アラン達は警戒しながら先へ進んだが、幸い魔物がいたのは最初の部屋だけだったようだ。道が分かれるたびに人を置いて来て、ついにアランとカレルの二人になった。
カレルは歩きながら壁をコンコンと叩いた。石なのか金属なのか、それすらもわからない。壁に描かれた模様がぼんやりと青白く光っている。そのお陰で松明がなくても先が見える。触っても熱くない。何もかも不思議だ。そして、それだけに不気味だ。生き物の気配がまったく感じられないこの無機質な空間に一人でいたら、間違いなくおかしくなってしまうだろう。
聞こえるのは二人の靴の音だけ。静寂が耳を圧迫してくる。それに耐えられなくなってカレルは口を開いた。
「な〜んであの人は俺のいないときに限ってトラブルに巻き込まれてくれるんすかねぇ?」
それを聞いて、アランは思った。それは、カレルがこうした事態を未然に防ぐからだ、と。国の要人になればなるほど、人の関心や注目を集め、些細なことが大事に発展してしまうものだ。特に誤解されることの多いアルベルは、自ら災難を引き寄せてしまう。それを芽の内に摘んでしまえば、何事も起こらなかったように見えるのだ。
「けど、考えてみたら、その都度、隊長が旦那を助けてくれてるんですよ。」
カレルがアランを見上げてニッと笑った。
「ホント良かった。隊長がいてくれて。」
打算のない笑顔に不意を突かれ、アランは戸惑った。そのせいだろうか、気付けば正直な気持ちを口にしていた。
「私に何ができたというのですか。ただ動揺していただけだというのに。」
アランはそう自嘲した。
「動揺してしまうのは多分、距離の問題ですよ。」
「距離?」
「相手に近ければ近いほど、相手の事が見えなくなってしまう。」
カレルは自分の顔の前に手のひらをかざし、指の間からアランに微笑みかけ、続けた。
「俺はそれで一度、親友を殺しかけました。死んだという誤情報にとり乱して、有得ない判断ミスを犯した。有り難いことにそいつは自力で何とかしてくれたから事無きを得ましたが。」
カレルでも取り乱すことがある。アランはそれを聞いて、今まで張っていた肩の力が抜けていくのを感じた。
「その失敗から、そいつを俺の範疇から完全に切り離しました。物理的に距離をとるために。」
物理的に距離をとる?アルベルから?そうできない場合は?アランの頭にいくつもの問いが浮かぶ。
「けど、旦那とはどうしても物理的な距離が取れない。だからその分、心理的に距離を置くようにしてるんです。本当はもっと心を寄せたかったんですけどね。…けど、その必要はなくなった。」
カレルはそこでアランをしっかりと見つめながら言った。
「隊長のお陰で。」
「!」
「常に見張ってねーと、危なかったんですよ。…あの人、死にたがってたから。」
それは、自分のせいで父を失くしたという罪悪感からだ。アルベルは常に自分の死に場所を探していた。
「それが、隊長と会ってから、そんな危うさが消えました。なんと『死ぬわけにはいかなくなった』って言ったんですよ、あの旦那が!」
カレルは嬉しそうに笑った。
「旦那は隊長と出会えて本当に良かったんですよ。」
「…それが道ならぬことでも?」
カレルは二人がどういう関係であるかについては触れなかった。だが、アランはそう聞かずにはおれなかった。
「関係ありません。」
カレルは笑顔でそう答えた。アランは顔を背けた。目にこみ上げてくる涙を隠す為に。
そう。関係ない。誰になんと言われようと。だが、人から認められることが、これほど心を揺さぶるとは思わなかった。
カレルなどに涙を見られたくない。必死で気持ちを鎮めていると、カレルが言った。
「あれ、何ですかねぇ?」
カレルの指し示すほうを見ると、地面に魔方陣のような模様が描かれ、そこに水晶が乗った三つの台が、正三角形となるように三点におかれていた。左から紫、赤、緑の光を放っている。その光はあたたかくも冷たくもない。
