「ガキがそんなに奥までいけるわけがねえんだが…。」
と言い終わらない内に、次第に血の匂いが漂ってきた。そして、先頭を歩いていたアルベルが立ち止まり、クレアを振り返った
「残念だったな。」
アルベルが傍の篝に火をつけると、そこは血の海だった。
子供達の死体はもはや個人の識別もできないほどだった。クレアの部下の一人が口を押さえて顔を背け、クレアも込み上げてくるものをぐっと堪えた。
部下の前でうろたえてはならない。だがもう、心は今にもくず折れそうだった。
皆がその場に立ち尽くす中、アルベルはゆっくりとその中を歩いていき、子供の衣服や身につけているものを剥ぎ始めた。アルベルの部下達もそれに倣う。
「一体何を!?」
クレアはアルベル達の死者を辱める行為に思わず目を剥いたが、
「死体はここで燃やす。」
という一言で、その行動の意味が分った。クレアは自分の部下達に向き直り、その意図をアルベルの代わりに伝えた。
「みんな、この子達はここで荼毘にふすことにしましょう。遺体と遺品を集めて来て下さい。」
「え!?でも、長居は禁物です!いつまた魔物が来るか…。」
「そうです!本当に残念な結果ですが、ここはもう引き上げましょう!」
(駄目だとわかったから、さっさと引き上げようというの!?子供達をこのまま放って帰ろうと言うの!?)
クレアは大声で捲くしたてて泣き叫びたかった。
その時、子供の遺体を抱えているアルベルの背中が目に入った。何だか今はアルベルだけが、クレアの気持ちを理解してくれているように感じた。
クレアは気持ちを鎮め、部下達を諭した。
「わかっています。でも、子供達のこんな姿を、親には見せられないでしょう?」
口調は静かだったが、声が微かに振るえている。部下達はクレアの強い怒りを感じ取った。
しかし、それでも死体に触れるのを躊躇っていると、それを感じたクレアは黙って彼女達に背を向け、一人、アルベルたちに近寄り、ユーリィも覚悟を決めた様子でロイを手伝い始めた。
それを半泣き状態で見ながら、イライザ達が立ち尽くしていると、そこへアルベルの怒号が飛んだ。
「ぼさっと突っ立ってねえで、火でも起こせッ!」
三人は一瞬ビクッとすくみ上がったが、その内容にホッとした表情になり、急いで使っていない篝を集め、そこで火を起こし始めた。
子供達の魂を天へ還す炎を、クレアは祈りを捧げながら沈痛な面持ちで見つめていた。
アランやアルベルの言った通りの結果になってしまった。
期待を持たせてしまった分、親達に絶望を味合わせてしまう。それがどれだけ残酷なことか。
でも、あの時はアルベルの言葉が親達を打ちのめすのを、どうしても見ていられなかったのだ。
(本当はこの結末を知っていたのよ…。でも…!)
親達と一緒に子供が無事だと信じたかった。あの親達の為に信じてやりたかったのだ。
(何て…何て言えばいい…?)
やがてその火も収まり、一同は灰の中から遺骨を拾い集め、黙って引き返しはじめた。すると、
ふーっふーっふーっ
地を這うような魔物の息遣いが響いてきた。
アルベルが先頭に立ち、一同はすぐに臨戦態勢に入った。
姿を現したのは、アースドラゴン。巨大な体に大きな翼が生え、二本足で立ち上がってこちらを睨みおろしている。先ほどの小物の魔物とは格が違う。知性を持っているらしく、腕を構えると、なんと施術を発動させてきた。
―――アースグレイブ
地面から土の刃が襲い掛かる。アルベルは刀で横薙ぎにして、それを凌いだ。しかしそのとき、
「旦那、背後からもう一匹!」
カレルが報告してきた。カレルはすぐにクレア達をアルベルとの間に挟みこむように、前に出た。
二匹の魔物に挟み込まれ、身動きが取れない状態に陥ってしまったのだ。
「こっちは俺が一人で何とかする!そっちはお前らで何とかしろ!敵に施術を使わせるなッ!」
アルベルはそう言うと、先手必勝とばかり、もう一度施術を発動させようとしている目の前のアースドラゴンへ切り込んでいった。挟み撃ちされた状態で施術を発動されては溜まったものではない。
アルベルは目の前の敵と戦いながら、背後の者達が必死に戦っているのを感じていた。自分が退けば、後ろの者達はやられてしまう。これは絶対に退けない戦いだった。
「ぐぐッ!」
アルベルはアースドラゴンの鋭い爪をがっしりと刀で受け止めた。しかし、ドラゴンのパワーは凄まじく、今にも押し返されそうだ。
その時、
「グロース!」
クレアの凛とした声が響き、アルベルにみるみる力が満ちてきた。
「プロテクション!」
「ヒーリング」
部下達もクレアに続く。
アルベルはクレア達の援護を受けながら、素早く体勢を整え、敵の懐に飛び込んだ。
「剛魔衝!」
魔力を込めた左腕の爪で魔物を胴体から引き裂き、完全に止めを刺した。
「そっちは!?」
と急いで後ろを振り返ったが、丁度カレルが止めを刺した所だった。
「ふぅ。」
アルベルは刀を振って、付いた魔物の血を払い、鞘に収めながら皆の疲れきった状態を確認した。
「これ以上の戦闘はまずい。さっさと引揚げるぞ。」
しかし、もう一匹影に潜んでいたのだ。皆が引き返そうとしていた矢先、真横からアースドラゴンが現われ、丁度隊列の真ん中にいたクレア達が真正面から魔物と対峙する格好となった。
「もう一匹!?」
その時、魔物の口にチラリと炎が揺らいだように見えた。
知ってる。これから何が起こるのか、アルベルはよく知っていた。
それを意識する前にアルベルは叫んでいた。
「避けろーッ!!」
しかし、クレア達には何の事かわからず、反応が遅れた。ロイは自分の隣にいたユーリィとシャーリーを、カレルはクレアとその近くに居たマーサとを引きずるように避けさせたが、少し離れた所にいたイライザが逃げ遅れた。間に合わない。
アルベルは考えるまもなく、襲い掛かる炎の前に飛び出し、イライザを突き飛ばした。
―――ゴオオオオオッ!!
