ベクレル山道で遺跡が発見された。
鉱夫が洞窟の壁の向こうに空間があるのに偶然気付き、壁を破壊してみたところ、その奥に遺跡の入り口を見つけたのだ。
そこは丁度、カルサアとアリアスの中間地点でもあったので、アーリグリフとシーハーツで共同調査を行うこととなった。
町の近くで遺跡が発見されたことは巷で話題となっていた。中には目もくらむほどの財宝が眠っているだの、黄金宮殿に悪魔が住み着いているだのと、あれやこれやと根も葉もない噂が飛び交った。そんな大人たちの噂話が、子供の好奇心をくすぐってしまったのは仕方がないことだろう。
調査の結果、この遺跡はかなり古く、学術的にかなり重要なものであるという事が分ったが、そこにいる魔物がかなり強力で、調査がかなり難航し、予算が底をついてしまった。また魔物が外に出てきてしまったら近隣の町が危険に晒されてしまうことから、学者たちの涙ながらの訴えを退けて、遺跡を完全に封鎖してしまう事が決定された。
そんな時、事件は起こった。
アルベルがアランの仕事部屋のソファで寛いでいると、そこへアランが戻ってきた。
「アリアスの子供3人が遺跡内に入ったきり、戻ってこないそうです。」
「あそこは入れないようにしていたはずだ。監視の者は何をしていたんだ。」
「子供の一人が監視員を引きつけ、その隙に入りこんだようです。仲間が戻ってこないので大人に訴えてきたのです。」
「…手遅れだな。」
あそこは魔物の巣窟だ。日ごろ鍛えている兵士でも単独で入るのは危険な状態だった。
「しかし、シーハーツは捜索に行くと言い出しています。こちらからも人員を出さざるを得ないでしょう。」
しかし、調査の為に連れて来ていた兵士達は殆ど国に戻してしまっていた。遺跡を封鎖するのに、そんなに人手はいらなかったからだ。遺跡の魔物は一匹だけでもかなり強力で、現場に残っている者達の中で、それに十分に太刀打ちできるものはそう多くはいなかった。また、助かる見込みの無い者の為に、危険と分っていながらむざむざと兵士を派遣するわけにはいかない。最少人数で、尚且つ任務を遂行できそうな者が疾風にはいなかったため、漆黒の者を借りようとアルベルに相談に来たのだ。ところが、
「面倒だが、しょうがねえ。」
とアルベルが立ちあがり、左腕に甲冑をはめ始めた。
「えッ!?あなたが行かれるおつもりですか!?」
「ああ。」
「そんな!危険です!!」
「阿呆。だから俺が行くんだろうが。」
アランはぐっと詰まった。
アルベルの言う通りだった。大した事のないことなら、わざわざアルベルが行く必要は無い。だが、危険であればある程、他の者には任せられなくなる。危険だからこそ漆黒団長であるアルベルが行くしかないのだ。
「でしたら、この私が!」
「お前は総指揮だろうが。自分の役目を忘れるんじゃねぇ。」
「私としては、あなたさえ無事であれば、子供がどうなろうと知った事ではないのですが。そういうわけには…いきませんでしたね…。」
アルベルに目で制されて、アランは仕方なく私情を引っ込めた。
「わかってるならいい。」
アルベルを大切に思うが故の言葉だとわかってはいても、アランが時折見せる、他をあっさりと切り捨て去るこの冷酷さは、アルベルがどうしても好きにはなれない部分だった。アランもアルベルがそれを咎める目つきをするので、最近では殆どそういう面を見せなくなっていたのだが、アルベルが絡んでくるとつい感情的になってしまうようだった。
すっと踵を返してドアに向かいかけたアルベルに、アランは追いすがるように後から抱きついた。行かせたくないという気持ちがひしひしと伝わってくる。
アルベルが自分の体に巻かれた腕にそっと触れようとした時、
―――コンコン
ノックの音に、アルベルは慌ててアランの腕を振り解いた。アランは邪魔が入ったことに一瞬腹を立てたが、気を取りなおして返事をした。
「はい。」
「失礼します。」
そこへクレアが入ってきた。いつもアランの部屋に入り浸っているアルベルが、やっぱり今日もアランの部屋に居座っているらしい。クレアはそんなことを思いながら二人に会釈し、すぐに本題に入った。
「私達は子供達の救出に向かいます。ただ、なにぶん不測の事態ですので、人員が足りません。そちらから応援をお願いできないでしょうか?」
「その件ですが……アルベル様が同行して下さることになりました。」
アランがアルベルの確固とした顔を見ながら渋々とそう言うと、クレアはアルベルに視線を移し、口角を微かに持ち上げた。和平を結んでいるとはいえ、かつて自分の部下の多くを殺したアルベルに対するわだかまりを捨てきれるはずもなかったのだが、それは微塵も見せなかった。
