朝、アランが飛竜の世話をしていると、疾風の先輩に声を掛けられた。上位にへつらい、下位に威張り散らす嫌な奴だった。自分に声を掛けるとはめずらしい。アランはそれを事務的にやり過ごそうとした。
「おはようございます。」
「おい、お前はこの間の大会で、アルベル様にコテンパンにやられてたよな。」
「そうですね。」
「やり返してみたいとか思わねえか。」
「いえ、別に。」
アランが素っ気無く返すと、顔をしかめ、本当かよ、という顔をしていたが、
「そうか、ならいいんだ。」
あっさりと何かを引っ込めた。そこに、なにか不穏なものを感じ取った。
「何かあるのですか?」
「いや、なんでもない。」
と立ち去った。
アランは嫌な予感がして、情報を探った。そして、情報を握ってそうな者の中に、自分に好意を寄せている者がいた。本当なら近づきたくはなかったのだが、この際致し方ないと、夕食に誘った。
「アルベルの奴を
「どうしてそんなことを!?」
「上からの命令だって言ってたがな。ま、恨んでる奴はいっぱいいるからな。」
(まさか、ヴォックス!!)
上と聞いて、その中でそんな卑劣なことをするのは他にはいない。ヴォックスがアルベルに対して良い感情を持っていないのも知っていた。激しい怒りが込み上げる。
「それは何時、何処で?」
「今夜、カルサア修練場で犯るって言ってたかな。さっきやつらが飛び立って行ってたからよ。もうすぐ始まる頃じゃねえかな。ヘッ。ざまあないな。」
それを聞いた瞬間、アランの体から血の気が引いた。
と、自分の手に、さりげなく手が被せられた。
「そんなことより、これから時間あるか?」
ねっとりとした視線をさりげなくかわしながら、相手の気分を害さない程度の、それでいて最高速で手を引っ込め、
「いえ、他に約束がありますので。失礼します。」
と席を立った。
飛竜にのってカルサア修練場に向かう。
(早く!!もっと早くっ!!!)
ヴォックスに対して憎しみの感情が沸き起こる。それと同時に、自分の感情が不思議だった。
(何故、こんなに怒りを感じる?)
雨に打たれじっと佇んでたアルベルの姿を思い出す。
(同情?…いや、違う。ただ自分が、あんなに悲しい姿を見たくないだけなのだ。あの人を悲しませたくない!あの人を傷つける奴は許さない!!)
ようやくカルサア修練場に着いたが、誰もいない。見張りもいなかったため、すんなり中に入れた。
すると廊下に、おろおろと若い女が立っていた。様子がおかしい。
「どうしたのですか?」
「私は何もしていないのに、ただ頼まれた通りにしただけなのに、私は悪くない、ただ気分が良くなる薬を入れただけなのに、アルベル様は苦しがられて、気分が良くなるはずなのに、あの人はそういったのに。」
かなり動転しているようだ。
「あなたは悪くありません。悪くない。だから安心して。」
と肩を抱いてあやしてやると、少し落ち着いたようだった。
「アルベル様は?」
「お部屋に。」
「護衛はちゃんとついているのでしょう?」
女は首を振る。
「他に誰かいないのですか?漆黒の者たちは何処に行っているのです?」
「休みをもらって家へ帰っています。」
「ではアルベル様の側近の者も?」
まさかそんなことはないだろうと思いながら訊いた。側近が傍にいなければ、側近とは言わない。
「シェルビー様のご命令で任務に出ておられます。他の方たちが帰られてしまっていますから、人手がなくて…。」
(なるほど、シェルビーもグルか!)
