小説☆アラアル編---新体制(6)

  「…。」

アランはサインし終えた書類をトントンと整えながら、チラリとカレルの方を見た。今日はこれが何度目か。カレルは静かに絵を描いている。それが、あまりに気配を感じないため、思わずその姿を確認してしまうのだ。 つい昨日まで何度注意してもいつの間にかだらしなく元に戻っていたのに、今日は正しい姿勢から微動だしない。身だしなみも今日は注意するところが一つもなかった。

アランは席を立ちがてら、カレルの手元を覗いた。これならさぞや絵の方も…と期待したのだが、そう甘くはなかった。絵の出来栄えはいつも通り…いや、昨日よりも一段と酷い。

  「やり直しです。」

アランは一言の元に言った。するとカレルは、もう少しで出来上がるところだったにも関わらず、「はい。」と絵を消し始めた。文句一つ言わずに。

その日を境に、カレルは変わった。余計な事は一切言わなくなった。何を言われても全て「はい。」。立ち居振る舞いもほぼ完璧。やっと自分の立場というものを理解したのかもしれないと、ほっとしていたそんな矢先。城での会議のついでに、アルベルが様子を見にやって来た。



アルベルは、カレルの勉強の成果を見るなり盛大に笑い転げた。

  「はー…はー…くるしい…」

  「申し訳ありません。手は尽くしたのですが、ますますひどくなるばかりで…。」

アランは申し訳なさそうに頭を下げた。

  「気にするな。こいつに絵を描かせるなんてのは、サルに絵筆を持たせるようなもんだからな。上手く描けた方が奇跡だ。あー…腹が痛ぇ。」

酷い言われようだが、カレルはそれに反応することなく、ただ行儀良く目を伏せ、直立不動で立っている。それに気付いたアルベルは、怪訝な表情になった。

  「…それにしても、まるで別人だな。」

  「少しはあなたの部下として相応しくなったでしょうか?」

再教育を任された身としては何らかの結果を出さなければならない。絵はダメだったが、礼儀作法の方は功を奏したはずだと、アランは恐る恐るアルベルのご機嫌をうかがった。だがアルベルはじーっとカレルを凝視したままだった。カレルの表情があまりに無機質であることに不安を覚えたのだ。

アルベルは、担当医の話を思い出していた。

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  「心の病…?」

そろそろカレルの体調も落ち着いただろうと思っていたところへ、医師のこの報告に、アルベルは椅子から身を起こした。

  「はい、恐らくは…。酷く塞ぎこんで、誰とも口をきこうとなさいません。食事はシューゲル隊長が勧められれば辛うじて口になさいますが、それも一口二口で。」

  「何故だ?ついこの間までちゃんと話をしていただろうが!なんで急にそうなる!?」

  「わかりません。」

  「治るのか?」

  「…わかりません。」

  「貴様、それでも医者か!?」

アルベルの剣幕に医者は脅えたが、それでも必死に主張した。

  「体の傷と違って、心の傷は目に見えません。たとえ心を痛めた原因がわかったとしても、薬を塗って包帯を巻けばそれでいいというわけではないのです。何か少しでもお話して下されば原因も探れるでしょうが、ああも拒絶されては、こちらとしても手の打ちようが…」

  「とにかくなんとかしろ!」

  「それが…。」

医師は目を伏せ、現状を訴えた。軍の乏しい財政では、高価な薬など使えない。ましてや治療が長期にわたれば、ますますできる事に限りがある、と。すると、アルベルは即座に言った。

  「費用は俺が持つ。出来る限りの治療を施せ。」

金などどうでもいい。兎に角、元気になって欲しかった。
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ところが、その次の日。カレルはけろっと姿を見せた。だから、もう治ったのだとすっかり忘れてしまっていた。

アルベルはアランに言った。

  「ちょっとお前は席を外せ。」

  「え…?」

この場から自分を外されるというのは納得がいかなかった。だがアルベルの厳しい雰囲気に、アランはしぶしぶ従った。アランが部屋を出て行くと、アルベルはカレルを睨みながら言った。

