小説☆アラアル編---新体制(7)

  「ど♭ーれ#ーみ♭ーふぁ#ー」

いくら教えても正しい音が取れない。高い音と低い音の区別も、流石に鍵盤の端と端ならわかるが、だんだん音の間隔が近くなるともうお手上げ。そこで自分で音程を取らなければならない歌は諦め、ピアノを弾かせようとするも、楽譜は読めない上に、右手と左手をばらばらに動かすのも難儀するときた。最初の段階で多少の難航は覚悟していたが、何をどうやらせても絵と同様、上達の兆しすら見えない。

これ以上は無駄と判断したアランは、アルベルへの報告書に『見込みなし』と書き込み、そう断じるに至った理由を書いて、次の課題に取り掛かった。あまりに見込みがなければ、それ以上させなくて良いとの許しを得られたのは本当に幸いだった。それはアルベルが、アランのあまりに深刻な様子を見かねてそう言ったのであったが、アランは気付いていない。

料理ならばレシピ通りにさせれば良いだけだと高を括っていたが、包丁でまず流血。火をつければ早速火傷で鍋をひっくり返して一幕は終了。気を取り直して、ホットケーキくらいは…とやらせてみるも、材料はこぼす、卵は割り損ねる。手の中でつぶれた卵を止めるまもなくボールに放り込んでしまったので、細かい殻を取り除くのに余計な手間を取り、 やっと生地を焼く段階に入ったと思いきや、もたもたしている間にフライパンに焦げ付かせ、 ひっくり返すのに失敗してぐちゃぐちゃに。

この食料難の折に、これ以上浪費は出来ぬという理由で、これも『見込みなし』。

裁縫は雑巾を作らせようとしたが、案の定、玉結びの段階でつまずいた。人の倍以上の時間を掛けてやっと玉結びをクリアし、何度も指に針を刺しながら人の十倍もの時間を掛けてやっと作り上げた雑巾は、一回絞ったら元の布に戻ってしまいそうな代物。

そして問題の詩。

  『アーリグリフ城』
    落ちそうで落ちない 山の上 1000年保障で心配無用

まず詩とは何かを教えなければならなかった。





王の謁見から戻ってきたアランは、疲れきって一人、椅子に寄りかかった。カレルがここに来てからのこの1ヶ月、本当に疲れた。 療養を兼ねているとはいえ、こんなところで遊ばせておく理由がわからない。

  (アルベル様は一体何をお考えなのか…。)

アランは昨夜のやり取りを思いうかべた。

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  「アルベル様。疾風の再編の為にカレル・シューインをお貸し下さったのだと思っていたのですが…もしかして、そうではないのですか?」

  「いや?そのつもりだが?」

そう返事した拍子に、フォークに突き刺したイチゴから練乳がテーブルに垂れ落ちそうになり、アルベルは慌ててはむッと口に入れた。アルベルのそういった仕草は、たまらなく可愛い。

  「しかし、今や完全に再教育が主となり、カレル・シューインは再編について何も言い出さないのですが。」

  「ヤツの事だ。何か企んでやがるんだろ。」

  「何かとは…?」

  「さあな。」

答えをもらえない事に、アランが落胆の色を見せると、アルベルはそれに気付き、二つ目のイチゴを口に入れるのをやめて言葉を足した。

  「まあ心配するな。ヤツは必ず成果を出してくる。」

そして、再びイチゴを口に持っていきかけて思い出したように言った。

  「ああ、そうだ。アイツはお前次第だと言っていたぞ。」

  「私次第?どういうことですか?」

  「言葉通りだ。」

  「…。」

アルベルは今度こそイチゴを放り込むと、

  「ところで、詩は?どうだった?」

とワクワクした様子で尋ねてきた。
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昨夜のアルベルの輝くような笑顔を思い出して、少し元気が出てきた。どうしようもない廃棄物と思っていたものも、アルベルを笑顔にさせる役に立つとは不思議なものだ。まあ、自分としてはアルベルのように寛容な気持ちには到底なれないが。気持ちが再び沈み込む前に、アランは体を起こして、机の上に提出されていた新たな廃棄物を手に取った。詩の勉強の成果は…

 『リンゴ』
  美味しい上に 体にいい ああ 一石二鳥

まったくわかっていない。まったく進歩していない。もう限界だ。アランはそれをビリビリに破いてゴミ箱に放り込んだ。





アランはアルベルに報告書を差し出しながら、深々と頭を下げた。

  「アルベル様。これ以上は無理です。申し訳ありません。」

結果は全て『見込みなし』。部下を育てる事も出来ない不甲斐なさに落胆されるのを覚悟していたのだが、

  「いや、お前は良くやった。」

と、労をねぎらってくれた。アルベルは報告書にざっと目を通すと言った。

  「良くわかっただろう?アイツがいかに無能か。」

  「はい…。」

それはもう、身に沁みて。アランのそんな表情に、アルベルはふっと笑った。

  「だから、お前がムキになる必要はねぇんだ。」

  「え…?」

一瞬の何の事かわからなくて、アランはきょとんとした。すると、アルベルはアランの目を覗き込んできた。

  「ムキになってアイツと張り合おうとしているように見えたが、気のせいか?」

  「あ…。」

そんなところを見られていたとは思わなかった。人の心の奥底まで見透かす真紅の瞳。その鋭さにうろたえて、アランは目を伏せた。

  「お前は何でも出来る。しかも完璧に。」

  「いえ…そんなことは…」

ありません、と言いかけたのを飲み込んだ。謙遜はいらぬとアルベルの目が言っていたからだ。アランはまた目を伏せた。

  「自分が100点満点だと、人の80点が低くみえる。80点でも十分高得点なのにもかかわらず、だ。」

アルベルは持っていた報告書を机の上に置き、それを顎で指した。

  「カレルは得意分野では120点をたたき出す。だが、そこから一歩でも外れた途端、この通り全くの0点だ。平均して60点。お前はその中途半端さが許せない。」

アルベルはいつもそうだ。何も見ていないようで、肝心な所は決して見逃さない。アルベルの前にいると、何だか自分を小さく感じてしまう。しょんぼりと俯いたアランをじっと見ていたアルベルは、小さくため息をついてポツリと言った。

  「俺も完璧からは程遠い人間だ。…まあ、良くて50点ってとこだろうな。」

  「そんな事はありません。あなたは」

目を上げたアランは言葉を失った。初めて見るアルベルの寂しげな表情に。アランは急いでアルベルの手を握ろうとしたが、アルベルはそれを避けて立ち上がった。アランに背を向け窓に歩み寄る。

  「お前は盲目的になってるだけだ。お前の望むような完璧さは俺にはない。それに気づいた時…お前はどうする?」

アランは急いで立ち上がり、アルベルを後ろから抱きしめた。その体はアランと変わらぬほどの長身でありながら、何故か腕の中に心地よく納まる。

  「こうして私の腕の中にいて下さるだけでいいのです。それだけで…」

完璧だから好きになったわけではない。アルベルだからこそ、この火傷痕すら愛しいのだ。アランはアルベルの左の手袋をスルリと外し、焼け爛れた手の甲に優しく口付けた。

  「愛しています…」

自分の全てを全身全霊で愛してくれるアラン。アルベルは面映そうに目を伏せ、そのままアランに体を預けた。

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