ドラゴンの口から大量の炎が噴出し、アルベルの姿は、一瞬にしてその炎に飲まれた。
「旦那ーッ!!」
カレルは倒れこんだイライザを急いで引きずり立たせながら、必死でアルベルに呼びかけたが、炎の勢いが強すぎて近寄ることすら出来ない。
「旦那ッ!!返事をしてくれッ!!」
「隊長ーーッ!!」
「アルベル・ノックスッ!!」
ロイもクレア達も声を上げたが、凄まじい炎の中には人影すら見えなかった。
静かだった。
燃えさかる炎に包まれているはずなのに、何も聞こえない。痛みも熱さも何も感じない。
そんな中で、アルベルは父が自分を庇って死んだ時の事を思い出し、その時の父の気持ちが初めてわかった。
(成る程な…。守るってのはこういうことか。)
父も、後のことなど考える間もなく、飛び込んだに違いない。そんなことを考えていると、
―――だろう?それが、
懐かしい声。
(親父…!)
それは夢にまで見た父グラオの姿。いや、夢ではいつも炎に包まれ苦しそうに助けを求めていた。しかし今は、やわらかな光に包まれて、元気そうに笑っている。そして、アルベルの期待以上の言葉を返してくれる。どうやらこれは夢ではないらしい。
―――よぉ。
(親父…。)
あの世では人は若返るのだろうか?父は自分と変わらない年恰好をしていた。こうして見ると、自分は父親と本当によく似ている。
―――俺と一緒に来るか?
グラオがアルベルを真っ直ぐ見つめながらそう言うと、アルベルは笑った。
(ふん。俺がウンとは言わねえとわかってるから、そう言ってんだろ?俺も逝きてぇと思ってた時にはちっとも姿を見せなかったくせにな。)
するとグラオは、バレタかとニヤリと笑った。
―――だが、俺はずっと傍にいたんだ。お前がそれに気付かなかっただけだ。自分の殻に閉じこもってウジウジしてやがるからだ。
(俺がどんな思いで…!)
―――知ってる。お前が自分を責め続けたことも、ずっと死にてぇと思ってたことも、今は前向きに生きようとしていることも。
(…。)
―――まあ、俺はこっちで楽しくやってるから心配するな。
グラオがすっと後ろに遠退いた。すると、そこに優しく微笑む母の姿があった。
(母上!)
自分の呼びかけにニッコリ笑った母。あんなに元気そうな姿を見たのは初めてだった。
(俺は…俺は約束を守れなかった…!)
―――アルベル、有難う。
フンワリと微笑んだ母の瞳が、アルベルの心をあたたかく包み込んだ。そんな母の肩を、グラオは抱き寄せ、アルベルに向かってにっと笑った。羨ましいだろ?そんな顔だ。
―――お前にも、帰りを待ってるやつが居んだろう?