  「正体を現せ、この狐野郎。」

それが魔法の言葉であるかのように、人形がクスッと笑ってカレルに戻った。

  「それらしく見えました?」

アルベルは小さく溜息を付いた。安堵と、またこいつの演技に騙されたという腹立たしさ。

  「お前はつくづく役者だな。」

  「ほめ言葉として受け取っておきます。」

カレルはニッコリ笑って、舞台役者風にお辞儀をしてみせた。そして、顔を上げるなり「そんなことより。」と、早速不満をこぼしはじめた。

  「礼儀作法だけならまだしも、なんでよりにもよって絵を描かされなきゃなんねぇんですか?それも毎日毎日!まるで拷問ですよ。」

アルベルはそれを聞き流しながら、カレルの様子を観察した。目にいつもの覇気がないのが気にはなったが、これだけ愚痴を言う元気があるなら取り合えずは心配ないだろうということで、強引に話をかえた。

  「それはそうと、一体どういうつもりでアランの言いなりになっているんだ?」

お前はそんなタマじゃねぇだろう?アルベルの目はそう言っていた。カレルは軽く肩をすくめた。

  「ちょっとね。隊長のお人形遊びにとことん付き合ってみようと思ったんですよ。」

『お人形遊び』上手い言い方だ、とアルベルは思った。何か考えがあってのことだろうが、

  「いつまでもお前をここにおいとくつもりはねぇんだ。さっさと片を付けろ。」

カレルは苦笑した。

  「それはアラン隊長次第ですよ。」

そう簡単にはいかないとカレルは言ったが、アルベルは宣言した。

  「最長でも一ヶ月だ。」

それはあまりにも短い。カレルは抗議しかけたが、アルベルの方が速かった。

  「アランを呼んで来い。お前はどっか行ってろ。」



  「何をお話されたのですか?」

アランはハーブティを差し出しながら尋ねた。その口調の穏やかさとは裏腹に、アランの心はふつふつと燻っていた。二人だけの会話があった。しかも自分が外されるなど、それがどれ程の屈辱か。その怒りの矛先は全てカレルに向けられる。そんな事にちっとも気付かぬアルベルは、ゆったりとハーブティの香を楽しみながらのんきに言った。

  「奴の尻尾をつかんで揺さぶってやっただけだ。」

アランの手元でテーカップがカチャリと音を立てた。そんな説明ではわからない。具体的な内容を知りたい。だが、その前にアルベルが話し始めた。

  「お前。俺が何でカレルを貸したか。何で絵をさせてるか、わかるか?」

アランは不服そうに目を伏せた。何故、絵なのかはわからない。ただ、カレルを貸す理由については、部下を集めるのはお前には無理だといわれたように感じていた。

  「部下すら満足に集められぬ不甲斐ない私の為に」

  「そうじゃねぇ。」

アルベルはアランを遮った。ちっともわかってない。そう感じたアルベルは、『最長でも一ヶ月』では確かに足りないかもしれないと思いながら、もうちょっとカレルと遊ばせることにした。

  「言っておくがアイツが出来ないのは絵だけじゃねぇ。歌を歌わせてみろ、更に笑えるぞ。」

  「歌…ですか?」

  「それから、料理!あれは酷い!」

思い出した味と臭いの恐ろしさに、アルベルは渋面を作り、ブルッと体を震わせた。

  「体が拒絶反応を起こして、アレはどうしても飲み込めなかった。死ぬほど不味いどころか…飲んでたらきっと死んでたろうな。」

それは余程の事だ。アルベルはたとえ不味くても出されたものは黙々と食う。あの激マズ薬草粥でさえ、水と一緒にだがちゃんと飲み込んだ。そのアルベルが吐き出したとは、想像するだに恐ろしい。「あとは裁縫・工作…」と、アベルは指折り挙げていった。要するに手先の器用さが問われるものは全滅という事だ。そして最後に、「そうだ、詩!」と、ポンと膝を叩いた。

  「聞くところによると、奴の詩は珍妙らしい。一度見てみたいと思っていた。」

アランは『あの男の話などしたくない』というのが本心だったが、アルベルが何やら楽しげなので、それに合わせて相槌を打ちながら仕方なしに耳を傾けていた。そして、そうしながら感じていた嫌な予感は的中する。

