アルベルの家に、若い娘をつれた初老の男がやって来た。
その男は挨拶もなく勝手に入り込んで、いきなり怒鳴った。
「アランッ!!出て来いッ!!」
アランは丁度買い物に出かけていたため、アルベルがその無作法な客人の応対に出た。
「…なんだ、てめえは?」
「ふん、成り上がり風情に名乗る必要などない。」
その言い方から、その男が自分を知っているようだと感じた。
「なんだと?」
「アランはどこにおる?早う、アランをここに呼んで来い。」
「ふざんけんな。人の家にずかずかと上がりこんで、この俺を小間使い扱いするとは、いい度胸だ。さっさと出て行け。でなきゃ殺すぞ?」
「そうはいかん。今日という今日はアランを連れ戻さねばならんのだ。アランに、父がお前の婚約者を連れてきてやったとそう言え!」
「婚…約者!?」
アルベルは娘の方を見た。まるで人形のように可憐な娘だった。
(そして、こいつがアランの父親か。)
そう言われれば似てなくもない。だが、その人を見下す高圧的な態度や、人が自分の言う通りに動くものだと信じて疑っていないその愚かさは、全くアランは受け継いでなかった。ただ、その冷えきった目が、アランが自分以外の人間に対して、時折見せるものと同じものだった。
その時、アランが買い物から戻ってきて、父の姿を見て凍りついた。
「父…上…!」
余程ショックだったのか、持っていた袋がアランの腕から落ち、中から野菜や果物が床に転がった。
(こんなアランは珍しい。)
アルベルはそのアランの様子から、アランにとって、これがかなり最悪の事態なのだということがわかった。
「何をしにきたのですか?」
アランは敵意を込めた目で自分の父親を睨みつけた。
「お前が帰ってこぬから、わざわざワシが出向いてきてやったのだ。」
「どうして、ここが?」
「ふん。ちょっと調べれば、すぐわかることだ。お前がここで家政婦の如き扱いを受けているということもな。」
「帰ってください。そして、二度とここへは来ないで下さい。」
アランが怒りを押し殺した声で、静かにそう言い放った。
「何を言っておる。お前も一緒に帰るのだ。そして、この娘と結婚し、跡継ぎを作れ。」
「嫌です。」
「なんだと!?このワシに逆らうのか?」
「はい。あなたの言うことには、もう二度と従いません。今日を限りに、縁を切らせて頂きます。」
「何ィッ!!」
これまで、自分の言う通りになっていた、理想の息子の豹変振りが信じられない思いだった。アランの父親はアルベルの方を睨んだ。
「やはり、軍に入れたのは失敗だったか。…あやつに何を吹き込まれた?庶民の戯言に毒されおって。」
父の勘違いにアランは冷たく笑った。その目の冷たさに、黙って様子をうかがっていたアルベルはぞっとした。
「軍に入ったのは、あなたから逃れる為。これまで、あなたの言う通りにしていたのは、あなたに殺されないようにするため。」
「!」
「あなたに逆らえば殺される。母と同じように。」
「ば、馬鹿な!誰がそんな事を言ったのだ。」
「母自身が、最期の力を振り絞って私にそう伝えました。」
「お前は、あんな小賢しい女の言ったことを信じるのか?」
「黙れッ!!母が死んでから、どれだけあなたを憎んだか!どれほどあなたを殺したかったかッ!あなたを父だと思ったことは一度もない!」
アランの周りに急速に冷気が漂い始めた。
「もう、この憎しみにも、ケリをつける。そして、あなたを殺して、私は自由を手に入れる。」
アランは、すっと二本の指を顔の前に立て、その指に冷気を集中させた。
「な、何だ。この、ワシを殺すつもりか?」
父親は娘の手を掴み、自分の前に立たせて盾にした。
「きゃああッ!」
それを見て、アランは冷笑した。
「ふッ。そんなことで、私が怯むとでも思っているのですか?その娘共々、私の前から消えてなくなるがいいッ!!」
「いやあぁッ!!」
「うわあぁぁッ!!」
「やめろッッ!!」
アランが施術を発動させようとしたその時、アルベルがアランの前に立ち塞がった。
アランはその光景に目を見開いた。
「やめろ!」
アルベルは改めてアランにそう言った。
「何故です!?何故こんな人間を庇うのですッ!!」
「俺はお前の為に言ってるんだ!…やめろ。」
アランは力なく手を下ろした。
アランから冷気が散っていった。
アルベルは父親の方に向き直った。
「消えろ。二度と来るな。」