魔方陣の中央に文言が書いてあった。
『紫か赤が死神なら、赤と緑も死神となり、触れた者に死を与えん。』
「この水晶のどれかを選べってことでしょうね。」
すると、アランが言った。
「選ぶとするなら紫でしょうね。ただし、確率は四分の三ですが。」
確かにアランの言うとおりだった。紫を選んだ場合、四分の三の確率で当たりとなる。赤は二分の一、緑は四分の一。アランはそれを一瞬で計算したのだ。
「速っ!」
カレルは感嘆した。だが、アランはそんなことはどうでもよいようで、淡々と話を続けた。
「もっとも、ここに書かれてあることが偽りではないとすればの話ですが・・・」
カレルがスタスタと紫の水晶に近寄るのをみて、アランは思わず声をあげた。
「待ちなさいッ!」
アランらしからぬ大声に、カレルは驚いて振り返った。
「どうしたんですか?」
そんな呑気な返事に、アランは苛立ちを見せた。
「つまり、四分の一の確率で命を落とすということです。それをちゃんとわかってるのですか!?」
「だって、他に方法はねぇんだから。」
カレルはそう言うと水晶に手を伸ばした。と、ぐっとその腕を掴まれた。
「死ぬ気ですか?」
アランがカレルを睨む。カレルはそんなアランに驚き、やがて嬉しそうに笑った。
「有難うございます。俺を惜しんでくれて。」
そういわれてアランは自分の行動の意味に気付き、カレルの腕を放した。
「別に惜しんでなど…あっ!!」
だがそこでアランは息をのんだ。カレルが水晶に触れたのだ。水晶から紫色の光が魔方陣に広がり、二人を包み込んだ。
気が付けば、別の場所に移動していた。アランは真っ先にカレルの姿を探した。カレルもアランの姿を探していたようで、アランを見つけるとほっとした表情を見せた。
「正解でしたね。」
カレルはニッと笑った。アランは本気で腹を立てた。
「笑いごとですか!?死ぬかもしれなかったというのに!もう少し考えて行動しなさい!」
「だって、考えたら怖くなりそうで。」
「まったく、あなたという人間は…!!」
「すみません。」
カレルは肩をすくめて笑い、アランをなだめた。
「それより、ほら、あれ見てください。」
それは巨大なチェス板だった。
その上には人と同じ大きさの駒が置かれている。
それに近付こうとしたとき、いきなり老人の姿が現われた。そして、唐突に文句を言い出した。
「まったく!せっかくの仕掛けを台無しにしおって!しかも、『問題がちゃち』じゃと!?わざわざこの星の人間でもわかりそうな問題にしてやったというのに!そもそも、ぬしらの為に作ったのではないわ!」
どうやらこちらの会話は筒抜けだったらしい。あの望遠鏡のような装置でこちらの様子を覗いていたに違いない。
「何者ですか?」
アランが剣を抜き、自身の前に突き立てた。もし相手が少しでも不穏な行動を取れば、次の瞬間には氷像となってしまうだろう。だが老人は余裕の笑みを浮かべた。
「ふふん。わしを殺そうとしても無駄じゃ。ホログラムだと教えてやっても、どーせ理解できんだろうて。」
老人の姿がぱっと消えて、宙に浮かび上がった。身体が半透明に透けて見える。
「実態がない…。要するに、さきほどの映像の応用ですか。」
アランのこの台詞に老人は目を見張った。科学の知識などあるはずもないのに、事態を理解していることに驚いたのだ。
「成るほど…。ちと、甘く見すぎたか。」
この二人はこれまでの仕掛けを、あっという間に解いてきた。老人はにやりと笑った。
「これは楽しめそうじゃ。よし、計画は変更じゃ。」
老人の姿がぱっとチェス盤の方へ移動した。
「このワシに勝ったら扉を開けてやろう。引き分けなら先へは進めん。来た道を戻るが良い。じゃが…」
老人はもったいぶってそこで言葉をとめて、
(ふっふっふ。勝負は緊迫したほうが面白いのじゃ!)
