小説☆アラアル編---宴の夜に(3)

  「そういや、お迎えが遅いな。」

ライマーがポツリと口を開いた。

  「ああ、旦那が来なくていって言ってたから、今日は―――」

カレルはそう言いかけたところで急に立ち上がり、略式の敬礼をした。ライマーもそれに倣う。

  「ご苦労様です。」

カレル達がそう挨拶した視線の先を振り返って、クレアはドキリとした。アランだ。

すぐに彼が軍服姿であることに気付いた。だが、部下の姿が見えない。一人で来たのだろうか。一体何事だろうと思いつつ、クレアは急いで立ち上がって、挨拶をした。

あんなに諦めよう、忘れようと決意したのに、ただ姿を見ただけで、もうこんなに心が揺れている。その揺れを少しでも止めたくて、クレアは自分の胸元を手でぐっと押さえた。しかしそうしながらも、服の皺が気になり、髪は乱れてないだろうか、鏡でチェックしておけばよかったと内心アレコレと心配している自分。クレアは、ネルの忠告を思い出せ、遺跡で見た彼の態度を思い出せと、必死で自分に言い聞かせた。

と、アランがクレアに軽く会釈を返し、そのまま前を通り過ぎた。アランの体重を感じさせない軽やかな動きに、ふわりとマントが追従する。ただそれだけで、クレアの胸はきゅんっと締め付けられ、あっという間に決意は崩れた。

  「今までお仕事されていたんで?」

カレルが話しかけたがアランはそれには答えず、床に寝転がらせられている者達をすっと見渡し、

  「アルベル様は?」

と事務的な口調で訪ねた。

  「あそこに。」

カレルは部屋の一番隅にある毛布の塊を指差した。するとアランはそこへまっすぐ歩み寄り、地面に膝を付いてかがみこんだ。

  「アルベル様。」

カレルに対するのとは打って変わって優しい声。

  「アルベル様。起きられますか?」

アランがそっと毛布の塊をゆすると、毛布がモゴモゴと動いた。その拍子に毛布がめくれ、中からアルベルが現れた。

  「…う…ん。」

不機嫌そうな唸り声の後、アルベルが目を開け、アランの方を見た。そして、あちこちに視線をさまよわせ、ようやく状況を掴むとアランにやや厳しい視線を戻した。

  「…来なくていいと言ったはずだ。」

アランは姿勢を正し、頭を下げた。

  「申し訳ありません。しかし、あなたがまたこうして雑魚寝させられてるのかと思うと、居ても立ってもいられなかったのです。」

それを聞いたクレアは、これはひょっとしてカレル達へのあてつけなのではないかと思って、いやしかしアランがそんな事を言ったりするのだろうかと、カレル達の反応を窺った。そして、渋い顔をしたライマーと、苦笑しているカレルを発見して、やはりそうなのだと、少し落胆した思いで確信した。

  (ほら、やっぱりネルの言った通りだわ。彼は私の思っているような人じゃないのよ。……それなのに、どうしてこの気持ちにケリをつけられないの!?情けないわよ、クレア!)



アルベルが体を起こそうとすると、アランがそれを手伝おうとした。だがアルベルはそれを軽く振り解き、ふらつきながらも自力で起き上がった。そして、カレルがすすめた椅子まで歩いてどさりと座わり、テーブルに肘をついて重たい頭を預けた。アランはその後ろに心配そうに立っている。

クレアは、そんなアランの態度が少し気になった。相手が立場が上にしたって、こんなに甲斐甲斐しく世話を焼こうとするだろうか。これが例えば女同士であったらよくあることだが、男はあまりそういうまめな事をしないような気がしていた。けれど、カレル達はアランの行動を全く気にしていないようだし、彼ら自身も部下達の面倒をよく見ていることからして、これも偏見なのかもしれないとクレアは考えた。

  「要ります?」

ライマーがグレープフルーツを見せるとと、アルベルはうなずいた。その顔色がまだあまりよくないのに気付いたカレルは、

  「今から帰るんですか?もうちょっと休んでからの方がいいんじゃ?」

と言ったが、アルベルは不機嫌そうに、

  「…仕方ねぇだろ。」

と、帰るつもりであることをそういう言い方で示した。それは同時に、アランがここに来たことを暗に咎めていたのだが、アランはそれに気付いた様子もなく、アルベルをすぐにでも連れて帰ると決めている顔で、カレルが勧めた椅子にも座らずに立って待っている。

