小説☆アラアル編---救い(2)

調査が進んだ場所には篝が取り付けてあったので、松明でそれに火をつけながら奥へと進んだ。篝の傍には魔物避けの印が施されてあり、それによってある程度は魔物を回避できるが、調査を中止してから時間が経っており、印の効果は随分薄れてしまっているようだった。

早速、魔物たちが外部の匂いを嗅ぎ付けて襲い掛かってきた。

アルベルの予想通り、クレア達はまるで話にならなかった。

クレア達は目の前で繰り広げられる戦闘に右往左往し、その面倒を見るだけでアルベルも精一杯だった。

  「邪魔だ!どけ!」

  「弱ぇ癖に、自分から前に出るんじゃねえ!」

  「自分から攻撃するな、阿呆ッ!敵の攻撃を避けながら、隙を突けッ!マズイと思ったら逃げろッ!」

  「貴様は下がってろ、このクソ虫がッ!敵の攻撃範囲内で施術を発動するヤツあるかッ!」

  「クソッ!何で俺がこいつらの指導までしなくちゃなんねぇんだッ!あの女は何して…!」

アルベルは刀の血を払いながらクレアを探した。

その頃、クレアは部下を庇って魔物の前に立っていた。部下の悲鳴を聞いて、とっさに駆けつけたのだが、こんなに距離が近くては、施術を発動させるどころか、後ろで震えている部下ごとやられてしまう。

魔物の緑色の眼がクレアを見据えて離さない。クレアはその眼に吸い込まれそうになりながらも、必死で睨み返していたが、足は震え、逃げようにも逃げ出すことすら出来ない状態に陥ってしまっていた。蛇に睨まれた蛙とはこのことだ。何も出来ず、ただひたすら自分の死を待っている自分。

  (こういう時は、どうするのだった!?ああ…ネルッ!)

いつも自分の目の前にネルの後姿があった。ネルがいない今、自分が全て何とかしなければならない。敵と直接対峙することが、これ程のプレッシャーを感じるものだったとは思ってもみなかった。ネルが敵を攻撃している間、その後ろから施術を発動させ、それを補助したり、敵を攻撃したり、何となく自分がネルを守っているつもりになっていたが、実は自分も大きく守られていたのだという事に、今初めて気が付いた。

  (何も出来ずに、このまま終わってしまうの?)

クレアは自分の無力さを思い知り、目の前に迫った死の恐怖に怯えた。

そんなクレアの怯えを敏感に察知した魔物は、一気に襲い掛かった。

魔物の鋭い爪が自分に向かって振り下ろされるのが、やけにゆっくりと見えた。

  (私、死ぬんだわ…。)

そう死を覚悟した時、その腕が血飛沫を上げて吹っ飛んでいった。

それを呆然と見送っていると、バシンッ!と頬を引っ叩かれた。その派手な音と、ジンとした痛みで、クレアはハッと我に返った。目の前にはアルベルの背中。クレアの頬をぶった後、すぐに敵に向かって切り込んでいったのだ。

  「このクソ虫がッ!出来もしねぇ事に首を突っ込んでんじゃねぇッ!テメエはあの烏合の衆共をどうにかしやがれ!」

アルベルは刀を振るいながら、クレアに怒鳴った。

  「どうにか…?」

クレアは後ろを振りかえった。そこでようやく、全く統制の取れていない部下達に気付いた。それをアルベルの部下達が庇うようにして闘っている。

  (このままではいけない!)

クレアは周囲の状況を見極めると、立ち上がって背筋を伸ばすし、凛とした声で命令を出した。

  「イライザ、ユーリィ、マーサ!皆、一旦下がって!シャーリー、しっかりしてッ!」

  「は、はいッ!」

クレアは自分の後に座り込んでいたシャーリーを引っ張り起こした。

  「イライザ、ユーリィ、マーサはそれぞれアーリグリフの三人を補助して!」

  「はいッ!」

  「シャーリーはその後ろから、敵へ圧力を掛けて!私は回復役に回ります!」

  「はッ!」

クレアは最後尾から何時でも的確な命令を下せるように全体の動きを注意深く観察しながら、集中力を高め始めた。そして、

  「フェアリーライトッ!」

クレアの掛け声と共に、フワリと暖かい慈愛の光がさした。すると、みるみる傷が癒えていき、皆が元気を取り戻した。それからは、シーハーツの5人が一体となってアルベル達の援護に徹し、それによって、あっという間に敵を片付けられた。