と一人ほくそ笑み、
「もし負けた場合、ぬしらは永遠にここから出られん!くわっはっはっは!」
と高笑いしたが、アランは淡々と剣を納め、カレルはすでにチェスのほうに気持ちが行っていて、興味深々にあちこち覗き込みながら、
「チェスか…。将棋の方が好きなんだけどなー。」
とぼやいている。
「…ちっ。張り合いのない奴らじゃ。」
老人は鼻毛を抜きながらという投げやりな態度でこのチェス盤の仕組みを説明した。手元に小さな盤があり、それを動かすとこの巨大な石像が動くらしい。
「どちらが勝負しますか?」
アランはカレルに尋ねた。将棋はカレルと打ったことがある。そのときは負け、実力もカレルのほうが上だと自覚していた。だが、チェスはアランのもっとも得意とするものだった。一方のカレルはチェスは好きではない、と言う。
「わしゃどっちでも構わんぞ。なんなら二人でかかってくるか?」
老人が挑発する。だがそれも無視された。
「勝つ自信は?」
アランがカレルに尋ねた。
「さあ?それはやってみねぇと、なんとも。」
カレルの言うことはもっともではあるが、そんなすっきりしない返答に、アランは自ら前に進み出た。
アランがポーンを動かした。すると盤上の巨大な石像が動きだした。
そして、駒を取る場面では石像が武器を振り上げ、相手のポーンを破壊した。石が派手に飛び散る。
「うわ、びっくりした!」
その迫力に、カレルが驚きの声をあげた。
「むむむ。成るほど、強いな。」
アランの洗練された手に老人が唸る。しかし、勝負は難航した。老人が時折流れの全く読めない手を打ってくるのだ。一体どういうつもりなのかわからず、アランは戸惑った。そして、相手の予測不能な手に翻弄されるうち、流れは悪い方向に向かった。この流れは良くない。このままでは―――
アランが焦りを感じた、その時。
「ちょっと失礼。」
カレルが横からポンと駒を動かした。石像が動き出し、相手のポーンを破壊した。
「何を!」
アランは血相を変えたが、
「このままだと引き分けでしょ?」
そういわれて黙り込んだ。
「だったら俺に任せてください。こっからなら勝算があります。」
もしここで勝てなければ永遠にアルベルを失う。しかし、最早自分ではどうしようもない。こんな大事な局面を人に任せるしかない悔しさ。だがそれよりも、カレルに任せれば安心だという気持ちの方がずっと大きくなっていることに気付き、アランは複雑な気持ちになった。
そんなアランの心中を知ってか知らずか、カレルは放っておけばいい駒を、わざわざ手数を割いていちいち破壊している。その挙句、自殺行為に等しい一手を打った。
これには流石のアランも息をのんだ。
「何をやっているのですか!そんなところに置いたら…!」
だが、カレルはニヤッと笑った。
「いーから見てて下さいよ。」
すると、老人はクイーンを逃がした。そうしなければ、あと数手で勝負は決していたのに。
「ほらね?」
「…どうして?」
「あのじーさん、クィーンを壊されたくないんですよ。多分。」
「…何故?」
「さあ?お気に入りなんじゃないですか?」
「まさか、そんな理由で…。」
「だって、ほら。またクィーンを逃がした。」
本当だ。
「『人の好み』など、そんな不確定要素を作戦に取り入れるなど、私には到底できませんが。」
盤面に人の好みが反映されるなど考えてもみなかった。常に最善の手を打つのが、当たり前だと思っていた。すると、カレルが事も無げに言った。
「限りなく確定要素に近づけてやりゃいいんですよ。別の手でね。」
成る程、駒を片っ端から壊していたのはその為のだったのか。
そこから一気に形勢が傾き、
「ってわけで、これでチェックメイト♪」
カレルが嬉しそうに言った。老人は悔しがって地団太を踏んだ。
「横から手を出すなぞ、反則じゃ!」
「え?二人でも構わないって言いませんでしたっけ?」
