アランの所へ行くと、カレルはまず先日の非礼を詫びた。
「これ。ご迷惑をお掛けしたお詫びです。どうぞお納めください。」
そんなものはいらぬとはね付けようとしたが、
「隠し撮りの一点ものです。」
という言葉に、それを思いとどまった。中を開くと、やはりアルベル写真。しかも舞踏会でのものだった。
成る程、ツボを良く心得ている。アランはそれをすっと引き出しに納めた。
「午前のみの勤務という事ですので、朝の一時間はアルベル様の部下として相応しい立ち居振る舞いを、それが終わったら時間まで美術を学んで頂きます。」
アランは説明しながらカレルに一枚の紙を渡した。それはスケジュール表だった。その驚きの内容にカレルは目を見開いた。アルベルとアランの間でどういうやり取りがあったのかは知らないが、これはとんでもない事になりそうな予感…。
「なんで美術なんか…」
「ここは漆黒ではありません。言葉遣いも十分気をつけるように。」
「…漆黒に戻れば、元の木阿弥になると思われますが。」
すると、アランがいきなりぶち切れた。
「口答えなど以ての外です!そもそもあなたは、アルベル様が何も仰らないのをいい事に、好き放題…!付け上がるのもいい加減にしなさい!」
どうせ無駄ですよ、なんて言われれば怒るのは当然。しかし、その当然がなかなか適用されないアランがこういう反応を見せるとは思わなかった。何が起爆剤になったのか、さっきの会話を分析しながら、申し訳ありませんと頭を下げた。
「その点を、徹底的に矯正しますので、そのつもりで。」
「はい…。」
アランは怒気を払って冷静な口調に戻った。気持ちの切り替えが極めて速いのもアランの特徴。
「あなたの席はそこです。」
部屋の片隅に新しく置かれた机を示した。机の上を見ると、マナーや美術に関する本とスケッチブックと画材が積まれていた。引き出しに入れていいのは、これらの物のみ。これ以外の私物は一切置かない事。私語及び飲食は禁止。机を離れる際には、机の上は何もない状態にする事。掃除は毎日する事…などなど、こまごまと様々な制約を付けられた。
「アルベル様が仰るので仕方なくここに置くのです。その点を重々わきまえて下さい。」
こうも露骨に嫌われると、なんだか申し訳なく感じてしまう。
アランは積まれていた本の一冊を手に取り、カレルに差し出した。『絵画理論』。題名を見ただけでわかる。これは間違いなくつまらない本だ。
「まずは、基礎を叩き込んで下さい。そして、その上でこれらの画集を模写し提出すること。一日一枚以上です。」
「うっ…」
…へぇ。そう言い掛けてしまったのを慌てて飲み込んだ。
「一つ、言っておきますが、棋譜など絵のうちに入りませんので。」
キフ?…ああ、棋譜。あの絵を見たのか。で、この仕打ちなわけだ。
「早速、今日一枚提出するように。」
今日!?それは嫌だ。
「あの、一つ宜しいでしょうか…。」
「何か?」
「まずしばらくは、これを読むだけで手一杯ですので、絵の提出についてはしばらく猶予を頂きたいのですが…。」
アランに冷ややかに睨まれ、カレルは仕方なく口を閉じたが、
「では、明日からにしましょう。」
と、意外にも譲歩してくれた。流石アラン、話がわかる。ほっとしたのも束の間。
「今日はまず身だしなみを整えるだけで時間一杯でしょうから。」
服装はライマーのお陰で及第点を貰ったが、他は全て不可。『見苦しい』とまで言われ、カレルはそのまま部下に連行された。
ピアスは全て外され、髪は問答無用で短く切られた。顔が隠せないと落ち着かない。何とか隠れようと前髪を引っ張るも、手を離すとまた目の上に戻ってしまう。だが、アランは満足気だ。
「良いではありませんか。」
カレルの変貌振りに、アランは少なからず驚いていた。今まで髪に隠れて気付かなかったが、なかなか綺麗な顔立ちをしている。特に、耳から顎、そして首から肩にかけてのラインは美しい。耳が穴だらけで醜いのが残念だが、それはその内塞がるだろう。アルベルの供として、これならば合格点をやってもいい。カレルがアランの視線に耐えられなくなって俯いていると、指先で顎を持ち上げられた。
「顎はこの角度。そして、背筋を伸ばす。…そう。常にそうしていなさい。」
しかし、そうしてみると今度は髪型の不完全さが気になりだした。これでも悪くはないが、この首のラインを活かすなら、全体的にもっと毛先の量を減らすべきだ。
アランは担当した理髪師を呼んだ。
「ハサミを。」
アラン自ら手直しするつもりらしい。カレルは椅子に座らせられながら、アランと理髪師の顔を見比べた。理髪師はアランにハサミを渡しながら、チラリと不満げな顔をした。これまで何人もの調髪を手がけてきた理髪師としてのプライドの表れだろう。
だが、それは完全に打ち砕かれることとなった。アランはあっさりと遥かにセンス良く仕上げてしまうと、理髪師に声を掛けることもなく、さっと部屋を出て行った。
「私は20年この仕事をやってきたんです。夜遅くまで練習して、常に流行を取り入れようと必死で勉強してきました。なのに、素人であるはずの人に負けるなんて…」
理髪師は落ち込み、しょんぼりと後を片付け始めた。
成る程、部下がやる気を失くすはずだ。カレルはそう思いながら、黙ってそれを手伝った。