次の日、カレルは早速クロードの任務先を訪ねた。あらかじめ、部下にその場所を探してもらったのだが、探しあてるのは相当大変だったとか。何故ならここは城からかなり離れたところにある池だったから。クロードは凍った池の上でたった一人、長い鉄の器具を使って氷に穴を開けていた。カレルは部下が操る飛竜を降りると、滑りそうになるのを気をつけながらクロードに近づいた。飛竜が池の傍に降り立ったのに気付いたクロードは作業の手を止め、じっとこちらを見ている。そして相手が誰かわかるとにこやかに挨拶してきた。
「これはシューイン隊長。」
「ああ、どうぞ続けてください。ちょっと話がしたいんです。」
「そうですか。」
「それと、俺、本当は敬語でしゃべるがしんどいんで、普通にしゃべってくれません?俺の方が年下だし。」
今は特に気分がふさがっているのだ。しかし、こういう要求はなかなか受け入れてもらえない。この後に続くであろう押し問答を予想してどんよりしていたら、
「いいよ。」
と、クロードは拍子抜けするほどあっさりと受け入れてくれた。その瞬間、すっと気分が軽くなり、笑みが自然にこぼれた。
「あんたに興味があるんだ。仲良くなってくれねぇかなーと思って。」
「いいよ。」
これにもあっさり。カレルは嬉しくなって笑った。本当にこの人は不思議な人だ。
「ところで、何やってんだ?」
「氷の厚さを測っているんだよ。」
「…何で?」
「人が乗って氷が割れたら危ないからだとか。」
カレルは周囲を見渡した。うっそうとした森の中。こんなところに人が来るだろうか。
「他に仕事は?」
「ないよ。これだけ。」
「はあ!?これだけ!?」
「そうはいうけど、池はいくつもあるからね。移動だけで時間が掛かるんだ。」
「…夏は?何やってんだ?」
「池の深さを測る。」
カレルは唖然とした。
「なあ、こういう仕事押し付けられて、疑問に思ったりしねーの?」
「疑問?ないよ。」
クロードに興味を抱いていただけに、そんな返事が返ってきたことにカレルはがっかりしかけたが、
「理由ははっきりしているから。」
と続きがあった。
「理由?どんな?」
「私に辞めて欲しいんだよ。どうやら気に障ることを言ってしまったみたいでね。」
「え!?」
「最初は室内の掃除係だったんだけどね。それがやがて屋外になり、だんだん仕事場が離れていって、今やこうして城の外。私と顔を合わせないで済むような仕事を一生懸命考えたんだろうね。私がなかなか辞めないものだから。」
と、クロードはくすくすと笑った。そこは笑うところなのか?
「干されてんのが分かってて、何とかしようとは思わなかったのか?上に抗議するとか。」
「別に。私は仕事は何だっていいんだ。特にこの仕事は気に入っていて…ほらごらん、魚がいるだろう?こうやって毎日楽しみに眺めて、休みになったら釣りに来るんだ。こうやって穴を開けているから、また来たとき開けやすいしね。」
クロードは氷の穴から泳いでいる魚を眺めて、嬉しそうに笑った。
次の場所へと向かう道中、クロードのルム車に乗り込んだカレルは、隣でルムの手綱を引いているクロードに尋ねた。
「…あんた、なんで軍に入ったんだ?」
貴族なら仕事をしなくても暮らしていけるはず。そんな貴族達が軍に入るのは単に箔を付けるためであることが殆どだ。こんな名誉もクソもない仕事に満足するなど考えられない。
「家の跡取りの問題があってね。私はそれで皆が争うのが嫌だったんだ。」
クロードには2つ年下の弟がいるのだとか。
「先に生まれたというだけで、私が後を継ぐべきだというのはおかしいだろう?弟の方が当主に向いているのに。それで私は、『家を出て漁師になりたい』と言ったら、親が卒倒してしまって。」
カレルは思わず噴出した。
「貴族のお坊ちゃまがいきなり漁師!?そりゃあ親も卒倒するだろ。」
「そうかなぁ?私はそんなことで寝込んでしまった両親には正直呆れたのだけど、なんだか可哀想になってしまってね。その上、弟からも反対されたものだから考え直したんだ。」
カレルはクロードが、両親をまるで子ども扱いしているのを感じた。その一方で、弟には一目置いているようだ。
「弟さんとは仲がいい?」
「うん。彼は私の一番の理解者だよ。その彼が、『軍なら両親も納得してくれる。魚釣りは趣味にしておけ。』と言うから、それならそうしようかと思って。」
「ほんとは漁師になりてぇんだ?」
そう言えば昨日、クロードはジェラルドの家に魚を持ってきていた。
「そう。好きなことをして、それが人のためにもなって、それで暮らしていけるなんて、こんな素敵なことはないだろう?」
「はあ〜…成る程ねぇ…。」
まさか漁師に憧れる貴族がいるなんて、スラム育ちのカレルは想像もしないことだった。
次の池に到着した一行。カレルの部下は飛竜で先回りしてい待っていた。
クロードは体重をかけながら力いっぱい器具を回した。器具の先端が音を立てて氷を削っていく。氷に穴を開ける作業はかなり大変そうだ。最初は手伝おうとしたが、かえって邪魔になったので大人しく見学している。
「軍の仕事は?嫌じゃねぇの?」
「戦うのは嫌だね。だけどそれ以外は楽しい。」
「でも軍人が戦わないわけにはいかねぇだろ?」
関係ない部署に行けたら問題ないが、皆そういう部署に行きたがり、結果金が物をいうのだ。クロードは貴族であるから、金で何とかしたのだろうかと思ったが違った。