  「俺らは明日の朝には修練場に戻ります。他の連中は…この調子で行くと、昼から夕方になりそうですが。」

ライマーがジュースを渡しながらそう言った。

  「そんなに早く戻ったところで、どうせ二日酔いで使いものにならんだろうが。お前らも戻るのは昼ぐらいでいい。」

アルベルが「お前たちもゆっくり休め。」と言っている事は、カレル達にはちゃんと伝わっている。

  「そうしたいのはヤマヤマなんですが、仕事を途中でほっぽって…」

カレルはそこまで言って、ぱくっと口を閉じた。今カレルが言いかけた内容を許してくれない人間がその場にいたのを思い出したのだ。だが、時既に遅し。アランが眉を顰めて不快感を表し、ライマーが驚愕の表情でカレルを凝視した。クレアはその場の空気にハラハラしてアルベルを見た。だが、アルベルは興味深そうにカレルの顔を見ている。どうやら面白がっているらしい。

実は、カレルが動揺するのは実に珍しい事なのだ。「ピンチになるほど頭が冴えてくんだよな、不思議なことに。」と本人の言うとおり、窮地に陥れば陥るほどふてぶてしいまでに冷静になり、冴え渡る頭脳で苦境を打開していく彼をこんなふうに動揺させることが出来るのは、恐らくライマーぐらいなものだろう。カレルは大抵の人間に対して「兄」という、自分にとって馴染んだ立場になれるのが、何故かこのライマーの前では完全に「弟」になってしまうからかもしれない。その為、カレルはライマーを最も信頼の置ける親友としながらも、最も苦手な人物として彼の名を真っ先に挙げるのだった。

  「途中でほっぽってきた?」

ライマーが厳しい表情でずいと詰め寄った。

  「いや、つまりだ、そのなんというか…」

カレルは何とか誤魔化せないかとしどろもどろになりつつ言葉を捜したが無駄だった。

  「説明しろ。」

ライマーが低い声で命じた。ライマーにとって、仕事を途中で放り出すなど考えられない事なのだ。カレルはそこで観念し、ぴしりと敬礼した。

  「かわいい部下のめでたい晴れの席に、全てを捨てて駆けつけて来たわけであります!」

アルベルがさり気なく口を隠した。だがクレアの位置からは、アルベルの口角が持ち上がっているのが見えた。笑っているのだ。だが、ライマーは笑うどころではない。

  「仕事まで捨ててくる奴があるか!」

とカレルを叱り付けた。

クレアは驚いた。こんなふうに部下達が自由に発言するのをアルベルが許している事をだ。まさか軍事国家の象徴ともいえる漆黒でこういう情景が見られようとは思いもしなかったのだ。

最強の剣士『歪みのアルベル』に平伏す兵士。命令には絶対服従。逆らえば死。恐怖によって部下を支配する暴君アルベル……よくもまあここまで事実から外れたものだ。

  「帰ったらちゃんとやるであります!」

内心はどうあれ一応は大真面目な顔をしてみせているカレル、それに対してこちらは正真正銘・大真面目に叱っているライマー。そのコントラストが妙に可笑しい。

  「それならお前も今から団長と一緒に帰れ!」

そんなライマーの厳しい一言に、カレルは今度は手を合わせて許しを乞うた。

  「えー!?もー俺、酔っちまったし、今日はもう遅いから勘弁してくれ。明日絶対頑張るって!な?」

  「俺に言ってどうする。団長に言うべきだろ。」

するとカレルはくるりとアルベルに向き直り、

  「旦那、どうか助けて下さい。」

と、アルベルには許しではなく、助けを求めた。ライマーが怒ったら厄介なのだ。本当にこのまま帰らせられ、恐らくは仕事が終わるまでしっかりと見張られることになる。アルベルはとうとう堪えきれずククッと笑った。アルベルは笑うと…こんなことを男性に言うと失礼だが…可愛い、とクレアは思った。

  「まぁ、いい。どうせほっぽり出してこれるような仕事だ。」

とアルベルは苦笑しながらライマーをなだめ、グレープフルーツジュースを一気に飲み干すと立ち上がった。

軽く笑ったお陰か、さっきより顔色が良くなってきていたが、やはり足元は危なっかしく、アルベルがふらつく度にアランがそれをさり気なく支えながら、二人連れ立って帰っていった。



  「まったく、お前はという奴は!」

ライマーは憤然と椅子に座り、カレルを睨んだ。しかし、アルベルのお陰でピンチを切り抜けたカレルは、もうケロリとしている。

  「そんなに怒るなよ。やるときゃちゃんとやってんだろ?」

カレルも椅子に座り、ライマーの杯に酒を注いで、自分の空の杯をライマーに差し出した。ライマーはそれをじろりと見たが、やがてしかめっ面をしながらもそれに酒を注いだ。確かにカレルは、ここ一番という時には、寝食すら忘れて没頭し、常人には真似できないほどの短期間でやり遂げてしまうのだ。カレルは自分を許してくれた友人にニッと笑って感謝の意を表したが、