「アラン、覚えておれよ!…この私を殺そうとしたこと、いずれ後悔させてやるからなッ!」
「うるせぇ!さっさと消えねえと、この俺が殺すぞ!!」
二人を追い出して振り返ると、アランはしゃがんで、ゆっくりと床に散らばった果物を拾っていた。泣いてはいなかったが、なんだかアランが小さく見えた。
「…アラン。」
「申し訳ありません。あなたにまで不愉快な思いをさせてしまって…。」
アルベルは、アランが躊躇いもなく女まで殺そうとしていたことが引っかかっていた。
「…何で女まで殺そうとしたんだ?」
「…すみません。」
「そうじゃねえ!俺はその理由を聞いてるんだ!」
「…ありません。父を殺すことしか考えていませんでした。」
「アラン、お前は…。」
アランの動きがぴたっと止まった。だがアルベルの方を見ようとはしなかった。アルベルがどんな目で自分のことを見ているのか、アランはそれを知るのが恐ろしかった。
「軽蔑…なさったでしょう?」
「…。」
アルベルは答えなかった。アランは唇を噛み締め、手に持っていたリンゴを見つめた。
「…邪魔な人間を殺す。私は父と同じことをしようとしていたのですよね。それに、例えあの時、父を殺していたとしても、この体に血が流れる限り、その存在は決して消えることはない。どんなに嫌悪しても、結局、私は父と同じ―――」
「違う。」
アルベルはアランを遮って、そう言った。
「え…?」
アランはアルベルを見上げた。真っ直ぐに自分を見つめる紅い瞳。
「それを嫌だと思っている所が違う。」
アランのすがるような目に、アルベルは溜息をついて、アランの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやった。
「しょうがねえ!俺がお前を教育しなおしてやる!」
アランの目に涙が浮かんだ。
「…はい!」
夜。アランはベッドで自分の過去を話した。アルベルは黙ってそれを聞いた。
「父がお菓子を私に渡しました。母が好きだからと。私は疑いもせず、母に渡しました。
そして、母がその菓子を食べた途端、私の目の前で母が苦しみだして…。母は私に『生き延びたければ、父の言う事をきくふりをしろ。』と言い残しました。私は目の前の光景が恐ろしくて、ただ呆然としていました。腕に食い込む母の指が痛くてたまらなかった…。」
自分のせいで親を亡くした。アルベルは自分と似たような過去だと思った。
「それから、自分も同じように殺されるのかもしれないと怯えて何も口にすることが出来ず、空腹で意識がもうろうとする中、母の言葉が甦ってきました。そしてどうやら、私はまだ殺されないようだとわかり、それから私は理想の息子を演じ続けました。そうするうち、だんだん自分が本当はどうしたいのかわからなくなって、ただ父に言われた通りに生きていました。生き延びる為に父に従っていたのに、そうして得た生に何の価値も見出せず…。そして、父の元から逃げ出したのです。」
アランはアルベルをしっかりと見つめた。
「あなたと出会って、全てが変わりました。あなたが何か大きなものを背負い、苦しみながらも、それにまっすぐに向き合っておられる姿に、どうしようもなく惹かれました。あなたの傍にいて、あなたと共に生きたいと強くそう思ったのです。」
「俺はそんなに立派じゃねえ。」
「いいえ。私には、あなたの姿は本当に眩しくて、つくづく自分の汚さが嫌になるのです。どうか…どうか、私を見捨てないで下さい。」
アランはアルベルの手をとり、そっと口付けた。
「本当は…」
アルベルの手を握ったアランの手が小さく震えている。
「母を…殺したのは…父じゃなくて…わ、私。あの時、私がお菓子を渡さなければ…」
「阿呆。今更そんなこと言ったってしょうがねえだろ。確かに、お前の父親が毒入りの菓子をお前に渡して、お前がそれを渡したことで母親が死んだ。」
アルベルはハッキリと言った。人の口から自分の過去を聞くことで、アランは初めてそれを客観的に見つめることが出来、不思議とすんなりと受け入れられた。そして、
「だが、お前の母親はお前に殺されたとは思ってねえはずだ。」
「!」
「お前には生きて欲しいと願ったわけだ。最期の力を振り絞ってまで。」
「…はい。」
アランの目に涙が零れ、ずっと、自分の心の中のどこかで、自分を責め続けていたものが、その涙と一緒にぽろりと落ちた。