と思っていると、女が血の気の引くようなことを言い出した。
「偶然やって来られた疾風の方たちが、アルベル様をお部屋へ運んでくださいました。」
「それは何処です?」
「でも、アルベル様がひどい状態なので、誰も来させてはならないと言われてます。」
「私も疾風の者ですよ。その者たちに用事を託ってきたのです。」
女は簡単に信じた。
丁度、その頃。
アルベルは両腕、両足を共に2人ずつに抑えこまれていた。アルベルは渾身の力を振り絞って睨みつけるが、薬で力が入らぬ上、4人がかりで抑えつけられてはなす術がない。
♂へらへらと笑いながら残りの一人が、アルベルの抑えつけられた脚の間にしゃがみ込んだ。
「どうだ、媚薬の効果は?乳首がぴーんとなっちゃってんのが、服の上からでも、もろ見え!ビンビン感じちゃってんじゃねえの?」
と乳首を指で弾く。
「こッのッ!触るなァッ!!」
「そのうち触って欲しくてたまんなくなるって。あは〜ん、もっと〜ん、ってな。ひっひっひっ。」
ずいっと上着を捲り上げる。そそり立つピンク色の乳首が露になった。
「ピ、ピンク色だぜ!こりゃ、しゃぶりつきてえなぁッ!!」
「ちょこんってな!ひゃはあっ!!」
一人がアルベルの手を抑えたまま片手を伸ばし、ごつい指で乳首をつまんでぐりぐりと引っ張り上げた。
「ッのやろォッ!!触るんじゃねえッッ!!!」
アルベルはギリギリと歯軋りした。
今度は腰布に手を伸ばす。
「ってことは、こっちもぴーんとなっちゃってんのかな?」
ゴクリと周囲の見守る中、そろりと腰布をめくった。
獣達のギラギラとした視線が一点に注ぎ込まれる。
「くくくっ。見ろよ。ギンギンだ。」
「ひゃははははっ!や、やりてえッ!!」
「とりあえず脱がそうぜ。ふひひ、楽しいなあ。」
するすると脚を露にされ、腰布が解かれた。
「くーっ!うまそうな太ももだぜ。女なんか目じゃねえな、こりゃ!」
涎を堪えきれず、舌なめずりする。
「この色気。た、たまんねえっ。」
一人が鼻息荒く自分の股間に手をやり、自分を扱き出した。
「まあ、落ち着けよ。後でたっぷりやらせてやるからな。まずは品定めからだ。」
「このクソ虫共ッッ!!!」
「いよいよ初公開!漆黒団長の一物、とくとご覧あれ!!」
と手を伸ばそうとした瞬間、♂
―――コンコン
とノックされた。皆一様にギクリとなったが、
「なんだよ。これからってときに…。おい。」
と見張りに目配せした。見張りがドアを開けると、そこにはアランが立っていた。
アランは見張りの向こう側の光景を見た途端、カッと怒りで我を忘れた。見張りがアランに近寄り、
「何だ、お前は。お楽しみの最中だ、引っ込んで――――」
と言った時には吹っ飛ばされていた。壁にぶつかった瞬間ゴキッと嫌な音がして、見張りは動かなくなった。アランはそれに見向きもせず、ゆらりと中へ入り、近づいてきた。
目には冷たい光が宿る。
「何っ!?」
と、一同が呆気に取られている中、アランはスラリと背中に掛けていた大剣を引き抜くと、アルベルに手を伸ばそうとしていた者の胸を貫いた。
「ごふっ!!」
剣が刺さったところから凄まじい冷気が起こり、バキバキと音をたてながら、そのままの姿勢で氷になってしまった。
4人は慌ててアルベルを抑えていた手を放し、剣を抜こうとしたが、その時にはアランの施術が発動していた。みるみるうちに脚から凍り付いていく。
「たっ、助け―――!!」
「うあああああ――――!!!」
その悲鳴も途中で凍りつき、部屋はシーンと静まりかえった。
―――カシャンッ
とアランは背中に剣を収めると、アルベルに近づいた。アルベルはぐったりとしながらも、アランを睨みつけ威嚇してきた。
「近寄るなっ!!」
アランは立ち止まり、そして、
(まるで傷ついた野猫のようだ…。)
と、悲しく思った。
「…どうか、怪我の手当てをさせてください。」
そっと近づいて傍らに跪くと、アルベルに手をかざした。すると、アルベルはふっとあたたかい空気に包まれ、殴られた痛みが引いていくのを感じた。アルベルはぐったりとして、それを受け入れた。
その白く綺麗な体。美しく上気した頬。苦しげな息使い。強く噛み締めていたためか、アルベルの唇はまるで紅をさしているように見える。その艶かしい唇から、ちらりと紅い舌が…。
(何を考えてるんだ!!)
アランははっと我に返り、慌てて思考を中断させたが、血流が速くなっていくのを感じる。
できるだけ直視しないようにしながら、そっと手を伸ばし、腰布を掛けなおした。そしてアルベルの上着を元に戻したとき、アランの手がアルベルの肌に触れ、アルベルがビクンと反応した。
―――なめらかな肌
その時、アランの体にドクンと衝撃がはしった。
――― 欲情 ―――
そう認識した途端、正視できなくなった。
(落ち着け!落ち着け!落ち着け!)
心の中で何度も唱える。動揺を隠しながら、アルベルを立たせようとするが、脚に全く力が入らない様子だ。そこで、
「失礼します。」
と断ると、ひょいと横抱きに抱きかかえた。
「なっ!」
「申し訳ありません。ベッドに運ぶまで、どうかご辛抱を。」
その軽さに驚きながら、ベッドまで運ぶと、そっとアルベルを降ろした。
露になった脚のすらりとした美しさに目がくらみ、慌ててシーツを掛け、アルベルと目を合わせない様にして背中を向けた。
「死体を処理してきます。」
そして半ば逃げ出すように部屋を出た。
死体を台車にのせて外へ運び出し森の中へ隠した。
その作業を終わらせてもどってくると、あの女がいた。
(しまった、見られた!)