グラオがアルベルの腰に下がっているグリーンタリスマンを顎で指した。
(…ああ。)
アルベルはグリーンタリスマンを手に取った。あたたかい光を発し、そこにアランの思いがいっぱいに詰まっているのが感じられた。
(アラン…。)
自分が逝ってしまったら、アイツは壊れてしまうだろう。アイツの為に、必ず帰らなければ。
そう思った途端、グリーンタリスマンの光が急激に増し、今にも破裂しそうになってきた。
―――存分に生きろよ、アルベル。
―――アルベル、精一杯生きて…。
光の向こうに遠のいていく声に、アルベルはしっかりと答えた。
「ああ…!」
「旦那ーーッ!!」
最悪の事態を予感しつつも、それでもカレルは絶叫に近い呼び声でアルベルを呼んでいた。
炎の向こうで、ドラゴンが仁王立ちしてこちらを睨みつけている。
そこへ、さらにもう一匹ドラゴンが現れた。カレルはクレア達を下がらせ、剣を構えた。アルベルを失った今、自分が何とかしなければならないのだ。
「ロイ!こいつら連れて逃げろ!」
「だけど!カレルさんは!」
「私達も闘います!」
クレアが覚悟を決めた表情で前に出ようとしたが、カレルは腕でそれを遮った。
「早くしねぇと、このまま全滅だ!」
悲しみを込めた瞳で自分を見るクレアに、カレルはニヤッと余裕の笑みを浮かべた。
「旦那を犠牲にしといて結局全滅ってことになったら、あの世で旦那に殺される。」
犠牲の二文字がクレアにずっしりと圧し掛かった。
「…心配すんな、やばくなったらトンズラすっから!だが、あんたらが居たら、いつまでも逃げられん。頼むから早く行ってくれ!…ロイ、頼んだぞ!」
「カレルさん、絶対…絶対、来て下さいよ!」
「ああ…」
ロイがクレア達を連れて急いで退いていくのを、カレルは背中で見送り、目の前のドラゴンを見据えた。
「…旦那の死をこの目で確かめたらな。」
カレルはアルベルの腹心として、その最期を見届けるまでが自分の勤めだと考えていた。
「誰がそんなことを頼んだ!…って言うだろうな。旦那のことだから。」
その時、ドラゴンが炎の中からカレル目掛けて飛び掛ってきた。それをひらりと避けた所に、もう一匹のドラゴンの尾が凄いスピードで打ち下ろされたのを、カレルは足を踏ん張りながら、それを剣の刃で受けた。
尾が刃に食い込み、打ち下ろされた力によって切断され、吹っ飛んでいった。
ギャオォォォオオォッ!
「ふん、馬鹿か!…ま、ドラゴン二匹を一人で相手しようとしてる馬鹿といい勝負か。」
もう一匹のドラゴンが飛び掛ってきた。避けきれず、カレルの肩をドラゴンの牙が掠めた。肩当が吹っ飛んでいくのも構わず、その首目掛けて剣を振り下ろすが、寸でのところで避けられた。そして、横から飛んできた尾によって壁に叩き付けられた。
「ぐはッ!!」
一瞬息が止まる。だがすぐ立ち上がって素早く間合いを取った。二匹のドラゴンがだらりと舌を垂らしながら、ゆっくりとその間合いを詰めてくる。
恐らく自分も死ぬだろう。だが、悔いはなかった。
「旦那を一人で逝かせるわけにもいかねえしな。」
カレルは、アルベルと出会ってからの人生を振り返って、満足げに笑った。そのとき、
カシャーンッ!
ガラスのような何かが砕け散る音がし、それと同時にみるみるうちに炎の色が凝集し始めた。
「これは、まさか…!!」
その炎は徐々に形を帯び、炎の竜となって、次々とドラゴンへと襲い掛かっていった。
ゴオオッと凄まじいエネルギーを発しながら全てを焼き尽くしていく。
やがて、その竜達が姿を消すと、まるで何事もなかったかのように魔物も炎も消え去ってしまっていた。そして、そこには、
「旦那ッ!」
あれ程の業火に晒されながらも、アルベルは無傷の状態だった。その周囲には、まるでアルベルを守るようにキラキラと透明な破片が飛び散っている。それは、グリーンタリスマンの破片だった。
カレルはその神秘的な光景にしばらく見蕩れていたが、アルベルがこっちを見たのに気付き、恐る恐る近寄った。
「旦那?まさか…幽霊じゃ…ねえでしょうね?」
「ああ、多分な。」
しっかりとしたアルベルの返事に、その無事を確認したカレルは、ほうっと安堵の溜息をつき、嬉しそうに剣を鞘に納めた。
アルベルは自分を守っていた光の破片が徐々に消えていくのをじっと見上げ、ポツリとつぶやいた。
「…アイツに助けられたな。」
「アイツ?」
それがアランの事だと知りつつ、カレルは尋ねてみたが、
「…行くぞ。」
やはりアルベルは答えなかった。そこで、代わりに、
「思いが込められたグリーンタリスマンが身代わりになって助けてくれるってのは、単なるおとぎ話だと思ってましたがね。」
と言ってやると、アルベルはチラリとカレルを睨み、踵を返しながら、
「…俺もだ。」
と、ぼそっと答えた。
アルベルは髪の毛一本、傷ついていない。あのグリーンタリスマンには、それだけ強い思いが込められていたのだ。