小説☆アラアル編---新体制(5)

  「何故こうなるのですか!」

アランはスケッチブックを手の平で叩いた。その剣幕に、たまたまその場に居合わせた部下がビクッと肩を揺らし、速やかに部屋を出て行った。

  「以前より進歩したと」

カレルは一応の主張を試みたが、言い終りもせぬ内に即座に切り捨てられた。

  「進歩!?これを見て、どうしてそんな言葉が出てくるのです!?」

確かに、幼児の落書きのような絵に遠近法が加わったのは一歩前進かもしれない。しかし、その遠近法によってカレルの絵は不自然に歪められ、ますます不気味さが増していた。これならプロットの方が100倍マシだった。 『プロット』―――この男はあろうことか、元の絵に縦軸と横軸をとり、その軸から絵の線までの 長さを細かく測った座標を画用紙にうつし、その点を繋いでそれを絵として提出してきたのだ。当然頭に来て再提出を命じたらこの有様。

  「ただ、模写するだけでしょう!?何故こうも元の絵から掛け離れてしまうのですか!」

  「隊長の望んでるレベルになるまでには、相当な時間と根気が必要かと…」

  「そのようですね。一日二枚にしましょう。」

アルベルからはくれぐれも無理をさせるなと言われていたが、この有様ではそうは言ってられない。

  「そっ!そんなことしたって、同じような絵が二枚になるだけと」

  「口答えは結構!」

アランはカレルの言い分を厳しく遮った。

  「上達に倍の時間がかかるなら、倍の努力が必要です。本はちゃんと読んだのでしょうね?」

  「はい、勿論です。」

カレルは気を付けの姿勢でそう言ったが、本当は図とそれにちょろっと付けられた説明を見ただけだった。





  「はあぁ〜〜…。」

アーリグリフの資料室。カレルは『絵画理論』の先の頁をぱらぱらとめくった。読みすすめたのはたったの数ページ。あとまだこんなにある。それを確認する度、溜息がでる。仕事は――といっても、マナー講座の後に絵を書くだけだが――午前中のみ。日課の訓練も通常の半分にするよう医者から制限されている。午後からはたまに王の囲碁に付き合うくらいで他にすることはなく、時間は余っていた。

皆が働いている中、ぶらぶらと暇そうにしているのは申し訳ないし、あまりにアランが一生懸命なので、仕方がないから一応それらしく勉強してみているのであるが、本の内容は一向に頭に入ってこない。せめて残像としてでも記憶に焼き付けようと、目をパシパシと瞬いていると、

  「シューイン殿。」

30代半ばくらいの疾風の男がカレルに声を掛けてきた。知らない顔だった。名前はジェラルド・ブロムヴェルトと言った。名前から察するに、いいとこのお坊ちゃんだろう。ジェラルドは育ちの良さを窺わせながら向かいの椅子に座り、カレルが開いている本にチラリと視線をやった。どうやら探りを入れに来たらしい。漆黒の幹部、しかも『アルベルの懐刀』が疾風に送り込まれてくるなど、『再教育』の裏に何か余程の事情があるに違いないと疑うのが当然だ。

  「随分しごかれてるようですね。」

  「はあ…。」

  「一体、何故『再教育』などになったのですか?」

友好的な笑みを浮かべつつも、目は厳しくカレルを観察している。

  「アルベル団長の代理を務めていた時に、アラン隊長には随分楯突きましたからね。」

  「ほう…。」

  「それがアルベル団長のお耳に入ったようで。アルベル団長も女装させられた事を根に持っておられましたから、要するに2人がかりでの『いじめ』ですよ、これは。」

ジェラルドはスケッチブックを見ながら言った。

  「しかし、『絵』なら別に再教育というほどのものでもないでしょう?」

  「普通はそうでしょう。ですが、自分にとってはこれ以上の苦痛はなく、アルベル団長もそれを狙って絵を課してこられたようです。やっとの思いで描いたのに、それを提出する度にアラン隊長には怒られるし、ほとほと参っているところです。」

  「見せて頂いても良いですか?」

  「…どうぞ。」

スケッチブックを受け取り、ぱっと開いた瞬間、

  「くっ…!」

ジェラルドは顔を伏せ、噴出しそうになるのを必死でこらえた。これは危険だ。急いで次のページをめくった。だが、そこにあったのは更に笑撃的だった。

  「くーーッ!くっくっく…しっ…失礼っ…!」

ジェラルドは急いでスケッチブックを閉じた。しかし、笑いの発作はなかなか治まらない。ジェラルドはポケットから取り出したハンカチでしばらく目を抑えて、やっと平静を取り戻した。

  「失礼…。いや、本当に失礼しました。…ひょっとして、展覧会に出展してありましたか?」

ジェラルドのカレルに対する笑みが本物になり、それと同時に態度が柔らかくなった。笑いの力はすごいなどと思いながら、カレルは答えた。

  「ええ。部下に無理やり描かされました。」

ジェラルドはやはりと頷いた。

  「まさかあなたが描いたものだったとは。こう言ってはなんですが、知的障害のある方の絵かと思いましたよ。いや、『漆黒の頭脳』といわれるあなたに対してだから、安心してこう言えるのであってね。」

デスマス調での行儀のいい会話。今にも舌を噛んでしまいそうだ。カレルはげっそりしたが、これを切欠にジェラルドと時折話すようになり、お陰で随分内情を把握する事ができた。カレルの睨んだ通り、能力の有りそうな者達は、距離を置いて鳴りを潜めていた。

それを中央に持ってくるには、アランが変わらなければならない。しかし、どうやって?カレルは『アラン・ウォールレイド解体新書』を何度も読み返しながら、悩みに悩んだ。



そして次の日の朝。鏡の前で身だしなみを整えながら、自分の姿を見てしみじみと思った。まるで別人だ。

  (別人…?)

いいかもしれない、と思った。人を変えるには、やはりまず自分が変わらなければ。カレルはブラシを手に取り、丹念に寝癖を直した。そして、頭の先から足先まで、アランに注意されるところがないのを入念にチェックし、完璧である事を確認すると、姿勢を正して部屋を出た。

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