もし自分が疾風の兵士を殺したことを他に知られたらおしまいだ。軍法会議にかけられ、おそらく処刑される。
殺そうかと考え、いや、と思いなおした。
アランは安心させるように、ニッコリ微笑んで近づくと、
「このことは誰にも言ってはいけない。もし知られたら、あなたがアルベル様に薬を盛ったことがばれてしまう。そうなったらあなたは死刑になってしまうかもしれない。」
♀
女はおびえている様子だった。アランは女を抱きしめ、顎を上向かせた。アランの口付けに、女の体から力が抜ける。そのまま押し倒した。
(ほら、ちゃんと女を抱ける。さっきのは単なる気の迷いだ。)
着衣のまま事を済ませると、うっとりと見上げてくる女を、何の感情も抱かずに見下ろし、
「秘密は守れますね。」
と念を押した。女はこっくりと頷く。その様子に不安を抱く。
(だめだ、この女は当てにならない。もう一つ手を打っておくか。)
♀
アランは懐から金を出した。
「これでここから逃げなさい。そして故郷にお帰り。」
女は見たこともない大金に目を見張っている。
「もしばれて追手がかかったら大変です。さあ、早くっ!」
その言葉に女は金を握り締めて走り去った。♀アランは女の唾液の混じった唾を地面に吐き捨てると、♀それから隠しておいた死体を一体ずつ飛竜で運んで、崖の上から谷底へ落としていった。
全てをやり終え、宿舎に戻った時には日の出が近かった。水を被って血を洗い落とした後、ベッドに疲れた体を投げ出し、そのまま眠った。
次の日、疾風の者6名が行方不明になったことは兵士中の噂になっていた。♀アランは他の者に、昨日は女の所に行っていたと言っておいたので、♀誰もアランの不在を不審に思ってはいなかった。
そ知らぬ振りで過ごしていた、その日の昼過ぎ、
「おい。」
と声を掛けられた。その声にアランの心臓がドクンと跳ねる。振返るとやはり、アルベルだった。
「話がある。ついて来い。」
アルベルはそれだけ言ってふいっと踵を返し、すたすたと歩きはじめた。アランはその後をついていった。
その後姿から目が離せなくなる。抱きしめたら折れてしまいそうなほど細い腰。そして大股で歩くたびにちらりと見える白い太もも。そこに手を滑らせたら、どんな感じだろうか…。
昨日のアルベルの様子がバッと浮かんでくる。
―――ドクン!!
「ッ!!」
思わず口を押さえ、アランは立ち止まった。その気配を感じてアルベルが、
「何だ?」
と振返った。
「あ…いえ…。」
湧き上がる感情を必死で鎮めようとしながら、また歩き出す。
しばらく進むと、アルベルが立ち止まり振返った。人の滅多に来ない静かな場所に2人きり。
ドクンッ、ドクンッと自分の鼓動が聞こえる。
アルベルが口を切った。
「なんで昨日あそこにいた?」
「…噂を聞きつけたからです。」
「噂?」
「あの、…あなたを輪姦するという…。」
「それで?」
「え?」
「なんであそこに来た?」
「…。」
アランは言葉に詰まった。アルベルは、なぜ自分を助けたかと聞いているのだ。
―――あなたを悲しませたくないから。
では、何故そう思うのか?
その答えに自分は気付き始めている。だがその答えは、自分の中で到底認められるものではなかった。理性がその答えを拒否している。
迷った末、無難な答えを探して、それを返した。
「卑劣なやり口だと思ったからです。」
長い沈黙の後、アルベルが再び口を開いた。
「…あの死体はどうした?」
「谷底に捨てました。」
絶対に見つかることはないだろう。アルベルはじっとアランを見つめた。その紅い瞳に吸いこまれそうになる。
息苦しい。
顔が熱い。
このうるさい鼓動がアルベルにも聞こえているのではないかと心配になった。
ふっと視線が外され、アランは止まってしまっていた呼吸を再開した。
アルベルはやや横を向き、地面に視線を落とし、そして言いにくそうに、
「…昨日は助かった。…礼を言う。」
と言った。
―――えっ!?
と驚いている隙に、
「話はそれだけだ。」
とアランの横をすっと通りすぎて歩き去ってしまった。ふわりとなびいてアルベルについていく髪の束。かすかな髪の香り。その香りをアルベルが起こした風ごと、いっぱいに吸いこんで胸に溜めた。
アランは身動きできず、しばらくそこに立ち尽くしていた。