「辞令が来たらそれを機に軍を辞めようと思っていたのだけどね。辞令が来たその日に高熱を出して寝込んでしまったんだ。」
まさか仮病?と思ったが、そうではなかった。
「家族の話によると、随分苦しそうにしていて、呼吸も途中で止まってしまったそうなのだけど、私には全く自覚がなくてね。」
「死にかけたのか?」
「そうみたいだね。でも私はその間ずっと夢を見ていてね。空を飛んで色んなところに行く夢で、本当に楽しかったんだ。途中で誰かに呼びかけられて、それで目が覚めてしまった。それが残念だと言ったら、弟から物凄く叱られてしまったよ。」
「そりゃ……心配しただろうな。」
「うん。でも、そのお陰で私は戦争に行かずに済んだ。」
クロードは開いた穴に長い物差しを入れて氷の厚さを測り、記録帳に書き込んだ。
「さて、今日はこれで終わり。私は一度城に戻るけど、君はどうする?また一緒に乗っていくかい?」
「いや、部下と帰る。」
部下は飛竜を撫でながら、寒そうにカレルを待っている。
クロードともっと話がしたくて、カレルは思い付きを口にした。
「なあ、今度釣りに行くとき、誘ってくれねぇか?…釣りはやったことなくて、道具も持ってねぇんだけど。」
「じゃあ今日。道具は貸してあげるよ。」
「えっ!?今日?」
また今度とか、次の休みの日とか、そんな当たり障りのない言葉が返ってくるのを無意識に予測していたカレルは、不意を突かれた。
「仕事が終わったら行くつもりだったから。都合が悪いなら明日。」
「いや…大丈夫。」
「そう。じゃあ、また後で。」
クロードはにっこりと笑った。
カレルは池に釣り糸を垂らしながら、大して面白くないなと思った。だが、元々魚釣りが目的ではない。氷の上は心底冷えるし、出来れば屋内でゆっくり話をしたかったが、クロードは一匹釣れるごとにとても楽しそうなので付き合うより他ない。
「昨日の集まりで皆の話を聞いてて思ったんだけどな。皆あんなに不満があるのに、なんで直接隊長に意見しないんだ?」
すると、クロードは事も無げに言った。
「怖いからだろうね。」
「あんたは?」
「私は意見する立場にないからね。」
「けど、言いたいことはあるだろ?」
「別に。」
「何にも?」
「何にも。」
「…告げ口したりしねぇけど?」
クロードは「はははっ。」と軽快に笑った。
「私は今のままで満足しているんだ。」
「俺はもっとこうした方がいいんじゃねぇかとか思うけどな。」
「今のままじゃいけない?」
「ああ。アラン隊長が変わらなきゃならねーと思う。」
カレルは正直に述べた。それに対するクロードの反応は予想を遥かに超えたものだった。
「どうして変えたいと思う?」
「そりゃあ…疾風がもっと良くなって欲しいから。」
「どうして良くないと思う?」
「…あんたは変わる必要はないって?」
「私はいつも不思議でならないんだけど、皆、無いものばかりを探そうとするんだ。無いものはない…いや、そもそも無いものなんてないのに。だって、『無い』んだからね。」
クロードが何を言っているのか、さっぱりわからない。
「…つまり?」
「うーん、説明するのは難しいな。」
と、ここで浮きが沈んだ。クロードは竿を引き、一匹の魚を釣り上げた。針から外してバケツに入れる。
「例えば、このバケツ。脚が付いていたらいいと思うかい?」
「バケツに脚??」
「そう。椅子の脚。」
「いや…………………………いらねーけど。」
こんなに会話の先が読めないのは初めてだ。
「だろう?この形で充分。魚を入れられればいいんだから。なのに無理に脚を付けようとするから、おかしなことになるんだよ。」
そのとき不意に、クロードの言っていることがすとんと腑に落ちた。
「あー、成る程ー!」
カレルは腹の底から唸るようにそう言った。
カレルはこれまで人を尊重し、大切にしてきたつもりだった。だけど、そう言いながら、一方で一生懸命人を変えようとしていた。そう、バケツに脚をつけようとしていたのだ。
どうして今までこんな当たり前の事に気付かなかったのか。ただ、そうは言っても…という部分が残る。
「俺は、このままの状況だと、皆がアラン隊長から離れていってしまうんじゃないかって心配してんだ。」
「心配する必要はないよ。なるようになるから。」
「けど!それじゃ…!」
「君はアラン団長が団長でいて欲しいって思うんだろう?」
「そう。あれだけの才能がある人はいねぇから。」
「君の心配は、君が考えているように本当にみんながそっぽを向いたらそうなってしてしまうだろうね。でも実際は君みたいに思う人がいるわけだから、別の流れができる。…君の望む通りにいくといいね。」
この瞬間、カレルはクロードに惚れ込んだ。それから毎日クロードに会いに行った。
一見ドライに見えるが、それは余計な感情に左右されないからであり、その点ではアランと共通するが、何ものにもしばられない自由な人柄から、彼を慕う人間が非常に多い。頭はいいが、それを感じさせない天然ぶり…いや『天然』というより『自然』といったほうがいいかもしれない。
世間的な評価には一切関心がなく、どんな状況もどこか楽しんでいる風である。これはきっとアランにいい影響を与える。
カレルは『クロード・セルヴェストール』についての報告書を書きながら、クロードという人間が、アランとどういう化学反応を起こすかを考え、ワクワクした。