前の事がなされてなかったということだ。父が生きていた頃とは大きく様子が変わったらしい。まぁ、あの忌々しい前団長の顔を思い浮かべればそれもわかる気がする。
だがこの後、これまでの漆黒の状態とこの集団が出来た経緯をカレルが説明し、アルベルはその想像以上の酷さに驚きを隠せなかった。
「どうして大人しく従っていられるのだ!」
アルベルは机を叩いて憤慨した。理不尽な命令に従わなければならない兵士達に同情する反面、怒りを感じたようだ。それを受け入れる方も受け入れる方だ、自分ならばそんな筋の通らぬことは絶対に許さぬ、相手を殺してでも変えてみせる。ついさっきカレルの翻意を咎めた事など、すっかり忘れてそう捲くし立てた。
「それが集団心理の恐ろしさってやつですよ。ふつ〜に考えたらおかしいことでも、どんなに間違った事でも、皆がやってると正しく感じる。自分を取り囲んだその異常な環境が全てだと思い込み、自分をひん曲げてでも必死でそこに順応しようとする。人間ってのは集団で生活する生き物ですからね、こりゃもう本能なんでしょう。」
だが、まだ若く、そして恐ろしく我の強いアルベルにとっては、到底理解できない事のようだ。自分なら絶対に曲げん!とでもいうように、腕を組んで首を横に振っている。カレルは机の真ん中にはらりと落ちている『アルベル精鋭部隊』リストと配置図を拾い、アルベルの前にきちんと二枚並べて置いた。
「優秀な人間が無能な連中から不当なレッテルを貼られて、理不尽な理由で簡単に将来を絶たれてしまう。俺はそれをどうにかして拾ってやりたかった。」
これはそうして拾い上げた者達でできた部隊ということだ。抑えてはいたが、カレルの声にははっきりと怒りが滲んでいた。カレルは、自分自身の事は語らなかったのだが、『落ちこぼれ部隊長』として、余程の辛酸を舐めてきたであろうことは、想像に難くない。
人よりも遥か先を見据え、これだけの人間を集める事が出来る人間に与えられた仕事が便所掃除だとは。しかも侮辱されながら何年間も。それがどれだけ屈辱的なことか。物を考えられるだけに、一層そのギャップに苦しんだはずだ。
「シェルビー派はこの旧体制を引きずり続けるでしょうね。」
幹部の中で一番若いユーク・セルトンが忌々しげにそう言った。だが、カレルは
「でもまあ、それでいいってやつが集まるんだから、これはほっといていい。」
と、あっさり切り捨て、
「問題はそれ以外の人間です。」
とアルベルを振り返った。
「だから、ここでこっち側の方針をどーんと打ち出してやる必要があるんです。海のものとも山のものともわかんねぇ状況じゃ、皆ついていきようがないですからね。」
「…方針?」
すると、カレルはきちんと綴じた書類を差し出した。
「これ、参考までに。」
表紙には『新体制・原案』と書かれている。アルベルはそれを手にとってめくってみて驚いた。それは『原案』などというレベルではない、既に完璧なものであった。
手にしていた『原案』が急にずっしりと重みを増した気がし、アルベルはそれを閉じて机に置いた。『新体制・原案』―――その表紙の素っ気無さとは裏腹に、何と思いのこもった一冊であろうか。
「…。」
ここに居る者達の積年の思いが詰まった、この悲願の改革の一番重要なトップに、何故自分などを選んだのか。人選を間違えているのではないか。こんな重過ぎる期待に答えきれる自信などない。…そうだ、さっきカレルはこう言った。
『旦那に付くって言ってんのは、あくまで俺の考えで、奴らはまだ納得してません。』
アルベルは目を上げた。この新体制の中心的役割を担う者達が、自分をじっと見ている。原案を読んだ自分がどういう反応を示すのか、様子を窺っているのだ。その冷静な目付きに、アルベルは強い疎外感を感じた。アルベルの心に暗い影が差す。
「こんだけ話がまとまっているのなら、手前らだけでやればいいだろう?何でわざわざ俺を巻き込む必要がある?」
(…聞くまでもなかった。俺が漆黒団長だから、か。要するに子供なら扱いやすいと見くびってやがるわけだ。フン。ただのお飾りとして利用しようという魂胆なら、目に物を…)
しかし、それに対するカレルの答えは、アルベルの予想に反した。
「改革とその新体制に必要なしっかりとしたメンバーは揃ったし、明確な指針もある。やれる自信はあった。けど一つだけ、決定的に足りないものがあった。それが…」
ここで、カレルはすっとアルベルを指した。
「カリスマです。」
冗談かと思ったが、カレルの色素の薄い瞳に笑いの影はない。アルベルは動揺した。これは人の上に立つ者にとって最大の賛辞なのだ。
「革新派のリーダーが落ちこぼれの俺じゃ、如何せん求心力に欠ける。どんなにいいとわかってても、新しいもんには戸惑いがあるでしょ?本当に上手く行くのか、失敗したらどうなんのか、危険を冒すくらいなら、これまでの体制に甘んじていた方がマシだ…そう考えるヤツの方が大多数です。その結果、人は集まらない。誰も付いてこないんじゃ、改革は100%失敗する。それでどうしようかと悩んでいた矢先に…」
カレルはそこでアルベルを手で示した。
「強さも、知能も、度量も、美貌も、後ろ盾も、どれをとってもまったくもって申し分ない旦那が団長になってくれたんで、クーデターなんて危険を冒さずに、こうして正攻法で改革が進められるようになったってわけですよ。俺は実に運が良い。」
アルベルは、カレルが指を折りながら自分を褒める度、尻がむずむずするのを感じた。
(どうせ、おだててその気にさせようという魂胆なんだろう。)
昨日会ったばかりだというのに、何がわかるというのか。父を失ってから多くの人間に裏切られ、人を簡単に信用できなくなったアルベルは、そんな穿った見方をした。しかしカレルの言い方は、賛辞というよりは、淡々と事実を羅列しているだけだ。それだけに、信憑性が増す。
(はッ!騙されるな!)
