小説☆アラアル編---新体制〜後編(7)

アランがいつものように今日の分の仕事を完璧に終え、王への挨拶も済ませて、明日速やかに仕事に取り掛かれるように、予定の確認をしていると、カレルが部屋に入ってきた。

  「ちょっと俺の話を聞いてほしいんですけど…あ、言葉遣いに関しては勘弁してください。そう簡単に話せる内容じゃないんです。」

アランの他には誰もいないのを確認しながらそう言った。アランはもう言葉遣いなどどうでもよかった。それよりも、

  「明日にしてください。」

一刻も早く家に帰って、夕食の準備をしながらアルベルの帰りを待ちたい。だがカレルは食い下がった。

  「帰り支度しながらでいいですから。」

それならどうぞご自由に。アランは目だけでそう言った。



  「俺の家はどん底っていうくらい貧しかったけど、家族みんな仲良くて本当に幸せでした。お袋はいつも陽気で、血の繋がりなんか関係なく、みんなを愛してくれて。父親も手放しで可愛がってくれて、弟妹達はすげぇ慕ってくれるし。たまに喧嘩もするけど、いつも笑いが絶えない家なんですよ。」

アランとは180度違う環境。アランはそれを羨ましいと思った。わざわざ幸せ自慢に来たのかと思ったが、そうではなかった。

  「けど、なんでかわからねぇけど、俺はその幸せを感じた途端、急に反動が来て、俺はその幸せを感じちゃいけないような、その資格がねぇって、いつもひどい罪悪感に苛まれるんです。皆すげぇ楽しそうなのに、俺だけ孤独で…そんな自分が悲しくて。なんていうか…本当の自分は虚無の中にいて、目が窓になってて、そこから外の幸せな世界をただ覗いてるだけのような…そんな感覚です。」

窓―――

アランはその単語にぎくりとした。窓…それはアランの幼少期の象徴だった。なぜそれをカレルが知っているのか。

  「生きている実感がない。いつも不安で苦しくて、でも何に対して不安なのか、どうして苦しいのかまったくわからない。ただ、自分は汚い、そんな自分を許せないっていう気持ちが常にあって…」

アランは堪らず遮った。

  「…誰の話をしているのですか?」

カレルは「俺の話です。」と言った。だが、アランは信じられなかった。それ程に自分と重なっていたのだ。

カレルは椅子に座った。これからが本題だ。机の上で手を組み、それを支えにするかのように、自分の過去を語り始めた。

  「ガキの頃、お袋は夜の酒場で働いてましてね。その間、俺は妹と二人で留守番してたんです。

その日、夜遅く、ドアをたたく音がして、お袋からは絶対開けるなって言われてたのに、お袋が怪我をしたっていう嘘にだまされて、開けちまったんですよ。そいつは、お袋に熱を入れてるヤツで、酒に酔ってて、嫌な感じがしたんですが、けどもし本当だったら大変だと思ってね。

寝てる妹を一人置いていく訳にはいかねぇし、でもお袋が大変だし、半分パニック状態でどうしようかと思ってたら―――

  『俺が見ててやるよ。』

妹は起きる様子はなかったし、夜遅かったから外に連れ出すのも危ないと思いました。それで、走ってお袋のところに行きかけたんですが、どうしても妹の事が気になって、やっぱり背負ってでも連れて行こうと思って引き返したんですよ。そしたら―――」

