『団長が真面目に仕事をしている。』
いち早くそれを聞きつけたオレストが、早速様子を窺いに来た。じろりと睨んだらすぐ退散したが、ドア越しに「すげぇ!本当に仕事してる!」というオレストの声がばっちり聞こえた。
(俺が仕事をするのがそんなに珍しいか。)
印鑑をドンと押したら勢いが良すぎて、二重にぶれてしまった。でもまあ、見えないことはないということで、とりあえず一区切り。「ふう。」と一息ついて、椅子の背にもたれかかり、天井を見上げた。
こうして団長席に戻ってまず気付いたのは、カレルがずっとアルベルの空席を守っていてくれていたのだということ。その為にどれ程の事をしてくれていたか、それが身に染みてわかった。
(さて…)
体を起こして机に戻るも、次の書類の山の高さにやる気が一気に霧散する。気分転換に体を動かしてくるか…いやいや、そんな時間はない。逃げに走ろうとする気持ちを戒め、諦めて次の書類に取り掛かろうとしていると、カレルが数日振りに顔を見せた。そして、入ってくるなり頭を下げた。
「ご迷惑をお掛けして、すみませんでした。」
「具合はいいのか?」
「はい、もうすっかり。」
(嘘付け…。)
医者から、1ヶ月は療養が必要だと聞いていた。ここ数日、酷く塞ぎ込んで、誰とも話をしようとしないとも。そんなことはおくびも出さずに、青白い顔で笑顔を見せるカレルを、アルベルは胸の詰まる思いで見た。
「それと、団長復帰。おめでとうございます。ホント、戻って来てくれてよかった。」
「てめぇに任せるには荷が重いと判断して、仕方なく、だ。」
「え、じゃあ俺の為に?そりゃますます嬉しいですよ。」
「自惚れんな!」
ワザと怒ってみせると、カレルは冗談ですと笑って本題に入った。
「今後、漆黒の再編が必要だと思ったんですけど。」
「…そうだな。」
「一応、考えてみました。参考までに。」
さすがはカレル。既に次のことを考えていた。だが、アルベルはそれを一目見るなり眉間に皺を寄せた。カレルの名前がどこにも見当たらなかったからだ。
「…お前は?」
カレルは目を伏せたままポソリと言った。
「俺はもうお役御免でいいでしょ?」
「なんだと…!?」
なんだかんだ言いつつも最後まで自分に付いてきてくれるだろうと信じていたカレルが、本気でそんな事を言い出すとは思いも寄らなかった。裏切られた思いでショックを受けたが、カレルの様子を見て思い直した。カレルは疲れているのだ。まあ、元々やる気満々だったとは言えないが、それでもいつもだったらこんな事は言わなかったろう。それだけ参っているという事だ。ただし、そんな世迷言を許すつもりはない。口調も荒くなる。
「ふざけるな!人を担ぎ出しやがった責任は最後まで取れ!」
アルベルは自分のすぐ下にカレルの名前を勢い良く書き込んだ。
「それとライマーの奴はどうした?」
そこにはライマーの名も書かれていなかった。カレルは俯いていたが、やがて息を吸い込むと決然と顔を上げた。
「アイツを風雷に行かせてやってくれませんか?」
そう言ったカレルの目。それは、『殺すなら殺せ!』と口では威勢良く言いながら、全く覚悟が出来てない者特有の脅えた目だった。
(まさかこいつがこんな目をするとはな…。)
もっともカレルは、『そんなに言うなら殺してやる』と刀を抜いた途端ガタガタと震えて命乞いをするような人間ではない。恐らくはそれで本当に腹を括ってしまうだろう。取り合えず、アルベルはカレルの言い分を最後まで黙って聞くことにした。
カレルは、ライマーが漆黒に来た経緯を話し、本来は風雷に行くべきだったのだと切に訴えた。だが、話を聞き終えたアルベルはそれを一蹴した。
「アホか、お前は!そんな理由で奴をジジイに譲るつもりは毛頭ねぇ!」
もし、カレルがこんな目をしていなければ、聞き入れてやったかもしれない。ライマーが風雷に向いているのはわかっていたし、ライマーならばウォルターに自信を持って推薦できるからだ。
「じゃあ、アイツをどこに配属します!?これ以上、飼い殺しにするような事は絶対に…!」
アルベルに感情をぶつけようとしたところでカレルは我に返り、
「……すいません。」
