薄暗い空間に響く冷たい大人の声。
そして、そこにぽっかりと浮かぶ光の窓。
それが幼少の頃の記憶。
いついかなる時にも姿勢を崩してはならない。背筋を伸ばし、足を揃えて、手は指先まで注意を払う。常に洗練された動作を心掛ける。頭の先から靴の先まで、常に完璧でなければならない。カップを持つときは…ナイフとフォークは…選ぶべき会話の内容は…言葉遣いは…微笑を忘れずに…。広いテーブルにたった一人座らせられ、後ろから付きっきりでマナーを叩き込まれる。『ねばならない』『てはならない』でがんじがらめにされ、ちょっとでも間違うとムチが飛んでくる。一瞬の気の緩みも許されなかった。味を感じる余裕はなかった。
時間ごとに細かく決められたスケジュール。遊ぶ時間などない。いや、そもそも『遊ぶ』とはどういうことなのか知らされなかった。いつも大人たちに取り囲まれて、大人のように振舞うのが当たり前になり、いつしか自分も周りの大人と同じなのだと思い込んでいた。その為、自分以外の子供を見てひどく戸惑ったのを覚えている。鏡にうつる自分の姿に驚く子犬のように。
恐らく世間の子供達が遊んでいるであろう時間、背筋を伸ばして決められた通りの姿勢で机に座り、分厚い教科書を開いて過す。その周りを家庭教師が監視するようにゆっくりと歩く。
「〇×年、時の王、アーリグリフ一世は…」
抑揚の無い声と、コツコツと規則的に響く足音が、ふわりと眠りを誘う。教科書の小さい文字がぼやけてくる。だが、眠ってはいけない。重い瞼をしばたき、ふと目を上げた先。
陽が差し込んで神々しく光る窓。
(綺麗だな…。)
あの窓の向こうにはきっと素晴らしい世界があるに違いない。心の中の自分が、希望に胸を膨らませ窓へと近づいていった。
ビシッ!
「講義中によそ見するとは!」
「申し訳ありません。」
ムチを受けた手がジーンと痺れ、筋状にみるみる赤く腫れていく。もう少しであの窓へたどり着けるところだったのに、一瞬で暗がりに引きずり戻されてしまった。泣きたいのをぐっと堪える。泣けばまたムチが飛んでくるからだ。
ここからは逃げられないのだ。
母が生きていた頃は、もっと世界は明るかったような気もするのだが、それももう遠い記憶の中でかすれている。
そしていつか、自分を閉じ込めているこの檻の薄暗さに慣れた頃には、あの輝きへの憧れすら忘れてしまうのだろう。ここにいる大人たちのように。
その前に、一度でいいからあの窓の向こうへ行ってみたい。
自分の心を見失ってしまう前に。
あの光の中へ。