「そうですか。最強の剣士であるあなたが来てくださるとは心強いですね。それでは、事態は一刻を争います。早速、宜しいでしょうか。」
アルベルが2人の部下を連れ、アランにあれこれ指示を出して準備をしていると、そこにクレアも自分の部下達を引き連れてやってきた。皆、若い女だった。
それを見た途端、アルベルの眉間に皺が寄った。
アルベルは別に女性を蔑視している訳ではない。実力のある者は、『自分より格下』という前置きを付けはするが、正当に認める度量はある。
だが、クレアを含めこの女達は、一目で実戦経験の浅さが見て取れたのだ。皆、使命感に燃える目をしているが、死を見据える厳しさが全く感じられない。それはクレアも同じだった。クレアは自ら戦場に立って部下達を指揮し、その能力は優れていたが、対での命のやり取りとなると話は別だった。今まで一度も自分の手を直接下したことは無かった。施術専門の彼女に代わって、その役割は常にネルが引き受けてきたからだ。
それが5人とは多すぎる。戦闘中、大人しく一箇所に固まってくれればいいが、そうでなければ、アルベルが一度に面倒見きれるのは、余裕がある時でせいぜい2人程度だった。アルベルの部下の方は、自分で自分の身を守れる程度の腕は持っているが、恐らくそれで精一杯だろう。人に構っている余裕などない。
クレアが連れて来た女達は、経験不足とはいえ、正規の訓練を受けたシーハーツの施術師・戦闘員だ。それをアルベルが守ってやる義務は無いのだが、あまりの頼りなさに、庇護してやらねばならないような気になるらしかった。
「クリムゾンブレイドの片割れはどうした。」
あの女ならそんな面倒はないと思ったのだが、
「ネルは今、別の任務に就いています。救出に向かえるものは、現在は私を入れて5人です。」
と、これ以上の人員は他にはいないと言ってきた。
「人数を減らせ。足手まといはいらん。」
「これが最低人数です。この者たちはまだ若いですが、いずれも厳しい訓練に耐え、優秀な成績を修めた、実力のある者達です。」
訓練での実力と実戦での実力は全く違う。実戦は常に死と隣り合わせだ。敵の死、仲間の死、そして自分の死までもが交錯した、そんな極限状態の中で本来の実力を発揮させるには、やはり経験を積むしかないのだ。
「かえって邪魔だ。」
「あなたの邪魔などをするつもりなどありません。」
クレアの目がきらりと光り、アルベルとの間でバチッと火花が散ったが、クレアの瞳に一途な頑固さを見て取ったアルベルは、
「けッ!勝手にしろ!」
と吐き捨てた。
洞窟の前に設けられた監視舎の所では、そこへ詰め掛けた親達に向かって、アランが状況を説明していた。
「これから、我がアーリグリフ最強の漆黒団長であるアルベル様とクリムゾンブレイドのクレア殿が救出向かいますが、生存の可能性は無いものと覚悟なさって下さい。」
アランはアルベルから、親達に子供の死を覚悟をさせておけと言われていたのだ。しかし、親達がそう簡単に納得するはずも無く、口々に叫び始めた。
「そんな馬鹿なッ!」
「嘘よッ!あの子はまだ生きてるわ!助けが来るのを今も待ってるのよッ!」
「絶対生きています!あの子が死ぬはずなんて無い!私には分るんですッ!」
口々に叫ぶ親達が落ち着くのを待って、アランは再び口を開いた。
「この遺跡の中は非常に危険です。調査中も負傷者が数多く出、その為、遺跡の調査は中止となりました。そして、調査隊が引き上げてしまってからは殆ど手付かずの状態です。そのような中で、子供だけで生き残れるはずがありません。」
そんな、容赦のない死の宣告に女達は泣き崩れた。しかし、アランは泣きたいのはこっちの方だと思った。
クレアが連れて来た部下達を見て愕然としたのは、アランも同様だった。アルベルだけなら兎も角、素人に毛が生えた程度の者達があんなにぞろぞろついて行けば、きっと足を引っ張る。アルベルは口では何やかやと言いながらも、きっと面倒を見ようとするだろう。その優しさがアルベルを危険に陥れる。そう直感したアランは、すぐさまアルベルに、あの者達を連れて行くのは危険だと進言したのだが、仕方ねえだろとあっさり退けられてしまったのだ。そして、まだアランが何も言わない内から、
「俺は既に行くと決めた。余計な事はするな。」
と釘を刺されてしまっては、それ以上口も手も出せなかった。
「子供が生きてる可能性は無いというのに、何故そこまでなさるのですか!?」
「…残された者達の為だ。」
「残された者達?…親達の為ですか?」