戦闘の極度の緊張から解放されて、半ば放心状態で立っていると、アルベルがツカツカとクレアに歩み寄ってきて、頭から怒鳴りつけた。

  「最初ッからそうしてりゃ、何の苦労もねぇんだ、この阿呆ッ!!」

その場に居る、誰もが縮み上がるほどの剣幕だった。女だろうが全く容赦の無いアルベルの叱責に対して、クレアは深く頭を下げ、

  「ごめんなさい。」

と素直に謝った。戦闘中、皆の戦闘の状況を最後尾で見守っていたクレアには、アルベルが最も危険な所に自身を置き、常に周囲に気を配りながら、すぐに分が悪い所の加勢に向かっていたのがよくわかったからだ。そんな中で、自分で自分の身を守れない者が5人もいたら、大変なことだろうとやっと気がついた。

  (だから人数を減らせと言ったのね。)

そして、そうならそうと言ってくれればとも思ったが、実際、あの時にそう言われても素直に聞く自分ではなかっただろうと反省した。

アルベルに何を言われても仕方がないと、クレアは覚悟を決めていたのだが、アルベルはふうっと息と共に怒りを吐き出すと、

  「10分後に出発する。」

と、それだけ言い残して、皆から離れたところにどっかと腰を降ろした。

これ以上、彼らに迷惑はかけられない。クレアは部下に声を掛けた。

  「みんな、集まって!作戦を立てましょう。…あ、ユーリィはそのまま続けて。」




ユーリィは、自分を庇って怪我を負ったアルベルの部下、ロイ・ブライトンに必死でヒーリングを掛けていた。

施術を放ち終えた一瞬の気の緩みを突かれ、魔物が横から迫っていた。ユーリィはどうすべきか考えもせずに短刀を構え、死ぬ気で突っ込もうとした所をロイに止められたのだ。

  「大丈夫?」

  「ああ。…だけど、あんた、かなり無茶するなあ!」

ロイの若く、人懐っこい笑顔が、いつもは勝気なユーリィに弱音を吐かせた。

  「頭が真っ白になって…。」

ヒーリングの為にロイにかざした手が、まだ細かく震えている。

  「まあ、実戦は初めてなんだろ?仕方ないよな。」

訓練所では常にトップを争っていた自分が、まさか足手まといになるとは思ってもみなかった事だった。

  「あなたは冷静に判断できるわけ?」

ロイは自分とあまり歳が変わらないように見える。

  「ぜ〜んぜん!毎回、恐くてしょうがねぇよ。ただ、経験を積んでいくうちに、自分のビビリ心との付き合い方が上手になってきたような気がするな。…まあ、俺がこんな偉そうなこと言ってるのをカレルさんに知られたら、何て言われるか…」

  「俺がなんだって?」

その声と共に、ゴンッとロイの頭に拳がめり込んだ。

  「痛ッて!」

勘弁してくださいよと頭を押さえたロイを、楽しそうにおちょくりにきたのは、アルベルの腹心の部下、カレル・シューインだった。『腹心の』というのは、カレルが勝手に言っているだけなのだが、それに異論を唱える者はいない。アルベルはそれについては何も言わないが、それを否定もしていない。寧ろ、かなり信頼しているらしいことは、重要な任務は必ずカレルに任せることからわかる。歳はアルベルより4つ程上なのだが、端正な顔立ちで、雰囲気も若いせいか、それ程歳が離れているようには見えない。

  「イッチョ前に女を庇って、しかも怪我するなんざ、10年早い!」

  「す、すんません。」

  (女…。)

その言葉がユーリィに突き刺さった。自分は男なんかに負けない。ずっとそう肝に銘じ、必死で頑張ってきた。だが、この一言で、そうして得てきた自信にピシリとヒビが入った。

