「入るぞ。」
ライマーは食事と薬の乗ったトレーを持って、カレルの部屋に入った。カレルはベッドに横たわり、ボーっと天井を眺めていた。
ライマーはベッドサイドの小さなテーブルにトレーを置きながら、カレルに声を掛けた。
「薬の時間だ。」
だが、返事は無かった。ライマーはカレルを覗き込んだ。
「カレル?」
反応がない。ライマーはドキリとして、カレルの肩を揺すった。
「カレル!」
すると、カレルがゆっくりとライマーに視線を移した。まるで知らない人間を見るかのような目。その虚ろさに心が凍りつく。
『誰だ、お前?』
一瞬、そう言われるのかと思った。
「どうした?」
そう返事をしてくれた瞬間、ライマーの体から一気に緊張が解けた。
「…死んでるのかと思った。」
だがカレルはそれに答えず、またゆっくりと天井に視線を戻した。戻りかけていた目の光が急速に弱まっていく。
医者は『心の病』と診断した。重症になると自殺を考えるようになるとのことで、窓には錠をかけ、ちょっとでも命を奪う可能性のあるものは全て別の部屋に移した。そして、自分がここにいる間は下がらせているが、部屋には常に見張りを置いている。
ライマーは不安を胸に押し隠しながら、強引にカレルの体を抱え、背中にクッションをあてて上半身を起きあがらせた。
「まずは食え。…カレル。」
早くこちらの世界に戻って来て欲しかった。だが、カレルの目は違う世界を見たまま。
「カレル、ほら持て!」
無理やり手にスプーンを持たせる。カレルはゆっくりと顔を回すと、それをじーっと眺めた。そして、ぽつりと言った。
「なんで…?」
「カレル?」
「…放っといてくれっつったろ?」
「放っておけるわけがないだろう!?」
自分でスプーンを持とうとしない手を、ぐっと握りこんだ。
「一口でもいいから食ってくれ!頼む!」
そんな必死の思いが届いたのか、カレルの体に幾分か力が戻った。まだ夢から醒めないような表情でゆっくりとスープを口に運ぶ。その様子を見守りながら、カレルに語りかけた。
「悩みでもあるのか?」
「…。」
「何か考え事してたんじゃないのか?」
「…何も。」
ライマーは何らかの答えが欲しくて、さらに追求した。
「じゃあ『無』の状態なのか?」
カレルは今、一体どんな世界に心を置いているのだろう。そこで何を感じ、何を思っているのか、欠片でもいいから掴みたかった。
「何かを考えてたんだろう?」
「…。」
「話したくないか?」
カレルはスプーンを眺めた。長い長い沈黙。ライマーは根気強く待った。
「なんか…急に昔の事を思い出して…」
「昔の事?それは?」
「……このまま…消えてしまえねぇかなー…なんてな。」
「何で消えたいなんて思う?」
「…さあ?」
カレルはうるさそうに言ってトレーごとスープを付き返し、膝を抱えて顔を埋めた。
「もう俺に構うな。」
カレルは自分を突き放そうとしていた。
「…どうして?」
「他にやる事あるだろ?…もう放っといてくれ。」
カレルはこれ以上何も聞きたくないと耳をふさいでしまった。
「カレル…。」
だがもう何度呼びかけてもカレルは動かなかった。ライマーはそんなカレルを長い間じっと見つめ、やがて薬に目をやった。
+++++++++++
「ライマーさんのキスで、一発で治りますって。」
オレストはのんきにそう言った。そして、こうも言った。
「カレルさんが落ち込んでる原因はライマーさんですよ。決まってるじゃないですか。」
「…俺?」
「ほら、この間の祭りの打ち上げの時、風雷の人と仲良さそうにしゃべってて、その間カレルさんをほったらかしにしたでしょう?」
風雷の人とはハロルドのことだろう。
「別にそんなつもりは」
「してました!」
オレストは断言した。だが、到底納得のいく理由ではない。
「子どもじゃあるまいし」
すると、オレストの目が真面目なものに変わった。
「ずっと押さえ込んでたものが噴出す切欠になったんじゃないでしょうか。あの時のカレルさん、いつもの余裕がなかったから。」
『ずっと押さえ込んでたもの』その言葉にライマーは身を乗り出した。
「…どういうことだ?」
するとオレストは口調を軽くした。
「要するに、カレルさんはライマーさんに愛されたいんですよ。」
またそれか、とライマーは溜息を付いた。人が真面目な話をしている時に、また二人の仲を茶化そうとしているのかと思ったが違った。
「カレルさんって、ライマーさんにはあれこれ我侭を言うでしょ?あれって、無意識の内に確かめてるんですよ。『俺を愛してくれてるよな?』って。」
カレルの不安げな目が思い浮かんだ。流石に甘え過ぎたと感じると、いつもそんな目をした。そんなに気にするんだったら、最初からそんな我がままを言わなければいいのに、くらいにしか思っていなかった。