とポツリと詫びた。アルベルはそんなカレルをじっと見た。そして、
―――見つけた―――
と、そう思った。こうして良く見れば、決してわからぬ相手ではない。今までそうした事が見えなかったのは、自分にとって都合の良いカレルの仮の姿にすがろうとしていたから。それだけ依存していたということだろう。
これはしばらくカレルを休ませる必要がある。まあ、タイミング的には丁度良かった。
そんな事を考えながらアルベルは自分の名前の横に線を伸ばし、そこにザカザカとライマーの名前を書いた。
「奴は副団長にする。」
「…えっ!?」
思ってもみなかった展開に、カレルは目を見張った。
「そろそろあの烏合の衆を何とかしていい頃だ。」
副団長であったシェルビーの死後、アルベルはまだ次の副団長を指名していなかった。その為、副団長派は次に誰を推薦するかで、幾派にも内部分裂を起こしていた。そのまま副団長派を消滅させ、いずれこちらに吸収するつもりなのだろうと思っていた。
「アイツは俺やお前と違って正当派だ。ついて来る人間は多いはずだ。」
「は……!」
アルベルのその言葉を聞いたカレルは、額に手を当てて俯いた。
「どうした?」
また具合が悪くなったのかと思ったが違った。再び顔を上げた、その目は微かに潤んでいた。
「今、めちゃくちゃ旦那に抱きついてキスしてぇんですけど。」
「…殺されてぇのか?」
「そんくらいマジで嬉しいです!ほんとに有難うございます!」
カレルは目を瞑って深々と頭を下げた。アルベルがちゃんとライマーの事を考えてくれていた事に、カレルは感激した。
(流石、旦那だ。)
またも予想を超える一手で、自分の悩みなど事も無げに吹き飛ばしてくれた。落ち込んでいた気分が浮上してきた。
「じゃあ、早速、幹部会をしましょうか。」
善は急げと動き出したカレルを、
「いや、待て。」
とアルベルは止めた。
「?」
アルベルは椅子の背に寄りかかると、おもむろに言った。
「お前、しばらくアランの所に行け。」
「えっ!?」
またも予想外の展開。
「聞けばお前、アランにちょっかい出してるらしいじゃねぇか。」
「いや、別に、そういうわけじゃ…。」
当たり障りのない言い訳を探そうとしたが、アルベルはそれを咎めているわけではないらしかった。それどころか、
「お前が何を考えてそうしたのか、わからんでもない。どうせやるなら本腰入れてやって来やがれ。」
と、理解を示してくれた。それは嬉しかったが、
「えー………」
と、思わず正直な反応が出てしまった。アルベルはカレルをギロリと睨んだ。
「文句あるのか?」
「いえ、あの…できればライマーの手伝いをしてぇなー…なんて…」
「アイツ一人で十分だ。」
「そりゃ…そうですけど…」
アルベルはしばらくカレルをライマーから引き離しておこうと考えていた。団長派のトップであるカレルが裏で糸を引いているように思われては、副団長にライマーを選んだ意味がないからだ。そんなことくらいわかってもよさそうなのに、カレルは少々不満そうな顔をしている。カレルはライマーが絡むと、時折こういう『らしからぬ甘さ』を見せる。カレル自身、それを自覚しており、一つのミスも許されないような局面では、敢えてライマーを自分の手の及ぶ範囲から外し、物理的に距離を置くのだと言っていた。
「どうせ、医者の許可が下りるまで、てめぇはしばらく役に立たんだろうが。」
「余所者がいきなりやってきて、あれこれ口出しされたらいい気しねぇと思いますけど?疾風にも人はいるのに、わざわざ漆黒から呼んだりしたら、アラン隊長への不信感にも繋がりますよ?」
すると、アルベルはニヤッと笑った。
「心配するな。お前の『再教育』って事にしておいてやる。」
「さ、再教育〜!?」
「俺やアランに楯突いたバツだ。反省して来い。」
「…アラン隊長は承諾されてんですか?」
「ああ。」
あまり有難くなさそうではあったが。
「けど…」
「…何だ?」
「俺、あの人に嫌われてんですよねー。何でか知らねぇけど。」
二人の事を考えてやってるのに、その当の本人達のこのパッとしない反応に、アルベルはプチンと切れた。
「ぐだぐだ言わずに行って来い!」