「そうだ。死んだという証拠を突きつけてやらねえ限り、あいつらはずっとあそこに張り付いて離れようとはしねぇだろう?」
それが一体何だというのか、アランにはアルベルの言う意味が全く分らず、更にその意味を尋ねようとしたが、アルベルはこれ以上何を言っても無駄だというようにそれを遮ぎり、アランに命令を出した。
「アラン、先に行って親達に覚悟させておけ。子供は諦めろとな。」
アランが若く、見た目が優男であったことから、親達は相手がアーリグリフの疾風団長であるということを忘れ、次々とやり場の無い怒りをアランにぶつけていた。
「そもそも、こんな遺跡を発掘したのが悪いんだッ!」
「そうよッ!遺跡の財宝に目がくらんだんでしょう!?」
「財宝があるという報告は受けていません。それに、この遺跡には立ち入り禁止令が出ていたはずですが?」
「こ、子供達にそんな事がわかるもんか!大体、監視者の者は何をしていたんだ!?子供が入るのを見過ごすなんて、居眠りでもしてたんじゃないのかッ!」
「その者に関しましては、既に責任を追及しております。」
反論のしようがない程、完璧な答え。だが、親達が聞きたいのはそんなことではなかった。親達はますますヒートアップしていった。
「それで済む問題じゃないんだよッ!子供が死んだらあんたらの責任だッ!」
普段なら、殊勝に頭を下げてみせ、親達の怒りを上手く治めるところなのだが、
(他国の者の為に、わざわざアルベル様が救出に行かれるというのに、それに何の不満があるのか!?それなのに、こんな勝手なことを言い出すとは!もし、アルベル様に何かあったら、お前達はどうしてくれるというのだ!?)
と心の中で叫んでいる内に、親達に対してふつふつと怒りが込み上げてきた。
「我々は、遺跡の危険性を十分に説明しており、決して近寄ってはならないと通達したことで、十分に責任を果たしております。子供の監督までは我々の責務ではありません。」
アランは、はっきりと親の監督不行き届きだと言い放ったのだ。それを後ろで控えていたアランの副官は少々驚き、ちらとアランを見た。そんな挑発するような事をわざわざ言うなど、何かお考えがあるのだろうか?とも思ったのだが、アランの顔にはいつもの笑みが無かった。無表情で冷ややかに親達を見下ろしている姿から、何か尋常ならざる気配を感じ取った。
案の定、親達は激昂し、アランに掴みかかろうと押し寄せてきたので、副官と部下は慌ててアランの前に立ち、親達を押し留めた。
「なんだとおッ!?俺達が悪いってのかッ!?」
「おい、やめろッ!」
「どけッ!こいつをぶっ殺してやるッ!」
「この人でなしーッ!」
「あなたには子供がどれだけ大切か分らないのよッ!」
(こんな愚かな者達の為に、命よりも大切なアルベル様を危険な所へ送り出さなくてはならない私の気持ちも決して分らない!)
愛する者が危険な地へと赴くのを、ただ黙って見送らなくてはならないのだ。アランは目を瞑って拳を握り締め、湧き上がる激情をぐっと抑えた。そんなアランの様子に気付いた副官が、慌てて口を添えた。
「落ち着けッ!これから救出に向かうと言ったであろうッ!…隊長ッ!」
副官の呼びかけに促され、アランは再び口を開いた。しかし、それがまた火に油を注ぐ結果となってしまった。
「…監視舎の者に関しては、こちらに非がありますし、またそうでなくても、民を第一に考えよというのが我がアーリグリフ国王の意向でありますので、アリアスの民の為に、アーリグリフからも救出に人員を派遣することにしたのです。それで何かご不満ですか?」
「この、若造がッ!なんて言い草だ!」
「人の命がかかっている時に、『救出しに行ってやる』みたいな言い方しやがって、偉そうにッ!何様のつもりだッ!」
「そうだッ!あんた、さっきから一体何が言いたいんだッ!?ええッ!?」
「それは最初に申し上げたはずですが、ご理解頂けなかったようですので、もう一度申し上げます。これから、我がアーリグリフ最強の漆黒団長であるアルベル様と、クリムゾンブレイドのクレア殿が救出向かいますが、生存の可能性は無いものと覚悟なさって下さい。」
これには親達だけでなく、アランの部下達まで唖然とした。こんなアランは初めて見た。
そこへアルベルがやって来た。アランには何を言っても無駄だと見限った親達は、アルベルに訴えようと一斉に駆け寄った。
「どうか、子供達を助けてください!!」
だが、それに対してアルベルが放った言葉は冷ややかなものだった。
「諦めろ。お前らも、もうわかってるんだろう?」
アーリグリフ最強の団長からまでもそう言われてしまっては、最早何も言い返せず、親達はガックリと膝を付いた。方々からすすり泣きが起こり始める。そこへ、