そこで目にしたのは、寝ている妹の服を脱がそうとしている男の姿。

  「必死で助けようとしたけど、到底適わなくて。やめてくれって泣いて頼んだら……そしたら…」

カレルの声が微かに震えている。作業をしていたアランの手はいつの間にか止まっていた。嫌な動悸がしてくる。

  「………じゃあ…お前が…代りに………」

シーンと沈黙が降りた。その沈黙の中、カレルは静かに息を吸った。

  「『恨むならお前の母親を恨め』って言われました。……お袋にフラれた腹いせだったんですよ…」

こみ上げそうになるものを必死で堪えているのが伝わってくる。

  「どういうわけか、俺はずっとその事を忘れてましてね。それがこの歳になって、急に思い出しちまったんですよ。ついさっきの事のように。…それも生々しく。」

あの時の壮絶な恐怖、恐ろしい光景、おぞましい感触、吐き気がするようなニオイ。それらに繰り返し繰り返し犯され続ける地獄。

  「アイツを許せない!絶対に許せない!!…けどそれ以上に許せねぇのが…」

カレルはポツリと言った。

  「俺自身なんです…。」

カレルはぐっと唇を噛み締めた。

  「ほんと最悪なんですが…」

言いかけてやめ、震える溜息をついた。その先をどうしても言葉にすることができない。カレルは爪が食い込むほどに手を握り締め、その痛みをばねに、何とか吐き出した。

  「か…身体が……反応…しちまったんですよ。吐き気がするほど嫌だったはずなのに…!」

カレルは俯いて自嘲した。だが、アランには、「俺なんか死んでしまえ!」という、声にならない叫びが聞こえたような気がした。

  「単なる生理現象だったんだって……思いたいんですけどね。」

本当にそう思えたら、いくらか楽だったろう。だが、どうしても自分を許せないのだ。アランにはそれが痛いほど伝わってきた。ただ、どうしてそんな話を自分に聞かせるのか。それを聞くより先に、どうしても聞きたいことがあった。

  「…相手が女だったらマシだったのでしょうね。」

  「同じですよ。…いや、わかってもらえない分、余計に苦しいかもしれない。」

カレルは手のひらで自分の顔を撫でて気分を切り替えてから、アランを見つめた。そのガラスのような瞳に捉えられた瞬間、アランは動揺した。この心の闇を見抜かれているのではないかという恐れを、「そんなはずはない」と必死でなだめる。だが、

  「中には無神経に言う奴もいるでしょう。『早く経験できてよかったじゃないか』ってね。そうやって周囲から理解してもらえない内に、やがて自分にもそう言い聞かせてしまうかもしれない。本当は嫌だったのに。」

とカレルが言った。心臓を鷲掴みされたかのような感覚に、アランは思わず胸を押さえた。

  「それはとても危険なことなんです。苦しみの原因はそこにあるのに、それに自ら蓋をして目をそらしてしまうんですから。何で苦しいのか、何で幸せになれないのか、いつまでたっても理由がわからない。」

カレルの発する言葉の一つ一つが、アランの心に共振を起こし、動悸が激しくなっていく。自ら蓋をして避けてきた領域に踏み込まれる恐怖。だが、その一方でそうされるのを待ち望んでいたかのような感覚。アランの心の中でそれらがせめぎ合い、カレルの目から目を離せなくなった。カレルはそんなアランを見つめ、まっすぐに言った。

  「傷ついたんですよ!絶対に!!誰がなんと言おうと!!!」

カレルから放たれた波動が、アランの胸の中で一気に広がった。パーンという氷が弾けるような音を聞いた気がした。そうしてその次の瞬間には、そこに無理やり押し込められていた感情が、一気に噴出してきた。

14歳の時、父が寝室に女を送り込んできた。恐ろしかった。身も心も全て穢された。これ以上ない程の屈辱だった。それなのに『当たり前のこと』なのだと勝手に決め付けられた。

  『当たり前のこと』

この苦しみに折り合いをつけるには、自分にもそう言い聞かせるしかなかった。そうする以外、壊れそうになる心を守ることができなかったから。

怒り、憎しみ、恐怖、悲しみ…それらが次から次へと溢れてくる。感情が抑えられない。涙がとまらない。

カレルがそっと席を立った。そして、去り際にこう言った。

  「それも、単なる生理現象ですよ。心の澱を洗い流すためのね。だから、止めないでください。」

その優しい波動に心が震え、一層涙が溢れてきた。

  『不安ですよね。そして苦しい…』

あの時感じた感覚。それはこれと同じだったのだ。

次の話へ /→目次へ戻る

■あとがき
アルベルと愛し合えて、アランは幸せなのに、何故かいつも不安でした。その原因が今回の話なわけで。アルベルによって随分癒されたんだけど、やっぱり根本的なところは、おんなじ経験をした人にしかわからないかなー、と。でも、こうやって殻を打ち破れたのはアルベルのお陰です。アルベルの愛があるから。もしそれがなければ、殻を破ることイコール自己の崩壊ですから、それはもっと分厚く、カレルでは到底手に負えなかったと思います。そして、こっからはアルベルの出番です〜v