(遅い…)
アルベルは二階の窓から、アランを乗せた飛竜が飛んでいないか探した。いつもだったらキッチンで食事の用意をしているはずのアランがまだ帰ってないのだ。城で何かあったのかもしれない。しかしまだ、帰りが遅いからといって心配するような時間ではない。
(というか、まだ日も沈んでねぇのに、どんだけ心配性だ。)
と自分で突っ込みをいれつつ、悪い予感までとはいかないが、そういう感じがして、なんだか気になる。あんまり遅いようだったら様子を見に行こう、とそんなことを考えていると、空の向こうにポツリと影が見えた。だんだん大きくなってくる。アランだ。アルベルはほっとして玄関に向かった。
玄関を開け、アランが泣きはらした目をしているのに気付いたアルベルは血相を変えた。
「どうした!?」
近寄って心配そうにアランの顔を覗き込む。アルベルが心配してくれた。アランはそれだけのことで胸がいっぱいになり、それが涙となって溢れた。
「アルベル様…。」
アルベルに身を寄せると、アルベルがそっと抱きしめてくれた。その温もりに心が打ち震える。
「とにかく中に入れ。」
アルベルはアランを家の中に入れ、玄関を閉めた。
アランは涙を流しながら、アルベルに自分の過去を打ち明けた。
どんなに嫌だったか。どんなに傷ついたか。
そうしてまた泣いた。アルベルが優しく背中を撫でてくれる。するとまた涙が溢れてくる。
「私はあなたに救われました。本当に…あなたに会えて、本当に良かった。あなたが……」
と、アランが急に黙り込んだ。
「?」
「私はッ…とんでもない事を…!」
アランの顔からみるみる血の気が引いていく。
「今度は何だ?」
「私は…あなたに同じことをしてしまったのではありませんか!?」
二人の関係は初め、アランの一方的なものだった。
「私はあなたを犯してしまったのです!わ、私は…何ということを…!」
アルベルはアランの心配を笑った。
「俺はガキじゃねぇんだ。そんな心配はねぇよ。」
「ですが!」
「結果的に良かった。」
「!」
アルベルはアランの為にもう一度言った。
「俺はこうなって良かった。」
アルベルのその言葉に感動して、またアランの目から涙がこぼれた。涙腺が壊れてしまったのではないだろうか。
「本当に、私は一体どうしてしまったのでしょうか。」
ハンカチで涙を拭うアランを、アルベルは自分の胸に抱き寄せた。
「思う存分泣いてしまえ。」
アランはアルベルの腕のなかで目を瞑った。アルベルの愛があたたかく広がり染み込んでいく。その感覚のあまりの鮮明さに、全身が痺れる。
(これが満たされるということ…!)
これが『生きている』ということなら、自分は今まで生きてなどいなかった。
(なんという幸せ…!)
アランは涙を流しながら、アルベルのぬくもりを胸いっぱいに吸い込んだ。
ずっと薄暗い空間の中でうずくまっていた少年が、窓が割れているのに気付いた。少年のくすんだ瞳に光がともった。
外に出られる!
少年は立ち上がった。すると、暗闇から黒い影が頭をもたげ、少年を窓に近寄らせまいと追いかけてきた。少年は必死で走った。窓の鍵に手を掛ける。闇が少年に覆いかぶさってきた。少年は目を瞑って観念した。だが、割れた窓から直接差し込んでくる光に触れた途端、ザアッという音と共に消滅してしまった。他の黒い影がざわざわと寄ってくる。だが光に阻まれ、それ以上近付けずにいる。少年は震えながら、何とか窓を開け外へ出た。
光だ!眩しい!でも見える!世界が見える!
少年の心にあった恐れが一気に昇華し、内側から溢れてきた光によって、少年を覆っていた闇の殻が剥がれ落ちていった。
少年は歓喜の声をあげ、光の中で手を広げた。
アルベルは身支度を整え、朝食のテーブルについた。いつもながら美味しそうな料理が並んでいる。だが、アランがいない。キッチンから気配はするが、作業をしている風でもなく静まり返っている。どうしたのかと思って覗いてみると、そこで氷を包んだタオルを目に当てているアランを見つけた。
「何してるんだ?」
アルベルが声を掛けると、アランは慌てて背中を向けた。
「その…目が腫れてしまって。」
昨日は泣きながら眠ってしまったから。
「見せてみろ。」
「こんなみっともない顔、お見せできません。」
「いいから見せろ。」
アルベルには逆らえず、アランはしぶしぶ振り返った。その顔を見るなり、アルベルは笑った。アランが恥ずかしそうにしている表情があまりに可愛かったから。
「お見せしたくなかったのに…。」
アルベルに笑われたアランはますます赤くなった。
「お前がそんな可愛い顔するからだ。」
「えっ?」
可愛いなどと、初めて言われた。口から思わずついて出た正直な言葉に、言った本人も驚き慌てた。
「ま、目蓋が少し腫れているくらいで、そんなに恥ずかしがるほどじゃねぇよ。」
「…そうでしょうか?」
「お前はいつも完璧すぎるからな。このくらい隙があるほうがいい。」
「『可愛い』ですか?」
アランの顔に、もう一度言って欲しいと書いてある。アルベルはアランの可愛い泣き顔に免じて、素直に認めてやることにした。
「…まあな。」
アランは嬉しそうに微笑んだ。
「!」
アルベルはその輝くような笑顔に心を奪われた。今までも、アランを美しいと思っていた。だが、この輝きは今までとは比べ物にならない。何のてらいも躊躇いもない、純真無垢な、まるで赤ん坊のような笑み。
今まで覆っていた冷たい氷のベールを脱ぎ捨て、アランはまさに生まれ変わったのだ。