  「怪我はどうだ?闘えるか?」

  「ヒーリングかけてもらったし、もう大した事ないっす。それに、やばい時は団長とカレルさんに押し付けてすぐトンズラしますから、大丈夫っす!」

ユーリィは、平然と『逃げる』と口にしたロイに驚き、非難めいた目で見た。カレルはそれに気付き、ユーリィにも釘を刺した。

  「お譲さん、あんたも無理せず、マズイと思ったらすぐに逃げなよ?」

『お嬢さん』という言葉にカチンと来た。『女』だと庇われ、その上、逃げろとまで言われては、プライドはズタズタだった。

  「逃げるなんて、そんなこと…!」

  「できねぇって?」

口は冗談を言うような軽い調子だったが、目つきが急に鋭くなった。そして、言葉も辛辣だった。

  「あんたが逃げずに踏ん張ったところで、今のあんたに何ができるってんだ?ああ?」

カレルのキツイ言い方に、ロイがフォローしようとしたが、カレルに目で黙ってろと制された。

  「…。」

反論できず、ユーリィは悔しさのあまり、肩を震わせている。ロイが止めに入らなければ、自分は死んでいたのだ。

  「あんたが危なくなれば、この馬鹿が後先考えず、また飛び出しちまうぜ?そしたら、こいつ今度は死ぬかもな。」

ゴンッとまたロイが殴られた。

  「それよりかは、いち早く体勢を立て直して、次にできることをやってくれりゃ、その分、こっちだって助かるんだ。…今は何にも出来ない自分が許せねえかもしれねえが、それは今後の成長の大きなバネになる。足手まといになる惨めな気持ちってのも、いい経験だと割り切りな、『お嬢さん』。」

カレルは、ユーリィーが女扱いを嫌うことを見透かしていたのだ。ワザと『お嬢さん』と付け足して、アルベルの所へと歩き去った。

カレルの言葉がよっぽど堪えたらしい。ユーリィは唇を噛み締めて俯いている。ロイは殴られた頭をさすりながら、ユーリィに声を掛けた。

  「…逃げろってのは、生き延びろって言うのと同じ事さ。」

その意外な言葉にユーリィが顔を上げた。

  「死んだらそこで終わりだろ?だけど、そこで生き延びてりゃ、10年後…いや、あんたは気が強そうだからな。数年で十分見返してやれるだろ?」

ユーリィがきっとロイを睨みつけた。

  「数年?一ヶ月で十分よ!」

ロイはそんなユーリィに苦笑した。まだまだ『ひよっこ』である彼には、彼女の気持ちが良くわかるのだ。

  「俺も、もー散々言われ続けてんだ。10年早いとか、身の程を知れとかさ。俺は元々あんまりプライドとかこだわりなかったけど、やっぱ落ち込む。でもよーく考えてみれば、これは自分を過大評価すんなってことだろ?戦場において、過大評価の行き着く先は、大抵玉砕だからな。要するに、『生き抜けよ』って言ってくれてんだ。」

  「…プラス思考なのね。」

ユーリィーは呆れた顔をしたが、ロイは真面目な顔で、

  「いいや。それがカレルさんの本音で、団長の意思だからさ。」

と言ったことで、ユーリィはロイやカレルの言葉をもう一度良く考えてみる気になった。訓練では逃げることは教えてくれなかった。だから、何となく逃げるというのはずっと悪いことだと思っていた。本来なら、実戦の中で、戦況を見極める力を養いつつ、徐々に教えられるはずだったのだが、それを飛び越して、いきなりここにきてしまったのである。

  『逃げろってのは、生き延びろって言うのと同じ事さ。』

今までそんな風に考えてもみなかった。

ロイには、卑屈になるとか、見栄をはるとか、そういうところが一切感じられない。肩肘張らず、自然体でいるロイを前にして、いつも精一杯意地をはってギリギリだったユーリィの心がふんわりと和らいだ気がした。素直な気持ちで、もっと話を聞いてみたいと思った。

  「私はユーリィ・アディソン。貴方は?」

  「ロイ・ブライトン。」

そこへ、アルベルの怒号が飛んだ。

  「おいッ!いつまでくっちゃべってやがる!さっさと準備しろ!」

  「すんません!」

ロイはそそくさとアルベルの元に行きかけて、立ち止まってユーリィを振り返って声を潜めた。

  「…あの団長だって、最初はビビッてたと思うぜ?」

そう言って、ニカッと笑ってウィンクすると、ユーリィも笑顔になった。

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■あとがき■
この話のためだけに、ロイとユーリィの名前を一生懸命考えました。名前付けって面倒ー!