「何て事を言うのです!そんなことありません!」
後からやって来たクレアが、アルベルを遮るように親達の前に立った。
「みなさん、どうか希望を捨てないで下さい。」
「クレア様!だけど…。」
親達はアルベルとクレアをおろおろと見比べていたが、クレアの、
「大丈夫。私達に任せてください。」
という一言で、完全にクレアに釘付けになり、その目には期待の色が浮かんだ。それこそが親達が聞きたかった言葉なのだ。だがそこへ、アルベルがまた冷水をぶっ掛けるような事を口にし、再び親達の目に力がなくなった。
「けッ!大丈夫なわけあるか、阿呆。」
「そんなことわからないでしょう!?私達は皆の無事を信じ、全力を尽くすまでです!」
激しい口調でアルベルを否定すると、力なくうな垂れている親達に向き直った。
「きっと連れて帰ります。」
クレアは、親達の縋るような視線を微笑で受けた。
親達の期待に満ちた視線を背中に受けながら監視舎の門をくぐり抜け、遺跡の入り口へと続く洞窟へ入っていったとき、アルベルが口を開いた。
「期待させるだけさせといて、その挙句、だめでした、ごめんなさいとでもいうつもりか?」
「どうしてあなたはそんな事ばかり言うのです!?あの者達がどんな気持ちでいるか、わからないのですか?あなたの言葉は残酷です!」
そこへ、珍しくアランが口を挟んだ。普段、アルベルを差し置いて会話に割って入るようなことはしないのだが、アルベルが非難されるのを黙って見過ごすわけにはいかないのだ。
「あの時、あの家族達は気持ちのどこかで、駄目かもしれないと諦めはじめていました。それなのにあなたが希望を持たせてしまったのです。きっと失望は大きいでしょうね。」
いつもとは違う、冷たく抑揚の無い声に、クレアはドキリとなった。
「そんな…あなたまで!」
「状況から考えても生存は絶望的です。」
本当はクレアにもわかっていた。だが、例え可能性が僅かであったとしても、希望を捨てるわけにはいかないのだ。
「で、でも、無事だと信じなくては、助けられる者も助けられなくなります!」
「信じていれば助かるというんなら、わざわざ救出になど行く必要は無い。ここで信じて待ってりゃいいんだからな。」
「なッ!」
クレアはキッとアルベルを睨みつけたが、アルベルはそれを歯牙にもかけなかった。
「お前らの国じゃ、祈れば神様とやらが助けてくれるんだろう?せいぜい無事を祈ってな。」
クレアは頭にきて猛然と反論しようとしたが、部下達がハラハラと心配しているのに気付き、グッと堪えた。ここで言い争っていても時間の無駄だ。事態は一刻を争うのだ。それに救出を中止すると言われては困る。クレアは客観的に見て、自分達だけではこの救出は困難だということがわかっていた。アルベルの協力はどうしても必要だったのだ。
一同は洞窟の最奥にある遺跡の入り口に到達した。
アランはずっと沈んだ表情で、アルベルの半歩隣をついて来ていたが、そこでアルベルに叱られるのを覚悟で口を開いた。
「ここまでで、もう十分なのではないですか?」
アルベルは途端に険しい顔をした。しかし、クレアを含め、他の者達はアランが何を言っているのか飲み込めず、何の事かとアランを見上げた。
だが、次の言葉でクレアにも、アランの言わんとすることがわかってしまった。
「生きている見込みのない者の為に、どうしてあなたが」
要するに、アランはここで時間を潰して戻っていけば、探したという名目が立つと言っていたのだ。
(どうして…!どうしてあなたまでがそんなことを仰るの?)
その先は言わないで!クレアがそう叫ぼうとした時、
「黙れ。」
と、思わぬ人物がアランを制した。
それは、この救出は無駄なことだと、あれ程バカにしていたアルベルだった。アルベルは探索に行くのに反対ではなかったのか?とクレアは驚いてアルベルを見つめた。
アルベルの命令に従って口を閉ざし、暗い表情で目を伏せたアランに、アルベルはあくまでも事務的に、
「何かあればこいつを戻らせる。」
と自分の部下を顎で示し、
「行くぞ!」
と、入り口に向かった。アランはようやく観念し、アルベルを追いかけて、そっとグリーンタリスマンを差し出した。そして、アルベルを真っ直ぐ見つめ、
「…どうか、ご無事で。」
と一言一言に祈りを込めた。そんなアランの悲痛な顔を見て、アルベルはふっと溜息を付いた。この顔をされたら、アルベルの負けなのだ。アルベルはグリーンタリスマンを、アランの手を一瞬握るようにして受け取り、
「心配するな。」
と微かに笑ってみせた。