カルサアの修練場に戻ってきたカレルは、一人団長室の自分の机に座った。なんだか酷く疲れた。しかし、やらなければならないことがある。まずはアランに提出する報告書作り。ちょっとの時間を利用してこまめに手帳に下書きしておいたので、それらをまとめて清書するだけですぐに終わった。それからアルベル・ノックス解体新書の翻訳作業。30分したところで集中力が低下して、今日は打ち切り。机の端に寄せて、今度は白紙の紙を置き、表題を書いた。
『新体制』
それをしばらく眺めた。が、次にペンを取った時には一気に書き上げた。新体制の組織図。
(これがベストだ。)
カレルは何度も自分に言い聞かせた。
コンコン。
その真面目なノックの音を聞いたカレルは、組織図を急いで引き出しに隠した。
「一人で行動するなと言ってるだろう?」
入ってきたのはライマーだ。気付けば後ろからついて来ているライマーの部下を上手くまいて清々したと思っていたら、真打自ら動いた。
「放っとけ。」
カレルは不機嫌そうに机の上を片付け始めた。
「顔色が悪いぞ?」
「放っとけっつってんだろ!?」
部下に監視させるのも自分を心配してのことだとわかっているし、ライマーに守られている気がして普段は嬉しく思うのだが、今はとにかくイライラした。
「人を四六時中監視すんな!気分が悪ぃ!」
なんだか本当に気分が悪い。疲れのせいだろうか。
「だったら、ちゃんと自分の身を守ることを考えてくれ。」
「いいだろ、どうでも!」
別に誰に殺されたってかまわない。自分はそれだけの事をしたのだから。そんな自らをかえりみない投げやりな態度に、ライマーがついに声を荒げた。
「良くない!本当は俺が付いてまわりたいくらいだ!」
ライマーがいかに心配してくれているか。それを感じた途端、ストンと怒りが納まり、今度はひどく冷静になった。もうこんな風に心配かけてはいけない。頼ってはいけない。ちゃんと自分の足で立たなければならない。ライマーが安心して風雷に行ける様に。
「明日からちゃんと警護をつける。だからお前は手を引け。」
シンと間があった。耳が痛くなるほどの沈黙。
「…わかった。」
ライマーがかすれた声でそう言った瞬間、胃がせり上がってきた。吐きそうだ。それを悟られぬよう、カレルは急いでライマーの横をすり抜けた。そして部屋を出る間際、ライマーに背を向けたまま声を搾り出すようにして言った。
「お前、やっぱり風雷に行け。」
自分の部屋に戻ると、カレルは崩れるようにベッドに倒れこんだ。その途端、目の前が涙で滲んだ。
(…なんだ、泣きたかったのか…って泣くほどの事か?)
泣くまいと、必死で涙を飲み込もうと努力したが、とうとうこぼれた。決壊してしまった涙は、次から次へとあふれ出てくる。
この状態はおかしい。自分でも異常だと思う。
確かに会えるのは年に数回程度となってしまうが、別に一生の別れというわけではない。それなのにライマーが自分から離れると思うだけで、何かが崩壊しそうになる。
(何で?それだけ依存しちまってるってことか?)
兵学校でからかわれた時も、漆黒に飛ばされて落ち込んだ時も、落ちこぼれ組でどん底まで沈んだ時も、戦争で血反吐を吐く思いをしていた時も、いつもライマーが傍にいて支えてくれた。誰よりも理解してくれる。唯一本心を語れる相手。今だって、勝手に姿をくらませた自分を心配して追ってきてくれた。他の誰がそんなことをしてくれる?それを失うのがどれ程辛いことか。
(けど、もうこれ以上はダメだアイツは自分を犠牲にして俺がアイツの人生を狂わせた何でアイツまで落ちこぼれ組で惨めな思いを風雷の将校になるのが夢だってあんなに勉強していたのに俺のせいで手放すべきだってずっと前からわかっていたくせに甘えてアイツは団長になれる人間なのに俺が足を引っ張った俺のせいだ俺のせいだ!俺のせいだ!!
)
その時、頭の中でカタンと音がした。
何故か、それがカンヌキの外れる音だと知っていた。
ドアが開く。そう思った瞬間、
カレルの体がギクリと硬直した。
ギギギギギ…
どこかで聞いたことのある古びたドアのきしみ。
心の奥の深い檻の中で、誰かが悲鳴を上げ始めた。
(何だ…これ…!?)
恐怖に体が振るえ、背筋に嫌な汗が流れる。
暗闇の底から、まるで悪魔の息吹のような何かが這い上がってくる。
カレルは本能的に耳を塞いだ。
だがその指の隙間をすり抜けて悪魔の声は忍び込んできた。
…恨むなら母親を恨め…
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