  「仕事というのは、どんなものでも、最後までやらなければならないもんだ。」

と、ライマーが説教を始めると、カレルはやはり始まったかという諦め顔になった。

  「誰もやらねぇなんて言ってねぇし。」

カレルがぼそぼそと口答えすると、ライマーがじろりとにらんだ。カレルは目を逸らし、小さくなってそれをやり過ごす。

  「それを放り出してくるなど言語道断と言ってるんだ。」

  「……固い…固すぎるぜ…オッサン。」

この最後の一言が効いた。

ライマーがガターンと椅子を倒して立ち上がり、逃げようとするカレルの首を、腕でギリギリと締め上げた。

  「この野郎!自分が若く見られるからっていい気になりやがって!」

カレルとライマーは同い年であるが、この二人は歳相応に見られたことがない。カレルは実際の歳よりも若く、そしてライマーはいつだって老けて見られるのだ。本人はそれを気にしているらしい。

  「ぐッ!!こッ、降参ッ!降参ッ!!」



年甲斐もなくドタバタとじゃれ合っている二人を他所に、アランの去っていった方をじっと見、一人考え込んでいたクレアは、

  「あの…。」

と、カレル達を振り返った。二人はそこでぴたりと動きを止め、クレアを見た。クレアはそこで初めて、声を掛けるタイミングがまずかったことに気付いたが、それでも聞かずにはおれなかった。

  「あの方は、わざわざ迎えに来られたのですか?」

すると、カレルとライマーは絡まりあった格好のまま、ちらりと視線を交わした。それだけで意思が疎通し、ライマーはカレルから腕を解くと席に戻り、カレルに任せて酒を飲み始めた。

  「何で?」

カレルは痛む首をさすりながら、クレアに逆に質問した。そう尋ねられて、クレアは焦った。本当はアランがアルベルを迎えに来たことが気にかかり、二人はどういう関係なのかを知りたかった。しかしそれを直接尋ねるのは、何となく下世話な感じがして少々躊躇われた。そこで、クレアは、

  「いえ、あの…軍服姿でいらしてたので、何かあったのではと。」

と、別の方向から話を持っていこうとした。すると、カレルは真面目な顔つきになった。

  「何かあったらちゃんと連絡が来るようになってっけど、そうだな、異常がないか一応確認しとくか。」

  「え!?いいえ、そこまでは…!」

クレアは慌てて首を横に振った。そこで真に受けられては困るのだ。何かあったわけではない事を、彼がわかっているというのが大前提で、カレルが「いや、何もない。」とでも言ってくれれば、「それならどうしてここに来たのか?」という最初の問いに、ごく自然に戻れるはずだったのだから。しかし、カレルは、

  「いや、宴会の様子も気になってたから、そのついでに聞いてくる。」

と止めるまもなく、さっさと部屋を出て行ってしまった。

  「あ…。」

クレアは困惑した表情で見送った。部屋にシーンとした静けさが舞い降りた。ライマーは黙ってグレープフルーツを切り始めた。

それから程なくして、カレルは新たな酒の犠牲者数名を部下に担がせて戻ってきた。

  「別に異常なしだとさ。」

カレルの報告に、クレアは深々と頭を下げた。

  「すみません、わざわざ。」

  「いや、いいさ。ついでにこいつらを回収してこれたからな。」

クレアは恐縮しきり、それ以上の事を聞くエネルギーはもう残ってはいなかった。自分の思い付きを真剣に受け止めて、確認にまで行ってもらったのに、実はそれが単なる口実だったことが知れては申し訳なさ過ぎる。それに、犠牲者が一気に増えてカレル達も忙しくなり、クレアと話をするどころではなくなった。

こうしてクレアは、先ほどの質問の答えを聞くタイミングを失ってしまったのだった。

敢えて人の話を勘違いし、本筋から外れた部分を真に受けることで、核心から話を逸らしてしまう。しかも、クレアが人の手を煩わせるのを嫌うのを、ついさっき知ったばかりだというのに、カレルはそれまでしっかり計算に入れたのだ。

  (相変わらず見事だな。)

ライマーがカレルにグレープフルーツジュースを渡しながら目だけでチラッと笑い、カレルも微かに笑ってそれに答えた。

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