アルベルはまたもや相手のペースに乗せられそうになっているのに気付き、心を閉ざして、相手の言葉に惑わされるな、と自分に言い聞かせたその矢先、
「でもま、旦那に白羽の矢を立てた一番の理由は、型破りのはみ出し者って点ですかね。」
「…。」
ストンと落とされた気分。これは間違っても褒めてない。カレルも今度はニヤッと笑って、しかし、「冗談はさて置き…」とすぐに真面目な顔に戻り、椅子から立ち上がった。
「俺は、旦那を置いて他に、この改革のトップとして適任者はいないと考えてます。どうか、引き受けて頂きたい。」
カレルは地に膝をつき頭を下げた。アルベルは驚いてカレルを見下ろした。仲間達も同様に驚いている。
「……なんでお前はそこまでするのだ?」
アルベルはカレルにそう聞きながら、さっきこの男が言ったセリフを思い出した。
『どうしても信用できねぇってんなら、俺は何でもします。土下座でも、裸踊りでも、旦那が使ってもいいと思えるまで。』
言葉の綾という程度にしか受け止めていなかったが、この男は本当にするだろう。何のために?『落ちこぼれ』どもの才能を拾ってやる為?漆黒を立て直すため?人のためにそこまでできるものなのか?…理解できない。
「クズにクズ扱いされて、屈辱に何年も耐えて、こんなふうに人に頭を下げて、そこまでしてお前に何の得がある!?軍などさっさと辞めてしまえば良かったのだ。他にも良い仕事はいくらでもあるだろう。」
すると、カレルは頭を上げて、アルベルの目を真っ直ぐ捉えた。
「『己が信念は最後まで貫き通せ。』…俺が最も尊敬していた方からの教えです。」
アルベルははっと胸をつかれた。自分の胸にもしっかりとその言葉が刻み込んである。父の声がまざまざと甦り、アルベルの瞳が一瞬揺らいだ。
(そういえば、俺の信念は何だっただろうか。父が死んでから、自分は何をしてきた?)
アルベルは目を瞑って我が身を振り返った。自分を責め、自分の弱さを呪い、ただひたすらに強さを求めてきた。ただ自分の為だけに。
かつて父は、ウォルターとともに王・アルゼイを助け、国の改革を打ち立てた。それと同じ事象が、今、自分の目の前に起ころうとしている。それから逃げようとした時に、思わぬ相手の口から出てきた父の言葉。父に、『お前に出来るか?』と言われた気がした。
アルベルが再び目を開いた時、その赤い瞳には確固たる決意があった。
「いいだろう。てめぇらに付き合ってやる。」
その瞬間、カレルが満面の笑みを浮かべた。会議室の空気もわっと盛り上がった。ピュ〜と口笛を吹くものもいる。
「ただし、名前を変えろ。」
「名前?」
「この部隊自体は問題ない。だが、名前を変えろ。」
「んじゃあ、アルベル軍団。」
「俺の名前をつけるのは止めろっつってんだ!」
「なんでです?」
「別に漆黒でもアーリグリフでも何でもいいだろう!何で俺の名前なんだ、みっともねぇ!」
カレルはここで、アルベルが口で言っているほどには自身を評価していない事に気付いた。
「ひょっとして、照れくさいんですか?」
カレルがニーッと笑ってアルベルの顔を覗き込んだ。
「ッ!」
アルベルは慌てて目を逸らした。アルベルに対して、こんな風な接し方をしてくる人間は初めてだった。
「じゃ、名前に関しては旦那が決めるってことで。それと、これからの漆黒の方針をどうするのか、こんな風に形にして下さい。明日までに。」
カレルはそう言って、原案をアルベルに指し示し、軽くウィンクして見せた。