アランが疾風団長になって、初めての武闘大会。その実力を皆に示すため、アランはアルベルと試合をする事になった。
試合の直前、アランはアルベルに、ある提案を持ちかけた。
「この試合に、何か賭けませんか?」
「賭け?」
「勝った方の望みを、負けた方が叶えるとか。」
「フッ。ってことは、俺に勝てるつもりでいるのか。」
「いいえ。客観的に見て、十中八九私の負けでしょう。でも何かが懸かっていれば、より強い力が発揮できるかもしれません。あなたもその方が面白いでしょう?」
確かに、結果の見えた勝負は面白くない。
(久しぶりに楽しめそうだ。)
アルベルは、アランの飛躍的に伸びてきた腕前を考え、不敵に笑った。
「いいだろう。何を賭ける?」
「…アルベル様を。」
「何?」
アルベルが振りかえった。
「アルベル様を賭けて戦いたい。」
「はあ?」
アランはすっと息を吸って覚悟を決め、はっきりと言った。
「あなたが欲しいのです。」
「なっ!?」
アルベルの顔にみるみる血が上ってくる。肩が怒りでワナワナと震えている。
「あなたを私にください。」
とうとうアルベルはぶち切れた。
「ッてっめえ!!この俺を馬鹿にしてんのかっ!!」
どっかーんといった怒号に対し、アランは静かに、そして思いの丈を込めて言った。
「本気です。私はあなたを愛しています。」
アランは胸倉を掴まれた。
「この野郎ッ、まだ言うかッ!!」
アルベルが睨み上げてくる。拒否されることはわかっていたが、実際に自分の真剣な告白に怒り狂うアルベルを目の当たりにして、アランの心は深く傷ついた。込み上げてくる悲しみを堪え、アランはアルベルを挑発した。
「いずれにしろ、あなたが勝てば良いのです。まさか、その自信がないというわけではないでしょう?」
その言葉に、アルベルはさらに激昂した。
「な、ん、だ、とぉッ!!」
そんなアルベルを、アランは静かに見つめた。アルベルは毟り取るように胸倉を外すと、
「い〜〜〜だろう。俺に勝ったら、てめえの望み通り、俺をくれてやる。ただしッ!!てめえが負けたら、二度と俺に付きまとうな!!」
「はい。」
アランは覚悟を決めた者の澄みきった瞳で、まっすぐにアルベルを見つめた。
アルベルとアランの対決は大会の取りで、兵士達も最も楽しみにしていた。
それまでの間、アルベルは向こうの観客席にいるアランの姿を睨みつけ、アランに言われた事を思い出しては、
「くそッ!!」
と壁にやつあたりをしていた。事情を知らない部下たちは、触らぬ神のなんとやらで、それを遠巻きにし、見てみぬふりを決め込んでいた。
(やたら、まとわりついてくるとは思っていたが、まさかそういう気だったとは!!)
疑いもせず、一緒に食事をしたり、アランの飛竜に乗ったりしていた自分の馬鹿さ加減にも腹がたった。
そもそも、アルベルはアランが苦手であった。笑顔の裏に何を隠しているかわからない。時折冷たい光を放つその目に、強い警戒心を抱いていた。相手に、利用されているとは露ほども思わせず、自分のいいように動かし、徹底的に利用し尽くして、用済みになった途端、あっさりと切り捨てるというやり口も嫌いだった。
だから、さっきのアランの愛の告白も、何か企みがあるとしか思えなかった。
(ギタギタにしてくれるッ!!)
アルベルは気合も気迫も十分だった。
一方、アランの方は、じっと目をつぶり、静かにその時を待っていた。
アルベルとアランが中央に向かい合って立つと、兵士達は待っていましたとばかりに歓声を上げた。
アルベルが刀をすらりと抜いた。それを見てアランも剣を抜くと、後ろに鞘を放り捨てた。
「!?」
アランの行動に、アルベルは少し戸惑っているようだ。
(もう、剣を鞘に収める事はない。)
アランはここで死ぬつもりだった。アルベルの手によって…。
(この恋を終わらせよう…。もう、この苦しみから開放されたい。)
アランの心は静かに落ち着いていた。アランはゆっくりと剣を構えた。
アルベルが先制攻撃をしかけてきた。
以前対峙した時とは比べ物にならないほど、アランは成長していた。しかしそれはアルベルも同じ事。わずかにアルベルには及ばない。
アルベルの剣圧で切れた額から血がながれる。
激しい攻防の末、アルベルはすっとアランの死角に入り、アランの首筋めがけて刀を振り抜いてきた。
アランは避けなかった。自分の首に、その刃が食い込むのを待った。
が、その瞬間、アルベルに隙が生じた。刀を止めようとしてきたのだ。
考える間もなく、アランは咄嗟にその隙を突き、剣を振るった。
「ギィィィンッ!!」
という音と共に、アルベルの刀が吹っ飛んだ。
「しまった!!!」
アランは、間髪いれず、アルベルの喉元へ剣の切先をつきつけた。
「くそおおォッ!!!」
アルベルは憤懣やる方ない様子で叫んだ。
アランは肩で息をしながら呆然としていたが、やがて全身の力が抜けていき、手から剣が落ちた。
――――ガシャンッ!