「それなのにライマーさんときたら!受け容れたかと思ったら急に突き放したりして、一体どういうつもりなのか全然はっきりしないから、カレルさんは常に不安で、だからことさらライマーさんにしがみつくんですよ。…でも、その問題はもっと根深いところにあると思います。」
ライマーはドキリとした。こんな風に気付かれていたとは思わなかったのと、最後のセリフに不穏なものを感じて。オレストは辛そうな目をして、声を落とした。
「カレルさんの絵を見てそう思いました。あれは明らかに心に傷を負ってる。しかも、自己の存在をあそこまで否定してしまうほどの大きな傷です。」
「原因は…?」
ライマーは戦死者の墓の前でたたずんでいたカレルの姿を真っ先に思い浮かべたが、オレストは、
「さあ…それは…」
と、言葉を濁した。何故言葉を濁す必要があるのか。嫌な予感が強まってくる。
「何か知っているのか?」
「…いいえ。」
オレストはちらと目を逸らした。
「…知っているんだな?」
オレストの目を見据えながら尋ねると、オレストは急いで首を横に振った。
「いいえ、本当に知りません。ただ、ちょっと気になることがあるだけです。…でもそれは言えません。」
お調子者で人がいい。だが、話してはならないことに関しては決して口を割らない。そして、その『気になること』とは、例えカレルの親友である自分にさえも言えない程のことなのだ。
「その傷をライマーさんで埋めようとしてるんじゃないでしょうか。僕はそんな気がしてなりません。」
そう言ったオレストの目の奥に見た深みは、自分よりもずっと年長者のものであるようにライマーは感じた。
+++++++++++
『騙されたと思って、一発やってみて下さいよ!カレルさんの為に!』
そう言ったオレストのウキウキした表情を思い出してライマーは舌打ちした。
(無責任に言いやがって…。)
この深刻な事態がわかっているのか、いないのか。…わかった上で、敢えて明るく振舞っているのかもしれないが。
『お前は手を引け』 『放っとけ』 『もう俺に構うな』
既にここまで拒絶されているというのに、そこへ持ってきて、何でいきなりキスなんか…。カレルに軽蔑されたらきっと立ち直れない。
でも、もし。もしも本当にこれでカレルが元に戻るなら…。
ライマーは薬を手に取った。オレストは自分とは違う視点でカレルを見ている。そして、自分には気付かなかった何かに気付いていて、それで「僕を信じてください!」と、そこまでいうのだから。何よりこの漆黒の人事を任せられるほどの人間だ。その言葉を信じてみよう。
意を決して薬を口に咥える。薬を飲ませるという口実にすがろうとする自分が情けなかったが、しかしとにかく飲んでもわらなければならないのだからと言い訳を重ねた。ライマーは耳を塞いでいたカレルの手を掴んだ。カレルは軽く顔を上げて自分に触れるその手を怪訝そうに見た。それを両手で挟み込み、上を向かせる。
そして―――
顔を離すと、カレルは目を見開いてライマーを凝視してきた。信じられない。そんな表情に、ライマーはカッと顔に血が上るのを感じながら、急いで部屋を後にした。
物凄い勢いで歩いていくライマーを、通り過ぎる人間が怪訝な表情で見送る。自分の部屋のドアを開け、後ろ手にばたんと閉めた。そのままドアに寄りかかった。
(やってしまった…。)
ライマーはノロノロとソファに歩み寄り、どさりと座った。
(何と思っただろう?次に顔を合わせたとき、どうしたら…)
それが頭の中を何度もぐるぐると回る。ライマーは大きな溜息を付いて手の平に顔を埋めた。
数時間後。ライマーは、カレルの様子が気になって部屋の前までやってきたが、やはりドアを開ける勇気がなく、そのまま通り過ぎたところで、見張りにつけている部下の一人が廊下を歩いているのをみつけた。急いでそれを捕まえて様子を尋ねた。
「カレルはどうしてる?」
「団長室です。」
ライマーは驚いた。アルベルが呼び出したのかと思ったが違った。
「ずっと宙を眺めておられたのですが、いきなり起き上がって、『着替える。』と。どうしても団長に話があると仰って。」
「体調の方は?」
「それはまだ、万全ではありませんが」
そこで部下はにっこりと微笑んだ。
「でもちゃんとお話されるようになりました。」
ライマーはその足で団長室に向かった。ノックして入ると、アルベルと話していたカレルが振り返った。この数日で一段と痩せた。だが、目には力が戻っていた。カレルはニッと笑って言った。
「ライマー、副団長就任おめでとう!」
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