  「とりあえず、一通りやらせてみろ。」

この最悪の事態に、なんだか頭が痛くなってきた。出来ることなら、このまま寝込んでしまいたい。しかし、アルベルは「まずは歌から、今すぐやれ。」とせっついた。アランは仕方なく二人の時間を切り上げて、カレルを呼び戻した。

アランに歌を歌うように命じられた瞬間、カレルは無表情のまま、目線だけをチラリとアルベルの方に動かした。その目に一瞬だけ本来の表情が過ぎったのを、アルベルは満足げに眺めた。そして、期待通り…いや、期待を遥かに超えた展開に突っ伏した。そのままカレルの歌(?)を聞き続けていたら、本当に笑い死んでいたかもしれない。そうならずに済んだのは、そのあまりの不快刺激に我慢できなくなったアランが途中でやめさせたからだ。

  「音楽からリズムと音程が抜けたら、後に何が残るというのですか…」

救いようがないと首を振るアランの肩を、アルベルは慰めるようにポンと叩いた。

  「まあ、匙を投げたくもなるだろうが、一応一通りの教育は受けさせてやれ。ひょっっっっっとしたら隠れた才能があるかもしれねぇからな。ははははは!」 

カレルは勘弁してくれと目だけで訴えてきたが、アルベルは素知らぬ顔でやり過ごし、アランが、

  「では早速、専門の者を…」

と人に丸投げしようとしたのを、

  「お前がやれ。直々にだ。」

と釘を刺した。



アルベルに促されるまま、アランはカレルを伴い、ピアノのある部屋に入った。それは王妃がシーハーツから持ち込んだもので、許可を得て使わせてもらうことにした。当然、アルベルも付いてきた。

  「ではまず、発声練習を行ないます。」

アランはポロンとドミソの和音を弾き、ド〜ミ〜ソ〜ミ〜ド〜♪と弾いた。だが、カレルはそれについてこようとしなかった。アランはカレルを振り返った。カレルはただ黙って突っ立っている。

  「何をボーっとしているのです?」

カレルが戸惑っているのに気付いたアルベルは助け舟を出した。

  「やり方がわからんらしいぞ。」

『ピアノの音に合わせて声を出す』ということから説明しなければならないとは。とりあえず、和音はやめて単音にすることにした。ドの音を鳴らす。

  「ド〜♪という風に、ピアノの音に合わせ声を出してください。」

  ド〜♪

  「ど♭ー…」

  「低い。」

  ド〜♪

  「ど♯ー…」

  「高い!」

  「ど♭♭ー…」

  「違います!音を聞いて、声に出す。それだけのことでしょう!?」

  「申し訳ありません。」

アランは溜息を付いて次にすすめた。レの音を鳴らす。

  「ど♯♯♯ー」

アランはキッとカレルを睨みつけた。

レ・レ・レ♪(ff※フォルティッシモで)

  「……ど♯♯♯♯♯ー…?」

実はカレル、ドレミを知らなかった。だが、まさかそんなこととは思いも寄らないアランはカッとなった。この場にアルベルがいなければ、鍵盤を叩きつけていただろう。

  「…ふざけてるのですか?」

  「とんでもありません。」

カレルが正真正銘大真面目であることがわかるアルベルは余計に可笑しいらしく、椅子から転げ落ちんばかりに笑い転げている。カレルはそんなアルベルを恨めしげに見やった。



アルベルはアランに、「くれぐれも人任せにするなよ?」と改めて念を押すと、「あー、一生分笑った。」と満足気に帰っていった。

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■あとがき■
「席を外せ。」と「どっか行ってろ。」…エライ違いですが(笑)、ここにアルベルの気持ちが現れてます。やはりアランは別格なわけですvだけど、この「どっか行ってろ。」というセリフも、カレルに言うのと、他の人に言うのとでは全く違います。普通は相手を怒らせたり傷つけたりする言葉ですが、カレルに対してはそういうつもりで言っているのではありません。何も考えずに言っています。つまり全く気を遣っていない。それは、言いたい放題言っても大丈夫という安心感が、もう当り前になっているから。アランとカレル、アルベルにとってどちらも大事であることには変わりないのですv