剣が地面に落ちた音も、ドオッと沸き起こった歓声も、アランの耳には届かなかった。アランは呆然と、ただ信じられない思いで、悔しがるアルベルを見ていた。
アランは結果的に卑怯な勝ち方をしたのだったのだが、それに対しては、アルベルは何も言わなかった。
「甚だ不本意だが!…負けは認めてやる。」
アルベルは忌々しげにそう吐き捨て、そのまま闘技場を出ていった。
まさかこんなことになるとは思っていなかったアランは、どうすべきかわからず、ふらふらとアルベルの後についていった。
アルベルは部屋に入ると、ドカッと椅子に座った。アランは放心状態で突っ立っている。
「なんだその間抜け面は!…ま、てめえの罠にまんまと引っかかった俺も、相当な間抜けだがな。」
「まさか…こんな事になるとは…。」
「嘘つけ!計算通りに相手を落とし入れるのは、てめえの十八番だろうが!その鮮やかさにはいつもぞっとさせられていたが、まさか自分がこうも見事にハメられるとはな。てめえが何企んでるのか知らねえが、何もかもそう思い通りにいくとは思うなよ!」
「そんな…。」
アルベルが自分をどういう目で見ていたのか、これまでうすうすと感じていたことを、今はっきりと知った。
アルベルの言葉にぐさりと貫かれたアランは、その胸の痛みに唇をかみ締め、目を伏せた。
「私は…あそこで死ぬつもりだったので…。」
「ああ?!なんだと?」
アルベルはアランの言葉を訊き咎めた。アランは目を伏せたまま、ぽつりぽつりと言葉を押し出した。
「私はもう…この苦しみから解放されたくて…」
アランの目から涙が零れ落ちた。
アルベルは驚いてアランを凝視した。
アランは涙を堪えようとしたが、溢れる涙が次々とアランの頬を伝う。
「あなたに恋してしまった…あなたにとって…私のこの思いは害にしかならないのに…でも好きで…好きで好きで堪らなくて…苦しくて…苦しくて…もう死んでしまいたいと…あなたの手によって殺されたい…そうすれば…一生、あなたの記憶の中に残れると…そう思って…」
涙とともに、心の叫びがにじみ出たアランの言葉。アルベルは、さすがにこれを嘘だとは思わなかった。
言うべき言葉が見つからず、しばらく黙ってアランの嗚咽を聞き、ようやく口を開いた。
「…フン、てめえのことなど、さっさと忘れちまうに決まってんだろ。」
アランは手で涙を拭って、伏せていた目をアルベルに合わせ、
「いいえ。…あなたにはそれは出来ない。」
とキッパリと言いきった。
「きっと、あなたは御自分を責めつづける。苦しみながら。…ずっと。」
それは、アルベルが絶対に認めたくない、アルベルの最も弱い部分だった。これまで、周りの誰にもその部分を気付かれないように、ずっと虚勢を張り、心の奥底にひた隠しにしてきた。
それをアランが知っていたのだ。
言わば、一番触れられたくなかった部分に触れられ、アルベルはカッとなった。
「黙れッ!!」
アルベルは立ちあがって怒鳴りつけた。
「クソ虫風情が、知った風な口を利くな!!」
そして、すらっと刀を抜いた。
「てめえの望み通り、あの世に送ってやる。そこに跪けッ!!」
アランは言われた通りに跪き、真っ直ぐな目でアルベルを見つめた。
アルベルは刀を振り上げたが、相変わらずじっと自分を見上げてくる、その涙で濡れた瞳に内心たじろいだ。
「言い残す事は?」
「あなたを…愛しています。」
「…ふん、それだけか?じゃあ、目をつぶれ!」
「最期まで、あなたを見ていたい。」
「この阿呆がッ!死ねッ!!」
アルベルは渾身の力をこめて刀を振り下ろした。
その刹那でさえ、アランはアルベルの事を考えていた。息を引き取る、最期の瞬間までアルベルを見ていたい。自分の首が飛んだ後、ちゃんとアルベルの顔を見ていられる位置に転がってくれるだろうかと、それだけが心配だった。
だが、首が飛べば変わるはずの視点が一向に変わらない。
不思議に思って刀に視線を移すと、刀はアランの首に食い込む寸前で止まっていた。
アランが再びアルベルに視線を戻すと、アルベルはフイッと身を翻し、刀を鞘に収めた。そして、肩越しにアランを睨み下ろした。
「今夜、俺の家に来い。」
「え?」
アランは耳を疑った。
「言いてえことは山ッ程あるが、約束は約束だ。仕方がねえ。」
そして、そのまま部屋を出ていった。アランは跪いたまま、ただ呆然とそれを見送った。