「うぐぐぐ!散々ワシを無視しておいて、そういうところだけちゃっかり聞いておるとは、まったくもって腹立つ奴らじゃ!」
カレルは笑って非礼を詫びた。老人はため息をついた。
「はあ、アドレーとの約束は果たせなんだ…。まあ、奴も勝手なやつじゃからな。お互い様じゃ。」
「アドレー・ラーズバード閣下とお知り合いですか?」
カレルが尋ねたが、老人は教えてやるもんかとそっぽを向いた。
「さあの。それはともかく、約束は約束じゃ。」
老人の姿がぱっと消え、それと同時に遺跡の中の扉が一斉に開いた。
「アルベル様!!」
アランはアルベルの姿を見つけるや、すぐさま駆け寄った。
「よかった、ご無事で…。」
アルベルの手を取ろうとし、そこでアルベルがクレアを背負っていることに気付いた。アランの表情が凍りつく。それに気付いたカレルは、急いでアルベルと交代した。
「よいしょ!」
カレルは弾みをつけ、ずり落ちそうになるクレアを背負いなおした。カレルとクレアの背丈は同じくらいだ。女性とはいえ、重くないといえば嘘になる。すぐにクレアが聞いてきた。
「すみません、重いでしょう?」
「そうだな。」
カレルが正直に言うと、クレアが恐縮した。
「ご、ごめんなさい。」
「冗談…って、この手の話題で冗談ってのは、タブーだったか?」
クレアは静かに首を横に振った。
「いいえ、私が変なこと聞かなければ良かったんですよね?」
カレルはクレアの心境の変化に気付いた。
「ま、そういうこった。『ありがとうv』だけでいい。笑顔でな。」
「ふふっ、そうですね。…ありがとうございます。」
「どーいたしまして。」
そう言いながらカレルはアランたちの方を見た。アランは今回の件をかなり怒っているようだ。
「このような事態を引き起こしたアドレー・ラーズバード閣下には、相応の責任を追求せねばなりません。」
アランは当然の主張をした。だが、アルベルはそれに頷こうとはしなかった。
「それに乗った俺も俺だ。」
だが、アランは納得しなかった。
「しかし!我がアーリグリフ軍の長を脅迫し、危険にさらした罪は…!」
「俺個人で決着をつける。お前は事を荒立てるな。」
アルベルはアランの言葉を遮り、「それより…」と、話を逸らした。
「なんでお前がここに来たんだ?国事を放ってきたのか?その方が大問題だ。」
「あなたの一大事にじっとしてはおれません。」
「こいつを寄越せば充分だろう?」
アルベルはカレルをあごで指した。
「今回は幸い無事ですみましたが、しかし、もしこれが危険な場であったら…」
「それなら尚更だ。お前が動いてどうする?」
すると、アランが立ち止まった。そして、アルベルに向かって決然と言い放った。
「国事など……あなたの事以外、どうでもいい!」
シンと静まり返った。アルベルはアランの目に静かな怒りがあるのを見つけた。アルベルは小さくため息をついた。軽はずみな行動のせいで、アランをどれ程心配させたか。個人的にアランのこの言葉は嬉しい。だが、アランにはもっと世界を広げて欲しい。そうした上で自分を愛して欲しい。
「…俺は必ず生きて帰る。だから二度と来るな。」
アルベルは厳しく言った。
来た道を戻って、やがてネルたちと合流し、全員無事に遺跡から脱出した。
カレルが空を見上げ、自然の光の眩しさに目を細めていると、アルベルが呼んだ。
「カレル、お前はカルサアに戻れ。」
今度という今度は懲りた。自分にはブレーキが必要だ。アルベルはそう思って言ったのだったが、カレルは必死の表情で言った。
「あと一週間!」
「何?」
「じゃ、五日…いや、三日。あと三日だけ、お願いします!」
アルベルはカレルの様子から感じるものがあり、仕方がないと承諾した。
「…いいだろう。一週間。但し、それ以上は許さん。」
「有難うございます。」
カレルは深々と頭を下げた。